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XperiaのCMで聴くや心惹かれた南里沙のクロマチックハーモニカのVOICESをSonyで貰って

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中々、良い曲が流れているとテレビでXperiaのCMに感じていた。初めてではなくて以前から聴く曲目は同じだったはずなので、不思議な錯覚が生じてもいて何ともいいようのない雰囲気に包まれてしまった、同時に。演奏が異なるとは気付いたものの受け取る音色から楽器が思い浮かばないのも魅惑的に拍車を駆けられるようだった。何日間か過ぎて映像が新たに差し替えられて演奏者が出て来た時点で、よもや風に乗るような優雅な立ち振る舞いに触れて本当に物凄く良い曲だと完全に納得させられながら尚更と心惹かれるに至ったんだ。Xperia XZ1 「ハーモニカ」編 30秒見ず知らずで、少しも分からないのが居たたまれなくて、一体、誰なのか、どんな演奏者なのかをやおら調べてみないわけにも行かなくなった。テレビで聴くや心惹かれずにいなかった音楽は南里沙のクロマチックハーモニカを取り上げたXperiaのCMのVOICES(声)という…

松任谷由実の瞳を閉じては長崎県立奈留高等学校へ作詞作曲された愛唱歌だった

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もう十年以上前かも知れないけれども松任谷由実の二枚組のベストアルバムのsweet, bitter sweet YUMING BALLAD BESTを佳く聴いていたんだ。昼間のオーロラみたいな、または光目映い貝の白い内側に似た色彩のジャケットが印象的なCDで、松任谷由実ならではのバラードの心地良い名曲の数々が収められている。個人的に守ってあげたいで大泣きしたのが稀有な思い出になっていて松任谷由実は本当に凄い歌手だし、アーティストだと納得する切欠にもなったベストアルバムたった。乙女心をしっかり捉えているのではないか。運命の恋(詩集)に当て嵌めてみると天使的な人の思いに重なって来るから相当に凄いし、完全に抜け目のない優しさが女性としても可愛いとしかいいようがなくなる。芸術ではタマラ・ド・レンピッカ(画家)がアール・デコのスタイル(直線や原色を駆使した理知的な感じ)で的確に表現していてイメージと…

社会的に自立するには笑顔に癒される凄く優しい理解者/とてもかけがえのない他者を信用するのが心強い

姪の七回目の外泊で、又更に調子が上がっていると驚いた。もう十分ではない。治療抵抗性統合失調症と比べると健康なのは間違いないだろうけれどもそうした中で元気が徐々に増しているわけだったんだ。明るい雰囲気だったのが光り輝きかけている。どうも鼻詰まりが収まらないから完全に元気な印象は与えないものの相当に近付いているといって良い。透き通った健やかさを持つのが新しい。最も興味深いのは帰りに手紙を貰った。家に来てから姪は幾らか書いていたらしい。以前、養護学校で良くやっていて精神科に入院してからは殆どなかったかも知れない。およそいつも誰かにいわれるままみたいな文面だから主体性が懸念されるけれども僕へ宛てた初めての手紙を受け取って軽度の知的障害者だから二十代で小学生並みの言葉遣いを行っている可能性があると認め直してしまった。渡したのも小さく幾重にも折り畳んでいたり、成人では、普通、やらないような仕方だった…

タイの菩薩像の眼差しの心洗われる美しさにマインドフルネスの到達点を覚える

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A statue of Bodhisattva in Thailand by naidokdin [CC0], via Pixabayブログでマインドフルネスを取り上げて引用する仏像の写真を探していたらタイの仏像の一枚が印象深かった。宝冠を戴いているからきっと修業の身としての菩薩だろう。何よりも眼差しに心洗われる美しさを湛えるほどの表情を見せていたのが息を呑ませた。日本の仏像の造形よりもほっそりしているようで、慈しみの代わりに清らかさを多く受け取る。仏教の捉え方は国や地域によって千差万別だと思うし、信じる人たちの気持ちを反映して仏像の造形も逐一と変わるはずけれどもタイの趣向は本当に素晴らしい。かねて写真家のジェス・フォアミで「透き通った世界の清らかさ」を知っていたんだ。タイの国柄と結び付いていると想像された真実が今やマインドフルネスの依拠する仏教的な瞑想の在り方と重なり合って一際と鮮やか…

