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些細な日常

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相手に訊きに行く|隣人の騒音の対処法

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二十代で初めてアパートに一人暮らしを行って隣人の騒音に悩まされることがあった。 音楽大学の近くで、学生が部屋で楽器の演奏の練習を良くするために壁には防音が施されているアパートと不動産屋からいわれたけれども実際には何もないような感じで、日中だけだけれどもピアノの音などが遠くの部屋からでも確実に聞こえる状態だった。 平穏な日々を破壊する隣人の騒音 Melancholy man in the dark by 1866946 / Pixabay ある日、物凄く辛かったのが壁にビービーと響くような音が断続的に、一日中、現れるようになってしまった。 普段の楽器の音と比べたら余りに小さ過ぎるけれどもそれこそ正しく耐えられない音だった。 何日も続くので、気持ち悪いし、一体、何なんだと原因不明の不快感に苛まれた。 壁を挟んだ隣の部屋から鳴っていると推測されてどうしようかと考えた。 …

日本的な潔さを気に入る若者の世の中の不正や矛盾に納得しない考え方は大切だ

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Twitterで大相撲の 貴乃花親方 に肩入れするツイートが好評だった。いいねとリツイートが普段よりも多い。 若者が多くやっていると聞く けれども日本的な潔さが格好良いと感じるせいではないかと考える。 日馬富士の貴ノ岩への暴行問題で怪我が軽かったみたいな報道が増えている。そして日本相撲協会が裏で圧力をかけているとまでいわれ出した。貴ノ岩を匿った貴乃花親方から捉えると日馬富士は横綱として自分から引退を宣言するのが最後の品格のはずだが……。 投稿| 結城永人 目下、人気者になりたいのにジェネレーションギャップを抱えていて若者と話題が合わないし、フォロワーが増えないのが最も辛いけど、しかしながら引き付けるツイートで知名度を上げて行けばチャンスはあると認める。 もしも日本的な潔さが若者から気に入られるとすればツイートで中心的に取り上げない手はないだろう。 一般的にいうと責任感…

森高千里の私がオバさんになってもをオジさんになってから聴いてみた初めての感想

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発売日が1992年の6月25日で、青春期の真っ只中に初めて聴いた 森高千里 の 私がオバさんになっても の感想は振り返ると珍しかった。 森高千里 『私がオバさんになっても』 (ライブ)|森高千里 曲がどうこうというよりも先に自分が同じように年を取ってから又聴くことがあるのかが訝られた。生きていて思い起こせばあるのは明らかなはずだったけれども信じられなくて認めたくもないために想像力が途切れていたようだ。 何も言葉にはせずに本当の感想は取り置かれてしまいながらそして変わった曲だし、取り分け面白い歌詞だとかなんて普通のというか、音楽としての又別の言葉しか出て来なくなっていた。 考えると森高千里の 私がオバさんになってもに は個人的に悔しさを受け取らされた心だったに違いない 自分がオジさんになって物事を判断するのは若いままでは真実を損ってしまう。にも拘らず、強いられている曲こそ…

ハンマースホイに知られる心の襞を潜り抜けた静けさ

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どこか別世界にでも不意に迷い込んだかのような不思議な錯覚を与える絵を見たと思う。平凡な家屋の一室に誰かが僅かに息付きながら少しだけ目立って描かれている、または誰もいなくて室内そのものがひっそり寂しげに佇んでいる様子という絵が多いみたいだ。言葉にすれば音沙汰のない世界かも知れない。見ていると日々の静けさがとても印象的で、周りから取り残された景色だと考えると恐ろしさも禁じ得ないにせよ、詩情を醸し出す静謐な味わいに胸打たれてしまうんだ。 画家の名は ハンマースホイ という Interior with the artist's wife Ida in their home at Strandgade 30 by Vilhelm Hammershøi / Public domain 十九世紀のデンマークの画家で、幼い頃から絵を学んでいて五十一歳で病気で息を引き…

