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α5100とTouit 2.8/50Mの初夏の晴れた公園の花々の撮り歩きの五つの作例

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ゴールデンウィークの前半、四月三十日に良く晴れて暖かったので、地元の公園に愛用のカメラのSonyのα5100レンズのZeissのTouit 2.8/50Mを携えて花々の写真の撮り歩きに出かけた。
目当ては何といっても山の裏道でひっそり咲いているのを見付けて大喜びした鈴蘭だ。
好きな花だけど、しかし白一色で小さいからピントが合わなくて動かなくても写真撮影には手強いとも知った。最初は失敗ばかりだったし、スマホやコンパクトのカメラでは被写体の輪郭を十分に取れなくて――光の少ない木陰の鈴蘭にかぎればもはややるだけ無駄の散々な境地を強いられるばかりだ――たとえ一眼レフのカメラでも露出やシャッタースピードや絞り値などをしっかり覚えて細かく調整しないと厳しかった。鈴蘭との出会いは写真家として相当に練習になった。
二年目の去年は山の裏道の鈴蘭の集落へ何度も足を運んで試行錯誤を繰り返しながら葉っぱ満開散り際などの納得できる作例を多く残せたと思う。
今年も頑張るつもりだったけれども日頃の生活難に加えて寒暖差アレルギーの体調不良で無理かも知れなかった。
しかし何とか起き上がって天気も良好だから三年目の鈴蘭の写真撮影に挑み得たのは幸いだった。
満開なのは一週間も続かないようだし、雨が降ると直ぐに汚れて散りかけそうだから一日だけ出かけても真っ白に咲いた鈴蘭は撮れないのではないかと心配されたもののタイミングも良くて被写体には事欠かず、写真撮影は狙い通りに進められた。
α5100とTouit 2.8/50Mの作例①花柄が以前よりも総じて小さい鈴蘭だった

公園の山の集落では虫に食われた葉っぱも多くて育ちが悪いようなのを悲しんだ。雑草も目立つので、遠めから撮るのは気が進まない。レンズのTouit 2.8/50Mがマクロだから近寄ってこそ本領を発揮するけれども花が段々と幾重にも気持ち良く垂れ下がって並んでいる感じが出せないのが参った。花弁の縁の反り返りも歪みがちだ。
落ちた花は全くなかったし、蕾が幾らかあったので、もう少し後が満開だったかも知れない。
直ぐに雨が降ったから今年の地元の公園の鈴蘭が晴れ間に最も輝いた瞬間を表現できたと納得してはいる。
振り返ると四月が例年よりも暖かくて雨が少なかったのが鈴蘭の育ちに影響したのか、何れにせよ、花も葉っぱも小さ過ぎる印象を与えるのは自然の姿として捉える他はないし、何より…

浅田姉妹/舞と真央の女性としての衝撃的な魅力への大変身が非常にセクシーでしかも優しい詩を象徴的に感じ取らせる

凄いとしかいいようがない写真が発表された。GQ JAPANという男性向けのファッションとライフスタイルの雑誌の表紙のグラビアで浅田舞浅田真央の元フィギュアスケーターの姉妹が起用された。二人は初めての共演だったらしい。官能的な衣装に美しく身を包んだフィギュアスケートを完全に忘れさせる世界観が本当に新しい。特に浅田真央が朗らかな印象が強くてかつて想像だにしなかったと驚く。芸能界で見かけて素敵に可愛かった浅田舞と共に女性としての衝撃的な魅力へ大変身を遂げてしまわれた。
GQ JAPANさん(@gqjapan)がシェアした投稿 - 2018年 4月月20日午前4時00分PDT
非常にセクシーなのはやはり目元だろう。女性はアイラインで別人になり易いと思う。かつてセクシーな人が素顔で現れたらどこの誰かも分からなかった経験がある。アルバイトで事務所に知らない人が入って行こうとするからどちらさんですかと訝って「違いますよ」と声をかけながら強いて引き止めもしなかったのが振り返ると不思議な気持ちを覚える。何となく分かっていたのか、否、余りに堂々と差し障りなく事務所へ向かうからアルバイトのまだ覚えない関係者が初めて出会うように不意に訪れたのかも知れないと感じて構わなかったようだった。暫くしてセクシーな人が現れたので、いつもの風貌から思い起こしてさっきは素顔だったと気付いたんだ。
切欠は何よりもアイラインで、たった一筋の化粧だけで印象がガラリと変わっていたのがハッと息を呑ませた。
本人には訊かなかったけれどもたぶん出勤前に時間がなくて化粧は後から事務所で良いと素顔でやって来たと推測する。タイムカードを押さなくてはならないので、もはや化粧を省いても出勤時間を遅らせたくなかったのではないか。自分の見た目よりも給料を重視するところがセクシーな人と呼びたい気持ちの所以に繋がっている。
普段、何でも話すような気儘な人柄なので、奇しくも素顔でいきなり職場に現れた理由を聞かされるかと暫く待ったもののずっと無言だったのは恥じらいのせいではないかと床しく感じられた。
女性にとって可成の二者択一かも知れない。見た目と給料のどちらかを取らなくてはならない場合、恐らく男性とは違う。死んでも見た目を選ぶか、少なくとも給料のためにあっさり切り捨てるのを心苦しく感じる人の割合が非常に高そうだ。さもなければ世の中で美容の化粧品や…

