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ラベル(悲しみ)が付いた投稿を表示しています

中国人がドルチェ&ガッバーナから人種差別を受けた怒りに不買運動を起こした

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ファッションブランドのドルチェ&ガッバーナが中国の上海で行われる予定だったファッションショーのために公開した広告動画が中国人を侮辱する内容だった。設計師嗆中國是屎國!Dolce & Gabbana「起筷吃飯」影片引爭議 via 獨漏片段 中国伝統の箸でイタリア――ドルチェ&ガッバーナの国――伝統のピザのマルゲリータやカンノーリ(イタリアのシチリア島のペイストリー菓子)やパスタのスパゲッティを食べるという発想自体は友好的だから必ずしも悪くなかったかも知れないけど、ところが箸を棒切れと文化的に酷く矮小化して捉えたり、使い方が分からない中国人の姿が馬鹿にしたように見受けられたりして直ぐに問題視され始めた。この時点ではまだ大きな騒動にはならなかったんだ、しかし。結果的に中国全土のドルチェ&ガッバーナへの不買運動に繋がるというソーシャルメディアでの炎上事件の火種が少しずつ現れ始めたところ…

水俣病の最も印象深い真実:日本の悪の全ての批判となる天皇皇后の優れた理解

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前世紀の中頃から今世紀の初めに至っても未だに尚と解決しない余りに長過ぎる水俣病は日本の社会問題の象徴とも感じられる。Eco park Minamata by hyolee2 [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons 会社が海を汚染してメチル水銀という毒を蓄えた魚を普通に食べた人たちが被ったのが偶さか奇病だったせいで、気味悪がられて他の大丈夫な人たちから差別されたために政府は正面に考えてない。知ると民主主義の弱点が突かれている。人々が差別すると反対の気持ちに固執して国の社会問題はいつまでも終わらなくなってしまう。 日本の政府も会社の役員も資本主義の一員でしかない自らの利益追求の卑しさから事件を起こしては責任を取らないし、事実を隠蔽したりしながら法律でも何でも断罪されるのを避けたがるのは情けないにせよ、水俣病の患者たちは感覚障害や運動失調を筆頭に全身の自由…

イリース・トルーのイパネマの娘の本気の涙が世界を救う純心な歌声

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気に入って止まないボサノバの名曲のイパネマの娘はオリジナルのアストラッド・ジルベルト以外に数多くの歌手がカバーしているけれどもイリース・トルーのイパネマの娘を聴いたらポップソングのアレンジに衝撃的な驚きを感じた。The Girl from Ipanema - Stan Getz & Astrud Gilberto (cover by Elise) via Elise Trouw アカペラに近いカバーだ。必要最小限の演奏で、歌こそ聴かせるアレンジが素晴らしいと感銘を受ける。イリース・トルーのパフォーマンスは幾らか大袈裟かも知れないけれども美輪明宏のヨイトマケの唄のように優れて演劇的な歌唱と捉えれば魂が吹き込まれた結果ではないとはかぎらない。却って誉め称えるのは吝かではない、何だろうと嘘臭さに訝るよりは聴くほどに人間的に繰り広げられる歌の世界に。 イリース・トルーのイパネマの娘は悩…

hideのROCKET DIVEにライソゾーム病の貴志真由子との心温まる交流に死の行方

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X Japanのギタリストだったhideのソロの音楽が凄く好きだった。取り分けROCKET DIVEが第一印象から記憶に刻まれている。テレビで初めて観た瞬間にファッションセンスが何よりも素晴らしい。ピンクの髪に黄色のジャンパーがとても刺激的だった。振り返るとヴィジュアル系バンドというコンセプトを作り出したX Japanの特色を見事に引き継いでいたのかも知れない。曲も勢い良く情熱が迸るようで、聴いて気持ち良いかぎりだったから全てがパーフェクトなロックだと驚きを禁じ得なかった。hide with Spead Beaver - ROCKET DIVE hideofficialVEVO夢と希望をかぎりなく、打ち上げるみたいなイメージが良いと思うんだ。本当に力強く訴えかける音楽で、それまでにも引き付ける作品は幾つも発表されていて購入したベストアルバムのhide BEST ~PSYCHOMMUNIT…

