久保田早紀は異邦人しか売れずに五年で本名の久米小百合に戻ってキリスト教の音楽宣教師として歌い直していた

今聴いても本当に素晴らしいと思う日本の古い歌謡曲の一つに久保田早紀異邦人が挙げられる。発売日が1979年10月1日だから四半世紀を軽く過ぎた。思い出すと児童期にテレビから良く流れていて気を引かれたし、耳に残った。歌詞の冒頭が「子供たち」なのが身近だったせいかも知れない。改めて調べると副題がシルクロードのテーマと付けられていたけれども中近東アジアの異国情緒の溢れる音作りが特徴的だったのは確かに覚えている。ユーラシア大陸の東西へわたって幾つもの国や地域を越えながら長い旅路に就くという感じが幼心にも先々の人生に重ね合わされたのが懐かしい。


敦煌の砂漠を進むキャラバン

残念というか、こんな良い曲を作るならば他にももっと久保田早紀の歌を聴きたいと思ったのに待ち構えながら何もなかったようで、寂しかった。


まさか異邦人しか売れなくて本人はシンガーソングライターとして曲作りに全面的に頑張ったけれども鳴かず、飛ばずの五年間を経て芸能界を引退していたらしい。


当時、日本の音楽界で新たな人気を博していたフォークソングやニューミュージュクをやりたいと考えていたようで、久保田早紀は取り分け荒井由実(松任谷由実)に憧れながら大学時代にレコード会社に自作曲の録音テープを送ったら運好く採用されて二年後にCBSソニー(ソニーミュージックエンターテイメント)のオーディションを経て異邦人でデビューしていたんだ。三洋電機のCMの楽曲が求められていてディレクターの酒井政利が久保田早紀を相応しく見付け出した。楽曲の原題は白い朝だったのが変更されたり、アレンジも実力者の荻田光雄が起用されてシルクロードをコンセプトにエキゾチックな仕上がりが取られたりしながらプロデュースに相当に拘泥って売り出されるに至った。当たり前といえば当たり前かも知れないけれども作詞作曲の久保田早紀はピンと来なくて異邦人はむしろ駄目だろうと期待してなかったともいわれる。ところが百万枚以上のビッグセールスを記録して巷で聴かれない日はないほどの人気曲になってしまった。二十代前半で仰天しながら過ごさざるを得なかったというのが実情らしい。歌手はたとえデビューしても売れるまでには苦節何年と耐え難い毎日を強いられるばかりと予測していた気持ちが完全に裏切られたせいなんだ。


僕だったらあり得なさそうだから逆に真似したいほどの純朴さに打ちのめされる、歌手の久保田早紀を出色に押し上げた大ヒット曲の異邦人の経緯を知ってみると。


成功を狙っても仕様がない人生だから何も狙わないというと如何にも潔いらしい下積みの功績にせよ、落ちて行く恐さを知らないかぎりならば新人ならではの無心の勝利だと感じ捲って参考になるよ。


たぶん皆が応援したくなる存在を明かさなければ表現者は無名から有名への恵まれた流れには乗れないのかも知れない。


久保田早紀は一発屋で芸能生活を終えた。どうしても異邦人に追い付くような人気曲を生み出せず、五年間の徒労の末に歌手を辞めざるを得なかった。可愛いと思うし、まるで雨に打たれてこそ生き易い蝸牛のように素敵な印象を与える。狙うからやはり人々に受け入れられなかったのではないか。歌手として異邦人が本当に格好良くて重要視されずにいなかったわけだろう。世界がどうなるなんて案じなくて構わないし、気に入ったと決めるのは自分ではないから周りの好意を先取りしたがるのも烏滸がましい。無様にしがみ付くよりも引退するだけが芸能界に残された道みたいに音楽活動をぷっつり断ち切った久保田早紀が異邦人と同じように初めて清々しい。人間として紛れもなく称える。


はい、わかりました。私とキリスト教の出会いは小学生の時に友達に誘われて日曜学校に通い始めたことから始まりました。始めはカードやおやつをもらったりするのが楽しみだったのですが、そのうちに教会で歌う讃美歌が大好きになりました。「主われをあいす」がお気に入りでした。でもその後、中学・高校・大学と全く教会とは関係の無い生活をしていたのです。そして好きな音楽で何かできないかなと思ってレコード会社のオーデションを受けたことがきっかけで、デビューすることになったのです。そしてデビュー曲の「異邦人」が思いがけずヒットしまして、初めての芸能界で、何もわからないまま忙しく日々を過ごす中で、「私の音楽のルーツってなんだろう。私の音楽のバックボーンって一体なんだろう」という問題意識が生まれてきまして、それはもしかすると子どもの頃に通っていたキリスト教会の讃美歌にあるのではないかと思って、再び教会に通い始めたのがクリスチャンになったきっかけなのです。