幸せの良さはインパクトが物凄く大きいために人々の印象にも残り易いと考える

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ブログのヘッダーの背景画像を変更した。無料素材のクリスティン・フォークトの写真を使っている。以前、見付けて素晴らしく気に入った。
A woman in snowflakes by Kristin Vogt [CC0], via Pexels
雪の中で紺色のコートを着た女性の写真がシリーズで幾つかあるけど、とにかく運命の恋を感じさせるところが抜群に惹かれる。
二人の絆が容易く想像できる物語調の仕上がりで、思いの強さ、気持ちの真面目さ、情熱の大きさなど、受け取ったら手放せないほどの心の繋がりが反映しているように見える。
使ってみたらファッション雑誌みたいな相当にお洒落な乗りが出て来て訪問者によって好き嫌いが分かれそうだ。ブログの記事は必ずしもファッション雑誌みたいなイメージではないので、雰囲気が合わないと不味いと危惧されるけれどもどうだろう。詩的には間違いなく当て嵌まり得るし、僕がブロガーでも永遠の詩人なので、コンセプトの些細な日常からはインパクトが物凄く大きいと思う。運命の恋を感じさせる写真ならば諸々の記事と相俟って全てが心に刻まれて忘れられないほどの瞬間を味わえるはずだ。
A woman trying to pull a hood over her head by Kristin Vogt [CC0], via Pexels
訪問者がお洒落な乗りを好きでも嫌いでも覚え易いというのが人気者になるためには必要だからアクセスアップを呼び込んでくれると期待している。
アクセス解析で様子を見ながら駄目だったら止める。分けても検索エンジンから記事にやって来てトップページへと入り直す人が増えるかどうかを注目したい。キーワードだけではなくてブログ自体、そして僕への興味や関心が高められるともっと有り難いと考える。
今までよりも訪問者の印象に残り易いデザインになっているはずだ
静かにやってばかりで、アクセスアップが上手く行かないし、丸っきり、何となれば正反対に変えしまうのも大事だと思う。
世の中でソーシャルメディアを炎上させて知名度を上げたり、大勢を商用サイトへ呼び込んで金儲けを行う人もいるわけだし、ブロガーとして人気者になるために著しく印象付ける自己表現が必要なのは確かだ。
炎上にかぎらず、人々を引き付ける方法は世の中に幾らでもありそうだけれども個人的に芸術性を重視するのが自分らしいし、やり甲斐も得られ…

Instagramの埋め込みコードがバージョン8で非常に軽量化されて使い易くなった

ブログの記事にInstagramの写真や動画を埋め込みコードを使って載せようとするとそれ自体が長くてびっくりするけれどもJavascriptも付いていて読み込み時間が延びるのが懸念される。
マークアップの<script>と</script>の囲みで、コンピューターのプログラムだからブラウザにとっては通常の場合よりも余計に計算しなくては内容がサイトに反映しない。
しかしバージョンアップで8(埋め込みコードの冒頭付近に「data-instgrm-version="8"」と載っている)に変わってからInstagramの埋め込みコードのJavascriptが非常に軽量化されたようだ。
外部ファイルなので、手元に取り込んで調べてみるとたったの8.23KBしかなくなっている。日本語で換算すると四千文字くらいに相当するけれども以前のバージョン7の60.85KBと比べて七分の一程度の容量に収まっているから一層と使い易くなって喜ばしい。
Instagramさん(@instagram)がシェアした投稿 - 1月 30, 2018 at 3:28午後 PST
ページの読み込み時間が延びて表示速度/ページのダウンロード時間が下がると訪問者と検索エンジンに悪影響を与えてサイトのアクセスが減るかも知れない。一般的に三秒以下が望ましいとされる。スマホが普及して重いサイトは人離れが激しいとすると持ち前のスピーディーな便利さが損われているせいだろう。
Instagramは分かっていて埋め込みコードのJavascriptをついに改善したのではないか
流石に人気爆発のソーシャルメディアで、世界中で利用者を新しく増やし続けている数年来、やはり人々の気持ちを上手く取り入れていると感心する。
気付いて早速、ブログの記事に使っていたバージョン7の埋め込みコードはInstagramのオリジナルの個別ページから再び取り直したバージョン8で悉く書き換えた。
閲覧して体感的に明らかに速いので、気持ち良いばかりだ。僕だけかも知れないけれどもInstagramの埋め込みコードにはasync(非同期)が付いているからページが開くのはさほど遅くならないもののブラウザの読み込みが長引いて直ぐに止まらないのは好きではない。またはページのダウンロード時間が嵩めば検索エンジンでのサイト評価が下がってアクセ…

Bloggerの無料のブログサービスとしての特徴:成り立ちと使用感と二つの利点など

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無料ブログというか、ホームページを含めてもBloggerでのサイト運営が最も気に入っている。

Bloggerの成り立ちはTwitterと結び付く
Bloggerは世界で最も利用者の多いブログサービスの一つだけれども元々はTwitterの創業者の一人のエヴァン・ウィリアムズがパイララボで開発したらしい。ブログやブロガーという言葉もBloggerから専ら来ているようで、だからそのままの名前が付いている(Blogger/ブロガー)のもコンセプトがオリジナルのせいだとも過言ではなかったんだ。考えると格好良いし、Bloggerはかつてホームページだけしかなかったインターネットに新たな地平を切り拓いていた。アイデアが画期的で、素晴らしいと感動を覚える。
1999年に始まって人々に大きく広まった2003年にGoogleにパイララボは買収されたんだ。以降、Bloggerはブログサービスとして現在に至るまでGoogleが提供し続けている。
エヴァン・ウィリアムズは2004年にGoogleを退社して2006年にTwitterをオブビアスで立ち上げた。Bloggerに続いて人々に又大きく広まったからビックリするし、さらに盛り上がってもいると思う。しかし何れにせよ、並外れた才気を示している結果だったのは間違いないだろう。
Bloggerは使用感がパソコン向けで辛い
僕は何も知らずにBloggerをやって日本ではさほど広まってなくて直ぐに気付かなかったせいかも知れない。やってみるとスマホでブログを作成するのが大変なので――公式アプリを使っても只単に投稿するのが精一杯みたいな現今――日本の他のブログやホームページのモバイル端末に対応した無料サービスに使用感は完全に劣っている。パソコンか、せめてタブレットでなくては厳しい状況で、たとえ色んなデザインが作り出せるとしてもウェブの編集画面が縮んだままだから面倒臭いのは事実だ。
スマホで気持ち良くブログを作成できないかぎり、もはや率先してオススメするわけには行かないと思う。
日本は海外と比べて特別かも知れないけど、ガラケーの頃からモバイル向けのホームページやブログの無料サービスが発展して来ているし、またはパソコンでやっても愉快なので、とにかく全てのデバイスに的確に対応した使用感こそ世界最高の水準とするとBloggerは追い付いてないといわざるを得ない。
一つだけ凄いの…

