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α5100とTouit 2.8/50Mの初夏の晴れた公園の花々の撮り歩きの五つの作例

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ゴールデンウィークの前半、四月三十日に良く晴れて暖かったので、地元の公園に愛用のカメラのSonyのα5100とレンズのZeissのTouit 2.8/50Mを携えて花々の写真の撮り歩きに出かけた。目当ては何といっても山の裏道でひっそり咲いているのを見付けて大喜びした鈴蘭だ。 好きな花だけど、しかし白一色で小さいからピントが合わなくて動かなくても写真撮影には手強いとも知った。最初は失敗ばかりだったし、スマホやコンパクトのカメラでは被写体の輪郭を十分に取れなくて――光の少ない木陰の鈴蘭にかぎればもはややるだけ無駄の散々な境地を強いられるばかりだ――たとえ一眼レフのカメラでも露出やシャッタースピードや絞り値などをしっかり覚えて細かく調整しないと厳しかった。鈴蘭との出会いは写真家として相当に練習になった。 二年目の去年は山の裏道の鈴蘭の集落へ何度も足を運んで試行錯誤を繰り返しながら蕾や葉っぱや…

アインシュタインの蜜蜂と人間に関する言葉は最初はメーテルリンクの蜜蜂の生活から名前だけ変えて伝えられたようだ

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Bees in the hive box by JPiber [CC0], via Pixabayやりすぎ都市伝説でゲストのいとうせいこうがアインシュタインの蜜蜂と人間に関する言葉を引用していてとても興味深かったものの違和感も否めなくて何だろうと首を傾げざるを得なかった。アインシュタインは物理学者で、生物学者ではないので、蜜蜂と人間に関する言葉が本当ならば専門外の分野にまで十分に精通していると受け留めるし、世紀の大科学者として流石に博識だと唸るところがしかしあり得ないのではないか、認識の内容が信憑性に欠けているようで、どうも仮説的で、予言的な意味合いが強かったせいだったんだ。もしも地球上から蜜蜂が姿を消し去れば人間は生きるのに残り四年しか持たないだろう。蜜蜂がなくなり。受粉がなくなり、植物がなくなり、動物がなくなり、人間がなくなる。If the Bee Disappeared Off t…

開設して十ヵ月目のブログで一日百人のアクセスを得て祝い酒に値しない気持ち

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ブログのアクセスが連日で一日百人を越えていて漸く次の目標の二百五十人が見えて来たかも知れない。八月から既に望んでいたもの下向き傾向だったので、持ち直すようにあちこち修正してばかりで頑張っても横這い続きの状態だった。一日百人のアクセスが定着してこそ心置きなく次の目標の二百五十人へ立ち向かえるわけだった。抜け出したと少しでも新しく認められれば嬉しいし、ブログの成長への足掛かりを得たかぎりは気持ちも乗って来ずにいない。開設して十ヵ月目に入っていて当初の予定では一日二三百人を考えていたので、半分以下の結果しか出てないからブロガーとして祝い酒までには値しないと思う。ただし面白いのはBloggerでアクセスアップのチャンスが大きいと確信できたんだ。ブログの無料サービスでも利用者のコミュニティーが公式には設置されてないから人を呼ぶのは難しくてひょっとしたらどんなに頑張っても誰も来ないというブロガーにと…

フラワーピースのコレクションから再考される望ましいかぎりのサイト運営の仕方

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Google+でフラワーピースのコレクションを開始した。花の写真を自作で主に追加して行く。詩的に平和が味わわれるように喜ばしく纏めるつもりだ。ヘッダーの画像を鈴蘭の写真にできたのは嬉しかった。普通では無理なはずだったのに地元の公園の山に咲いていると知った。鈴蘭の写真が直ぐに撮れるなんて奇跡としかいいようがないくらい衝撃的な経験だった。個人的に好きな花で、かつて自作詩の鈴蘭を完成して以来は思いも相当に強まっていたんだ。フラワーピースのヘッダーの画像の鈴蘭は元々はブログに使うために作成していた。しかしどうも合わない感じが止めていたんだ。以前のテンプレートではパソコン/タブレットのウェブバージョンて鈴蘭を右寄りに切り取って左寄りにブログのタイトルとメッセージが入るようにしてヘッダーで使い出していたけれども現在のテンプレートに変更した時点でちょっともう無理だとカーテンに置き換えてしまった。ブログ…

