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4月, 2016の投稿を表示しています

懐かしいメロディーのThe Brand New Heavies

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THE BRAND NEW HEAVIES - Never Stop via Delicious Vinyl
青春期に最も惹かれた音楽というと個人的にはジャズ・ファンクのThe Brand New Heaviesだったのではないか。バンドと同名のアルバムがあって歌入り/歌詞付きの曲が三つ収録されていて三つとも好きだった。今でも他のインストゥルメンタルよりか印象に鮮やかに残っている。本当に良く聴いていた。
三つの曲名はDream Come True(叶った夢)とNever Stop(止められない)とStay This Way(このままでいて)という。どれもラブソングで素敵だけれども久方振りに聴いてみるとNever Stopが懐かしいメロディーにすこぶる相応しいと感じた。愛の喜びに尽きる。死ぬまで、否、死んでも変わりたくないものだ。はっきりいって愛に生きるしかない。
懐かしいメロディーは自分らしさを盛り立ててくれる
何が良いのかが分かり難かったりもするので、振り返って自然に手を伸ばしていたものの中に触りがあると助かるのは間違いないはずだ。本心を呼び覚ますような作業だから音楽ならば差し詰め打って付けではないか。目を閉じて耳を澄ますと自分らしさに絶えざる世界が聞こえて来る。

思い出の松毬から恒久的に告げられる平和への詩人の手

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松毬を久々ながら目にした。咄嗟、見慣れていたのも家の周りに松の木が、沢山、あったせいだったと昔を気付かされてしまった。当たり前のことも本当はそうではなかったという、生活圏が新たに問い直されてみれば。
可愛らしいものだ、松毬は小さくて。かつては僕も手が小さくてか、もっと大きく思い出に残っていたわけで、何分とも意外だった。
しかし冷たく強張ったような感触が蘇って来たのは懐かしいかぎりで、変わらない世界も認められた。気持ちが震えるとはこのことだろう。通低している、人間性がいつかの日々に。
考えると嬉しい。過去が素晴らしいければ未来も素晴らしいはずだ。松毬を拾い上げた今此処、夕闇迫る神社の薄暗い松林の片隅は時の流れの素晴らしい結び目だといいたい。僕は確かに感じた。
詩人の手も時空を越えて差し出されると良い。松毬が詩の言葉として平和を恒久に告げている。いつまでも味わっていたくなる。夢を持って生きるのにも等しいだろう。静けさに包まれた幸せと共に平和こそ好ましく続いて行くことを神へ祈らずにはいられない。

Wikimedia Commonsの埋め込みコードはブログでの様々な作品の引用や紹介に助かるよ

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ブログで他のサイトの作品を引用したり、紹介したりするのに埋め込みコードがあると載せ易い。
幾つかのサイトで取れてYouTubeTumblrFlickrなどが出しているけど、ところでWikimedia Commonsが取れると分かって非常に大きいと感心した。様々な絵や何かの画像が数多くあるんだ。埋め込みコードで簡単にブログに載せられる。パソコン版のサイトでしか出してないようで、スマホ/タブレットが主体の僕には気付くのが遅れてしまった。
Man Ray and Salvador Dali by Carl Van Vechten [Public domain], via Wikimedia Commons
Wikimedia Commonsでサンバドール・ダリとマン・レイの肖像(カール・ヴァン・ベクテン)にインパクトを感じたので、埋め込みコードで咄嗟に載せてみたくなった。

以前からサルバドール・ダリ(左/芸術家)の目を見開いた表情は良く知っていたけど、しかし隣でマン・レイ(右/写真家)まで一緒になってやっているのが面白いというか、見ていて僕もやってしまうわけなんだ。すると気持ちが熱くなる。創作活動の励みに持って来いではないか。頑張ろうという決意を新たにせざるを得ない。そして人生も鼓舞されるばかりだ。
ブログでの表現力がWikimedia Commonsの埋め込みコードで高まったのは確かなので、嬉しいかぎりだ。

