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12月, 2015の投稿を表示しています

透き通った心の持ち主/筋ジストロフィーの患者の胸に残る言葉と生きる喜びの詩

九歳の頃、ハムスターを飼っていた。子供が欲しくてオスとメスを一緒にしていたら、期待通り、赤ちゃんが何匹も生まれてとても嬉しかった。
母親と病院へ出かけることになり、というのは入院している透き通った心の持ち主と面会するためだった、僕は小さなバッグに二枚のハムスターの赤ちゃんを入れて連れて行って見せてあげようとした。
透き通った心の持ち主は筋ジストロフィーの患者だった。日毎に筋肉が衰えながらついには全面的に身動きも儘ならず、死に至る他はないという重病を患っていた。
僕は病院へ行くといつも優しい雰囲気が溢れていると驚かされていた。家庭や学校や地元の様々な場所とも全く異なり、澄んだ光が静かに柔らかく風に溶け込んだように広がっているという印象を持った。そして関係者は看護師しか会ってないはずだけれども全員が優しい雰囲気に包まれているのではないかと考えていた。透き通った心の持ち主はだから重病でも幸せに暮らすことができるに違いない。せめてならば自分への慰めにしたかったのかも知れないにせよ、会いながら親しく接するほどに明らかに願わずにはいられなかった。
透き通った心の持ち主が寝ているベッドの脇に台があり、そこに二匹のハムスターの赤ちゃんを置いた。二匹ともくねくね動いている感じで、本当にまだ歩くことも難しいくらいだった。僕は皆で一緒に遊ぶことができた嬉しさと透き通った心の持ち主に、予定通り、ハムスターの赤ちゃんを二匹だけでも見せてあげられた満足感とで言葉も詰まるような寛ぎを受け取っていた。
すると母親に顔を上げて透き通った心の持ち主が僕のことを「可愛いね」という声が聞こえた。思った、直ぐに可愛いのはハムスターの赤ちゃんの方だと僕は嬉しくも。そして何で僕のことが可愛いなんて聞かせたのか、どうして口に出されたのか、透き通った心の主のことが疑問として不思議な謎めきを伴いながら偉く浮かび上がった。
ハムスターの赤ちゃんを差し置いてまで可愛いとされた僕とは何なのか。透き通った心の持ち主はなぜ僕のことをハムスターの赤ちゃんよりも選んで口に出したのか。非常に複雑な知恵が求められているようで、余りに難しくて考え切るどころか手を付けさえもしなかったんだ。しかし胸に残る言葉が得られた。
三十年以上が経過した。僕は永遠の詩人にもなった。改めて考えている。透き通った心の持ち主は二匹のハムスターの赤ちゃんを連れて行ったとい…

スマホの電池持ちを良くしたい

スマホをタブレットと併用するようになって電池持ちが物凄く良くなったと思う。使わないから当たり前にしても充電回数を減らすことが電池の劣化を防ぐのには最も効果的だろう。

目次
スマホの充電回数を減らす画面の明るさを下げる通信機能を減らすアンテナを多く立たせる不要なアプリをアンインストール、または無効にするホーム画面にウィジェットやアイコンを数多く配置しないステータスバーの通知を消す自動同期を止めるアプリのキャッシュや履歴を消すその他/Xperia Z3の節電など

スマホの充電回数を減らす
大体、四百回くらいで性能が落ち始めるといわれる。一日に一回だと一年ちょっとだ。電池が劣化しては長持ちの水準そのものが下がるから元に戻すためには電池を交換するしかない。
またはスマホを買い換えるという。少しでも避けようとすると他には充電の仕方に気を付けなくてはならない。聞いたところでは80%と20%の間で使っても十分らしい。
しかしそれだと充電回数も増えるはずだ。僕は100%と0%だけなるべく出さないようにしている。継ぎ足しが電池を劣化させるので、電極が弱まるらしい、充電したまま、100%で放置するのは良くない。
しかし電池が100%に近付くに連れて充電のスピードは落ちるようにプログラムされているんだ。リチウムイオン電池の場合、すると耐用年数が増えるらしい。充電が上がり難いのにやるのは止めたくなる。スマホは使わなくても通信やアプリによってはバックグラウンドの動作で電池を消耗している。継ぎ足しが嵩んでは不味い。むろん充電しながら本格的に使うのもそうだ。温度も高過ぎれば電極を弱めてしまう。なのでスマホを高温にしないようにも注意している。
因みにスマホにカバーは付けない。衝撃で破損するよりも電池の劣化を僕は恐れている。僅かでも温度を上げたくないんだ。これは熱による故障を防ぐのにも役立つ。使っていて温度が猛烈に上がることも珍しくないし、インターネットを多用するとどうしてもスマホは熱くなり易いだろう。通気性は気にかける(余りに熱ければコネクターキャップを開いておいても良いらしい)。
机があれば手で持たない。普段からカバーがないと直ぐに壊してしまいそうだけど、しかしながら丁寧に扱うしかないと考えながらスマホとは付き合っている。
0%を止めるのはやはり電池の耐用年数を減らさないためだ。リチウムイオン電池の構造によって0…

