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些細な日常

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初夏の七つの花々の写真と俳句

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久し振りにカメラを持って地元の大きな公園に写真の撮り歩きに出かけた。 前回の 初夏の晴れた公園の花々 から六年振りになる。カメラとレンズは同じで、Sonyの α5100 とZeissの Touit 2.8/50M をまだ使っていて何よりも手振れへの注意が怠れない。しかしそれだけに光の多い今の時期の屋外での写真撮影はシャッタースピードを十分に稼げるから気楽にやれるし、非常に嬉しいと思う。 七つの花々の写真と俳句の記事のリンクと抜粋 山躑躅の写真と俳句:最後の力を振り絞って生きよ 出かけた公園は東京ドーム数個分の広さで、中心の芝生の広場を階段付きの小さな山が半分くらい囲んでいる。小さな山に最も多く生えているのが山躑躅で、今の時期は真っ赤に燃えるような状態で、山火事ではないけど、とにかく衝撃的な印象を与える。 鈴蘭の写真と俳句:死んでから有名になっても 公園の小さな山の頂上に展…

モナリザの見えない三層目に残されているモデルのリザ・デル・ジョコンドの復元図

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レオナルド・ダ・ヴィンチ の名画で、フランスのルーブル美術館の至宝とも呼ばれる モナリザ は制作過程に謎が多くて何よりも依頼主の絹織物の商人の フランチェスコ・デル・ジョコンド に渡されないまま、 画家本人が死ぬまで手元に置いて描き続けた絶筆 になってしまった。未完成だから仕様がなかったにしても他の作品と比べて余りに長過ぎるのではないか。決して特別な大作でもなくて普通の肖像画の部類に属しているからレオナルド・ダ・ヴィンチが モナリザ をいつまでも完成しなかったのは首を傾げざるを得ない。 モデルは依頼主の妻の リザ・デル・ジョコンド /リザ・ゲラルディーニとされる。同時代の画家で建築家で美術史家の ジョルジョ・ヴァザーリ の 画家・彫刻家・建築家列伝 に著されていた。そして調査によってレオナルド・ダ・ヴィンチは晩年の早ければ1503年の五十一歳から亡くなる1519年の六十七歳にかけ…

α5100とTouit 2.8/50Mの初夏の晴れた公園の花々の撮り歩きの五つの作例

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ゴールデンウィークの前半、四月三十日に良く晴れて暖かったので、地元の公園に愛用の カメラのSonyのα5100 と レンズのZeissのTouit 2.8/50M を携えて花々の写真の撮り歩きに出かけた。 目当ては何といっても山の裏道でひっそり咲いているのを見付けて 大喜びした鈴蘭 だ。 好きな花だけど、しかし白一色で小さいからピントが合わなくて動かなくても写真撮影には手強いとも知った。最初は失敗ばかりだったし、スマホやコンパクトのカメラでは被写体の輪郭を十分に取れなくて――光の少ない木陰の鈴蘭にかぎればもはややるだけ無駄の散々な境地を強いられるばかりだ――たとえ一眼レフのカメラでも露出やシャッタースピードや絞り値などをしっかり覚えて細かく調整しないと厳しかった。鈴蘭との出会いは写真家として相当に練習になった。 二年目の去年は山の裏道の鈴蘭の集落へ何度も足を運んで試…

ルイス・キャロルの最後のアリス・リデルの肖像写真の不思議なカメラの向け方に思うイギリス文学と詩的な感性

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写真家としての ルイス・キャロル を発見して 乞食娘のアリス・リデル が非常に素晴らしくて飛び抜けて良いと感じたけれどもそれに次いで記憶に残るのが椅子に腰掛けた アリス・リデル の肖像写真で、ルイス・キャロルがアリス・リデルを撮影した中では最後の一枚といわれている。 如何にも不思議なアリス・リデルの写真の構図 The Last Sitting by Lewis Carroll / Public domain 右上から微妙に見下ろしたカメラの向け方が小説の 不思議の国のアリス を彷彿とさせるくらい如何にも不思議だと感じさせられてしまう。 ルイス・キャロルは数学者で普段は理知的だったのとは対照的にそうした日常生活の安定性を真っ逆さまに揺るがすほどの遊び心を持っていたと ナンセンスな小説 の愉快な書き方から分かる。 イギリス文学だと ローレンス・スターン の トリストラム・シャンディ が全て…