追記:作品によって著者やクリエイティブ・コモンズの明記とリンクが必要だったり、画像などに人物が入っていると作品の著作権とは別に肖像権などが加わったりするようだから注意して使わなくてならない。
追記:サイト作成では埋め込みコードの画像はダウンロードして自分のサイトにアップロードして載せる方が良いと思い直した。埋め込みコードだとリンク先のサイトが閉鎖したり、サービスを止めたりする恐れがあるし、画像の表示も自分のサイトにアップロードした方が比較的に速くて安定している。

α5100とSELP1650で室内の蛍光灯での写真撮影に進展が得られた

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カメラのISO感度をマニュアルで設定してやってみた。蛍光灯が真上だとオートでもまずまずの仕上がりだけど、逸れて来ると上がって来てノイズも避けられないので、jpegファイルでは甚だしくは感じないにせよ、画質のためにはたとえスローシャッターでもマニュアルでISO感度を下げるべきだと考えた。
コンパクトのW170と同じように大きめにやると写りは素晴らしい。しかしながら手振れもしょっちゅう出てしまう。カメラはセンサーが大きいほどに手振れが出易いといわれるし、取り分け一眼カメラだとISO感度を余りに下げ過ぎるのも厳しそうだ。
作例は400のISO感度で成功した。しかし800や1250でも良かったと思うし、撮影としてもその方がまだ無難だろう。 デジカメinfoのDxOMark にソニーα5100のセンサースコアが掲載によると1340が画質の分かれ目になっているようで、実用上の目安になると思う。
カメラに明かりの足りないところでISO感度を低くしてもスローシャッターで手振れを起こしては写真は取り返しが付かない。シャッタースピードを稼ごうとするとISO感度を少しでも上げるには越さないわけだ。
ホワイトバランスもモニターでオートは合ってないと思ってマニュアルで変えたら写真そのものはタブレットで確認してみると合っていたので、参った。α5100のモニターは画質は悪くないけど、色味は幾らか合ってないようだ。調節はしてない。モニターに写真そのものがちゃんと反映してないとすると撮影でホワイトバランスを合わせるのは勘が頼りかも知れない。
蛍光灯が二組の明るいものだとホワイトバランスがオートでも合い易いようだ。一組の暗いものだと外れることがある。カメラのホワイトバランスがオートで被写体に合ってないことに気付いたというけれどもマニュアルで合わせておかないと撮影結果に満足できず、後から色温度などの編集を余儀なくされるんだ。ただしα5100でも明るいレンズのSEL35F18ならば大丈夫なので、SELP1650が暗めだから難しいのではないかと思う。
作例はrawファイルを使って色温度などでホワイトバランスを調節した。撮影でISO感度を下げたし、ノイズも全くといって良いくらいなかったので、編集は順調だった。頓挫しなくてむろん助かった。
α5100とSELP1650は室内の蛍光灯でISO感度やホワイトバランスをマニュアル…

一眼レフは写真の深みが素晴らしくて石にも感動だ

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一眼画質を覚えると他のカメラには後戻りできなくなるようだ。分けてもセンサーの大きさが写真の出来映えを決定的に左右するのではないかしら。
作例の石はα5100SELP1650で撮影した。センサーはAPS-Cで、35mmフルサイズよりは小さいにせよ、写真の深みが素晴らしい。1/2.3のスマホやコンパクトのカメラでは出し切れるものではないだろう。曇り空で暗く翳った質感も申し分なくて惚れ惚れするほどのリアリティーを与える。一眼レフは少しくらい大きくて重くても普段使いせざるを得ないようだ。
感動や石の深みの美しさ
固くて壊れ難いので、永久のイメージが石にはあると感じる。幾つもの年月を経て風雨に晒されながら深みを帯びて行くけれどもそこに特有の喜びが味わわれる。永久のイメージ、不変のものが宿っているんだ。年月に抗うように美しさが醸し出されて僕なんか感動さえも受け取ってしまうという。
心が震えるほどの喜びだった。石が教えてくれる、尊くも。そして終わりのない美しさは無限の宇宙にまで広がって行くようなんだ。途方もなく大きな静けさに囲まれては石のポエジーに目を丸くするばかりだろう。取りも直さず、自然の贈り物に他ならなかったと思う。

