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梶井基次郎の芥川龍之介が嫌いな気持ちへ間違いを夢見た三好達治の詩的な感性

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もしかすると梶井基次郎は芥川龍之介が嫌いなんだと思っていた。二人とも日本の小説家で、大正末期から昭和初期までの同時代を生きていた。僕は両方とも好きな作家だけれども互いに作品の傾向が余りにかけ離れ過ぎている。梶井基次郎は生命力が強くて芥川龍之介は精神性が高い。なので後者は前者を全く気に留めないとしても前者は後者を情けないみたいに捉えずにいないのではないか。いじめといえばいじめだけれども自分よりも詰まらない奴として見下してしまう梶井基次郎を想像するほどに芥川龍之介が無闇に可哀想だから本当ならば何とかしなくては行けないと感じた。作家として一つの命題にもなるんだ。たとえ優秀な小説家でも他人を馬鹿にする愚かさを免れないような生活が現実だとすれば魔が差したに過ぎないにせよ、相当に根深い。僕にとっては皆が真似しないように自作を通して仕向けるというか、総じて言葉遣いから世界の相容れない友好的な事情へ十分…

注目のテーマが広がってスタイルも創造しなければならない気持ち

ブログの以前の記事を見ると文章が長くても段落が少なかったりする。本当に昔から日記やエッセイで気付いてはいたものの段落分けを減らして打ち続けるみたいにやりたいとむしろ考えていたせいだった。
しかし文字数が数千とか達するほどの記事だと読むのには相当に厳しい。
一息で数百字の感覚でずっと日記やエッセイをやっていたから文章量が増しても同じような形を取っていたと振り返るんだ。
千文字を越えるような長文だったら段落分けで息継ぎを増やさないとそれこそ論文調の雰囲気にもならざるを得ない。ブログの記事は論文調でも別に構わないし、内容が伴っていれば必要だから結局は文章のスタイルを多種多様に使い分けることが大事だと思うようになった。
かつて自分を出したくて作品で押し通そうとして日記やエッセイはこうなんだと一気に書き捲るばかりで段落分けを減らしながら密かに喜んでいたけど、作品そのものの性質が変わって来ているわけだから直…