駅のそばの駐輪場が普段よりも空いていた

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年末で会社や学校が冬休みに続々と入って来ているせいだ。寒いだけにしかし寂しさこそ身につまされるや。一人で出歩いてもいる夜なんだ。致し方もなく思われる。
自転車の疎らな駐輪場で誰もいなくて写真を撮っているはずの自分さえもがいなくなってしまいそうになる。吸い込まれる、心がそちらへ。びゅーびゅー風が吹いていて四方八方に張り付けられて身動きも取れないまま、溶け去るようにしてどこかへ真っ逆さまに落ちて行くというか。
人気のない何とやら。世界の奇妙な陥没地域でまさか存在の危うさを強かにも免れていられるなんて否全く幸いのかぎりが尽くされざるを得まい。孤独の極みにしてからが叫ぶべき声をも後ろに追い遣られてしまうかのようで、唇だって開くに開けず、どうにもこうにも抗うことなど一つもできはしなかった。恐ろしいわけだった、考えてみると哲学的には……。
深入りしてはならない。泡を吹いて倒れ込まない前に精神を崩壊させるな。生き難い地獄への扉がバタンと大きな音を発てながら閉められるにも拘わらず、一斉に群れを成して黒煙と飛び交わす蝙蝠たちの行く手に逆らってつまりは丸くて赤いランプとも似通うあの愛しい警告を無視して引き戻すつもりとは正気の沙汰ではあり得ない。神様によってか、折角、閉められた扉には好奇の眼差しを向けるにせよ、手だけはかけないでおこう。立ち止まってこそは人生の得策だ。想像するだに呻きに縛られる。自分とそして世界も渦を巻きながらついには破裂しようとするばかり、粉砕された知覚の果てにどんな身体が存在が魂が得られるだろう、実際に求めるのは無茶だし、むしろ厳しい戒めと考える他はない。目の前の道は重々しくも絶たれていた、進まなくて良い。たとえ僅かでも足を踏み入れるならばさらに生き延びられる保証はないに等しいだろう。きっと確かにそうなんだ。挑むだけが勇気ともいい切れない。
静けさは頷いた。言葉をひんやり呑み込みながら辺りでは引き締まった空気が漂い出した。そしてリュックサックにカメラも仕舞われた。
駐輪場は変わらない。見渡しては一人だ。内面こそ澄んでいて夾雑物の取り除かれたくらいの気分は雪景色にも例えられる。真っ白に煌めいて心もまるで期待感を募らされる。わくわくせずにはいられなかった。人々も冬休みだし、クリスマスを終えて正月を迎えつつある今時分だろう。丸一年の疲れを癒して新たな年を迎えて行くことは素晴らしいと…

人生の転換点の笑顔

三十歳頃、僕は理想的な人の笑顔を真似するようになった。ダイヤモンドにも思われたその透き通った輝きを放つ表情を自分のものにしたいという。一つの良さを取り入れて喜んでいたら周りの人たちにも笑顔が増えたような感じがして来て有意義に暮らせた。きっと融和的な印象を与えるだけに気持ちが伝わり易いのかも知れない。以来、ずっとやり続けているというか、完全に身に付いてしまっていて今でも僕が笑うと周りの人たちも直ぐに笑い返してくれたりながら仲良くして貰えるので、非常に助かっている。よもや理想的な人のダイアモンドを切欠にして笑顔で人と接することを望み出したせいだ。
姪が小学生で、当時、遊んでいて笑顔が気に入ったので、それも自分に取り入れている。激かわのお洒落さんだけど、僕が姪にはクスクス笑うことが多かったせいか、姪は子供らしく自然に取り入れて偶にクスクス笑っていたと思う。歯に噛んだような切なさを少し感じさせる表情だった。僕は姪に人生の楽しさを味わわせようと常に優しさを欠かさずに遊んでいた。十二分に楽しさを経験しておけばかりに悲しみを乗り越える場合でも大きな力になり得ると僕は信じている。笑い方にも出ていたんだろう。気持ちとしては穏やかで面白いというか。さても鏡に写し返されたに等しい姪の激かわの笑顔は自分でも殊更と身に付けなくては行けなかったとも過言ではなかった。
なので今現在は理想的な人と姪の笑顔をミックスした笑顔に僕はなっている。自分で自分の顔を作り上げたわけだけれども人生の転換点だったと受け留められずにはいない。取り分け笑顔は周りの人たちに親しまれるので、人間関係においては役立つ。敵が減って味方が増やせるとなれば何よりの防波堤だろう。イザコザを塞き止める。日々、何分とも気持ち良く過ごして行きたいものだ。
自分で自分の顔を作り上げることは表情に関係している。色んな人と出会ったり、一人で考えたりしながら新しい気持ちを発見する度に多く得られるはずなので、すると年を取るほどに経験が増すほどに変わるのではないかと思う。顔、表情は人の来歴を物語るだろう。どんな気持ちを知っているか、または知らないか、自分にとっても他人にとっても来歴ほどに人柄を左右するものはなさそうだ。加えて生き方そのものにも影響を及ぼし兼ねない。社会は信念だけで突き進むには複雑な様相を呈しているわけだから人々にかぎらなくても様々な交流…