居場所を自力で作り出す~MISIAのEverythingを聴く~

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ホームページに自作詩集の運命の恋を追加した。青春期の経験に根差した作品になっている。二十歳の終わり(五月)から二十一歳の半ば(一月)までの天使的な人との日々(九ヶ月)において心の繋がりの重要度の高いところに焦点を合わせながら歌ってみたんだ。すなわち永遠の愛を知るために欠かせない詩を幾つか集めて詩集に編みたかったためだ。イメージとしては僕が天使的な人に運命の恋を感じて最終的に永遠の愛を手に入れたというふうに仕上げられた。
MISIA - Everything via MISIA
運命の恋というとどうもMISIAEverythingが聴きたくなって来る。耳に嵌まる。MISIAの歌と詞、そして松本俊明の音作りも本当に素晴らしいと思う。素敵な気持ちを受け取るほどに胸打たれるものがある。まさか運命の恋も彷彿とされるようだ。
人間的な成長を求めると先ずは経験を認識するべきなので、今回の詩集は完成させるのが遅いくらいにも感じられた。いうと永遠の愛をしっかり身に付けることが自分らしさを尚更と底上げしてくれる。気分が良い。何かも嫌にならずに済めば助かるし、以前よりも安心して暮らせるのではないか。健康にも間違いなく繋がる。万々歳だろう、人生にとっては。考えると永遠の愛がなくては僕はなかったわけで、作詩にせよ、自己証明の喜びは大きいものだ。
居場所を自力で作り出す。 周りから認められないと詰まらないと思うし、ホームページやブログも誰も来ないと止めたくなってしまうけど、ところが自己証明は一人でも愉快に過ごせるんだ。自然体が真に迫って来た。僕は僕で、僕以外の何者でもないと胸を張っていえる。進むべき道ならば見失わないようにしたい。

晴天の菜の花は光り輝くばかりの黄色が目に染みる

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W170を使っていて近めの菜の花にピントを合わせてみた。センサーが1/2.3と小さいので、背景ぼけは余り期待できないけと、しかし近めのピントだと流石に円やかさも出て来た。全体が菜の花で、写真としては印象的に仕上がって満足している。
菜の花は黄色と緑でどこまで気持ち良く纏められるかが考えどころだった。黄色と緑が馴染んで生き生きと描き出せた。太陽の恩恵に他ならない。春の一時がまるで夢のように味わわれもしたわけだった。素晴らしい世界に感謝したい。

作詩の公園を振り返って

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僕が最初に開設したホームページは作詩の公園だった。今から十四年前に遡る。掲示板を主体にして皆で詩を読み書きするサイトだった。非常に盛り上がって本当に有意義に生きられた。貴重な経験、先々へ活かして行かなくては勿体ないほどの財産が得られたと思う。もう削除してしまったけれども心に記憶として刻まれたまま、終わらせるわけにはやはり行かなかった。一つの歴史として個人的にも負うべきではないかしら。昔の訪問者が思い出して探さないともかぎらないし、作詩の公園の管理人はどうなったのかと明らかにしておくことは決して無駄ではないだろう。ということで、ブログにも取り上げるしかないと望んだ。