フリー素材のぱくたそは専属モデルの河村友歌が相当に可愛いと好印象を与えた

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サイトで無料で使える写真などのフリー素材のWebサービスは海外に多いけれども日本にもぱくたそ(PAKUTASO)を見付けて良いと思った。
ダイヤル式電話機の使い方がわからずスマホから電話する平成生まれ by すしぱく via ぱくたそ
ユニークな写真が貰えるというか、外国人からは得難いはずの日本人ならではの小綺麗に纏まったようなセンスと数多く出会えるのが日本のWebサービスとして流石に有り難い。
ぱくたそは画質も優れていて高品位な写真を提供していて素晴らしいと心から拍手を送る
ダウンロードはSのサムネサイズとMのブログサイズとLの高解像度版の三つ――ウェブで切り出ってトリミングの機能も付いている――から選べる。最高のLの高解像度版だと1MBを越えるような非常に大きなサイズになる。サイトで使うには一般的にMのブログサイズがスマホからパソコンまでの閲覧に適していて容量も軽くて必要十分だと思うけれども写真の画質に拘泥るとすると非常に大きくて重くてもオリジナルに近い状態で手に入るのが嬉しい。

アカウントの登録が不要で、非常に大きなサイズの写真を提供するWebサービスは海外でも珍しいと思うし、好意的に運営されている。難点なのはサイト広告が多過ぎるところで、フリー素材のボタンとも接近しているから押し間違えないようにしないと何も貰えなくなる。
ぱくたその利用規約を確認するとフリー素材のライセンスはパブリックドメインやクリエイティブコモンズのCC0とは一致してないから勝手には使えないと幾分とも注意を要する。
二次利用や商品価値を決める成果物の場合、事前に許諾やクレジット表記が必要な場合があります。(例えば、販売物として、カレンダー、名刺、スマホケース、Tシャツなど、全面にほぼ無加工で使われている場合に該当します。販売しない配布物、掲示物であれば問題ありません。)
ぱくたそのご利用規約・ガイド via ぱくたそ
作者の著作権が消滅したか、または放棄されたパブリックドメインやクリエイティブコモンズのCC0とぱくたそがフリー素材として最も大きく異なるのは商用利用が可能だけれども販売目的では不可能と定められているところだ。簡単にいうと著作権法の引用と同様に作品に取り入れた際の主従関係を守らなくてはならなくてフリー素材をメインに使って「二次利用や商品価値を決める成果物」を作成するのは是認されない。それ以外の…

タイの菩薩像の眼差しの心洗われる美しさにマインドフルネスの到達点を覚える

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A statue of Bodhisattva in Thailand by naidokdin [CC0], via Pixabay
ブログでマインドフルネスを取り上げて引用する仏像の写真を探していたらタイの仏像の一枚が印象深かった。宝冠を戴いているからきっと修業の身としての菩薩だろう。何よりも眼差しに心洗われる美しさを湛えるほどの表情を見せていたのが息を呑ませた。
日本の仏像の造形よりもほっそりしているようで、慈しみの代わりに清らかさを多く受け取る。仏教の捉え方は国や地域によって千差万別だと思うし、信じる人たちの気持ちを反映して仏像の造形も逐一と変わるはずけれどもタイの趣向は本当に素晴らしい。
かねて写真家のジェス・フォアミで「透き通った世界の清らかさ」を知っていたんだ。タイの国柄と結び付いていると想像された真実が今やマインドフルネスの依拠する仏教的な瞑想の在り方と重なり合って一際と鮮やかに認められる。念、または気付きへの研ぎ澄まされた内面が重宝されているのではないか。
タイの仏像ならば全て同じではないにせよ、気に入ったタイの菩薩像の眼差しの心洗われる美しさにかぎっては高貴としか瞬く間にいえない。
御仏の有り難みが本当に良く分かるし、涙ながらに拝みたいばかりの風貌なんだ。
マインドフルネスは感じるままに生きる存在を得るための瞑想だから真っ先に受け取るというか、上手く行ったと認める到達点は何よりも清らかさに含まれているようで、心が淀みなく安定した状態とは何かをタイの菩薩像の高貴さを通じて計らずも教わってしまう。
望むかぎり、手に入れるべき清らかな世界の判断基準として心洗われる美しさを湛える眼差しを覚えておく他はない、もはや。
タイは仏教が非常に盛んな国で、国民の大半の九割五分近くが仏教徒らしい
ただし日本の伝統的な仏教とは宗派が違うんだ。釈迦が紀元前450年頃の古代インドで悟りを開いて始まった仏陀(目覚めた人)としての教えが主にアジアの各地へ広まる大本の源流から袂を分けている。
仏教が現代まで伝来した二つの源流
上座部仏教(南伝仏教):スリランカ、ミャンマー、タイ、カンボジア、ラオスなど大乗仏教(北伝仏教):チベット、ベトナム、日本など
最も明白な特徴として上座部仏教は修業が、大乗仏教では説法が重視されるらしい。前者は信者の全てが僧侶に近くて後者は僧侶とそれ以外の信者は遠い。日本だと大…