酒は血行促進やポリフェノールが健康に役立つものの肝臓の負担を増すから節度を弁えて飲もう

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近くに焼き鳥屋があって夜に通りかかると焼き鳥のたれの香ばしい匂いがプーンと鼻を打つ。行ったことはない。否、他の店でも、一杯、引っかけて家に千鳥足でよろよろと辿り着くように帰るというか。普通に歩けなくなるくらい酒に寄ったことすらもなかったんだ。
三十代後半から偶に一人で酒を飲むようになった。不吉な年代だったり、というのも尊敬するべき人たちがばたばたと倒れてしまっていたためで、モーツァルト(作曲家/三十五)、芥川龍之介(小説家/三十五)、ランボー(詩人/三十七)、ゴッホ(画家/三十七)、宮沢賢治(作家/三十七)、太宰治(小説家/三十八)、ショパン(作曲家/三十九)、カフカ(小説家/四十)、僕も死にかけながら人生の苦難を乗り切ろうと作詩に精を出さざるを得ず、景気付けが切欠だったかも知れない。それで酔い心地の面白さも覚えたけど、毎日、飲んでいて暫くしたら飽きたというか、酒に酔っていると思考が捗らなくなるので、頭が朦朧とする、飲んでばかりでは貴重な時間を失うと恐れ出しては徐々に離れて行ってついにはもう殆ど飲まなくなってしまった。
しかし当時も含めて良いことがあると酒に手が伸びる。祝い酒が好きだ。今年はGoogleアドセンスに承認されてサイトの収益化で作家・詩人としてプロデビューできたと喜んだけど、念願が叶ったと酒を買って飲んだ。ジンビーム(バーボンウイスキー)のハニー。レオナルド・ディカプリオがテレビでCMをやっているシリーズの一つだけど、新たに試してみて本当に蜂蜜のような甘さがあり、渋みも薄くて飲み易くて美味しかった。
大体、バーボンが多い。健康を考えると酒にも効果がある。アルコールは血管を拡張するので、全身が温かくなる。体温が高いほどに病原菌が減らせる。もちろん高過ぎては駄目だけれども風邪などで熱が上がるのも病原菌を減らすためだし、体温はなるべく下げないようにしておきたい。血行が促進されれば栄養素や酸素が速やかに運ばれるから健康に役立つのは間違いないだろう。
酒も種類によって様々だけど、ウイスキーにはポリフェノールもまずまず含まれているようだ。生体が活発化されれば細胞を弱らせる活性酸素も増えると思うし、ポリフェノールは抗酸化作用があるからせめても益しでないか。
僕としてはバーボンは玉蜀黍が原料なので、味わいも好きだし、小麦が原材のスコッチや他のウイスキーよりも良いと選んでしまう。

気が付くに悲しみの晴れるまで

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Tumblrは文章の投稿で画像を挿入することができないのか、外部サイトから引っ張って来るしかないのかと調べていたらアップロードの方法が分かった。

スマホのアプリでは駄目なんだけれどもウェブだと大丈夫なんだ。ウェブもスマホだとアップロードのためのツールが出て来ないので、ブラウザでパソコンの表示に切り替えなくてはならないにせよ、文章の投稿で画像が挿入できるとすると記事のデザインの幅もより一層と広がるわけだ。
因みに画像以外の音声や動画などはアップロードできないので、個別で投稿でやるしかない。

