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貴乃花親方が内閣府へ日本相撲協会の告発状を提出したとは格好良い

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大相撲の貴乃花親方が弟子の貴ノ浪が負傷させられた日馬富士の暴行事件の対応について日本相撲協会が不適切だと内閣府に告発状を提出したとホームページのメッセージで報告した。
私は、本日、内閣府公益認定等委員会に対し、代理人弁護士を通して、公益財団法人日本相撲協会による本件傷害事件への対応が、事業の適正な運営の確保に重大な疑義を生じさせるものであることから、公益社団法人及び公益財団法人の認定等に関する法律に基づく立ち入り検査、質問及び適切な是正措置を求める勧告をしていただきたい旨の告発状を提出いたしました。
平成29年10月26日に、元横綱日馬富士公平氏による貴ノ岩義司に対する傷害事件が発生し、その後、本件傷害事件に関連して、日本相撲協会危機管理委員会による本件傷害事件の調査・報告、日本相撲協会理事会及び評議員会による決議等のほか、日本相撲協会横綱審議委員会による発言等があり、私は、平成30年1月4日、評議員会の理事解任決議により日本相撲協会理事を解任されました。
本件傷害事件の調査・報告、日本相撲協会の各組織による決議・発言等については、不当・不適切にとどまらず、違法なものも存し、公益法人としての日本相撲協会及びその各組織の適正な運営には次に述べるとおり、重大な疑義が生じています。
第1に、本件傷害事件の解明は、関係者の処分や再発防止策の策定等の大前提となるものであり、適正な事実関係の解明と事件処理を行えない公益法人においては、その事業の適正な運営を確保できているとは評価できません。
この点、本件傷害事件に関する日本相撲協会による調査は、第三者により行われたものではありません。また調査にあたった危機管理委員会は、被害者の同意を得ることなく、被害者の具体的な診断内容を入手して報道機関に公表しています。さらに同委員会は、被害者の主張を聞く前に中間報告要旨を公表し、その後の最終報告においても重要な点で被害者の主張が全く反映されておりません。
このように、本件傷害事件に関する日本相撲協会による調査は、公正中立な内容とは到底評価できないものであり、身内による全く不十分な調査と報告をもって済ませようとしています。
第2に、理事の解任は公益法人にとって重大行為であり、正当な理由のない解任行為は、公益法人による事業の適正な運営の確保に対する重大な疑義を生じさせるものであるところ、私の理事…

自民党が圧勝して安倍政権が又続いた総選挙を希望の党への不信感から総括する

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総選挙で自民党が圧勝した。希望の党は素晴らしかったので、日本の将来を思うと政権交代を今直ぐに実現しないまでも下地だけは作って欲しかった。ちょっと悔やまれずにいない。
さては希望の党を新しく立ち上げた小池百合子にとっては政治生命が危ぶまれるほどの惨敗振りではないか。
現任の東京都知事も早々に辞めるべきという過酷な流れに巻き込まれてしまってそうだ。
可哀想としか呼べない。現実に希望の党は日本の将来を思うと必要だったし、新しく立ち上げた小池百合子は少しも間違ってなかったと考える。
National Diet Building by Kestrel (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons
本人は希望の党へ合流する予定だった民進党へ「排除、致します」とか「さらさらありません」なんて口に出したのが国民の心象を悪くしたと反省しているらしい。
聞くと何だろうと訝る。本当は違う。総選挙のために民進党から希望の党へ誰でも連れて行くといった前原誠司の民進党の代表としての補足が足りなくて訳が分からなくなったのが希望の党の不人気の根本的な原因だと僕は思う。
小池百合子は民進党と前原誠司を騙したのではないか。だから希望の党は逆に怪しまれて皆に嫌われるしかなくなる。自民党を倒すにしても立候補者や選挙資金を調達する仕方が人間的に愚かしいのでは負けるのも正しいほどの情けなさだろう。
本来は小池百合子の「排除、致します」や「さらさらありません」について前原誠司が民進党の代表として自分が勝手にやったか、または騙されたと説明責任をちゃんと果たすべきだったんだ。
どうして希望の党に民進党が部分的にしか合流しなかったのか
小池百合子は全員を受け入るとは話し合われた予定に含まれないと国民へ伝えた。そして前原誠司の民進党の党員たちを説得する手腕が問われもしていた。想像すれば自民党を倒せると期待する余り、政治家として張り切り捲って大口を叩いてしまったんだろう。一つの政党から他の政党へ誰でも連れて行くなんて普通ではあり得ない。そのことを前原誠司が小池百合子の考え方を補足するように後から国民へ伝え切れなかったんだ。
恥ずかしかったのかも知れないし、仕様がないけれども自分が勝手にやったと白状すれば希望の党はイメージダウンをさほど被らなかったと推測される。
小池百合子の動向からはちょっと…