クリスティン・フォークトの日常生活をドラマチックに表現した写真は本当に素晴らしい

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写真の良さは元々は記憶が目に見えるところにあったと思う。過ぎ去った時間が目の前にある驚きが人々を衝撃的に魅了して世の中に広まったのではないか。一つの魔法なんだ。どんな写真でも同じだけれども被写体に注目するとしかし気付かなくなる。写し出された世界が只単に見えると共に奇跡的な味わいを持っていて如何にも写真らしくスタイリッシュに表現するのは難しい。
Woman's face in winter by Kristin Vogt [CC0], via Pexels
クリスティン・フォークトは完璧だと甚く感動した。何気ない瞬間が魔法にかかって写真に生まれ変わっているとすると本当に素晴らしくて些細な日常だから個人的に相当に引き付けられもするんだ。
日常生活がドラマチックに受け取られるのは写真家が実現した奇跡的な味わいのせいだ。スタイリッシュな撮り方が非常に際立っている。精妙でちょっと分かり難い――写真家において全てが上手く行き過ぎて恐いくらい自然そのものに纏まっていてイメージに込められた気持ちの詩も透き取っているようだ――けれども被写体に注目するとドラマの一場面を確かに思わせる。人生の流れから取り出され記憶ならでのリアリティーが尊ばしくも存分に繰り広げられている写真なんだ。
センスがお洒落なので、ファッション雑誌の切り抜きのようにも受け取る。知るや否や焦った、どこかでパクったのでは不味いと無料で使える写真にしては完成度が飛び抜けているし。もはやGoogleの画像検索にかけてチェックせずにはいられなかったけれどもクリスティン・フォークトは自分の写真を公開している可能性が非常に高いだろう。美しさも被写体そのものはさほど金銭を費やしてなさそうだからファッション雑誌のプロの写真家でなくても本人の表現力でカバーできる範囲に収まっているのは間違いないと思う。
Golden retriever by Kristin Vogt [CC0], via Pexels
A woman with a smile by Kristin Vogt [CC0], via Pexels
Half-eaten blueberry donut by Kristin Vogt [CC0], via Pexels
Dawn beach by Kristin Vogt [CC0], via Pexels
何でも構わないけれどもク…

ジェス・フォアミの写真は透き通った世界の清らかさが理想的な創作活動で感動する

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タイの写真家でジェス・フォアミの写真がとても良いと引き付けられた。写真を載せているPixabayのアカウントがcunconというので、辞書で調べてみると「cun con」はタイ語で赤ちゃんを意味するらしい。写真の趣きからすると天真爛漫なイメージを表現したいのではないか。
A girl in white clothes by cuncon [CC0], via Pixabay
または天使の情感ともいえる。心の味わいが詩的なのが素晴らしくて目が離せない。透き通った世界の清らかさが被写体の全てに広がっているような写真だと思う。
目に移る自然の光景があるがままで素敵だと良く分かるという撮り方で、些細な日常の良さを的確に示しているのは個人的にも愛さずにいられないわけだ。
Summer beach by cuncon [CC0], via Pixabay
臨場感が心地良いから写真を見ながらそうしたイメージの中へ行ってみたいと感じるのは自分も表現者としてジェス・フォアミと同じように皆を引き付けられると有り難いととても参考になる。
写真家のPixabayのアカウントの付け方で考えると赤ちゃんならば赤ちゃんという必要性をしっかり引き受けて創作するのが大事なんだ。
若いうちは簡単だけれども年を取ると難しい。自分にできないことが分かり過ぎる状態ではないか。だからできることにも迷ってしまい易い。悲しまなくて本当は良いんだろう、老いの情けなさを。思い切って自分にできることに挑みかかれば若々しい気持ちがして来るのも明らかだし、人生に頑張り甲斐を新しく掴み取る。
A man watching a smartphone by cuncon [CC0], via Pixabay
ジェス・フォアミの写真にはいつかどこかで見たような既視感が不思議な懐かしさを湛えながら漂っている。きっと人々が無意識に求めている喜びを写真家として捉え切っているせいだろう。タイの国柄もあるにせよ、天真爛漫なイメージ、または天使の情感が真実だから胸に共鳴するに違いない。
誰が受け取っても疑い得ない表現力を発揮できるのは理想的な創作活動だと憧れてしまう。
上手く行っていると天国に、一番、近い島と歌って良いはずだし、清らかな思いから他でもなく、感動する写真家のジェス・フォアミの写真は美しくて麗しい光の恵みを封じ込めている。

画像や動画などのヴィジュアルコンテンツは訪問者を大きく引き付けて被リンクを増やす

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十月下旬で今年も後二ヶ月しかない。辛いのはブログのアクセスが予定通りに伸びるかどうか。年内に一日数百人を達成したい。
Black and white woman by felixheidrich91 [CC0], via Pixabay
今月に入ってからやっと訪問者が一日百人を越え続けている。Googleでの表示回数が千回を確実に越えていてクリック数が百回を偶に越えているという状況だ。
ブログを開設して十ヶ月で一日百人のアクセスだから平均すれば一ヶ月に十人ずつ増えているわけで、サイト広告で生活費を稼ぐには一日何千何万のアクセスが必要なのに何年もかかるのでは伸び率が悪過ぎて死んでしまうんだ――。
人気ブロガーのイケダハヤトまなしばにはなれないのか。あちこち宣伝して回りながら人々の注目を集めるのは大変で、やっても上手く行くかどうかは本当に難しいし、結局は検索エンジンの検索結果で頭角を表すのが先決なんだろうと感じる。記事を増やし捲りながら皆が気付いてリンクを貼って世の中に広めてくれるのを待つしかなくなる。
アクセス解析を確認すると検索エンジンからのアクセスアップが好調な記事ほどに外部サイトからのリンクを貰い易いみたいだ
当たり前といえば当たり前で、検索結果にかぎらず、人々に知られなければどうしようないし、訪問者の多い記事が被リンクのチャンスを多く得ているのは間違いない。
だから興味深いのは検索エンジンからのアクセスアップに連動しているところなんだ。
誰かがキーワードで何かを調べたかったドンピシャの記事が見付け出された好運さが心を軽くして自分のサイトにリンクを貼ろうと考えるのではないか。
Shaking hands by jackmac34 [CC0], via Pixabay
するとSEO(検索エンジン最適化)対策もキーワードマッチングがとても大事だろう。
Googleはどんどん進化しているし、取り分けランクブレインで検索エンジンの利用者の気持ちに当て填まる記事を的確に紹介するようになっているからブロガーは何も慌てる必要はないし、好きにやっていれば良いだけだけど、しかし被リンクの傾向からは微妙な差異も指摘され得る。
人間の気持ちは人間にしか分からないような部分があるのではないかしら
たとえコンピューターの人工知能が発達しても検索エンジンでドンピシャのキーワードマッチングには行き届かない感じがす…