花々のマクロ撮影は世界が変わる瞬間を色鮮やかに写真に残せるのが嬉しい

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マクロ撮影 はどんな被写体でも世界が変わる瞬間を写真に残せるのが面白いと思うけれども取り分け花々だと色鮮やかに仕上がるから今正に見方が新しく生み出されていると求められるリアリティーが増して来るようでいつも嬉しい気持ちが大きい。 ミラーレス一眼カメラのα5100 にさらに 等倍マクロレンズのTouit 2.8/58M を購入して以来、写真のマクロ撮影の作例がどんどん増えて行くばかりだ。 最初は世界が変わる瞬間に怖がっていたかも知れない 被写体を傷付けるのではないかと一つの慣れ親しんだ見方の崩壊、または逸脱に心を僅かにも苛まれずにいなかったような感じがする。しかし常日頃のイメージだけが正しいわけでは決してないはずだし、写真のマクロ撮影は被写体に隠された新しい真実をはっきり引き出せるところが良いんだと考えるほどに積極的に取り組めるようになった。 とはいえ、実際に取り組ん…

セピア色の写真が懐かしいのは古びて汚れた感じが自然なほどに

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今年は 気に入った鈴蘭の写真 が色々と撮れた。 小さな蕾 から 咲き出して さらに 虫も来て ついに 見納める まで嬉しかったと思い出しながら又一枚を仕上げた。 Photoshop Express のエフェクトでセピアⅢを使ってみた。格好良いイメージだ、鈴蘭は可愛いけれども。印象がガラリと変わって薄暗い雰囲気の中で懐かしさが切なくも込み上げるのが詩情だと思う。もう二度と手の届かない記憶の世界、言葉が 心に染みて来る のは確かだ。愛と優しさがなければ成り立たないと分かるから改めて自分に取り入れたくなる。セピアⅢというPhotoshop Expressのエフェクトの一つの良さだろう。詩情と共に出会いから幸せを掴むかぎりの人生の素晴らしさに匹敵するような写真が得られる。 Photoshop ExpressのエフェクトにはセピアⅡもある。気に入ってセピアを探すとセピアⅠがなくてなぜと訝…

Zeissのマクロプラナーは光の流れを巧く捉えるマクロレンズだ

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菜の花が明るく咲いていた。黄色が眩しい。何輪も一斉に風に揺れていると如何にも無邪気な可愛らしさに胸を締め付けられる。自作詩の The blue で歌った光の切なさを体現した花かも知れない。すると菜の花の一輪ずつが素晴らしい瞬間なんだ。堪らなく詩的で、心から見逃せないと思う。 作例はマクロ撮影が上手く行って気持ち良い 菜の花は細長いからまさかだけれども真ん丸でほわほわのイメージが手に入った。世界が見違える。望ましい光を象徴するように詩的に纏められたと納得する。 描き込みが少し足りないけど、明るくてコントラストが低いせいみたいだからそのままにしている。写真には自然さを何よりも出したい。些細な日常だし、見た目通りの仕上がりが気に入っている。 カメラとレンズの α5100 と Touit 2.8/50M も実力を十分に出し切れたのではないか。写真の実在感は基本的に軽くならざる…

森の鈴蘭の集落には幸運とカメラの基本

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想定では 花が咲くのは来週以降 だけれども待ち切れなくて森の鈴蘭の集落を又直ぐに見に行ってしまった。 葉っぱはどんどん広がっているし、蕾の数も相当に増えている。数日前とは本当に見違えるし、花が咲くのは間近だと勢いの良さを感じさせる。 どのくらいの速度で成長するのかが分からないし、知らないので、しっかり覚えておきたいという気持ちも大きい。 好きな花の鈴蘭 だから少しでも見逃せないわけだけれども身近な森で集落が見付かったのは奇跡だと改めて神に感謝せざるを得ない。初めて喜んだ去年はもう既に枯れかけていたし、折角の機会ならば一年越しの巡り合わせだ。長々と待ちながら実際に戻って来られたのはやはりまさかの幸運だろう。鈴蘭の集落が素晴らしいだけではなくて 自殺したいままの状態 が酷くても良く生き延びている。真っ先に癒される森がある。人間にとって好きな気持ちこそ不遇に強いのではな…