サイレンススズカの飛んでもない大逃げから骨折した最後の天皇賞(秋)の競馬

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生涯、忘れないというか、人生で本当に心に刻まれて止まない場面があるうちの一つに競馬のサイレンススズカの最後の天皇賞(秋)が挙げられる。1998 天皇賞(秋) via jraofficial幸いにも動画で出ていて1998年のレースだから、丁度、二十年振りに又観て涙が溢れる感じだった。というのは骨折して――詳しくは左前脚の手根骨粉砕骨折を起こした――競馬に復帰できないどころか予後不良(回復の見込みがない)と診断されて安楽死(馬は脚を骨折すると生き延びるのが極めて酷いために)を余儀なくされさえもした。1998年の天皇賞(秋)はサイレンススズカの本当に最後の勇姿に他ならなかった。当時、僕は二十代後半で、毎日、小説を書いていて休み時間の気晴らしにゲームをやったりしてダービースタリオンに嵌まっていた。競馬のゲームでサラブレッドの牡馬と牝馬をかけ合わせて強力な仔馬を作ってレースに挑むというシュミレーシ…

Bloggerブログでフッターやサイドバーなどの文章が太字や斜体に変わる原因を突き止めた

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ブログのテンプレートをBloggerの公式テーマのContempoに変更してからトップページのデザインが偶に崩れてフッターやサイドバーの文章が予定外に太字や斜体に変わるのを苦しんでいた。幾つも記事の抜粋が並んでいて途中から起きていて気付いたのは記事の本文に太字や斜体のhtmlタグが使われている場合なので、外すと元に戻るから仕様がないと使うのを止めたりしていた。しかし久々に又起きてやはりどうにかならないかと昨夜は寝る間も惜しんで追求し続けてしまった。公開済みの新しくてまだトップページに抜粋が掲載されている記事を修正したら駄目になったので、もしや修正した部分が予定外のデザインに影響しているんだと原因が初めて突き止められそうな感じがしていたせいも大きかった。全然、無理で、不健康な睡眠負債を避けるべく、午後十一時過ぎには眠るしかなかったけど、しかし目を閉じてちょっと考えるとマインドフルネス(瞑想…

眩暈や吐き気を起こす激しい腹痛から倒れても辛いのは過敏性腸症候群の重症か

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又来た、激しい腹痛が。突如、約一年振りの災いだ。しかし症状はもっと酷くなっている。顔面蒼白で目の前がチカチカして息も絶え絶えのところから吐き気まで催すほどだから眩暈も相当に激しかったし、布団に倒れても辛くて完全に藻掻き苦しむ他はなかった。加えて腹痛の収まりも非常に悪くて排便すれば何とかなりそうだと水を必死に飲みながらトイレへ駆け込むけど、しかしさほど上手く行かなかった。下腹部の上の方に大便が残って痛みを発しているようなので、それを出すしかないのではないかと考えながら一時間くらい過ぎたトイレの後に漸く藻掻き苦しむばかりの激しい腹痛が収まって来た。だが、終わりではない。幸い就寝できるくらいには和らいだ腹痛だったけど、少し残っていた。明け方の五時頃、しくしく漫然と苦しいというか、または細かい針で刺されるようなチクチクが広がって起こされざるを得なかった。トイレへ駆け込んでも排便するのほ殆ど無理で…

日本のカーリング女子の藤沢五月などが嫌いなのは期待をかけ捲っていたためで

平昌オリンピックを引き込まれながら観ていて最も大きな謎の一つが最終盤のカーリング女子の試合(カーリング女子、初の銅メダル!!)で、負けて欲しいみたいな感じの悪さが否定できなかった。正直にいって嫌いだった。以前は何とも思わなかったはずだし、日本代表の選手たちがメダルラッシュで大きく盛り上がっている平昌オリンピックの締め括りにカーリング女子が銅メダルを取るかも知れないイギリスとの大一番の対戦を観てながら急に不可解だったと振り返る。 View this post on Instagram オリンピック(The Olympic Games)さん(@gorin)がシェアした投稿 - 2018年 2月月24日午前5時43分PST さてもカーリング女子のチーム自体のLS北見を敵視するつもりは全くなかったのではないか。良く知りもせずに同国の日本列島の人々の注目を一心に浴びている様子をテレビ越しに妬んでいると…

