いじめは平和によって救済される本質を持つ
人々は知らない、平和とは何かを。だからいじめは行われる。世の中の紛れもない真実だし、知覚の大前提が倒置法で表現されなかったらおよそ猿でも分かる日本語でしかなかったに違いない。 平和を知っていれば人々はいじめを行わなかったはずだ 注意すると戦争と対置した平和の心だけがいじめを救済すると僕は考えているのではない。平和が争闘と対置されるかぎり、争闘の一種としてのいじめが平和そのものによって起こり得ないと読んで聞いて貰わないと困る。 すなわち戦争の対義語の和平からはいじめの本質は掴まれないのではなかったか。僕は平和の心で人々を救済するつもりはないし、世の中を改善しようともしていないので、神と天使に祈って気がかりなのは何よりも争闘の一種としてのいじめだと断っておく。 考えてみると平和を知らない誰かがいじめに巻き込まれるだけではなく、知っていてもそうなのは本当は知らなかったわけだ。だから平和を知っても無駄だ…