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ラベル(哲学)が付いた投稿を表示しています

デカルトの「我思う、ゆえに我在り」は現実そのものを掴んだ哲学の第一原理だ

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Portrait of René Descartes: cogy after Frans Hals [Public domain], via Wikimedia Commons哲学の命題で最も分かり難いというか、どうとでも受け取れるように人々が自由気儘に捉え易いのは「我思う、ゆえに我在り」(デカルト)の他には滅多にないだろう。只単に言葉としてもとても有名で、口に出した本人、デカルトの代名詞にも等しい。数学や物理学などもやっていたようだけれども「我思う、ゆえに我在り」の一言で哲学者のイメージが物凄く強いんだ。思考と存在を単刀直入に結び付けた表現は如何にも簡単らしい。ところが謎めきも凄まじくて何なのかと真剣に向き合うと全ての理解を弾き返すほどの印象を与えて止まない。この土地での最初の省察を諸君に語らねばならぬかどうか私には分らない。それはあまりに抽象的なもの、かつあまりに一般的ならぬもので、…

悪魔の頭脳を持つ男と呼ばれるジョン・フォン・ノイマンはコンピューターと核兵器を基本的に作り出していた

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人類史上最高のIQ(知能指数)は300で、かつて数学者のジョン・フォン・ノイマンが得ていたといわれる。IQの平均値は100だから常人と比べると三倍の能力だった。本人が実際にテストを受けたわけではないので、伝説の域を完全には免れない数値だけれども頭の回転が飛び抜けて早いのは固有の経歴から間違いないようだ。EDVAC by U.S. Army Photo [Public domain], via Wikimedia Commons何といっても衝撃的なのはコンピューターの生みの親と呼ばれる人類にとって余りに画期的過ぎる業績だろう。一人で完成してないので、本人のインパクトは些か薄いもののアメリカでEDVACの開発チームに設計のコンサルタントとして参加してプログラム内蔵方式という基本の動作原理を作り出した。コンピューターが例えば只の計算機とは違って色んなことができるように進化したのはそれこそプログ…

アインシュタインはスピノザ主義者だから反核の物理学者として誠実そのものだ

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人類が核兵器を作り出すのに成功したのは物理学の特殊相対性理論に基づくらしい。すなわち「E=mc2」(エネルギー=質量×光速×光速)の公式に沿ってしか誰も考え付かなかった可能性が高い。Albert Einstein by Oren Jack Turner, Princeton, N.J. [Public domain], via Wikimedia Commons物理学の特殊相対性理論は一般相対性理論と共にアインシュタインの偉大な業績の一つに数えられる。現代人の生活を支える様々な機械の多くはアインシュタインの発見した自然界の認識に由来するようにも聞かれるし、高度な数式などは僕にはちんぷんかんぷんにせよ、とても凄い人だと賛嘆せざるを得ない。しかしアインシュタインは核兵器について心を痛めていた。自分が物理学が好きで一生懸命に勉強してついに掴み取って皆に教えた特殊相対性理論が夥しい人殺しに使われ…

森蘭丸の青が似合う美男子らしい忠誠の織田信長へ命を捧げた潔さ

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本能寺の変を調べていたら、一際、目を引く武将がいて森蘭丸という名前から戦国時代に華々しく引き付けられる感じが凄かった。Ranmaru Mori by Tsukioka Yoshitoshi [Public domain], via Wikimedia Commons織田信長の家臣で、多勢に無勢と明智光秀の大きく攻め込んで来た武士たちの勢いに押され捲りつつも正しく死をも恐れずに先頭を切って奮戦した武将の一人が森蘭丸だった。明智軍の安田国継に槍で刺されて殺されたらしい。安田国継は非常に有力な武将で、古川九兵衛と箕浦大蔵丞と共に明智三羽烏と呼ばれるくらい明智軍の主力だった。本能寺の変で最大の狙い目だった織田信長も槍で突かれてもう駄目だと傷付きながら部屋の奥へ引き下がったのは安田国継の一撃だったといわれる。森蘭丸の死と織田信長の痛手は何れも安田国継が自分でやったと自分でいっていたらしくてもしも見…

