尾崎豊が発した嘘偽りない本気の言葉の世界 結城永人 - 2022年10月11日 (火) 尾崎豊は1983年に十七歳でデビューすると、一躍、大人気となり、特に十代の教祖とか若者のカリスマなんて呼ばれて少年たちから愛されてそれから覚醒剤で逮捕されて世間を騒がせつつも何とか復活したけど、1992年に二十六歳の若さで謎の死を遂げたというロック歌手だ。 当時、日本が物質的な豊かさを追求して経済成長を遂げる一方で、人々の心が荒んで行くような状況があって少年たちの家庭内暴力や校内暴力などの社会問題が出て来て同世代の代弁者として最も注目される存在が尾崎豊だった。 考えると昨今も大差ない日本で、世の中は反対に不況そのものでも物質的な豊かさを追求する現実が変わらない、またはもっと増しているせいか、いじめや虐待やハラスメントなどのさらに酷い社会問題が多く出て来て人々の心は荒み捲っているといわざるを得ない。 悲しみはもはや当たり前過ぎて気付かないくらいかも知れないけど、しかし尾崎豊の言葉を見付けたら否応なく思い知らされて勇気を貰った。 尾崎豊のデビューライヴでの言葉 今日は本当にどうもありがとうございました。 まだまだ歌も下手だし、ギターも下手だし、余り面白くないステージだったかも知れないけど、今日は本当にどうもありがとう。 俺は一週間前からもう四十度近い熱を出してて今日のために注射を十二本も打って来ました。 僕が本当に心から僕の同世代の人間に伝えたいのは、 色んな生き方があって良いと思うんだ。 周りの人間は本当に色んなことをいうかも知れない。 また俺の話になるけど、俺が高校を辞めたってことで、親は、随分、四苦八苦して 雑誌とかにこんなふうんなると載ったりして 雑誌とかに「まぁ、お宅のお子さん、高校を辞めちゃったの」なんていわれると「いえいえ、そんなこと、ないんです」なんて誤魔化したりして 何か親って大人ってそうやって臭いものに直ぐ蓋を被せて物事を分かったような気になろうとしてるけど、本当はそうじゃないと思うんだ。 もっと大切なことってあると思うんだ。 それを、俺たち、若い連中がこれから作り上げて行かなくちゃ、 俺たち、同じような大人になってしまうんじゃないかと思うんだ。 やっぱり、今、俺たちに反戦の歌を歌えとか何か革命を起こすとかそんなドデカいことをいっても無理かも知れないけれど、 何か些細なことを、 些細なことを何か良い加減にして過ごして行かないで、もっと真っ直ぐな目を向けて欲しいと思います。 今日は本当にどうもありがとう。 尾崎豊/LIVE HOUSE APPEARANCE|OZAKI・18|Sony Music Records 尾崎豊が東京都の新宿ルイードでデビューライヴのLIVE HOUSE APPEARANCEを開いたのが十八歳の1984年3月15日で、収容人数が最大でも四百人のところにいきなり観客が押し寄せて何重にも溢れたのか伝説のデビューライヴとして語り草になる。 アンコールの一曲目のシェリーの後に本人の語りがあって素晴らしく感動的に心に訴える内容だった。 シェリーの歌が最高に魅力的で、声の限界に迫るような叫びが圧巻の、生涯、忘れ得ない良さに満ちていた印象と変わらないくらい嘘偽りない本気の言葉を受け取った。 些細なことを大切にする気持ちに共感を覚える 尾崎豊/LIVE HOUSE APPEARANCE|OZAKI・18|Sony Music Records 聴いて何よりも「些細なことを何か良い加減にして過ごして行かないで、もっと真っ直ぐな目を向けて欲しいと思います」に胸打たれた。 僕がブログの些細な日常をやっている気持ちに重なって尾崎豊に親近感が湧いたし、世の中や人々について良く分かるというか、自分と同じくらいいつも考える人なんだろうと驚いた。 些細なことを大切にする人は決して珍しくないと思うし、口に出しても出さなくても、沢山、いると感じるけれども僕が求めるのはちょっと違う。何が違うかというと些細なことが根差している世界とは何かだ。僕だと些細な日常の「日常」の部分に相当する。だから「日常」でなければ些細なことはどうでも良いことという良くある意味になるけど、こういうところまで明らかにする人は、結構、少ないし、または自分以外にいないのではないかとも思うくらい出会わない。些細なことを大切にする人は些細なことならば何でも良いと捉える人が圧倒的に多いんだけれども尾崎豊はそうではなかったから本当に仰天させられたし、普通以上に強く引き付けられずにいなかったんだ。 デビューライヴの言葉だと「親」や「大人」の話が挙げられていてそうではない「俺たち」や「若い連中」に真実を見出して表現されている。だから大切にする些細なことの世界が十分に明かされているわけではない。