サイトのヘッダー/背景画像を小さくリサイズするアプリと高く圧縮するWebサービスで最大限に軽量化して作成する

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サイトの表示速度を考えると画像が最も容量が大きくて支障を来し兼ねない。一枚で他の全てを平気で上回ったりもする。影響が非常に大きいので、載せるならば予め軽量化しておくには越さない。
大きさを小さくリサイズしたり、データを高く圧縮したりする方法があってそうしたアプリやWebサービスを使うと良いと思う。
ただし難しいのは画質だ。写真でも何でも画像は小さくリサイズしたり、高く圧縮したりすればするほどに画質を落とし易くてサイトのデザインが崩れて来てしまう。嘆かざるを得なくなるんだ。

目次
画像を最大限に軽量化するためにリサイズと圧縮の二つの方法の組み合わせる一回目の編集:アプリのPhotoshop Expressでリサイズする二回目の編集:WebサービスのTinyJPGで圧縮する

ホームページやブログで画像を載せる際には画質と容量の鬩ぎ合いが避けられなくて絶えず、最高のバランスを模索するように画像を望み通りに作成しなくてはならないと考える。
コンテンツの中心の画像は画質を優先して幾らか重くしても喜ばしいのではないか。
いつも横幅1600~2048pxで作成してcssで画面幅に合わせて表示している。パソコンならば二倍、スマホならば四倍くらいの大きさなので、それだけ容量は膨らんでいるし、リサイズして削る余地は十分に残されているけど、しかし画質を優先して載せたいわけなんだ。
一般的には横幅1024pxくらいが良いかも知れない。ソーシャルメディアなどで多く見かける画像のサイズだ。画質と容量のバランスが適度に取れているように感じる。
容量を優先すれば横幅480pxくらいまで小さくすると画質の低下は目立ち始めるにしても相当に速くてサイトを閲覧するのは快適そのものだ。
メインの画像は画質を優先するけれども気がかりなのはヘッダー/背景画像をどうするべきか。
訪問者が必ずしも注目するわけではないから反対に容量を減らして表示速度を上げておくのが適切だろう。
ただし色々と試した結果としてコンテンツの中心の高画質の画像から余りかけ離れた劣化を認めるわけには行かなかった。サイト全体のバランスが崩れてしまうのは頂けないので、小さくリサイズするにしても結局は普段の画質優先の下限の横幅1600pxは欲しくなってしまった。
画像を最大限に軽量化するためにリサイズと圧縮の二つの方法の組み合わせる
画像の容量を減らすためには小さくリサイズ…

クロザルの自撮り写真の著作権がクロザル自身にないのは動物の創作活動だからだった

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写真家のデビッド・スレーターがインドネシアのスラウェシ島で絶滅危惧種のクロザルにカメラを設置してシャッターを切らせた自撮り写真の著作権がどこにあるかが分からなくて社会問題になった。
Monkey selfie row via BBC News
一旦はWikimedia Commonsに掲載されてクロザル自身がカメラのシャッターを押した作者ながら著作権を持たないから勝手に使って良いとパブリック・ドメインになったけど、ところがデビッド・スレーターは自分がカメラを設置してクロザルに自撮りを仕向けた共同制作者だから著作権を持つと主張してサイトのコンテンツから取り下げて欲しいと法廷での争いが起きてしまった。
2014年にアメリカの著作権庁がクロザルがカメラのシャッターを押した作者でも動物だから人間のように著作権の対象にはならないという判断を下したので、デビット・スレーターは共同制作者として認められず、パブリック・ドメインを主張するWikimedia Commonsが勝ったらしい。
デビット・スレーターはアメリカでのクロザルの自撮り写真の著作権を失ったけど、しかしそれを使って写真集を売り出していたのがさらにPETA(動物の倫理的扱いを求める人々の会)に民事訴訟を起こされたんだ。
アメリカの著作権法では動物の著作権を禁止していないからクロザルが著作権を持つと改めて主張してデビット・スレーターの権利侵害とクロザルの代理人として権利行使を求めるという主旨だった。
2017年にPETAがクロザルに著作権はないとした判決に控訴していたのを取り下げたけれどもデビット・スレーターが自分が著作権を持つと共に野生動物を保護する慈善団体にクロザルの自撮り写真を使って出版した写真集の収益の四割を寄付すると和解が成立したらしい。
両者は共同声明の中で、この一件により「人間以外の動物にまで法的権利を与えることについての重要かつ最先端の問題を取り上げた」と述べています。
著作権が問われた「サルの自撮り」の法廷闘争がついに完全終結 via GIGAZINE
概して動物に著作権があっても良いはずだけれどもどこからどこまでが創作物なのかの線引きは相当に難しい
知的財産権の一種としては動物の精神状態が分からないと立法しても曖昧になってしまう。
人間と同等に捉えるならばWikimedia CommonsやPETAが主張するようにクロザ…

ホームページやブログに無料で使用できる写真を検索して見付け出せる三つのサイト

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自分のサイト、ホームページやブログに他人の写真(画像)を何でも載せると著作権法で作者から裁判所に訴えられる危険性があるので、注意しなくては行けない。