鈴蘭の蕾に待ち遠しい初夏へのカメラ考察

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森へ行くと鈴蘭が蕾を覗かせていた。四日前の 写真撮影 で立ち寄ったら茎だけだったから早いと驚いた。もう直ぐに満開だろう。初夏の息吹きを感じる。鈴蘭の花が待ち遠しくも写真に収めるならば来週一杯こそ最高に違いない。再来週以降も暫くは枯れないにせよ、雨風で汚れたり、蜘蛛の巣が張ったりするので、真っ白なままを端的には狙い難そうではないか。 しかしやはり本当に厳しいのはピント合わせだ、カメラにおいて 鈴蘭の蕾を撮りながら一年振りに思い知らされる現実だった。天気は快晴で、シャッタースピードも四桁の1/1000sだから手振れの心配はなかったのに仕上がりに気乗りしないのは描き込みなんだ。似た花のスノーフレイクは四日前の写真撮影でもまずまずだったけれども鈴蘭は小さい分だけ写りが悪くなってしまう。白一色の花でコントラストも低いかぎり、カメラはフルサイズのセンサーでなければ描き…

公園での晩春の花々の写真撮影

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久し振りに写真の撮り歩きに公園へ出かけた。カメラとレンズは α5100 と Touit 2.8/50M だ。レンズは手振れ補正が付いてなくて辛いし、大分、写真を撮ったからもうそろそろというか、偶には交換しても良さそうだけれども止められない。何しろ、仕上がりの透明感が清々しくて気に入っている。 昨年、 鈴蘭を見付けた穴場 を目指した。ピントが合わなくて非常に苦しんだし、枯れかけてもいたので、もう一度、早めに行ってそして頑張ってみたかった。大好きな花なので、悔いは少しも残したくない。 しかし鈴蘭は一つも咲いてなかった。周りに生えていたはずの雑草もなくなっていて市役所で刈り取られたかも知れないので、本当にショックを受けずにはいなかった。地面を詳しく調べてみると細長い茎が幾つも伸びていたから五月に入れば大丈夫かも知れないとも感じた。 今春は寒い日が続いていたし、咲くのが遅れ…

MOTOROLAのMoto G5 Plusを使い出してのスマホレビュー

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店頭で実物を確認しないで、 インターネットでBIGLOBEに注文してしまった から少し焦った。二日で届いて、随分、早いと感心しながら開梱して手に取った感触はとにかく素晴らしかった。 全体的に小気味良い丸みが施されていて非常に持ち易い 以前、スマホの工場で働いていたことがあるから何種類も記憶に残っているけれども Moto G5 Plus の感触は断トツだ。大きさと重さのバランスが巧みに取られているとしかいいようがない。5.2インチの画面だから大きくて手に合わないのがちょっと辛いくらいで、デザインを優先すれば5インチの画面の Moto G5 こそ小さめで良いはずだと予想していた通りだったし、完全に納得してしまった。 背面のカメラの縁取りが大きくてそのままでは邪魔かも知れない。カバーを着ければ気にならなさそうだけど、しかし僕はやってないので、カメラを傷付けないために保護シ…

BIGLOBEの格安SIMでMoto G5 Plusにスマホも買い換え

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スマホの タッチパネルが不調 だったけれどももはや画面の大半が反応しなくなってしまった。どうしようもない。最短でも四年くらい持たせるつもりで勢い込んで購入したにせよ、予定を変更せざるを得ない。 古いスマホが一年しか使わずにあるからメインに切り替えるか、または新しいスマホに買い換えるかと悩むけれども前者は今ではもう不便に感じるし、出費は嵩むものの通信契約も踏まえると後者が望ましいようだ。 ブログにも載せず、黙っていたけれども格安SIMは BIGLOBE が、一番、良かった。手持ちのスマホが auだからmineo にしていて次回からは通信契約をBIGLOBEに変えようと考えていた。 安い。調べると通話付きの6GBで二千円ちょっとだからmineoの通話付きとデータのみの3GBの二回線よりも三百円くらい下がる。一年で四千円近く助かる。 丁度、春先の入学や入社のシーズンのせいか…