霊感へ訴えかける言葉遣いは人々へ明け渡されたはずの真実から生まれた

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いっておくべきではないかと思う、先月の後半から些細な日常の言葉遣いが人々の霊感へ訴えかけているかも知れなかったと。 貴方だけではなく、僕も認めているのだから実際には余り驚き過ぎないで欲しい。 気付いた頃から数週間を経て最近はもう怪しまれもしなくなったようだ。ただし些細な日常というか、ブロガーとしての作家の僕自身の表現力が変わったわけではなさそうだ。考えるとむしろ言葉遣いの霊感への効果は完全に広がってしまってそれ自体で目立なくなっているに過ぎないはずだ。 不思議な気持ちならば世界を部分よりも全体で味わうほどに違和感が薄らいでしまうのと同じだと思うよ。 振り返るとブログのアクセスアップへ向けた 人々のため に 猿でも分かる日本語 で明け渡される 真実を伝え届ける という自己表現の三つの段階を経てついに生み出されたようだ。 僕は予測してなかったにせよ、文芸的に面白いし、霊感ま…

長渕剛の順子を池田夢見のカバーで聴いて

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不意に 長渕剛 の 順子 が聴きたいとYouTubeを探したら 池田夢見 の カヴァー が気に入ってしまった。タイトル通りに女性が歌ったらどうなるかと興味を引かれる曲だったけれども思いが込められているようで素敵だった。 長渕剛の順子に歌われる恋愛とは何なのか 順子/長渕剛(cover.)ー池田夢見 Yumemi Ikedaー|池田夢見 不可解な表現を取らざるを得ない。というのも詞に由来していて女性からは素直に喜べない歌ではないか。男性が他の男性に後から恋人を持って行かれた寂しさが良いと思う。良いというのも不可解なんだけれどもどうしてこんなことになってしまったんだと長渕剛がちゃんと考えて作詞作曲している音楽ならば寂しさが生きているはずだし、そのように受け留めて然るべき自己表現の濃さが 順子 には認められるせいで、僕も聴きたくなってしまうしかないんだ。 男性からすれば恋人以外に求…

綺麗なお姉さんとの共通点を探る

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かつて自分と思うことが似てそうだと感じる人がいた。二十代の女性だったけれどもある人から「綺麗なお姉さん」と呼ばれていた。とてもしっくり来る。顔も性格も良くて聞きながら納得頻りだった。 僕が身近にいて共通点として如実に受け留めたのは常日頃と笑いを求めてないのではないか。同志が見付かったみたいに綺麗なお姉さんには殊更と引き付けられた。 いうと笑わずに過ごして良いと思うのは幸せのためで、他には強いて手を伸ばさないんだ。 青春期を振り返って天使的な人が僕のために笑ってくれなかったと気付いたせいだ。僕が笑わせようとするといつも別口で切り返される。笑うのは僕だからみたいな感じで、こちらからは意図されないかぎりでしかなかった。 自作の トレジャー が天使的な人の笑顔をモチーフにして作詩しているけど、もちろん全ては僕の仕向けたものではない。 狙い通りには笑顔を見せて貰えなかっ…

駅のそばの駐輪場が普段よりも空いていた

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年末で会社や学校が冬休みに続々と入って来ているせいだ。寒いだけにしかし寂しさこそ身につまされるや。一人で出歩いてもいる夜なんだ。致し方もなく思われる。 自転車の疎らな駐輪場で誰もいなくて写真を撮っているはずの自分さえもがいなくなってしまいそうになる。吸い込まれる、心がそちらへ。びゅーびゅー風が吹いていて四方八方に張り付けられて身動きも取れないまま、溶け去るようにしてどこかへ真っ逆さまに落ちて行くというか。 人気のない何とやら。世界の奇妙な陥没地域でまさか存在の危うさを強かにも免れていられるなんて否全く幸いのかぎりが尽くされざるを得まい。孤独の極みにしてからが叫ぶべき声をも後ろに追い遣られてしまうかのようで、唇だって開くに開けず、どうにもこうにも抗うことなど一つもできはしなかった。恐ろしいわけだった、考えてみると哲学的には……。 深入りしてはならない。泡を…