花々のマクロ撮影は世界が変わる瞬間を色鮮やかに写真に残せるのが嬉しい

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マクロ撮影はどんな被写体でも世界が変わる瞬間を写真に残せるのが面白いと思うけれども取り分け花々だと色鮮やかに仕上がるから今正に見方が新しく生み出されていると求められるリアリティーが増して来るようでいつも嬉しい気持ちが大きい。ミラーレス一眼カメラのα5100にさらに等倍マクロレンズのTouit 2.8/58Mを購入して以来、写真のマクロ撮影の作例がどんどん増えて行くばかりだ。最初は世界が変わる瞬間に怖がっていたかも知れない。被写体を傷付けるのではないかと一つの慣れ親しんだ見方の崩壊、または逸脱に心を僅かにも苛まれずにいなかったような感じがする。しかし常日頃のイメージだけが正しいわけでは決してないはずだし、写真のマクロ撮影は被写体に隠された新しい真実をはっきり引き出せるところが良いんだと考えるほどに積極的に取り組めるようになった。とはいえ、実際に取り組んでみるとマクロ撮影によって被写体への一…

セピア色の写真が懐かしいのは古びて汚れた感じが自然なほどに

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今年は気に入った鈴蘭の写真が色々と撮れた。小さな蕾から咲き出してさらに虫も来てついに見納めるまで嬉しかったと思い出しながら又一枚を仕上げた。Photoshop ExpressのエフェクトでセピアⅢを使ってみた。格好良いイメージだ、鈴蘭は可愛いけれども。印象がガラリと変わって薄暗い雰囲気の中で懐かしさが切なくも込み上げるのが詩情だと思う。もう二度と手の届かない記憶の世界、言葉が心に染みて来るのは確かだ。愛と優しさがなければ成り立たないと分かるから改めて自分に取り入れたくなる。セピアⅢというPhotoshop Expressのエフェクトの一つの良さだろう。詩情と共に出会いから幸せを掴むかぎりの人生の素晴らしさに匹敵するような写真が得られる。Photoshop ExpressのエフェクトにはセピアⅡもある。気に入ってセピアを探すとセピアⅠがなくてなぜと訝る。記憶の世界と捉えると白黒がたぶんセピ…

白琉球の切なさの詩的で命の尊さに他ならない思い遣りの心に救われる雨上がり

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白琉球の花が咲いていた。雨が多くて満開だったけれどもあっさり萎れかけているようだ。琉球躑躅ともいわれる躑躅の一種で、他の種類でも似ていて雨で直ぐに変色する花が多い。しかし白だと本当に目立つし、雨上がりの白琉球には切なさを受け取らずにいない。花柄も大きいから、殊の外、衝撃的で、晴れやかな様子こそ却って強く目に浮かんでしまう。花言葉は「愛の喜び」らしい。切なさから受け取ると人生を考えさせられる。愛の喜びが直ぐに終わるのか。または悲しみを含めて愛する気持ちが喜びならば深い意味を持っているに違いない。イメージとして前者は清純だし、後者は慈しみだろう。白琉球は切なさを帯びた花だから花言葉の「愛の喜び」も複雑な感じがする。清純な慈しみとすると人生では思い遣りの心が欠かせなさそうだ。素晴らしいし、見習うしかないと頷く。ならば白琉球は素敵な詩人を彷彿とさせる花なんだ。安らぎを感じるのも本当だ、見ていると…