Tumblrはウェブで色んなことができるとするとスマホのアプリはむしろ簡素な投稿に特化している感じだからスピーディーに使うには良いけれどもウェブも必要に応じて使うべきだろう。色んなことができればブログとしては本当に面白いと思う。
ただしだけれども文章の投稿での画像のアップロードは必ずしも高画質で出力されなくて画像の大きさが制限されるようだ。Tumblrによって×540px程度に縮小化されるので(2015年12月時点)、それよりも大きいとアップロードしても画質が下がってしまうことは避けられないだろう。
僕はいつも写真は×1836px以上で撮影しているし、スマホのXperia Z3のカメラだ、辛いとしかいえない。画像の専用の投稿だと画像が大きくても高画質で出力されるので、文章の投稿での画像のアップロードとは使い分けが求められるところだ。

嚔と鼻水が止まらずに寒暖差アレルギーならば血行を良くするために運動で筋肉を鍛えるべきだ

先週の月曜日に嚔と鼻水が止まらなくなり、前日に沸き切らない風呂に入ったせいだと思った。入りながら沸かし続けて五分か十分くらい寒かった。冬では流石に不味かったようだ。
昔から嚔と鼻水が止まらなくなることがあって寝冷えの後に多かった。しかしどんなに酷くても翌日まで一眠りすると完全に元に戻ってしまうことに気付いて特に何も考えずに過ごしていた。しかし数年前から一眠りでは駄目になって嚔の多さに全身が筋肉痛になったり、気分も優れなくなったりして寝冷えは本当に注意するようにした。
老化のせいで、年々と不調から直ぐには立ち直り難くなって来ているということなんだろう。
今回、嚔百連発と僕はいうんだけれどもそれが翌日には収まったものの咳が多く出るようになって風邪を併発したのかも知れないと思った。ところが翌日には収まって治れば良いのに鼻の奥が臭いような感じだけが残った。膿んでいたり、腫れていたりしてそうだ、恐らくは。水曜日から何日かかけて治って来てはいたんだけれども、昨日、また温めの風呂に入ってしまったせいか、嚔百連発が出ている。月曜日なので、丁度、一週間前と同じような状態だ。先週よりは悪くない。入った風呂も温過ぎはしなかったし、大丈夫だと思ったんだけれども気温の低下も関係しているのか。寒さは一週間前よりもさらに増している。
何で嚔と鼻水が止まらなくなるのかと考えてみると寒暖差アレルギーの可能性が高い。調べてみたら鼻水が無色透明や目は充血しないや熱が上がってないと症状が当て嵌まる。なので寝冷えもそうだけれども寒さを多面的に警戒しなくてはならないと感じている。寒暖差アレルギーは最悪だと喘息を引き起こすこともあるようだ。
全身の血行を良くして体温の低下を防ぐような生活が求められる。どちらかというと女性に多くて筋肉が男性よりも少ないためらしい。筋肉が血行を促すポンプの役目を担っているので、なるべく鍛えるべきだ。僕は持病で脚の静脈還流障害の鬱血性皮膚炎を避けようと、一年以上、膝の屈伸運動をやり続けて下半身の筋肉は衰えてないはずにしても上半身の筋肉が疎かにはなっているか。バランスを取りたくて膝の屈伸運動と共に左右の手を、力一杯、押し合わせるようなトレーニングで腕や肩、そして筋肉は鍛えていたけど、しかし腹筋や背筋は十分には良い方法が見付け出せないままだった。片足を上げて何十秒か交互に保つみたいなトレーニング…

手相で知能線が二本に分かれながら片方が横に繋がっていて左右とも同じだけれどもどうなのかと調べてみた

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知能線が二本に分かれているのは「作家の分岐」と呼ばれているらしい。小説家など文筆業、または芸術家/創作家に向いた人を示している。初めて知って本当に大当たりというか、僕は作家・詩人が天職なので、文芸以外に絵や音楽や写真など様々な創作活動に取り組んでもいるけど、手相にもものの見事に出ていたんだ。全く以て驚かされるばかりだ。
知能線が横に繋がっているのは「シドニー線」で、白血病やある種の病気を持つ子供に多いと発見されたオーストラリアの地名のシドニーに因んでそう呼ばれている。昔からますかけ線(百握り)のようだけれども知能線と感情線が繋がっているわけではないから良く分からなかったんだ。種々と考えながらも決断力に乏しいみたい。自分で決めてやらないと何でも考え通りにならないという気持ちはあるので、当たっているのはやはり確かだろう。しかし特徴としてはますかけ線と似ているようだ。戦国時代に日本を統一した徳川家康にも見られる《天下取りの相》といわれる。端的には忍耐強い努力家の一言に尽きるんだろう。
僕も改めて頑張らなくてはと思う。志に燃えて行きよ。能力的に無理だとか徳川家康ほどの生涯は不可能だなんて自分に限界を置くことが良くないんだ。夢を羽搏かせたい。窮屈な枠組みを取り払って。もしかしたら力を出し惜しみして栄光を遠ざけてしまっている。人生を決め付けてはならない。
参考:その人の考え方や世界観、 知的能力や精神力を知能線でみる。シドニー線とマスカケ線