作詩の公園を振り返って種々と学んだ
皆の詩を幾つも読めたことはいうまでもなく有り難かったし、僕も自作へ邁進することができた。サイトが各投稿によって熱が熱を呼ぶという感じで、全員の心が絡み合っているとも過言ではなかった。詩人の坩堝に放り込まれていた。一人で歌うのとは、全然、違う。リアルタイムに互いに影響を交わしながら何をどう詩にするかが果てしなく問われていたかのようだ。自分で見付けるだけが大事なのではなかった、詩にとって。見付けさせてくれた皆には頭が下がるばかりだ。
そして交流が栄えたところは最も素晴らしかった。絆を得た。長続きしなければ全て自分のものにするだけだから寂しいかぎりだけど、味わいとしては人間的な成長に繋がる。近いと見え難い。幼児か恋人ならばはたまた見え易いだろうか。別れに明日はないと泣き叫べるような詩人に僕はなりたいと願う。一分先、一秒先、絆を絶たないでいられれば良い。永遠に時間を止められると理想的だろう。虎の子の絆を知ること、人付き合いを後生大事に抱えることは生活を豊かにしてくれる。
管理人としては自己表現は皆のためだから皆のために自作よりも頑張ったという印象が強い。作詩の公園を立ち上げてから五年以上が過ぎて自作に集中するべき気持ちが増した。その代わり、掲示板での触れ合いが減るようになった。段々と廃墟になって誰も来ない日まで出て来た。考えると創作において自作で引き付けながら縁を持つようにしないと根底的ではないので、掲示板での触れ合いはとても大事だけど、サイトのメインに据える必要もなかったのではないかというところで、もはや様変わりして行ってしまうわけだったんだ。
元々、作詩の公園には二つの大きな目的が…

BUMP OF CHICKENと対人恐怖症だった彼との繋がり

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久々にBUMP OF CHICKEN天体観測を聴いてやっぱり良いと思った。そして以前よりも曲と詞を噛み締めるようにいい換えると大切に認めながら受け取ることができた。
人間の器が広がって来たとしたら感性のそれと同じくらいだろう。追い付いたのかも知れない、創作活動に人生設計が。いつも自分よりも自作を重視しがちなので、表現力の成長を丸ごと確かめることは少なかった。
BUMP OF CHICKEN『天体観測』 via BUMP OF CHICKEN
かつてゲームセンターでアルバイトをしていて契約社員(男性)と音楽について話した。珍しくないけれども難しい、個人的には。何でも聴くし、良い曲は拒まない、どんな音楽が好きなのかは口に出せなくなる。なので最近のピカ一を教えることが多いか。契約社員への言葉が思い出せないのはちょっと生憎だけど、しかし反対に聞かされた言葉が印象に残っていてBUMP OF CHICKENが好きだったんだ。折りしも天体観測がスマッシュ・ヒットしていた当時のことで、僕も耳にしながら既に知っていた。良い曲だと契約社員にはもちろん頷くしかなかった。
真新しく飛び込んで行ける世界こそ好きだ
咄嗟に考え込んでしまう。というのも契約社員は気持ちの優しい人だったと振り返るけれども対人恐怖症になったことがあると僕に告げていたせいなんだ。以前は精神科のクリニックに通っていたみたいな経験を話してもいた。するとするとBUMP OF CHICKENの天体観測は符合するところがあるのではないかと何となく感じつつも深追いはしなくて長らく問われるままの状態だった。胸に掴むべき求めが密かに置かれていた。
実際、聴いて考えてみると音楽の世界観がそうで、詞も人生の落ち目を暗闇に例えながら星に託して明るさを取り戻すというような内容だから内面に響くものが確かにある。端的には励ましといっても良い。対人恐怖症を越えて気持ちの優しい人だった契約社員が好きだったというのも本当に尤もだと改めて認められる。
僕がアルバイトを辞めて数年後にゲームセンターが潰れてしまったので、元から客が少なくて従業員の給料分も売り上げてなさそうな感じはしていたけど、どうなったのかと彼の生活を心配する。気持ちの優しい人だったからどこへ行っても大丈夫みたく想像されるにせよ、何となれば他の職場を見付けるとかそこで上手くやるなんてためにも音楽は励ま…