写真の被写体に合った構図による臨場感

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クリオネの記事 を仕上げるのに写真を引用しようと Wikimedia Commons をチェックしていたら数も少ないし、気に入ったのがなかった。 あちこち探し回っていてOpenCage(閉鎖)というサイトが動物の写真を クリエイティブコモンズ の商用可で提供していてクリオネの写真で幾つか気に入ったのが見付かったので、使わせて貰って非常に助かったんだ。 管理人はDaiju AzumaといってGoogle+もやっていた。 Chamaeleo calyptratus by Daiju Azuma / CC BY-SA 写真はサイトと同じようにクリエイティブコモンズの商用可で使って構わないみたいだ。見ると画質がGoogle+(サービス終了)ではさらに上がっているようだから嬉しかった。 写りが本当に良いと思う。被写体が分かり易くてしかも背景に甚だ溶け込んでいるから自然さが際立っ…

ハシビロコウはじっとして動かずに活かす

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中央アフリカの東寄りの南スーダンやザンビアに主に生息するらしい大型の鳥で、ハシビロコウが気に入ってしまった。 ハシビロコウは人間みたいな姿形で親近感を覚える Balaeniceps rex at Walsrode Bird Park, Germany by Olaf Oliviero Riemer / CC BY-SA 日がな一日、水辺に立ち尽くして獲物の魚を自らの気配を消しながら待ち構えるというふうに過ごしている。 個人的に動物の写真を撮るのと同じだから面白い。静止して自らの気配を消さないと動物は逃げ易い。昆虫や魚が多いけれども人に慣れてない動物を近付いて写真に収めるにはカメラ以外の知識が強く求められるわけだ。 ハシビロコウに親近感を覚えるのは何よりも姿形が人間と被っているせい――まるでズボンのポケットに手を突っ込んで遠くを窺っているかのよう――だけれども…

観葉植物の写真を透過光で撮る

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雪も降って冷え込みも、可成、厳しい一月中旬、しかしながら今日は晴れて室内への光の流れがいつになく良かった。 日差しの角度が好ましくて写真日和とも過言ではない感じがしてしまった。 窓辺の観葉植物の葉っぱに光が透過されて幻想的な世界が浮かび上がって来たんだ。 カメラも α5100 と Touit 2.8/50M で室内ではシャッタースピードが上がらなくていつも苦しんでばかりなのに楽勝だった。上手く行けば1/1000sも越えるくらいだから十二分の明るさだろう。 珍しく絞った、レンズを幾らか。カメラの面白さを久々に味わった。屋外で撮影してないし、近頃は室内で開放絞りばかり使わざるを得なかったので、明るさを減らさないためにレンズは全く絞れないという不自由さから解き放たれて嬉しい気持ちがした、本当に。 ピント内が少しぼやけているようだけど、しかし良いのかも知れない。屋外の太陽の…

どんな写真が撮りたいかは世界に訊くしかない

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ヤン・フォゲットの Young Indian girl Raisen district Madhya Pradesh (マディヤ・プラデーシュ州ライセン県の若いインド少女)が瞬く間に引き付けられたというか、一度、見たら忘れられなくなるような優れた写真だけれども見事な表現力だと認めた。 Young Indian girl Raisen district Madhya Pradesh by Yann Forget / CC BY-SA 素晴らしさが透き通るほどに全く写ってない空をも美しく想像させて止まないくらい詩的に味わわれて非常に気に入ってしまった。 写真とは何かを改めて考えさせられる 第一にはカメラではなくて世界がやはり大事なんだ。本当の意味での表現力こそ問い直さざるを得ない。 目の前に撮るべき世界がなければどうしようもないわけなので、写真家が見付け出せるかどう…

