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5月, 2016の投稿を表示しています

明るい日差しの松葉菊の鮮やかさ

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住宅街の歩道に松葉菊が咲いていた。珍しいと思った。民家の庭先では良く見かける。同じ歩道を進んで行くと他の珍しい花が続々と咲いていて市役所の看板があったので、さては公共的に植えられているみたいだった。
松葉菊は真ん丸の赤紫の花が幾つも並んでいてまるでメダルを散りばめたような印象を与える。日差しが強いほどに輝かしいと感じる。目にするや鮮やかさが心に刻まれる。それこそぱっと花開いて丸々と伝わって来るという。歩いていても通り過ぎるつもりが引き止められてしまいそうだ。

森林浴はいつでも心地良いものだ

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人は木々に囲まれていると自律神経が安定するらしい。フィトンチッドという成分が漂っているせいみたい。木々が細菌や虫などの外的から自らの身を守るために放出している。不思議に役立ってしまう、人にも。
木々が酸素を生み出しているので、空気も良いし、本当に気持ちが落ち着くのを感じる。憩わしい。
日々、自律神経が不安定では調子を崩し易くなる。病気でなくとも疲れやストレス、または不規則な生活から引き起こされるといわれる。調子を崩せば病気と繋がるかも知れない。長生きは無理かも知れない。何れにせよ、避けるべきだ。
健康に寄与するから喜ぶ他はない、森林浴には。

庭石菖のsimple is bestに咲いた花

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庭石菖(にわぜきしょう)はデザイン性に富んでいる。花が小気味良く並んでいて風通しを感じるんだ。空間の抜けが好ましい。芸術的に綺麗な雰囲気が漂っていてsimple is best(簡潔なのが一番だ)といいたくなる。庭石菖には自然の美しさを味わうと共に創作活動を学ぶ。見逃せないはずだ、控えめながらも咲いていれば道端で。嬉しくて時が経つのも忘れるよ。

どんな花が好きかと訊かれたら鈴蘭と僕は応えよう

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公園の小山の天辺に向かう道が幾つもあって日陰の多い脇の方へ進んで行ったら鈴蘭の集落に出会した。とても嬉しかった。小さな花が鈴生りに咲いていて大きな葉を立てている様子が素晴らしく気に入っているんだ。
しかし難しい、写真に収めるのは鈴蘭を。如何せん、花が小さくて白一色なので、コントラストが非常に少ないせいか、描き込むのは大変だった。α5100とTouit 2.8/50Mで作例の距離感だと精一杯の表現という他はない。鈴蘭の花と葉のバランスが分かり易くなるように少し引いた構図にしたかった。
五月の中旬だから枯れかけていてもっと早く見付けておきたかったと感じた。穴場だ、地元の。まさか鈴蘭の自生している場所が身近にあるなんて夢にも思わなかった。歩き回ってみるものだ。笑みも溢れる。

マクロ撮影はカメラのピントが狭くて周りがぼけ易い

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姫女苑(ひめじょおん)の花の間に花潜(はなむぐり)が挟まり込んでしまった。
α5100とTouit 2.8/50Mでのマクロ撮影は本当に面白い。屋外で晴れの日だとプログラムオートでシャッタースピードが楽に上がるので、手振れ補正がなくても何の心配も要らないだろう。作例の絞り値はf/6.5で、シャッタースピードが1/625sだった。普通にやっていて手振れするとは考えられなくて虫が幾らか動いたり、花に微風が吹いたりしても写真ではピタッと止まる。抜群の描写力で世界の一瞬を余すところなく伝え届けられるかのようだ。
ところでマクロ撮影だとピントが狭くなるらしい。被写体の僅かな前後差でぼけが広がる。作例は上の姫女苑の下側の花弁にピントが合っていて花芯の盛り上がった中央でも大きめにぼけている。絞り値を上げるとピントは広くなるといわれているけれどもf/2.8からそこそこ絞っているf/6.5でも相当なものだ。
最…

白詰草に蜜蜂が飛んで来た

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公園に写真撮影に出かけた。α5100とTouit 2.8/50Mで作例はベストショットではないか。見事なリアリティーだ。蜜蜂が白詰草の花を動き回るからシャッタースピードが要求される。結果は1/250sだった。ちょっとした水の流れが1/400sといわれるので、半分程度で大丈夫みたい。快晴の自然光ならばプログラムオートで十分だ。シャッタースピードは上がる、周りが明るいほどに。輪郭が微かに甘いのはカメラのセンサーのせいにするしかないと思う。α5100では超細密にまでは描き切れないだろう。しかし全力の画質を得られた。蜜蜂が白詰草の花の蜜を集めているけれども一つの懸命さを物語るような仕上がりになった。表現に躍動感が漲った。
僕にとって写真でやりたかったことは全てできた。この先は躍動感、あるいは生命感を踏まえながら取り組んで行くべきだ。写真におけるコンセプトを掴んだわけで、白詰草と蜜蜂の出来映えは無上…