宇多田ヒカルのForevermoreは綺麗な曲だ

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僕は永遠を歌う詩人で、メインのホームページはForevermoreだから宇多田ヒカルの楽曲でForevermoreを知って気持ちは只事ではなかった。永遠を英訳すると普通はForeverだから日本人が作品名に良く充てたと驚く。しかし考え返してみると宇多田ヒカルは英語が得意なのではないか。デビュー曲のAutomaticや大ヒット曲のFirst Loveなど、作詞作曲を自身で手がけながらいつも英語が目立つ歌手だったわけだ。アメリカで生まれ育っていたらしいので、結局は当然だった。英語が母国語の感性で、Forevermoreも衒いなく、作品名に選ばれたんだろう。聴いてみると綺麗な曲だと率直に思った宇多田ヒカル 『Forevermore』(Short Version) via Sony Music (Japan)宇多田ヒカルというとデビューして直ぐに大人気を博し捲ったもののさっさと結婚してから芸能界…

吉田兼好の徒然草の書き出しは妙絶な日本語で覚えるのにも骨が折れなくて凄い

読んだかどうかも分からないくらい自然に記憶に刻まれる文章があって覚えるのに本当に骨折れない感じがするけれども日本の鎌倉時代の随筆家の吉田兼好/兼好法師の徒然草の書き出しの一文が凄いと思うし、妙絶な日本語ではないかと作家として学びもするんだ。つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。つれづれなるままに、ひぐらしすずりにむかいて、こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなくかきつくれば、あやしゅうこそものぐるおしけれ。手持ち無沙汰のままに、日暮らし硯に向かって、心に移り行く他愛ないことを、取り留めなく書き付けると、とても物狂おしいなあ。吉田兼好の徒然草(仮名と訳文は筆者)内容上、最後の「怪しうこそ物狂ほしけれ」の気持ちが出だしの「徒然なるままに」の何癖ない流れから驚異的に切り替えされているところが特筆に値するし…

TumblrブログにGoogleアドセンスが表示されない理由

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僕がブログの些細な日常をTumblrからBloggerへ移転した最大の理由の一つがGoogleアドセンスのサイト広告が表示されなくなった悲しみなんだ。TumblrのGoogleアドセンスの空白 via Super Leak以前から不可解な動きをしていて外部サイトのJavascriptが十分に働かない面がTumblrには確認されていたので、他のソースコードも駄目になったりするけど、しかしちゃんと表示される場合もあるから様子を窺いながら待つしかないと思っていた。去年、TumblrブログにGoogleアドセンスが消えてから一年近く経っても戻って来るという気配が殆どない。Tumblrから新しいサイト広告が自前で入るように変わったのが厳しくてGoogleアドセンスが表示されるのはもう無理かも知れないと危惧されて些細な日常はさっさと移転するのが賢明だろうと感じた。なぜTumblrブログにGoogle…

切迫する死の感覚の著しい無力感の笑い

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もしかすると良いのかも知れない。無力感を著しく覚えながら生きている。今が変わる。幸せを受け取るためにもう何も行う必要がなくなったせいだと思いたい。しかしあり得ない望みなのも確かで。呪われているのか、二十年以上も叶わない夢があり、絶望の淵も本当は磨り減って悲鳴のような泣き言も洩らさないとはかぎらなかったほどに荒くれている。元気でいられたのは嬉しいにせよ、良い加減にして欲しい地獄と振り返って再び前を向いて歩き出そうとする心にとっては足場を失って落ちてしまいそうだ。絶望の淵もない状態で、どうやって存在を保ち続けられるだろう。心は認めてない、新しい自分をまだ十分に。悲しむべき生活しか世界に許されないにも拘わらず、一体、どのようにして地獄の外で暮らせるというのか。祈りの先で神は目を閉じて黙っていた。自力で突破するしかなさそうだから頼るべき方法は思考だけみたいな境地だ今正にどうしようもないままに存在…