目次
O-DANはデザイン向けの写真が見付け易いCC Searchは写真のSNSと美術館から探せるWikimedia Commonsは専門的な写真が多い

一般的に大丈夫なのはパブリックドメインかそれと同等のクリエイティブコモンズのCC0や商用可能(個人サイトでサイト広告が付いていても確実に許容される)のライセンスが付いている写真だと思う。
パブリックドメインとクリエイティブコモンズのCC0ならば勝手に使って良いし、商用可能ならば誰のサイトに載せても構わないと著作権者が承諾しているから後から著作権を侵害したと裁判所に訴えられる危険性は少ない。
トラブルが起きないとはかぎらないので、ホームページやブログで自分が著作権を持っている写真だけを使って載せるよりは安全ではない。
どんな写真でも人物などの肖像権や企業のロゴマークなどの商標権という著作権法以外の法律が関与する場合があるから写真の内容と細かい条件をチェックするのも大切だろう。
ホームページやブログで勝手に使える、または誰のサイトに載せても構わない他人の写真を入手するためには検索して上手く見付け出せるサイトが便利で良いと思うので、気に入ったのを三つ取り上げて覚えておきたい。
O-DANはデザイン向けの写真が見付け易い
Rabbit Palm Hand Snatch by SimonaR [CC0 1.0], via Pixabay
パブリックドメインかクリエイティブコモンズのCC0の写真が見付け出せる。
どちらも著作権者が著作権を放棄している状態なので、写真と共に作者の名前やライセンスは一緒に表示する必要はないし、やりたければ付帯情報として記載しておく。
O-DANはデザイン向きの凝った写真が数多く出て来るから非常に面白い。
ただしウォーターマーク(透かし)が入った写真も出て来るから消すためには提供元のサイトでアカウント登録が必要になっている。
CC Searchは写真のSNSと美術館から探せる
Manhattan by night by Red Junasun [CC BY 2.0], via Flickr
クリエイティブコモンズが出している検索エンジンで、パブリックドメインやCC0を含めて商用可能…

見当たりの神と呼ばれた森本等警部の指定手配の犯人を人並外れて探し出した伝説的な捜査

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昭和五十三年から大阪府警察で取り入れられて、毎年、百人程度の指名手配の犯人を探し出している見当たりという捜査手法がある。仕組みはとても簡単で、捜査員は指名手配の犯人の顔写真から人相を覚えて街中に出るだけで良いんだ。人々を見渡しながら「見当たった」となれば何人かで取り囲んでもはや逃げられないように声かけて逮捕してしまう。自首せず、国内のどこかに潜伏するばかりの犯罪者がきっちり減らされて行くわけだ。
一度も誤認がないらしいから凄い。普通に考えると指名手配の犯人の顔写真から人相を覚えても撮影されてから年を取ったり、変装したり、整形手術を受けたりしていて探し出すのはもう無理だろうとたとえ交番の前の掲示板で見かけても最初からやる気が萎えずにいない。近年では指名手配の犯人に懸賞金がかかっている場合もあるし、上手く行けば金儲けにも繋がるから是非とも頑張りたいと感じるにせよ、身の周りにいるはずもなさそうだから結局は宝くじが当たるのと大差がないと本気で取り組むような力は全くといって良いくらい湧いて来ない。
ところが見当たりは非常に対照的で、正しく本気も本気の捜査手法に他ならなかった。鬼頑張っていて物狂おしいまでのやる気に支えられている捜査員にしか警察でもできないのではないか。自分がいつも避けている指名手配の犯人の顔写真への本音と置き換えて想像すると驚かされてしまう。
見当たりの捜査員は五百人の人相を徹底的に覚え込んで街中に出ると一人ずつを0.5秒でチェックする。実際に逮捕して事件を解決するまでに百五十万人以上を目にしている可能性がある。
因みに宝くじで一億円が当たる確率はおよそ五百万分の一といわれる。見当たりの犯人の検挙数に換算すれば三四人分かも知れない。翻って宝くじで捉え直してみると見当たりは、一人、逮捕する毎に三千万円前後に相当する確率になっている。
一人でやっているわけではないし、捜査員はたとえ有能でも警察から指名手配の犯人の詳しい情報を――どこに出没し易いかなど――数多く貰いながら取り組んでいる見当たり捜査だから概して一般人にとっては懸賞金を狙うにせよ、遥かに大変で、成功する確率は宝くじの一億円を越えないともかぎらないかも知れない。
Umeda with Osaka Castle by Type specimen (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikim…

スマホ/タブレットの写真編集アプリのSnapseedがアップデートを重ねて物凄く使い易くなって来た

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ちょっと前にPhotoshop Expressの画質がアップデートで上がってスマホ/タブレットの写真編集アプリで断トツに素晴らしいと気付いてからメインで使わないわけには行かなくなった。
しかし微妙なところで、物足りなくてもう一つの写真編集アプリが補完的に必要になってしまっていた。
pngファイル保存とても細かい修正普通のエフェクト
基本性能が高くてPhotoshop Expressの弱点をカバーできるようなスマホ/タブレットの写真編集アプリはないかと探していたら新しく見付け出したのがSnapseedだった。
昔から知っていたけど、これもやはりアップデートを重ねて数年で大躍進を遂げていたんだ。Photoshop Expressと双璧といって良いくらい素晴らしく優れた写真編集アプリに生まれ変わっている。
提供元のGoogleは本当に頑張ったと称えたいし、Playストアのアプリのトップデベロッパーとしては正しく流石だ。

Snapseedは総合力が高くて使い易さに溢れている。弱点としてはraw現像がdngファイルしか対応してないからカメラによってファイル変換が面倒臭いくらいしか思い付かない。普段、raw現像は殆どやらないから何気なく使う分にはもはや最高の仕上がりではないか。
するとスマホ/タブレットの写真編集アプリはSnapseedをメインにPhotoshop Expressから入れ換えて反対に前者の弱点をカバーするべく、特別なエフェクトやraw現像のために後者を使うのも便利だろうと考える。
格別に気に入ってSnapseedを愛用せずにいられなくなった三つの特徴について纏めておきたい。
pngファイル保存
形式と画質 via Snapseed
画質が「設定」から四種類の「JPG 100%」と「JPG 95%」と「JPG 80%」と「PNG」に選択できる。jpg(jpeg)は写真に、pngは絵やスクリーンショットに向いているファイル形式だけど、画質が上がると容量が増えるので、注意しなくてはならない。pngがjpgよりも良いけれども写真に使うとサイズが大きければ何倍にも膨れ上がるからなるべく避けるのが無難だ。
Snapseedは「完了」と共有ボタンのどちらでも編集した画像を保存できるけれどもjpgからpngへのファイル変換は共有ボタンでしかできなかった。編集した画像を「完了」で保存すると「設定」が「…

