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透き通った心の持ち主/筋ジストロフィーの患者の胸に残る言葉と生きる喜びの詩

九歳の頃、ハムスターを飼っていた。子供が欲しくてオスとメスを一緒にしていたら、期待通り、赤ちゃんが何匹も生まれてとても嬉しかった。


母親と病院へ出かけることになり、というのは入院している透き通った心の持ち主と面会するためだった、僕は小さなバッグに二枚のハムスターの赤ちゃんを入れて連れて行って見せてあげようとした。


透き通った心の持ち主は筋ジストロフィーの患者だった。日毎に筋肉が衰えながらついには全面的に身動きも儘ならず、死に至る他はないという重病を患っていた。


僕は病院へ行くといつも優しい雰囲気が溢れていると驚かされていた。家庭や学校や地元の様々な場所とも全く異なり、澄んだ光が静かに柔らかく風に溶け込んだように広がっているという印象を持った。そして関係者は看護師しか会ってないはずだけれども全員が優しい雰囲気に包まれているのではないかと考えていた。透き通った心の持ち主はだから重病でも幸せに暮らすことができるに違いない。せめてならば自分への慰めにしたかったのかも知れないにせよ、会いながら親しく接するほどに明らかに願わずにはいられなかった。


透き通った心の持ち主が寝ているベッドの脇に台があり、そこに二匹のハムスターの赤ちゃんを置いた。二匹ともくねくね動いている感じで、本当にまだ歩くことも難しいくらいだった。僕は皆で一緒に遊ぶことができた嬉しさと透き通った心の持ち主に、予定通り、ハムスターの赤ちゃんを二匹だけでも見せてあげられた満足感とで言葉も詰まるような寛ぎを受け取っていた。


すると母親に顔を上げて透き通った心の持ち主が僕のことを「可愛いね」という声が聞こえた。思った、直ぐに可愛いのはハムスターの赤ちゃんの方だと僕は嬉しくも。そして何で僕のことが可愛いなんて聞かせたのか、どうして口に出されたのか、透き通った心の主のことが疑問として不思議な謎めきを伴いながら偉く浮かび上がった。


ハムスターの赤ちゃんを差し置いてまで可愛いとされた僕とは何なのか。透き通った心の持ち主はなぜ僕のことをハムスターの赤ちゃんよりも選んで口に出したのか。非常に複雑な知恵が求められているようで、余りに難しくて考え切るどころか手を付けさえもしなかったんだ。しかし胸に残る言葉が得られた。


三十年以上が経過した。僕は永遠の詩人にもなった。改めて考えている。透き通った心の持ち主は二匹のハムスターの赤ちゃんを連れて行ったというか、そんなふうに過ごしている僕のことが可愛いと思ったんだろう。物事の捉え方がやはり振り返っても他に例を見ないくらい。口に出せないはずだ、親しみに置き換えても。況してや過不足のない存在にとっては沈黙こそ絶大なんだ。


二十七歳の頃、透き通った心の持ち主は亡くなった。病院から遺品として僕はパソコンを譲り受けた。手持ちのパソコンを貧乏で売り払ってしまっていて小説に没頭しながら仕様がなくて紙にシャープペンシルで書いていた。それから数ヵ月でパソコンが手に入って凄く助かった記憶がある。考えてみると《神の示し合わせ》とも呼んでみたくなる。僕にパソコンを与えるために透き通った心の持ち主は逝ったのではないか。生きていてもパソコンならば貸してくれるだけでも十分だし、それで死ぬというのは大袈裟なんだけど、ただし僕が命懸けで作家活動をやっているわけだから相応しいと感じざるを得ない。紙にシャープペンシルで小説を書いても捗らない。しかし捗らなくてもやり続けていて本気で止めない頑張りに免じながら宇宙も見るに見兼ねたかのようだ。天の救いがある。透き通った心の持ち主から最後に死を通じて経験させて貰った。パソコンが欲しくてパソコンが手に入った。何の可能性もなくても大丈夫なんて希望が生まれる。どんなに悲しくても自殺しなくて良いんだ。


透き通った心の持ち主は生前にパソコンで創作も種々とやっていた。それを使っていたらファイルが少しだけ残っていて自作の詩が一つ出て来たんだ。人生の宝物に数えて大切に仕舞っておきたいと思う。


心の中の窓をあけると
日向の庭にたんぽぽの花
光をあびて咲いていました
雨の日や風の日はそれに負けず
地面にうなだれて咲いていました


これから夜になるにつれ
風は冷たく寒くなるけど
心の中のたんぽぽの花
ゆらりゆらりと眠ります


僕の心は黄色いたんぽぽにつつまれて
いろんな夢をみるだろう


たんぽぽ(透き通った心の持ち主の詩)

僕がいたからと思わされる。かつての「可愛いね」には有り難さの響きがあった。普段は目にしない光景という様子だった。さしずめ個性的ならば僕との出会いを抜きには語り得ない自己表現ではないかしら。透き通った心の持ち主はハムスターと僕との触れ合いに居心地の良さを掴んだんだろう。


生きる喜びが詩になっている。いうほどには簡単ではない。世の中には辛いことや悲しいことが幾らでも潜んでいる。そして人間の脳味噌も同じだ。何よりも覚悟が必要なんだ、生きる喜びを歌うためには。もはや透き通った心の持ち主が世と人のために幸せを祈っていたかぎりだ。意気に受け留めながら僕も自分らしく尚一層と精進して行こう。

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