詩を降りる気持ちは皆から離れ去りながら初めて掴まれるように生きられていた

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世界を止めるわけでもなければ決して難しくはなかったはずなのに降りた詩は口に直ぐに出なかった。
慣れるし、あっという間にペラペラだから忘れっぽい天使クレー)だったかも知れない、詩人として向き返して観想するかぎり。
Vergesslicher Engel by Paul Klee [Public domain], via Wikimedia Commons
どこから降りたのか。自分からだと人間は教える。ならば聞いたのは沈黙だった。しかし元々の詩は内面にはなかったはずだ。手に入れたのは自分の言葉からではない。言葉そのものが皆から来ていたわけなので、詩も同じだし、自分の言葉は最初から霊感ではない。
降りる気持ちの詩は霊感だ。だから人間も自分からだと見詰めるにせよ、霊感の詩を遡るかぎり、皆からしか妥当には認識されない。
人間は苦しむ。間違っていたのか。詩を降りる僕へ偽物のイメージを指摘していた。霊感が分からなかったために早合点したならばもう二度と気持ちだけを他人の言葉から汲み取るのは止めるべきだ。貴方は狼狽えるばかりかも知れない。
僕は反対に見詰めた。途中からは正しかった。思考の皆から降りるまでの間に詩は霊感に置き換えられた。つまり霊感に置き換えられなかった詩の雰囲気は気持ちではなかったとはいい切れない。部分的には非の打ち所のない認識だったし、十二分に妥当だった。
なぜか吠える犬が人間性の暗闇の崖に姿を現すと世界が凍り付いた束の間に和らぎが少しずつ返されて行った。水田から蛙の合唱も鳴り響けば夏の夜中のだろうか。風流な趣きに触れながら人間は言葉を呑み込むしかなかったようだ。
僕にとって詩を降りる気持ちとは皆から来ている言葉を自分らしさに相応しく作り直す作業といって良いだろう。自分の言葉を持つために真実の世界を離れ去り、夢見られた風流な趣きでさえも身を捩って消え失せるように後にしてしまうせいなんだ。
思う、貴方は死んだかと。または自殺行為に等しくて眉間に皺を寄せながら安否を念じるばかりだ。
人々は三輪車に乗り出した幼児を転んでも可笑しくないと仲睦まじくも付き添っている。
自分の言葉を持つための作業が危ないのは確かだ。しかしながら一人でなければそれを上りながら作詩できないし、詩人も思考の最初から最後まで皆と、丸っきり、同じでは無責任でしかないだろう。
だから皆から離れて詩を降りる気持ちは一つの孤独な作…

ヴィヨンの死刑と共に歌われた不幸な詩へ

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生活苦に苛まれるほどに親近感が湧いて来る詩がヴィヨンの首吊り人のバラードだった。
十五世紀の詩人で、ならず者みたいな生き方だったらしい。窃盗や暴力/殺人などによって幾度も投獄された。それこそ悪の詩人を地で行くという形で、三十歳を過ぎた頃に止まらない犯罪からついに絞首刑を宣告されてしまった。
ヴィヨンは現世に別れを告げるような思いで自らの死を控えながら首吊り人のバラードを歌ったとされる。墓碑銘ともまさか題されている。モチーフはいうまでもなく、自分らしさそのものだ、果てしなく、悲しい気持ちだったにせよ。
François Villon from the Grand Testament de Maistre [Public Domain], via Wikimedia Commons
結果的には減刑されて絞首刑は執行されずに地域:パリの十年間の追放処分だけで済んだみたいだけど、ただし後の消息は歴史的に途絶えていて三十二歳で亡くなったことしか確かには分からない。
考えると尻切れ蜻蛉の生涯が可哀想でならない。死刑を免れて改心したのか、悪の詩人を最期まで貫いたのか、どっちなんだと人間的に宙ぶらりんに受け留められる気持ちは正しく不幸だろう。
ヴィヨンも事情を知った人々だけでなくてそのような内面生活を余儀なくされたかも知れなかった――。
日々、犯罪に手を染めるどころか気持ちが奥深く破壊されさえもするというやばいかぎりの人間性を誰よりも味わわせる詩人、そして詩なので、注目せずにはいられないし、勉強として人生では反面教師だけれどもなるべく真似しないためにもしっかり覚えておきたくなる。
同胞者よ、我らの後も生きて、
身動きしない我らを思い描くな、
なぜなら、もし憐れみを持つならば、
神はお慈悲をかけてくれるはずだから。
汝らは首吊り人の我らを五体、六体と目にする:
たっぷり養われて来た、肉のようで、
鳥に食われては腐り果ての、
我ら、骨は、灰と埃になるのだ、
誰も傷付いた人間を笑いはしない。
只単に神は我ら全てを許し給うと祈れ!
汝らへ叫ぶとき、同胞よ、恨んでは
ならない、ともかく正義によって
死へ裁かれた。しかし、汝らは
その全ての人々が座った良識を持たないと知る;
過ぎ去られたことだと、聖母マリアの、
羅紗を欲した御子へ取り成せ、
その彼の恩寵は我らを枯渇させない、
我らは地獄の落雷を持ち堪える。