セブンイレブンはワッフルコーンのチーズinチーズの爽やかな味わいに哲学を持っているに違いない

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どんなものなのかと食べる前に思った。チーズ入りのソフトクリームなんて生まれて初めての味わいではないか、セブンイレブンのワッフルコーンのチーズinチーズを手にしながら。ハラハラドキドキ。ソフトクリームとチーズが似た者同士の乳製品で口説過ぎるのでは堪らなかったはずだけれども本当に美味しかった。チーズの酸味が凄く爽やかに感じる。ソフトクリームの甘さに飛び出すように引き立てられて風味では流石に終わらない。パッケージに「とろ~りチーズソース入り」とあるのは伊達ではなくて、普段、殆ど感じないでいるチーズならではの世界を改めて教えてくれるようなところもさらに嬉しかった。薄いオレンジの縦縞模様のデザインもチーズの爽やかな個性をソフトクリームで冷たく示すのにはぴったりではなかったか、振り返ってみれば。やるな、セブンイレブン、心なしか恐れ入りながらゆっくり味わってしまうわけなんだ。およそ料理の味付けは今此処…

ヴァン・ゴッホの自画像の心の目に見えて来る神様

一枚だけだけれども画家一筋のヴァン・ゴッホの記事で引用したヴァン・ゴッホの自画像に神様が見えて来たからブログに改めて取り上げておきたいと感じた。
僕の言葉遣いが霊感そのものなのと同じで、気付いた訪問者がいれば一人怪しく訝らせるのは忍びない。
ヴァン・ゴッホの自画像に神様が見えて来ても君だけではないし、僕もそうだから間違いなく、安心して欲しい。
きっと僕の言葉遣いが霊感そのものだと気付くよりも人々にとって可能性は高いだろう。
理由は簡単だ。サイト全体のイメージに合ってないというか、些細な日常のブロガーがゴッホではないから僕ばかりの自己表現が多いところで、取り上げられた他の誰かの作品の個性的な特徴が比較的に目立ってしまうせいだ。
本当に驚くし、僕は絵から神様と出会うのは初めてだったので、ヴァン・ゴッホへも興味や関心が変わってしまう、一段とさらに素晴らしく。
ヴァン・ゴッホの自画像に神様が見えて来るのは心…

日本人の知性と思考の方法論的な哲学

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お笑いの有吉弘行が哲学について本を出していると知った。毒舌訳 哲学者の言葉という題名で、数多の哲学者たちの言葉を題材にして自説を述べている。インターネットで偶々だったけれども紹介しているサイトを見かけたから気になって訪れてみたんだ。哲学とは…変わり者の人が適当に言ったことをなんとか普通の人たちが解釈してあげて無理やり「わかるわかる」と納得してあげているもの有吉弘行の毒舌訳 哲学者の言葉心外というか、哲学は本質的に思考だから、表現上、間違っていると項垂れるしかない。しかし目を背けてはならないはずだ。お笑いとして許される気持ちを棚上げとすれば真面目に日本を過ごし易く変えるためには現時点で知性改善論のような思考が人々に求め叫ばれているのではないか。まさか興味深い世相が露呈し捲っている。有吉弘行で示し出されたというのは本当に物凄く面白いし、僕は思考が超大好きなんだ、お化けなんて呼ばせない。笑いた…

スピノザの生活規則を良い知性から僅かでも理解するための思考

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久し振りに知性改善論(スピノザ)を読み返してみた。といっても時間がないし、速読もできないので、一時間で数十頁しか進まなかった。
しかし相変わらず、文章が手強くて通常よりも読解を迫られると驚かされる。作家の気質としては学者そのものだろう。細かいところまで日常生活に支障がなくても取り上げて認識に纏めないと不誠実だと思ってしまうのではないか。
学校嫌いの口癖ならば「勉強しても生きるのに役立たない知識」が多くて辛い。
ただし大事なのは世界を理解するために必要なんだ。背を向けるほどに認識そのものが曖昧になって社会へ出ても分からないままなので、経験に対しての判断力は学歴通りで止まってしまうわけだ。後から独学しなければ生活力としても上がって来ないかぎり、もはや学校で済ませるのと中身は同じだろう。人生設計を効率的に組み上げるならば最初から勉強好きの気持ちが期待される。
僕の言葉遣いも概念は難しいかも知れないし、…

カントの物自体が教える確実性

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カントの物自体は認識論的に不可能な対象だから思考の内実は事象でしかない。
すなわち現象学における超越論的な主観性の効果として理論上で要請される直観の確実性と同一視される。
Immanuel Kant by Gottlieb Doebler [Public domain], via Wikimedia Commons
カントは現象学者では全くなかったけれどもそうした方法に気付いていたからこそ物自体を敢えて証明するような必要を持ち併せなかったわけではないか、哲学に。
理性が成り立つのは不可知のゆえではないのは当たり前にせよ、人間に確実性が物自体として備わっているためだといい直せばグッと分かり易くなるんだ。
歴史的意味においてでないかぎり哲学を学ぶということはできない。かえって理性に関しては、哲学的思索をすることを学び得るばかりである。
イマヌエル・カント via Wikipedia
カントは理性を本当に哲…