Zeissのマクロプラナーは光の流れを巧く捉えるマクロレンズだ

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菜の花が明るく咲いていた。黄色が眩しい。何輪も一斉に風に揺れていると如何にも無邪気な可愛らしさに胸を締め付けられる。自作詩のThe blueで歌った光の切なさを体現した花かも知れない。すると菜の花の一輪ずつが素晴らしい瞬間なんだ。堪らなく詩的で、心から見逃せないと思う。写真はマクロ撮影が上手く行って気持ち良い。菜の花は細長いからまさかだけれども真ん丸でほわほわのイメージが手に入った。世界が見違える。望ましい光を象徴するように詩的に纏められたと納得する。描き込みが少し足りないけど、明るくてコントラストが低いせいみたいだからそのままにしている。写真には自然さを何よりも出したい。些細な日常だし、見た目通りの仕上がりが気に入っている。カメラとレンズのα5100とTouit 2.8/50Mも実力を十分に出し切れたのではないか。写真の実在感は基本的に軽くならざるを得なさそうだから撮影では光の方向に配…

見納めの鈴蘭の花へ耽る感慨と止められないくらい引き付けられる写真撮影での最も興味深いところ

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先週から雨が多くて満開だった鈴蘭の集落はどうなったかと確かめに行ったら枯れかけながら汚れているのが大半だった。色艶は落ちて姿形も崩れる。鈴蘭を理想的に写真に残すには咲いて直ぐの状態がやはりピカピカで丸っこくて良い。他の花でも同じだけれども鈴蘭だと分かり易い感じがする。白一色で花弁の動きが少ないので、イメージのちょっとした変化でも気に留まるせいだ。辺りには雑草も増えて写真撮影は苦しいし、暖かくて蚊が出て来て刺されながらなのも厄介だったけれども今年はもはや見納めの鈴蘭だと思う。そして感慨に耽る。気に入った花を失うというのは失恋にも近い。心の整理が必要ではないか。逃れるのも容易ではない悲しみに普段よりも多く包まれているようだ。来年までの別れならば貧困生活に打ち勝てるかどうかが僕には問われる。鈴蘭はきっと咲くはずだ。振り返ると写真撮影が上達したのが嬉しかった。今年は去年よりも失敗作が明らかに少な…

七星天道の汚れて苦労する命の営みには神の視点から平家物語の憐れみまで考えられた

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鈴蘭に七星天道が付いていた。好運な感じがする、ラッキーセブンなので。しかも赤だ。情熱の炎の輝かしい気持ちで、人生の期待値も上がらずにいないだろう。姿形も丸くて小さくて可愛いから嬉しい。去年も見付けたけど、写真には残せなかった。ちょこちょこ動き回るからα5100ではタッチパネルの追尾フォーカスで狙うしかない。背中にピントが合ってくれたから良かった。日陰なので、描き込みは緩くても仕様がない。Touit 2.8/50Mのマクロ撮影ならではの被写体が背景から浮かび上がるような仕上がりを得たからとても満足している。雨が多くて鈴蘭が汚れていて七星天道もそうなので、独特のイメージを認める。いうと花も虫も苦労している。ヴァン・ゴッホの馬鈴薯を食べる人々と被るような労働の崇高さを人間にとっては計らずも受け取ってしまうし、そして命の営みの地道な余りのリアリティーに気付かされる。なぜ神は生き物に試練を与えるの…

久留米躑躅の情熱の炎が燃え上がるような真っ赤な花に

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久留米躑躅が真っ赤で印象的だった。情熱の炎が燃え上がるようにまるで生きる喜びを鼓舞している。見ていて元気が出るし、輝かしい気持ちを味わう。将来への希望を受け取らせるかぎり、久留米躑躅は素晴らしいとしか呼べないだろう。今此処で花盛りの期待感は人生も確かに同じだ。小学六年生に真っ赤な思い出がある。毎日、真っ赤な服を着て学校に通っていた。暫くして担任の先生に派手だから止めろといわれて驚いたものの従うしかなかった。自分でもいつも真っ赤な服ばかりで良いのかと訝っていたけど、しかしながら止めてみると本当に寂しかった。気持ちが萎えるようだった、以前よりも。真っ赤な服は気持ちが花盛りだったとすると着ないのは人生に暗雲がたれ込めそうではないか。不吉だったし、本当の自分を出せなくなるのでは将来も酷く感じたので、丸っ切り、避けてしまうのも忍びなかった真っ赤な服は本当の自分を初めて社会的に見出だした経験だった。…

