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小林麻央の贈り物の時間を読む~癌闘病の死相を突き破って咲いた笑顔の心~

僕は小林麻耶が可愛くて好きで、アナウンサーとしてテレビに出ているのを見るといつも嬉しかった。気付くと妹の小林麻央がいて姉と同じようにアナウンサーとして活躍していたんだ。一見して雰囲気が対象的で可愛いよりも美人というタイプだったと感じる。大人しくて淑やかで素敵な女性なのは間違いなかったし、だからこそ世の中でも人気者だったはずだけど、個人的に興味がないというか、比べてはもっと面白いばかりの小林麻耶しか眼中になかった。テレビで見かけても特別に注目したりはしなかった。

今改めて凄いと認めてブログの些細な日常にも小林麻央を取り上げないわけには行かなくなって来た

2017年6月22日に乳癌によって他界された。享年三十四歳と癌で亡くなるには非常に若かったのが殊更に悔やまれもする。早期発見に失敗して治療が手遅れになってしまったのが最大の原因かも知れない。

小林麻央は事前に乳癌を公表して闘病のためにアナウンサーも休業すると知って可哀想だったけど、さらにブログのKOKORO.を開設して自分と同じような癌患者たちを励ますためにも治療の現状や病床の気分などの日々の生活を報告するのが人間的に感心させられもした。

興味が新しく芽生えるのを驚いた。それまでは小林麻耶の妹とかなんて取っ掛かりが少なくて微かな魅力しか感じなかった。癌闘病のブログを開設して適切に、たとえ万一でも裏で誰かに任せず、大変でも自分の言葉などで表現しながら更新するならば一人の人間として相当に素晴らしい真実ではないだろうか。見た目が美人だから性格にも相応しい。本当にやってくれると否定できない思い遣りに正しく引き付けられるわけで、凄いと認める気持ちも確かだった。

僕は小林麻央の生前にブログのKOKORO.を南海も閲覧していたわけではないけど――たぶん身も心も綺麗な人だと分かれば他には何も要らないせいかも知れない――ところが死後にGoogle検索で「死相」を調べたら彼女の闘病中の画像が出て来て――誰かがそんなコメントを付けたから検索エンジンのキーワードにも引っかかったんだろう――掲載元の記事の贈り物の時間を読んでみたら本当に深く深く感動できたから些細な日常として確認して記憶に刻み付けておきたくなる。

昨夜は、とてもあたたかい気持ちで
眠りにつくことができ、
今朝、とても幸せな気持ちで目覚め、
日課の飲むヨーグルトを堪能しました。


贈り物の時間だと感じます。


癌闘病の病床でオレンジのパジャマを着て鼻に細い管を通した小林麻央の笑顔の自撮り写真

笑顔で写真を撮ることは、
リハビリでもあります。

ブログを書くことは
私自身の励みになっています。

いつも読んで下さり、
ありがとうございます。

贈り物の時間 via KOKORO.

読み返してみると明らかに素敵と魂を打ち鳴らされるくらい衝撃的なのは全体が本物の詩になっている。構成が微妙に崩れているし、韻律を細かく整えるような手際の良さは認められないけれども歌おうとして書いているブログなのは疑い得ないだろう。十数行の短い仕上がりの中で字数を揃える配慮が普通の日記などの文章よりも多めに受け取られる。

冒頭の四行は二行ずつの組み合わせで、後半は最後の挨拶を除いてもやはり二行ずつの組み合わせで二つ置かれて表現の工夫がかりに何となくでも凝らされている感じがする。

題名の付け方が今此処の素直な気持ちを示した詩になっているのは間違いないはずだけれども内容が伴っていて字数のリズムと文章の組み合わせのトーンから情感こそ際立って伝わって来るのが本当にかけがえもなく魅了される。

添えられた写真が専ら痩せ過ぎて落ち窪んだ目の周りなどに影が多くて癌闘病の労苦を物語っている。余命宣告を免れないほどの死相も否定できない。とはいえ、笑顔を見せている心が花と咲いて感じるんだ。喜ばしいかぎり、もはや死相を突き破って辺り一面に晴れやかな印象を与える。生きられる希望が広がる空のような趣きが受け取られるのが一つの有り難い詩だと思う。すなわち命の尊さを教える。