ルイス・キャロルの最後のアリス・リデルの肖像写真の不思議なカメラの向け方に思うイギリス文学と詩的な感性

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The Last Sitting by Lewis Carroll [Public domain], via The Metropolitan Museum
写真家としてのルイス・キャロルを発見して乞食娘のアリス・リデルが非常に素晴らしくて飛び抜けて良いと感じたけれどもそれに次いで記憶に残るのが椅子に腰掛けたアリス・リデルの肖像写真で、ルイス・キャロルがアリス・リデルを撮影した中では最後の一枚といわれている。
右上から微妙に見下ろしたカメラの向け方が小説の不思議の国のアリスを彷彿とさせるくらい如何にも不思議だと感じさせられてしまう。
ルイス・キャロルは数学者で普段は理知的だったのとは対照的にそうした日常生活の安定性を真っ逆さまに揺るがすほどの遊び心を持っていたとナンセンスな小説の愉快な書き方から分かる。
イギリス文学だとローレンス・スターントリストラム・シャンディが全ての小説の始まりではないかと分かり易い物語と切り放して考えられるほどに支離滅裂でナンセンスだった。そして支離滅裂でナンセンスな小説というとジェイムズ・ジョイスフィネガンズ・ウェイクが言葉遣いまで引っ括めて完全に打っ壊れたように徹底的にやっていてもはや普通に読めないところまで行っているのが世界的にも有名かも知れない。個人的にはサミュエル・ベケットを最も高く評価するけれども訳の分からない小説ばかり書いていたものの最初の特に誰にも相手にされなかった並には勝る女たちの夢がハチャメチャそのものの作風と同時に無名で貧乏なのにやっていたから小説家として《意味不明な自己表現》に人生を賭けていたと畏敬せずにいられなくなる仕上がりなんだ。哲学的にも命懸けで読み得るし――アントナン・アルトーの思考の不可能性に社会上の接線を持っているのではないか――本質的に重要な作家の一人に他ならないと僕には数えられもする。しかしイメージだけならば小人の国で理解不能に陥ってしまう主人公を描いたジョナサン・スウィフトガリヴァー旅行記が物語としても非常に分かり易くて日本でも子供から大人まで不朽の名作として良く親しまれていたり、イギリス文学ではナンセンス小説はおよそ珍しくなくてルイス・キャロルの不思議の国のアリスも驚くに値しないとも過言ではなかったかも知れない。
日常生活から捉えると遊び心が満載なので、写真の最後の一枚の十八歳のアリス・リデルの肖像は…

乞食娘のアリス・リデルの湿板写真から逆算するルイス・キャロルの不思議の国のアリスへの本当の願い

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ルイス・キャロル不思議の国のアリス(小説)にはモデルが実在していたらしい。主人公のアリスと名前が同じのアリス・リデルという。他にも兄弟姉妹が、九人、いて作者のルイス・キャロルは数学講師で在籍していたイギリスのオックスフォード大学のクライストチャーチを出会いの場として当時の学寮長だったヘンリー・リデルの一家と交流していたんだ。休日には子供たちとも良く遊んでいたらしくて不思議の国のアリスの成立には取り分けロリーナとアリスとイーディスの三姉妹(リデル家の長女と次女と三女)が大きく関わっていたといわれる。
Edith, Ina and Alice Liddell on a Sofa by Lewis Carroll [Public domain], via The Metropolitan Museum
しかし中心的な位置を占めていた子供が小説の主人公と同名のアリス・リデルだったようで、元々は地下の国のアリスとして個人的に「クリスマスプレゼント」と贈っていた作品が知人の出版への勧め――ある日、作家のジョージ・マクドナルドの夫妻と居合わせた息子のグレヴィルの目に喜ばしく留まったせいで――から加筆修正を施されて小説として完成したのが不思議のアリスだった。
経緯がとても面白い。世界中に広まって数え切れない人々に読み継がれていている作品が元々はたった一人のために作り出されていたという。人生で成功を爆発的に収めたければモチーフもやはり皆を考えては駄目なのではないか。それこそ個性が他でもなく引き付けるようにたった一人のための思いを掴んでおくと良いとはっきり分かってしまうような実例を与えている。
自己表現でモチーフまで作者の個性に合わせると作品の人気は皆の好き嫌いに左右されるはずだし、尊ばれるかどうかは運任せになりそうだから、丸っきり、失敗を余儀なくされる危険性もあるかも知れないし、するとルイス・キャロルの不思議の国のアリスが不朽の名作と人々に十九世紀の後半から歴史的なまでに知れ渡った現実は一か八かの賭けに他ならなかったとも過言ではない。
本人は最初から期待してなかったわけで、小説が売れなくても数学者としてオックスフォード大学から生活費を得ていたし、平々凡々、どうでも構わなかったみたいだ。なので小説家としては無邪気な成功を偶さか上手く収めた格好ではなかったか。無難といえば無難なばかりの人生設計…

神風特攻隊を志願して死を選んだ石丸進一の人生で最後のプロ野球選手としての顔付きが凄い

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Shinichi Ishimaru by Japanese Navy news team [Public domain], via Wikimedia Commons
格好良過ぎる表情に驚かされるし、命懸けの思いを秘めた顔付きが凄いという他はない。
プロ野球選手だった石丸進一が神風特攻隊に任命されて爆弾を搭載して死にに行く零戦の前で今正に人生で最後のキャッチボールを野球が本当に好きだったと心から噛み締めるように行っている写真を見付けた。
神風特攻隊を調べるとやる気がない兵士が多かったと分かったけれども石丸進一は違う。自ら志願して日本のために死を選んだらしくて顔付きもそれだけ勇ましさが溢れているのではないかと瞬く間に頷かれる。
写真ではプロ野球選手としての生涯を名残惜しみつつも自分らしさを解き放つようなキャッチボールと共に責任感を持って神風特攻隊の二度と生きては帰れない任務を覚悟を決めて遂行しようとする命懸けの思いがはっきり伝わって来るから第二次世界大戦の戦争物語に打って付けのドラマチックな感動を呼び覚まさずにはいない。
普通に考えて当たり前に思い浮かべる有り難みも非常に大きい。この人がいてくれたからこそ今の日本も存続しているわけだった。歴史的な重みが犇々と味わわれてしまう。もはや足を向けて寝られないとも過言ではないだろう。国の存亡を賭けた一人の人間の佇まいにはどんな仕方で果たされた後世からでも涙を誘うように胸打たれるのが自然に違いない。
石丸進一の零戦の前でのキャッチボールの写真は魂が震える瞬間が素晴らしい詩の一節のようにまるで表現されていて注目せざるを得なかった。
我、人生二十四歳にして尽きる。忠孝の二字。
石丸進一の神風特攻隊で出撃する鉢巻
石丸進一は二十二歳(数え年:二十四)で戦死した。神風特攻隊はプロ野球選手でも唯一らしい。どうして他の兵士たちと違って志願するまでにやる気があったのか。人間的に興味を引かれながら考えてみたくならせる。
石丸進一の生い立ちと性格について
Shinichi Ishimaru by Unknown [Public domain], via Wikimedia Commons
少年期、父親が自分の子供たちには苦労させたくないと学歴を付けさせるために学費を借金していたらしい。
石丸進一は子煩悩な父親の身を削る思いを誰よりも感じながら過ごしていたという生い立ちが…