鈴蘭の集落で童心に返りながらヒラタアオコガネも見付けた詩人への思い

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公園の山の鈴蘭が、大分、咲いて来た。可愛いと思う。まるで天使が宿っているようだ。純真無垢な白い花、そして緑の健やかで大きな葉、人間にとって心に羽根が生えた様子を形象的に彷彿とさせるせいか。ならば鈴蘭は天使の家だろう。数多く咲いている集落ももはや幻想の国に他ならない。鈴蘭を見ていて微笑ましいのは天使たちの住む素晴らしい世界を感じ取って心を擽られているわけだ。詩的だし、気に入るのも当然だ、個人的にいって。童心に返る。動物が好きで、取り分け可愛いと良かった。昆虫は小さいからいうまでもなく、気に入っていた。鈴蘭にも見付け出しのは非常に面白かった。調べるとヒラタアオコガネらしい。体長1センチ程で、条の付いた背中が緑色や褐色の光沢を放つ。特徴的なのは全身を縁取るような毛並みだ。光の加減で見えない場合もあるけれどもふさふさしている。黄金虫の仲間でも他の似たようなスジコガネには珍しいので、見分けが付けら…

初夏の光の花々:山躑躅(朱色/赤)と鈴蘭と日陰躑躅と淀川躑躅

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ゴールデンウィークに写真撮影に出かけた。快晴で初夏の光を思う存分と味わえたようだ。前回も快晴だったものの今回は上回っていて写真の仕上がりはさらに明るい。嬉しいし、目覚ましい。α5100とTouit 2.8/50Mで、結構、多めに撮ったけれども失敗作もいつになく少なかった。山躑躅は早く咲いていたのが枯れて他の木が満開だった。日差しを受けて光り輝く朱色の花が可愛いし、日本的な情緒を与える。錦鯉を思い出す。白と朱色の錦は良い人生を予感させる。自作詩でも錦を歌っていた。錦の素晴らしいイメージが光り輝くと白っぽい朱色の山躑躅には受け取られずにいない。赤い山躑躅の花も増えていた。目を引いた。心を掴まれた。写真を長々と撮っていると山道の階段を人々が歩きながら良い色だというのが聞こえて笑みが溢れた。同じではないか、気持ちは僕と。良い色だから写真を長々と撮らずにいられなかった。朱色の山躑躅が多い山なので、…

黒船躑躅に気付いた朝鮮半島や中国大陸の美意識

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躑躅には様々な種類があって些細な日常では躑躅や山躑躅を取り上げて来たけれども黒船躑躅は他とは雰囲気が少し違う感じがした。名前から推測すると舶来物ではないかと見ていて韓国のチマチョゴリが思い起こされた。実際には北朝鮮も含めた両国が分断される以前からの共通した民族衣装らしい。明るい艷やかさを感じるところが黒船躑躅とチマチョゴリは似ている。日本の他の躑躅が光を吸収するように見えるのとは反対に発散していて花の雰囲気は艷やかなのに色味が明るいのが特徴的だと思う。黒船躑躅は躑躅の女王と呼ばれるらしい。人を引き付ける美しさが際立っているせいではないか。大きめの花を咲かせると共に光を弾くという印象が強くて記憶に残り易い。国を代表する女王の誇らしい華やかさが黒船躑躅にも多くの躑躅の中ではっきり受け取られてしまう。中国のチャイナドレスも彩りの明るさが重なる。シルエットは細いけれども色使いが単一的だから光を弾…