小林麻央のブログのKOKORO.は開設されるや大人気で、本人が亡くなった今現在でも二百六十万人以上のフォロワーを抱えながら公開され続けている。全国区の有名人だから注目されてしかも重病患者で可哀想だから尚更と引き寄せられずにいないのはもちろんにせよ、実際に読むと内容も本当に貴重なんだ。それこそ些細な日常という人生の場面をたぶん誰にでもはっきり味わわせてくれる表現が取られている。日々、弱って辿々しい言葉遣いの記事ばかりだけれども壊れ易い夢のように世界の唯一無二の真実が分かるのが心から嬉しい。

自分自身に置き換えれば命の尊さとして泣けて来もするだろう今此処の人生の場面がKOKORO.には満ち溢れている。どの記事も忘れ難い意味と価値を持つと納得するけれども全てを象徴する記事が贈り物の時間ではないかと僕は考える。

題名と内容ががっちり噛み合うように完璧に本物の詩になっているわけで、本人が意図したかどうかは別としても心の思いが出尽くしていて他の記事を根本的に理解する手がかりに相応しい。

ブログ名も日本語を敢えてローマ字にしてKOKORO.と呼ぶのは母国語で当たり前に掴み切れない胸のうちの思いが反映しているせいだとすると彼女の何もかもが根本的に表現されたに等しい贈り物の時間はブログ自体のイメージにぴったりの中心だとも感じるんだ。

優しく穏やかな時間が流れて行くのを初めて知ったというか、心から大切にしたいと認めたのが贈り物の時間で、小林麻央にとっては明日は死ぬかも知れない悲劇の極致での「とてもあたたかい気持ち」と「とても幸せな気持ち」の寝起きの奇跡的な経験から得られたんだろう。目覚めることが生きることならば人生は祈りだろう。だから贈り物の時間はいつも日記のブログの記事でもスタイルが詩に近付いたと想像する。作中の「笑顔で写真を撮ること」と「リハビリ」、「ブログを書くこと」と「私自身の励み」、改めて自分は何のために生きるのかが再確認されているようだ。重体の癌患者でおよそ朝から晩まで寝たきりの状態でしかないとしても無駄な生活を強いられるわけではない。

翻って締め括りの言葉には信じ難い感謝を認める。他の記事でも良く行われている「ありがとうございます」という挨拶ながら新しい祈りとして可成の凄まじさを伴っている。癌闘病の労苦に触れて極度に凍り付いた絶望感を乗り越える人間性が胸打たれるほどに勇ましい。贈り物の時間の詩から捉えると誰でも口にする常套句の聞き慣れた言葉の重みが、全然、違うと驚愕させる。小林麻央という一人の人間の全身全霊の心の思いが一言に集約されているせいではないか。こんなに輝かしい感謝の言葉はかつて経験されなかったと感涙するのは吝かではないし、個人的に認識自体を考え直させるし、世界の見方をさらに素敵に変えられるんだ。

命の尊さに基づく真実を生きるのが素晴らしく嬉しいと気付かされる。

贈り物の時間を知るといっても良い。僕は健康そのものの今此処で死期が愈々と迫り来ずになかった癌患者の小林麻央と同じ状態ではないにせよ、祈りの姿勢は共通し得るはずだ。人間として尊敬するし、ブログのKOKORO.の記事だけれどもいっそ歌われた一つの詩から受け取った全身全霊の心の思いとは何かを是非とも理解したい。況んや感動して著しいまでに引き付けられるならば愛に他ならない喜びの福徳だから漏らさず、生活に取り入れるべきだ。

参考:小林麻央さんはなぜ顎の癌に?発見から死去後まで 「あのとき信じなければ」小林麻央さんも後悔 がんを見落とす医者 切らない選択をした麻央さん 「できれば3人目」という思い

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