何かに反発して掴まされたのであって自発的に掴もうとした「世界=思想」としての認識の強度が足りない、厳しくいうと。しかし可能性があって些細なことを大切にする気持ちの真実に触れているだけでも僕は自分以外に初めて出会った人だし、共感する気持ちはもはや爆発的とも過言ではない。 尾崎豊のメッセージとしては自分は大した人間ではないとしてもそのままでやって行くしかないし、自然体で生きること、等身大の自分を受け入れることこそ嘘偽りない真実を得ることに他ならないと教えているのが言葉にできないくらい良いと思う。 いつも心の荒んた少年そのものの不良のイメージで伝えられることが多い人かも知れないけど、しかし本当に良いのは本物の世界へ向かうだけの意気込みを持った格別の信頼感で、本気の「些細なことを何か良い加減にして過ごして行かないで、もっと真っ直ぐな目を向けて欲しいと思います」の言葉から心の温かさや優しさをはっきり感じないわけには行かない。 真実のForget-me-notへの結実 Forget-Me-Not (Live Core at Tokyo Dome, 1988/9/12)|尾崎豊 - トピック 尾崎豊の良さが心の温かさや優しさにあるというのはOH MY LITTLE GIRLやI Love Youなどの只の不良のイメージで片付けられない曲を聴けば分かる。しかし15の夜や卒業などの如何にも不良で反抗するロック魂みたいなものとそういうヒューマンなものを両方とも生み出す彼自身の真実は何なのか。 十八歳のデビューライヴの言葉に手がかりがあってすなわち「些細なこと」を求めるのが彼の自分らしさだから当時は何かしら曖昧だったとしてもそれを本音として突き詰めたらきっと本格的なものとしてもっとしっかり生きられることになるだろうと期待される。 調べてForget-me-notに「些細なこと」から想像される尾崎豊の世界が結実していると考える。 Forget-me-notは十代の最後を飾るように制作された曲で、少年期の人生の一纏めみたいな趣きがある。尾崎豊が求める真実が象徴的に示されているようで、嘘偽りがないのはもちろんのこと、かけがえのないほどに自分らしさを打ち出した印象を与える。 些細なことの他には何も要らない世界を認める Forget-me-not by Rude / CC BY-SA 尾崎豊は勿忘草(forget-me-not)に自分自身の全てを託して歌ったと思うし、それこそ世の中から馬鹿にされて人々から見下されても手放さないほどの勇気を出して表現した作品だと感じる。 小さな朝の光は 疲れて眠る愛にこぼれて 流れた時の多さに うなずく様に よりそう二人 窓をたたく風に目覚めて 君に頬をよせてみた 幸せかい 昨晩のぬくもりに そっとささやいて 強く君を抱きしめた 初めて君と出会った日 僕はビルのむこうの 空をいつまでも さがしてた 君がおしえてくれた 花の名前は 街にうもれそうな 小さなわすれな草 時々愛の終りの悲しい夢を 君は見るけど 僕の胸でおやすみよ 二人の人生わけあい生きるんだ 愛の行く方に答はなくて いつでもひとりぼっちだけど 幸せかい ささやかな暮しに 時はためらいさえも ごらん愛の強さに変えた 時々僕は無理に君を 僕の形に はめてしまいそうになるけれど 二人が育くむ 愛の名前は 街にうもれそうな 小さなわすれな草 尾崎豊のForget-me-not 今この瞬間を大切に捉えることが尾崎豊の世界だと受け取る。信念として他には何も要らないまでの自分らしさに通じる真実がForget-me-notには込められているだろう。十八歳のデビューライヴの「些細なこと」が「小さなわすれな草」に完全に符合する。周りからはどうでも良いことでも自分にとってはそうとはかぎらないし、そうでなければ決して見過ごしでは行けないんだという。数年も経ってないにせよ、大切にする何かがさらに言葉の重みを増して人生における重要度を高めて考えられたようだ。 だからこそ反抗的な不良でもあり得るし、温かさや優しさを惜しまない心の人でもあり得るし、尾崎豊の互いに相反する厳つさと和やかさの両面が一挙に理解できる。 間違った世の中や人々に迎合してはならない。されど自分も正しいかどうかは分からないので、闇雲に逆らうのでは愚かしいし、何が大切なのかを考える必要がある。少なくとも自分にとって明らかにすることは無益な争いを減らすためには欠かせない。 尾崎豊が探し出したのは一つの自由で、しかも求める世界であって他には何も要らない信念に支えられる真実とすると誰に何といわれようと耐えられるほどの喜びに違いない。 参考サイト尾崎豊尾崎豊【伝説のデビューライブin新宿ルイード】1984 コメント 新しい投稿 前の投稿
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