カメラのホワイトバランスがオートで被写体に合ってないことに気付いた

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α5100とキットのズームレンズ/SELP1650で居間の蛍光灯の明かりで初めて写真を撮ったときに一枚の色味が異常だった。蛍光灯の明かりだとばら付きが出易いのかと思った。屋外でも夕暮れの明かりで似たようなことがあった。その後、自室の蛍光灯の明かりで色味が諸に合ってない写真を連発したので、考えながら分かって来たのがカメラのホワイトバランスのせいではないかということなんだ。α5100は蛍光灯でも何種類かあって自室のものは昼光色だけれどもマニュアルで合わせて確かめてみるとそれなりに良かった。ホワイトバランスがオートだとピッタリ嵌まってなくて写真に白色の蛍光灯のように青みが増してしまうので、SELP1650を使うのはどうも難しい感じがして来た。
作例はPentelのぺんてるくれよんの30色だけれどもα5100のjpegファイルの原画をPhotoshop Expressの色温度で編集している。大体、+10くらいで見た目に近いように思う。青みが増して白色の蛍光灯に照らされたような味わいは、可成、打ち消された。ただしクレヨンの後ろのマルチコネクトコンポの黒やテーブルの茶色が濃過ぎてしまっている。色温度を編集しても変え辛い。暗めだから露光も少し上げたけど、他のカメラではかつて一度もそんなふうにはならなかったので、もはやα5100とSELP1650での写真撮影に違和感が否めないという。
自室の蛍光灯は光が強くないせいもあるかも知れない。ISO感度もオートで3200にまで跳ね上がる。するとrawファイルは高感度ノイズがざらざら広がって全く使いものにはならなかったんだ。jpegファイルだと、結構、綺麗に吐き出されてはいる。α5100はISO感度がオートならば多めに上げてシャッタースピードを速くして手振れを防がせるという設計みたいで、画質は必ずしも最優先とは感じられない。カメラで調整されるjpegファイルは未だしも益しにせよ、rawファイルには高感度ノイズが残り易くなってしまうわけだ。Photoshop Expressの調整にノイズ軽減があるので、rawファイルでやってみるとそこそこ纏まりはするけれどもTumblrにアップロードしたらサイズが縮小化されて高感度ノイズが目立つようになり、写真がぐちゃぐちゃになった。なのでやはりISO感度が高いとrawファイルで正確に加工するにも無理がある。ホワ…

Photoshop Expressによる写真編集のraw現像と調整

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写真のraw現像を覚えようとPhotoshop Expressで実際に編集してみた。

作例は椿の木陰で、元々は曇り空の逆光で黒潰れしてしまっていた。raw現像で復活させるしかないと思ってタブレットでPhotoshop Expressのアプリ(Google PlayApp Store)を使った。
写真の黒潰れには露出を上げたり、シャドウを減らしたりするけれどもPhotoshop Expressは加工してもノイズが非常に少なくて物凄く良い。使い方もツールの度合いを手動で決める代わりに自動のスイッチで一発で見映えのするような感じに仕上げられもしてしまうのは便利ではないか。
今回は自動のスイッチでやって全く申し分がなかった。露光かハイライトかシャドウで選択すると三つがセットで変わるらしい。加えてコントラストも変わった。
しかし色温度と色合いもそのようにセットになっていて両方のセットを選択すると合わさって変わる。杖のアイコンでも同じみたい。色温度と色合いのセットも入れるとそれこそPhotoshop Expressの画作りそのものと感じるんだ。作例ではやってはいない。カメラの色彩の特徴を出すには露光とハイライトとシャドウのセットで必要にして十分だった。
とはいえ、ソフトなイメージになり過ぎるので、明瞭を幾らか上げてかちっとした感じで纏めることにした。Photoshop Expressでの編集は写真から撮影現場の気配が伝わって来そうだ。見るだに世界がなるほどと納得される。
α5100SELP1650の作品だけれども臨場感は強めなので、相性の良さを抜群に受け取ってしまう。やはり使いたくならざるを得なかった。
raw現像で椿の木陰の様子がはっきり分かるようになってとても嬉しい
葉っぱの間に椿の花が幾つも見付かるのはjpegファイルを編集しても可能だったにせよ、取り分け葉っぱの質感が出せたのはraw現像ならではの結果だった。写真を編集するには流石に効果的な方法だと認める他はないという。
一応、原画を確認しておくと椿の木陰の大半は本当に何も写ってないんだ。

写真のraw現像のツールはPhotoshop Expressでは自動のスイッチがあるけど、ところで内容的に幾つかを纏めておきたいと思う。写真を自分で調整するために間違いなく必要だ。一般的なものばかりなので、他のアプリでもおよそ同じことができるし、ま…