マインドフルネスは人間の心だけではなくて脳や遺伝子にも優れた効果を発揮する瞑想なんだ

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欧米で仏教に由来する瞑想が流行っているとちょっと前から聞いていた。キリスト教が主流の国々で、東洋思想へ憧れを抱いた極一部の人たちがマニアックに取り組んでいるせいではないかと思った。例えば日本の座禅が人気だったりするし、文化的にいって他の寿司やONE PIECEや日本刀と変わらないような気持ちがする。ところが実際はもっと認知度が高そうだと改めて驚いた。マニアックな人たちだけではなくて社会的な広がりをはっきり見せ始めていたんだ。今、めい想が大ブーム!宗教性を排除し、「マインドフルネス」の名で世界中に広まっている。その理由は、最新の脳科学により、わずか数日の実践で脳が改善することが分かってきたためだ。ビジネスの世界では効率をアップさせると大人気。さらに医療の現場では、うつ病の再発防止などでも応用されている。新・瞑(めい)想法 "マインドフルネス"で脳を改善! via NHK…

小池百合子が立候補しないのに国政の政権交代を主張して希望の党を結成した心

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希望の党は本当に謎だった。小池百合子が結成したと発表した記者会見をテレビで観ていて国政の政権交代を目指す(政権選択のために候補者を適切な分だけ擁立する)と添えていたから普通ではあり得ないと思った。既成の政党が分裂した後の大きな会派でもなければ不可能ではないか。一から始めて国会の与党になるなんて聞いた例がなかったんだ。小池知事が国政新党 「希望の党」代表就任を表明 via TOKYO MX小池百合子は何を考えて希望の党を結成していたのか。最初から自分が立候補するつもりもなかったんだ。それは分かり易い、ただし。というのは東京都知事だから途中で職務を投げ出すわけには行かなかった。終わったら総選挙に出て希望の党の国会議員になるのかも知れないと頷く。後から希望の党の代表として国政に参加すると考えると今直ぐに政権交代を目指すとした心構えに混乱する。自分が国政に直接的に加担するつもりがなくて総選挙でも…

薬害エイズ事件の被害者で国会の参議院議員の川田龍平が結婚してから免疫力を標準値まで上げていた

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今まで見て来た同時代の政治家で最も心を動かされたのは川田龍平だった。薬害エイズ事件の被害者として血友病の血液製剤からエイズに感染してしまったものの積極的に声を上げてそうした団体と共に当時の血液製剤の基準を監査していた厚生労働省や提供した製薬会社を法的に訴えて勝ったんだ。以降、国会の参議院の選挙にも立候補して当選を何度か繰り返しながら政治活動を続けて現在に至っている。川田龍平 メッセージ via Ryuheiouenエイズは発症しないだけで、感染したままらしくていつ死んでもおかしくないような状態だから生きているのは奇跡だと感じさせるのが詩的だし、命の尊さを体現する存在に他ならないから素晴らしく気に入っている。川田龍平は2008年2月に三十二歳でジャーナリストの堤未果と結婚したけれども川田龍平 堤未果と結婚して起こった変化とは?によると健康面で非常に調子を上げているらしくて微笑ましく感じた。…

吉田兼好の徒然草の書き出しは妙絶な日本語で覚えるのにも骨が折れなくて凄い

読んだかどうかも分からないくらい自然に記憶に刻まれる文章があって覚えるのに本当に骨折れない感じがするけれども日本の鎌倉時代の随筆家の吉田兼好/兼好法師の徒然草の書き出しの一文が凄いと思うし、妙絶な日本語ではないかと作家として学びもするんだ。つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。つれづれなるままに、ひぐらしすずりにむかいて、こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなくかきつくれば、あやしゅうこそものぐるおしけれ。手持ち無沙汰のままに、日暮らし硯に向かって、心に移り行く他愛ないことを、取り留めなく書き付けると、とても物狂おしいなあ。吉田兼好の徒然草(仮名と訳文は筆者)内容上、最後の「怪しうこそ物狂ほしけれ」の気持ちが出だしの「徒然なるままに」の何癖ない流れから驚異的に切り替えされているところが特筆に値するし…