読む気スラスラの君たちへ守るべき沈黙の作家には抜け出せない涙

もしかしたら僕だけど、君たちも読む気スラスラだから困る、昨日の午後から自作へ気が狂いそうで。
可笑しいし、本当に正気を失ってしまうならば素晴らしい思考が見付かった。経験そのものから精神とは何かを知るべき手がかりになる。というか、君たちへ送り届けるのが詩以外では非常に難しい言葉遣いを迫られずにいない世界へ生き出しているんだ。
詩と思考の命題は厳しかった。なぜなら哲学を批判しなければ永遠には辿り着けないからだ。スピノザの教えで終わらせるわけには行かないという実情はもう既に些細な日常の一つで示したはずだし、作家としても繰り返す必要はないだろう。
明かしておくべきなのは気持ちだけだ。それが分かったから脳味噌が飛び散りかけているとは漫画でもなければ涙としか呼べない。人は悲しくて泣くわけではないし、漫画ならば本当に喜んでいる可能性もあるわけで、またはゲームでも同じではないか、重要なのは泣くという涙を伴った…

エピクロスの余りにも清貧な思想

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古代ギリシャの哲学者で、紀元前四世紀頃のヘレニズム期の初めに生きていたエピクロスが日毎の質素倹約を絵に描いたような余りにも清貧な思想を持っていて驚きながら共感を覚えてしまった。
アタラクシア(平穏な心)という身近な幸せを大事にする気持ちから世界を捉えていた。
エピクロスの哲学では感覚が重視されていてそれに見合った生活がアタラクシアとして考えられている。感覚は欲求によって疎外され得るし、哲学的に真実も分からなくなると三つに区別されている。
自然で必要な欲求自然でも不必要な欲求不自然で不必要な欲求
日々、アタラクシアへ通じる感覚、すなわち正しいとエピクロスが哲学者として判断したのは自然で必要な欲求だけだった。生きるために衣食住や人間関係は最小限で済ませると良いという発想が清貧な思想ながら余りにも容易いと感動させられもする。社会的には僅かな品物と微かな人付き合いで満足するべきだとエピクロスは教えている…

ソクラテスの死は如何にも哲学者らしい威厳を放っていた

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古代ギリシャでブラトンとアリストテレスと並んで三大哲学者の一人と考えられるソクラテスは西洋哲学の源流とも過言ではないほどの存在だった。彼の弟子がプラトンで、その又弟子がアリストテレスだったからソクラテスがもしもいなかったら、全員、消えてしまって西洋で哲学が歴史的にどう流れたかが相当に変わっただろうと震撼させられる。
人々の考え方に大きな影響を哲学は与えている。何等かの主義を持つかどうかは別としても社会に共通する枠組みは一般的にあるのではないか。古代ギリシャの三大哲学者は現代でも通用するような原形を示している。
ソクラテスの知識(エピステーメー)プラトンの理想(イデア)アリストテレスの論理(オルガノン)
当時は宗教と結び付いていて何が良いのかを探求しているから必ずしも哲学そのものではないはずだ。しかし抽象化すれば知性と観念と方法という哲学者の条件が出揃っているのは明らかだし、超越論的にいえば認識…

パンドラの箱のパンドラはギリシャ神話で最初の人間の女性だった

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普段から開けてはならないものの例としてパンドラの箱と良く耳にして来た。災いが降りかかるみたいなイメージが強くて考えるよりも逃げ去るのが先だったというか、気持ちはいつも知らないままに過ごさざるを得なかった。もう大丈夫だろうとパンドラの箱から可成の程度で離れたと思ってみても霊力的に襲いかかる魔の手ならば時空を越えてないともかぎらなくて気持ちも何も改めて向けるわけには行かなかった。
調べるなんて本当に驚きだった。ブログの記事に不意に出て来てしまって「開けてはならないパンドラの箱」とイメージの扱いが誤っていると不味いので、文脈に精確に即しているかどうか、どうしても知っておかなくてはならなくなったせいだった。
Pandora Reclining in a Wooded Landscape by Louis Hersent [Public domain], via Wikimedia Commons
ルイ…

ベーコンの絵に浅田彰と井浦新との対談で完全に貴重なアート

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日曜美術館のベーコン特集/恐ろしいのに美しい フランシス・ベーコンで浅田彰と井浦新が対談していたんだ。
ブログで何気なく取り上げた二人が世の中で勝手に結び付いて面白いと思う。それぞれに認識が増して見方も変わったし、さらに又新しい発見があるのではないかとブログに今度を二人を合わせて取り上げたくなってしまった。
2013年に放送されたテレビ番組だから今から四年前になるけれども日本で、当時、三十年振りに開催されていたベーコンの大型の展覧会で題名も正しくそのままのフランシス・ベーコン展を二人が訪れての企画だったらしい。
浅田彰はヘルメスの音楽にベーコンのエッセイが載っていて良く知っているから呼ばれたのかも知れない。調べては日本にベーコンを初めて紹介した作品だったともいわれている。
F・Bの描くプレザンス、それは過不足なく自らと合致して静止するプレザンスではなく、どこまでも過剰なるプレザンス、そのことによ…