板野友美が二十六歳でリリースの水着写真集は頑張っていると応援したくなるくらい良いね

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AKB48で最初に好きなのが板野友美だった。そこから良いのは篠田麻里子だと気持ちが変わってもう終わりだと思っていた。
板野友美がAKB48の窓口みたいな感じで、僕にとってはセブンイレブンのテレビCMでアヒル口をやっていたのが、一体、何だろうと気を引かれたんだ。AKB48はどんな人が集まっているグループなのかとちゃんと見るように変わった。
すると最も可愛いのは篠田麻里子ではないかと驚きつつも新しく感じて世の中ではヘビーローテーションEveryday、カチューシャ恋するフォーチュンクッキーでAKB48が非常に盛り上がっていた頃だったけれども何人ものメンバーの中で篠田麻里子ばかり夢中になって探していた。
どこかへ行ってしまった板野友美が写真集のReleaseを出すんだ。完成して本人のInstagramでもちょっと紹介されていたけれども本当に良いと思わずにいない。
板野友美さん(@tomo.i_0703)がシェアした投稿 - 6月 12, 2017 at 1:16午前 PDT
久々にせよ、知るや否や気持ちが又引き寄せられて篠田麻里子こそ今度はどこかへ行ってしまっているんだ。
今はもう二人ともAKB48ではないからどちらを見ていても関係ないかも知れない。
板野友美のReleaseは水着の写真が満載で二十六歳で発表されるんだ。撮影したのは今年の四月のハワイで七月三日の誕生日から数ヶ月前の二十五歳だったみたいだけど、およそ二十六歳から二十八歳くらいまでが人間の美しさとして男女とも見た目では頂点みたいに個人的には受け留めている。グラビアならば旬の時期を逃してはならないという絶好のチャンスを捉え切っている写真集ではないだろうか。
板野友美は水着の写真が満載のReleaseで人生そのものを個性的に明るく表現しているのが素晴らしいと感動を覚えてしまった
本当に自分らしさを大事にしながら芸能活動を行っているようで、好感度が上がったし、頑張っていると心から励みにするまでに喜んで応援したくなって来る。
#いいね!(Music Video)/板野友美 via KING RECORDS
チェックするとソロで歌も出していた。#良いね!が本当に良いねと思った。どこかで聴いたことがあったかも知れないような懐かしさが不思議に気持ち良い。
今年の五月にリリースされていて同じ流れから写真集のReleaseも三ヶ月後の八月に正…

フラワー・ピースのコレクションから再考される望ましいかぎりのサイト運営の仕方

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Google+フラワー・ピースのコレクションを開始した。花の写真を自作で主に追加して行く。詩的に平和が味わわれるように喜ばしく纏めるつもりだ。

ヘッダーの画像を鈴蘭の写真にできたのは嬉しかった。普通では無理なはずだったのに地元の公園の山に咲いていると知った。鈴蘭の写真が直ぐに撮れるなんて奇跡としかいいようがないくらい衝撃的な経験だった。
個人的に好きな花で、かつて自作詩の鈴蘭を完成して以来は思いも相当に強まっていたんだ。
フラワー・ピースのヘッダーの画像の鈴蘭は元々はブログに使うために作成していた。しかしどうも合わない感じが止めていたんだ。
以前のテンプレートではパソコン/タブレットのウェブバージョンて鈴蘭を右寄りに切り取って左寄りにブログのタイトルとメッセージが入るようにしてヘッダーで使い出していたけれども現在のテンプレートに変更した時点でちょっともう無理だとカーテンに置き換えてしまった。
ブログのタイトルとメッセージが中寄せでヘッダーの画像に重なるから余りしっかり写真を使うとイメージが打つかって訳が分からなくなる。デザインこそ重視しないとブログのヘッダーの画像は中寄せのブログのタイトルとメッセージには非常に合わせ難いわけなんだ。
折角の鈴蘭という好きな花の写真を気に入って仕上げたにも拘わらず、デバイスのアルバムに置くだけになってしまったのは幾分とも悔しくなかったとはいえない。代わりにメインのホームページで使えないかと探したものの特に良い場所は見付からなくてどうにもならなかった。
だからGoogle+のコレクションでフラワー・ピースのアイデアが閃いたのは有り難くも感じた、嬉しいだけではなく。好きな花のしかも以前はブログで正しくヘッダー画像だった鈴蘭を写真を使うには本当にぴったりの場所が見付かったわけで、イメージとスタイルの両方とも申し分のない使い方が可能になるとすると普段の自己表現を振り返っても滅多になかったかも知れない。
公園で鈴蘭の集落に気付いたのと同じで又一つの奇跡が生まれたみたいな趣きにまさか愉快に包まれるばかりの心だったよ。
ところで僕にとってフラワー・ピースというイメージは初めて考え付いた世界ではない。昔の詩のホームページの作詩の公園のサブタイトルだった。すっかり忘れていたし、もう一度、使うなんて夢にも見なかった驚きと共に感慨も一入の思いを受け取らされていた。
素晴ら…