森の鈴蘭の集落には幸運とカメラの基本

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想定では花が咲くのは来週以降だけれども待ち切れなくて森の鈴蘭の集落を又直ぐに見に行ってしまった。葉っぱはどんどん広がっているし、蕾の数も相当に増えている。数日前とは本当に見違えるし、花が咲くのは間近だと勢いの良さを感じさせる。どのくらいの速度で成長するのかが分からないし、知らないので、しっかり覚えておきたいという気持ちも大きい。好きな花の鈴蘭だから少しでも見逃せないわけだけれども身近な森で集落が見付かったのは奇跡だと改めて神に感謝せざるを得ない。初めて喜んだ去年はもう既に枯れかけていたし、折角の機会ならば一年越しの巡り合わせだ。長々と待ちながら実際に戻って来られたのはやはりまさかの幸運だろう。鈴蘭の集落が素晴らしいだけではなくて自殺したいままの状態が酷くても良く生き延びている。真っ先に癒される森がある。人間にとって好きな気持ちこそ不遇に強いのではないか。希望を持てば絶望に打ち勝つのは容易…

鈴蘭の蕾に待ち遠しい初夏へのカメラ考察

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森へ行くと鈴蘭が蕾を覗かせていた。四日前の写真撮影で立ち寄ったら茎だけだったから早いと驚いた。もう直ぐに満開だろう。初夏の息吹きを感じる。鈴蘭の花が待ち遠しくも写真に収めるならば来週一杯こそ最高に違いない。再来週以降も暫くは枯れないにせよ、雨風で汚れたり、蜘蛛の巣が張ったりするので、真っ白なままを端的には狙い難そうではないか。しかしやはり本当に厳しいのはピント合わせだ、カメラにおいて。鈴蘭の蕾を撮りながら一年振りに思い知らされる現実だった。天気は快晴で、シャッタースピードも四桁の1/1000sだから手振れの心配はなかったのに仕上がりに気乗りしないのは描き込みなんだ。似た花のスノーフレイクは四日前の写真撮影でもまずまずだったけれども鈴蘭は小さい分だけ写りが悪くなってしまう。白一色の花でコントラストも低いかぎり、カメラはフルサイズのセンサーでなければ描き込みが不足せざるを得ないようだ。α51…

真っ朱な山躑躅を写真に収められただけでも胸一杯の思いがするのは情熱の光のせいだ

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山躑躅が晩春の山を朱く染め上げていて衝撃的だった。驚くのは自分自身で、昔は気にも留めなかった。山といえば衝撃的なのは真夏だけれども虫だったし、甲虫や鍬形虫を取る以外に好奇心はなかったはずだ。植物も出会いたい虫がやって来易い櫟の木こそ素晴らしいみたいな感じで、他には見向きもしなかった。年のせいではない、変わったのは。詩だ。というか、かつて作詩の公園を運営しながら詩人を明らかに自認してから命を公平に捉えなくてはならないと考え出したんだ。元々、なぜ動物よりも植物には引き付けられないのかを訝っていたけど、引き付けられるべきだし、ちゃんと自分らしく生きるならば好きに向き合うのが正しかったわけだ。石を喜ぶのも同じ気持ちだ、命として根源的には。動物や植物を有機物とすれば無機物も生きているのが宇宙の真髄ではないか。まさか引き付けられない理由もなかったらしい。山躑躅が一斉に咲いていると山が燃え盛るみたいに…

ピンクと白の芝桜で希望を引き寄せる自己啓発

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芝桜が可愛い。地面にびっしり生えて咲き出すと踏み潰して歩くのも忍びない思いに駆られる。しかし何気なく歩いている道も普段から同じではなかったか。有り難みを受け取るほどに芝桜に喜びが膨らむんだ。人生は尊いし、道なしには生活も苦しかったはずだから感謝するには越さない、神へ。するとピンクと白は気持ちに正しく当て嵌まる。芝桜は忍びない思いと人生の尊さのためにピンクと白が似合っているのではないか。自然に受け取るかぎりの神のメッセージだと感じてしまう。ピンクと白の芝桜は本当に美しいし、イメージは晩春から初夏への移り行く季節の詩そのものだ。素晴らしかった春に別れを告げながら新しく素晴らしいはずの夏との出会いへ明るく期待して行くわけなので、それぞれが通じ合う真実の喜ぶべき繋がりに気付けば芝桜は象徴的に輝かしい花だった。芝桜いとも容易く澄んだ風人生で道に迷うとは風向きが読めないに等しい。もしも吹いているなら…