浅田彰のドゥルーズ主義者としての水準

浅田彰は構造と力でドゥルーズとガタリを大々的に取り上げて他でも言及が多い。そしてさらに自分で自分をドゥルーズ主義者と呼んだりもしていたし、本当にそうなのではないかと思う。
しかし驚くのは余りに一般的過ぎるというか、ドゥルーズの捉え方がオーソドックスな印象を与えるために別にドゥルーズ主義者でなくても可能だし、普通に読むだけで誰でも受け取るような認識しかなさそうなところなんだ。
浅田彰の口から自称してドゥルーズ主義者と出て来るとビックリさせられる、この人は敢えていっているのではないか、例えば教科書で名前を知っているだけでもその考え方や生き方に心酔している結果みたいな響きが避けられなくて。
思想を根底的に考えれば最も正しいかも知れない。どんな人、または作品でも好き嫌いは抜きにして接すれば何かしらの影響は受けていて自分の考え方や生き方に作用するから全て引っ括めて心酔しているとも過言ではないだろう。少な…

松尾芭蕉のわびさびの俳諧はおくのほそ道が極意的だ

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気付いたらわびさびの極意は光陰矢の如しで、ぴったりの思いが松尾芭蕉のおくのほそ道の書き出しに認められてならなかった。
月日は百代の過客にしてゆきかふ年も又旅人なり舟の上に生涯をうかべ馬の口とらへて老をむかふるものは日日旅にして旅をすみかとす古人も多く旅に死せるあり
つきひははくたいのかかくにして、いきかうとしもまたたびびとなり。ふねのうえにしょうがいをうかべ、うまのくちとらえておいをむかえるものは、ひびたびにしてたびをすみかとす。こじんもおおくたびにしせるあり。
松尾芭蕉のおくのほそ道(仮名は筆者)
松尾芭蕉のおくのほそ道の書き出しは中国の李白という詩人の言葉に典拠があるらしい。春夜宴桃李園序の「夫天地者,萬物之逆旅;光陰者,百代之過客」だった。気持ちとしては天地は萬物の逆旅(万物の宿屋)で、光陰は百代の過客(長年の旅人)なので、全ては自然に生きながら移ろいと共にあるばかりのイメージで歌われてい…

ドゥルーズの哲学は出会いが良いと思う

十代後半、ドゥルーズとガタリのアンチ・オイディプスを貪るように読んでいたかも知れない。気持ちは、大分、変わったようだ。抱えていた喜ばしい思い出はいってみれば白光のはずだった。
自分も同じように言葉を書き記したいと率直に感じていた。人生で初めて作家活動への門戸が開かれた瞬間だったんだ。ドゥルーズとガタリのアンチ・オイディプスは記念碑的な本とも過言ではないし、個人的には忘れ難い思い出の一つに他ならず、素晴らしい出会いそのものだった。
〈それ〉は作動している。ときには流れるように、ときには時々止まりながら、いたる所で〈それ〉は作動している。〈それ〉は呼吸し、〈それ〉は熱を出し、〈それ〉は食べる。〈それ〉は大便をし、〈それ〉は肉体関係を結ぶ。にもかかわらず、これらを一まとめに総称して〈それ〉と呼んでしまったことは、なんたる誤りであることか。いたるところでこれらは種々の諸機械なのである。
ジル・ドゥルー…

スピノザの哲学的な倫理学者としての方法

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スピノザは人々に哲学者として長らく認められて来たけれども主著エチカは倫理学だし、生前から哲学者を取り立てて自認してはいなかったようだ。
まさか正しい選択だったと思う。なぜならスピノザの認識には取り除くことのできない欠陥というか、知覚上の不備が一つだけだけれども含まれていて哲学として厳密には成り立たないからだ。
主著エチカ、または前書きとも見做される知性改善論を読んでいて非常に感銘的で、他に例のない世界・自然・現実を生み出している真実そのもの(神の力能)を教えてくれるのにどうしても疑問を抱かざるを得ない部分がある。
Baruch de Spinoza by Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons
スピノザは良くいう、定義を理解しない人には何も分からないと。例えば神は全知全能で何でも実現できるにも拘わらず、数多くの悲惨な出来事を招いているのはなぜ…