スマホの電池残量の表示が異常に崩れる不具合の原因

Moto G5 Plusを使い出して暫くしてから電池残量の表示が飛んだのが悲しかった。電池残量が0%に切れかけたところから充電して一気に100%の満タンに上り詰めてしまった。異常に崩れていて不味いと思った。そのまま、使っていてどうなるか。買ったばかりで故障したのかも知れないし、気がかりで本当に仕様がないけれども今度は逆にというか、充電済みの状態からガタンガタン落ちて従来とは比べようもない電池持ち悪さを露呈した。電池が壊れたのでは自分ではどうしようもなくて修理に出すか、買い換えなくてはならないけれども実際の症状としてはスマホの電池残量のプログラムが乱れたから表示が異常に崩れたように考えた。以前も似たような電池残量の表示の不具合に見舞われていた経験がヒントになったんだ。最初のスマホでシステムアップデートを受けてから電池残量がぐちゃぐちゃで、充電済みからガタガタに落ちるし、充電時間も飛んだのか…

心の真っ直ぐな人でなければ流産した女性の悲しみを純粋な気持ちのみで知らなかったようだ

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もう変わってしまったけれどもGoogle+の基本情報にかつて「自慢できること」という項目があった。載せるために考え付いたのが「詩が心の真っ直ぐな人から誉められたこと」だった。昔の詩のホームページでの経験で、十年以上前に自作詩へのメールを貰ったのが心に響いたんだ。直ぐに分からなかった。というか、初めてで驚いたし、ちょっとしたメールから相手の詳しい事情は受け取れなかったというとしっかり分からなくても決して珍しくなかっただろう。どんな自作詩が誉められたか。ホームページに載せてないけれどもこいのうただった。恋愛での純粋な気持ちが人々に分かり易く仕上げられたから普段よりも引き付けるのではないかと密かに喜んでいた。たった一言、好きだよと
伝えに向かう。この想いは終わらないよ
なくさないよ
生きているよ。走り抜けた
並木道。
穏やかな日差しがこぼれていた、
バス停に立つ君の姿がとても眩しくて
口も重く…

見納めの鈴蘭の花へ耽る感慨と止められないくらい引き付けられる写真撮影での最も興味深いところ

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先週から雨が多くて満開だった鈴蘭の集落はどうなったかと確かめに行ったら枯れかけながら汚れているのが大半だった。色艶は落ちて姿形も崩れる。鈴蘭を理想的に写真に残すには咲いて直ぐの状態がやはりピカピカで丸っこくて良い。他の花でも同じだけれども鈴蘭だと分かり易い感じがする。白一色で花弁の動きが少ないので、イメージのちょっとした変化でも気に留まるせいだ。辺りには雑草も増えて写真撮影は苦しいし、暖かくて蚊が出て来て刺されながらなのも厄介だったけれども今年はもはや見納めの鈴蘭だと思う。そして感慨に耽る。気に入った花を失うというのは失恋にも近い。心の整理が必要ではないか。逃れるのも容易ではない悲しみに普段よりも多く包まれているようだ。来年までの別れならば貧困生活に打ち勝てるかどうかが僕には問われる。鈴蘭はきっと咲くはずだ。振り返ると写真撮影が上達したのが嬉しかった。今年は去年よりも失敗作が明らかに少な…

附属池田小事件の宅間守の悲しみの権化という凶悪犯罪の人間性

凄惨な人殺し、附属池田小事件が起きたのは二千一年の六月八日だった、犯人は宅間守という。大阪教育大学附属池田小学校へ包丁を持って侵入し、八人の児童を殺害した。負傷者も他の児童と教員で十五名に上った。校長と他の教員に取り押さえられると駆け付けた警察官によって現行犯で逮捕された。裁判では死刑を速やかに宣告されたけれども自分でも欲していたらしい。そして判決を受けてから一年ほどで執行されてしまった。大阪拘置所で迎えた最期は四十歳だった。どうしてなのか。自分よりも力弱い相手を手当たり次第に攻撃するという仕方が凶悪犯罪を象徴しているようだ。しかも人間の犯罪の全てに当て嵌まるかも知れない。攻撃すると悪いのは世界のどんな方面でも同じだろう。なぜ可能なのか。附属池田小事件は犯人の宅間守に皆と仲良く過ごす気持ちが全く感じられないゆえに犯罪の反社会性という前提条件を示しているようだ。他人への憎しみがあからさまに…