Xperia Z3 tablet compact wifiにアップデートでマシュマロ/Android 6.0.1が来た

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昨年のロリポップへのアップデートから一年近く経ってついにという感じか。国内版のタブレットのXperia Z3でマシュマロが使えるようになったわけなんだ。
アップデートの容量が952.9MBと非常に大きくてスマホのWi-Fiテザリングからではダウンロードに四時間以上もかかった。タブレットのWi-Fiの設定でスリープ時のWi-Fi接続をオフにしていたので、画面が暫くして消える度にWi-Fiも切れていて最初は気付かずに手間取ってしまった。スリープ時でもWi-Fiテザリングができるようにして待ちながら無事にインストールできた。

スマホでもそうだけれども設定の端末/タブレット情報のAndroidバージョンを連打するとOSのアニメーションがいつも出て来る。マシュマロでやってみたらアニメーションも連打してさらに円を描くようにするとゲームに変わった。ドロイドを使って上下のマシュマロの間を通り抜けるという横ス…

ツァイスのソニーEマウント用の等倍マクロレンズ:Touit 2.8/50Mのマクロプラナーを手に入れてしまったよ

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本当に高いし、十万円もするので、α5100にキットのズームレンズと望遠レンズに加えて単焦点の35mmも持っているので、当面は要らないのではないかと感じた。しかしマクロレンズということで、室内の物撮りや何かに適しているのは間違いなかった。
Touit 2.8/50Mを買うとなるとカメラも考えた。α5100はセンサーがAPS-Cなので、フルサイズのものにした方が十万円のレンズでは合っているのではないか。しかしカメラもフルサイズで買うとなると三十万円近くの出費は避けられない。α5100も買ったばかりなので、もはや止めるべきかと悩んでしまった。
ソニーのEマウントに気に入ったマクロレンズはツァイスしかない。APS-Cのものだけど、他に好ましいのはフルサイズのGレンズでもうちょっと高いんだ。しかし大き過ぎて幾ら何でも僕には厳しそうだった。カメラの機動性をなるべく損いたくない。
α5100にTouit 2…

マーガレットと良く似た花の仏蘭西菊

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道端にマーガレットが咲いているなんて珍し過ぎると思った。なので調べてみると似たような花が幾つもあるみたいで、可成、紛らわしくて本当に区別も付き難かった。
見付けた花は仏蘭西菊(ふらんすぎく)だろう。
考えながらノースポールにしては花が大きいので、やはりマーガレットかと一旦は認めたけど、腑に落ちないところも微かに残されていてさらに考えながら葉の形が広めでヘラ状だから仏蘭西菊だと認め直した。
マーガレットの葉は和名の木春菊(もくしゅんぎく)の通りで細めで羽状に切れ込んでいて春菊と似ている。
どちらも葉の形を除けばそっくりだし、葉の形の違いにしても微妙なので、覚えても見分けるのは大変だといわざるを得ない。
参考:フランスギクマーガレットノースポール

スマホの液晶保護フィルムを考え直す

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従来、スマホの液晶保護フィルムはカメラで晴れた日の屋外で見易くなるように反射防止とそれも含めて目の負担をいつでも和らげるためにブルーライト・カットを踏まえながら選んで使っていた。
僕にとってXperia Z3が二代目のスマホだけど、前回と比べると貼るべき液晶保護フィルムも変えた。画面の反射防止しか考えてなかったのが目が辛くなってさらにブルーライトカットも考えるようにしたせい。ただし液晶保護フィルムの触り心地が前回よりも柔らかくて耐久性はどうなのかと懸念されもした。

案の定というか、一年を越えて気付いてみると傷がやおら目立ってしまっていた
スマホは常日頃と持ち歩くことが多いから鞄やポケットで擦れる機会も増えて来るためだろう。しかも僕はケースやカバーは付けないままにしている。スマホの電池持ちを良くしたいという気持ちがあって何とか熱くならないようにスマホを裸で使っていて付けているのは液晶保護フィルム…

朝の躑躅の鮮やかな花の海

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躑躅が真っ盛りだ。道路脇の植え込みに数多く並んでいる。
作例は手前から横向きに近付いてピントを合わせながら遠くへぼかして行くように撮影した。
α5100とSELP1650で、花の海も晴れた朝の光でとても鮮やかだ。分けても太陽は偉大だった。写真にとって光の色彩こそ全てだと今正に感じられてならない。
躑躅の犇めき合う様子、各々が咲き乱れるふかふかした印象が出せたので、狙い通りの一枚に仕上がった。

パガニーニの悪魔扱いされたほどの音楽へ

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生前、パガニーニ(作曲家、バイオリニスト)は人々から自身の演奏について「悪魔に魂を売り渡した代償として手に入れたものだ」と噂されていたらしい。録音が全く残されてないかぎり、一体、どんな音色が奏でられていたのかは現今では知る由もない。
Der Geiger Nicolo Paganini by Georg Friedrich Kersting [Public domain], via Wikimedia Commons
ところで音楽でデモーニッシュな魅力と呼ばれる感覚がある。いい換えれば蠱惑的な喜びだろう。聴きながらぞくぞくさせられるような表現だとしたら必ずしも演奏だけではなくて作曲でも受け取ることはできるのではないか。
パガニーニの作品にはデモーニッシュな魅力/蠱惑的な喜びが非常に含まれている。考えてみると気持ち良過ぎるような印象を与える。音楽と共に世界が終わりそうな、命が燃え尽きるみたいな形…