サイトにAddThisの共有ボタンを置いてみた

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アクセスアップのためにサイトに共有ボタンを置きたいと考えた。人々に手軽に拡散して貰えて良いのではないかしら。
しかしTwitterやTumblrなど、オリジナルを幾つも並べるとサイトの表示速度が遅くなって反対にアクセスダウンになり兼ねない。訪問したのに何秒も開かない、待たされるだけ待たされて挙げ句の果てにはブラウザが固まってしまう、そこまで重くはならないにしてもか、なるべくスピーディーに動いて欲しい気持ちがある。
ウェブサービスで探しみたらAddThisというのが見付かって使い出している。海外のサイトで日本語には全く対応してないけれどもアカウントを登録して無料で簡単に導入できるんだ。オリジナルの共有ボタンを幾つも並べるよりはサイトの表示速度が遅くならないようにも感じられた。
トップページの下段に共有ボタンを置きました via Wind of crystal
アイコンも好きだ。綺麗に纏まっている。可愛らしくも受け取り、ちょっとしたところで、ボタンの余白、それぞれの間隔の取り方だったり、大きさもそうか、僕としては気に入ったふうにできているので、申し分はないだろう。
自分でシェア先を選べるけど、ドラッグ&ドロップなので、スマホのChromeだと不可能だった。しかし数だけを決めて自動的に出すこともできるのが特徴的だ。面白いと思ってそれでやっているよ。世界中のソーシャルメディアが収録されているので、大勢に手広く訴えかけられる。

ブログではBlogger専用のAddToAnyが便利なので、新しく使い出している。

思い遣りを買われてこそ果たすべき約束も数知れない

すき焼きで椎茸を見ながら祖母を思い出した。父方の祖母で椎茸を煎じたお茶を飲んでいた。糖尿病だった。そして高血圧もあった。椎茸はとても良さそうだ。調べてみれば蛋白質やビタミン、ミネラルといった栄養素と食物繊維もさることながら特有のレンチナンの抗癌作用やコレステロールの調節による動脈硬化の抑制も期待されるらしい。健康に適しているのではないか。僕が知ってから一年も経たずに祖母は亡くなったけれども糖尿病や高血圧と診断されながら二十年近く暮らしていたわけなので、療養としては椎茸の力ももちろん無視できないだろう。僕も好きな食品の一つで、すき焼きならばどこにあるのかといつも探してしまう。
祖母は僕が茸が好きだといっていた。幼少期に味噌汁のたぶん具で茸を話題にしたのかも知れない。茸は木の子という響きがあるので、可愛らしいと感じた記憶がある。幼少期は常々と可愛らしいものを気に入っていて因みに味噌汁の具だと麩が最も気に入っていた。これは母親がいう、僕が麩が好きだと。味噌汁に丸くてふにゃふにゃにしたものが入っていたので、何なのかと尋ねたら母親が麩だと教えてくれた。それから、暫くの間、スーパーへ買い物に付いて行くと味噌汁の具を麩にして欲しいと母親にせがみながら麩ばかり食べるようになった。
茸は本当に木の子と捉えると今でも可愛らしいと感じる。占地のように傘が小さめのものが主だけれども椎茸のように傘が大きめのものでも自分が虫とかもっと小さな生き物になったつもりで、別の視点から捉えてみると雨傘だったり、家だったりと受け留められてそういうふうに小さな生き物の小さな雨傘や小さな家と考えると茸の傘が大きくても小さいのと同じくらい可愛らしいわけなんだ。幼少期ならば占地のような茸だけが気に入っていたはずだけれども詩人として想像力を駆使するや椎茸のような茸でも変わらなかったという。傘の大小に関わりなく、木の子の茸は正しく気に入っている
祖母はインスリンの注射を日課で打っていた。血糖値を測る器具も持っていて僕も、一度、試しにやってみたら、手の親指に針を刺して少し血が出るのを調べる、90くらいで、低いと祖母にいわれた。二十六歳だった。聞きながら糖尿病の祖母が可哀想になったものだ。声が悩ましげで、何だろうというか、振り返ってみると食事制限とか運動を増やすなんて生活が縛られるし、もちろんインスリン注射を含めて薬などの治…