久し振りに目高を撮影したらカメラのシャッタースピードがやはり大事だと感じた

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被写体振れを連発して何枚も駄目にしたし、魚などの動き回る動物にはカメラのシャッタースピードを上げなければ望み通りの写真は手に入らなかった。 撮影は追尾フォーカスを使ってやっている α5100 はタッチパネルでできるから非常に簡単なんだ。 ただし水槽だと距離感によってレンズが大きく迷ってしまうから注意しなければならなかった。どのくらいでスムーズに目高にピントが合うかを事前に覚えておかないと良い場面を逃してばかりで終わってしまうという。 構図も決めてかかるわけには行かなかった 写真に残せるだけで有り難いと考えながらそれ以外の全ては編集で仕上げる気持ちで撮影するべきだったんだ。 二匹の 目高 が並んで泳いでいる姿が凄く可愛いからブログにも載せたかった。 作例は納得できる。イメージにピッタリだから本当に嬉しい。日中の窓辺で天気も良くて光が十分に取り込めたので、透明感まで生き生…

写真の構図は画面の縁との関係が非常に大きいと感じるようになった

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写真は僅かなずれでも印象が変わる。取り立てて気付かなくて不快感まで行かないとしても作品の効果は、全然、違うのではないか。 長く見られるような写真ならば微妙なところも合わせてなくてはならなさそうだ。 写真の仕上がりの一つの基準が画面の縁にあると思う。被写体がどのように切れているか、または収まっているかで味わい深さが変わって来る。 被写体と画面の縁とのバランスを探りながら撮影ではカメラを向けなくてはならないし、気に入った構図の写真が現場で手に入らなければ編集のアプリでトリミングに精を出さなくてはならないわけだ。 パッと見て分からなくて良い。しかし纏まりの良さが細かいほどに写真の芸術性も上がるとすると手抜きはできなくなる。 昔は何となしにやっていた。今は写真の上下左右の四辺を全て注意深く確認しないと気が済まないという。 写真の構図の精度が上がって来ている。いうと鮮烈…

ハクバのレンズクリーナーキット30を購入した

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α5100 のレンズに幾らか埃が見付かってやはりレンズが撮影中は出っ放しだから注意しなくてはならないと思う。 カメラのレンズを擦るのは注意を要する スマホのカメラはいつもレンズを拭いてから使うけど、布もできるかぎりは傷にならないようなタイプを選ばなくてはならなかったんだろう。特に気にかけてなくて、従来、本当に不味かったと焦った。 出先で専用の布を持ち歩いてなければ埃は払うくらいに止めるべきだと改めて考えさせられた。レンズに傷が付いたらカメラは終わりだ。死んだに等しくて写真は正面に撮れなくなる。 ハクバのレンズクリーナーキットの購入 購入品のハクバの レンズクリーナーキット30 は布というか、レンズのための紙が付いているんだ。使い方としては埃を落としてさらに汚れがあればクリーナーの液を、一滴、染み込ませてレンズの中心から周辺へとぐるぐる渦を巻くように拭いて行く。埃…

鯖の味噌煮の芸術性を海の神殿と捉える

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鯖の味噌煮には独特な印象を持つ。料理としての完成度が非常に高いというか、非の打ち所がなくてつまりは打ちのめされずにはいない。凄いなと思いながらパクパク食べてしまうんだ。 どんな料理にも個性があって同じようなものだろうけど、 ハンバーガー でも とりかつ でも マカロニサラダ でもそんなには変わらない、しかし鯖の味噌煮には何よりも芸術が認められるのはなぜかしら。 カメラのマクロ撮影で多めに見えて来たとすると一つのドラマだった 鯖と味噌を始めとした幾つかの食材によって織り成された世界が良いなと思う。鯖の青の大きなグラデーションに味噌の黄土色が溶け込むように宥らかに覆い尽くしている。見るからに幻想的で魅力的で、食べる前から気分を唆られる料理とはこれじゃないかと考えても唸らされる。そして鯖の味噌煮はやはり良いなと思うしかない。 好きな料理の一つだ、間違いなく。もちろん健康にも…