久保田早紀は歌手を辞めると本名の久保小百合に戻ってキリスト教徒になっていたから驚かされた。とはいえ、心温まるのは切欠が音楽への思いだった。芸能界を引退しても歌手の気持ちは変わらなかったせいか、または本当の自分を一層と深く知るためなのか、本人の言葉からは両方とも含まれているようだ。今現在の異邦人の久保田早紀に辿り着いた最初の記憶の「讃美歌」から音楽人生の全てを一挙に捉え返していた。余程、悩んでいたみたいで、一度も有名になれない表現者の僕には咄嗟に及び付かない、人目に晒され続けるゆえに自らの存在を大幅に見失ったのではないか。穴ぼこを余儀なくされる気持ちならば虚無の塊だろう。久保田早紀は異邦人で分かっていたはずだから後から襲われたわけだ、悲運に。何の苦労もないに等しく、デビューしてあっさり売れたのを一人で狼狽えていたそうだし、そこから改めて必死に頑張ったもののどうにも無理だったからもはや神への救いを望みながらキリスト教にも入信したと考えると正しく合理的だから誠実な人柄を受け取るのが容易い。さらに本名の久米小百合で歌手として再出発を遂げた。心から求める世界を教会音楽に掴んだとすれば自分らしく生きられるようになって幸せそのものとも過言ではないだろう、きっと。


些細な日常とは何かを的確に教えてくれる。自分らしく生きられる幸せそのものの本心を会得してこそ世界の全てに親しみを覚えるわけだ。久米小百合の音楽人生には甚く共感する。思い出の異邦人だけではなくて些細な日常の記事に取り上げずにいられない。


興味深いのは音楽家の小坂忠の影響も大きかったらしい。ロックで名を馳せてゴスペルもやり出したと異色の経歴の持ち主と感じるけど、途中の1976年からキリスト教徒に変わったせいで、久米小百合は以前から音楽製作を一緒に行っていた知り合いだったんだ。歌手として何年も太い川の流れのように歌い継がれる音楽とティッシュペーパーのように直ぐに捨てられて消費される音楽のどちらが良いのか。そんなふうにいわれて久米小百合は後者よりも前者を選んだから教会音楽を心置きなく取り組んでいるそうだ。人気曲を持てるかどうかが音楽人生の全てではないと気付かされたんだろう。小坂忠が恩人だった。同じようにキリスト教徒に変わってから久米小百合は感謝するべき彼の言葉を試金石としてキリスト教の神学校で聖書/バイブルを学びながら音楽宣教師/ミュージックミッショナリーを目指すと決意を固めた。



現在は神学校を卒業して音楽宣教師として歌でイエスの教えを説いている。キリスト教の音楽伝道師とも呼ばれる。専らプロテスタントやカトリックなどの教会施設でコンサートを開いているらしい。


人気曲の異邦人であちこち引っ張り凧だった頃からすると決して必ずしも大人数に華々しく囲まれるわけではないにせよ、どうにもならないかも知れない苦難を乗り越えて又新しく歌い直すことができたし、少人数の会場でも皆が近付き易い良さを感じたりしながら充実した生活を果たしているようなんだ。


久米小百合は本当に些細な日常に相応しい。素晴らしい気持ちで胸一杯の毎日を送るかぎり、他には何も要らないかも知れない。かつて苦しみが絶えなかったとすると世界の一貫性が大事だと覚えておくべきだ。


音楽活動を志した当初からきっと心は同じだったし、さもなければ異邦人も売れなかったはずではないか。今でも頼まれて歌うけれども聴くとピアノ一つの弾き語りで尚更と胸に響くから凄い。名曲だと著しく思い知らされるし、上手く行かない人生だとしても我が道を行けば悲しみも照らし出されるほどの神秘的な魅力が詰まっている。


参考:久米小百合 名曲“異邦人”を超えて~音楽宣教師 久米小百合~ 久保田早紀の「異邦人」を見事なアレンジで大ヒット曲に仕上げた編曲家とプロデューサーの力技 久保田早紀から久米小百合へ 大ヒット曲「異邦人」と歩んだ38年といま

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