どうしようもないストレスの解消にArdore Duoのタイスの瞑想曲を聴くしかなくなってしまった

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ブログのアクセスが記事を増やしても、全然、伸びなくて、日々、ストレスが溜まる一方だ。いつまで一日百人を危ぶみながらやらなくてはならないのか。気がかりなのはとにかくGoogle検索でのサイト評価だけで、アクセスが安定して伸びるには、最低限、開設して一年が過ぎなければ駄目だと考える。だから本当に待ち切れない。後三ヵ月以上も残して今此処でどう耐え凌ぐべきなのか。九ヵ月近くも殆ど休まず、望んだ成果を直ぐには上げられない虚しさを抱えたまま、頑張って更新して来てもうへとへとなんだ。心を休めるようなストレスの解消が必要だろうJ. Massenet - Meditation from Thaïs via Ardorè DuoArdore Duo(アルドーレ・デュオ)で聴くタイスの瞑想曲(ジュール・マスネ)が良いし、相応しいと思う。YouTubeの動画で見付けて映像はセピア色の風景がノスタルジックな味わい…

松島の海と象徴的に切り離せない父と息子の物語

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七月の第三月曜日は国民の祝日で海の日だ。海というと僕は出かけた経験が殆どないし、記憶も朧そのものなんだ。なぜかはやはり泳げないせいだろう。プールも同じだけれどもいつも縁がなかった。水辺ならば魚釣りの池や川が余程と好きだったし、振り返って思い出も数知れないくらい良く親しまれていた。Matsushima Shidaikan Sokan by Ippukucho (Own work) [CC BY 3.0], via Wikimedia Commonsところが海もとても印象に残っている場面がある。一度だけ出かけた宮城県の松島の海だった。日本三景(松島・天橋立・宮島)に含まれる国内で最も有名な絶景の一つだけれども小学時代の夏休みに父親に連れられて二人だけで訪れた。遠くまで点在する島々が遥かに霞んで行く光景が幻想的で如何にも不思議だったと覚えている。秋田県の祖母の家から自宅に帰る途中に車で立ち寄っ…

フラワーピースのコレクションから再考される望ましいかぎりのサイト運営の仕方

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Google+でフラワーピースのコレクションを開始した。花の写真を自作で主に追加して行く。詩的に平和が味わわれるように喜ばしく纏めるつもりだ。ヘッダーの画像を鈴蘭の写真にできたのは嬉しかった。普通では無理なはずだったのに地元の公園の山に咲いていると知った。鈴蘭の写真が直ぐに撮れるなんて奇跡としかいいようがないくらい衝撃的な経験だった。個人的に好きな花で、かつて自作詩の鈴蘭を完成して以来は思いも相当に強まっていたんだ。フラワーピースのヘッダーの画像の鈴蘭は元々はブログに使うために作成していた。しかしどうも合わない感じが止めていたんだ。以前のテンプレートではパソコン/タブレットのウェブバージョンて鈴蘭を右寄りに切り取って左寄りにブログのタイトルとメッセージが入るようにしてヘッダーで使い出していたけれども現在のテンプレートに変更した時点でちょっともう無理だとカーテンに置き換えてしまった。ブログ…

明るい笑い声もオドラデクを思わせるうちはまだ安定しない精神だ

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姪が入院中の精神科の病院から家に二回目の外泊に来た。前回よりも随分と元気で安心した。疲れが減った。病院から外へ出ることが殆どなくて家に来るのも十年振りで、前回は相当に疲れていたらしい。病院に戻ってから一週間くらい寝込んでいたと聞かされた。大変な疲れによってまるで倒れるように動けなくなったに違いない。二回目の来訪では微妙な変化でしかないけれども明るい笑い声に真実味が増して生きる喜びの兆候が膨らんだのが非常に嬉しい。全体的な気分としてはどうもカフカの「オドラデク」を思わされて小説的には面白いけれども人生的には厳しいと悩まされざるを得ない。それは、屋根裏部屋や建物の階段部や廊下や玄関などに転々としてとどまる。ときどき、何カ月ものあいだ姿が見られない。きっと別な家々へ移っていったためなのだ。けれども、やがてかならず私たちの家へもどってくる。ときどき、私たちがドアから出るとき、これが下の階段の手す…

切迫する死の感覚の著しい無力感の笑い

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もしかすると良いのかも知れない。無力感を著しく覚えながら生きている。今が変わる。幸せを受け取るためにもう何も行う必要がなくなったせいだと思いたい。しかしあり得ない望みなのも確かで。呪われているのか、二十年以上も叶わない夢があり、絶望の淵も本当は磨り減って悲鳴のような泣き言も洩らさないとはかぎらなかったほどに荒くれている。元気でいられたのは嬉しいにせよ、良い加減にして欲しい地獄と振り返って再び前を向いて歩き出そうとする心にとっては足場を失って落ちてしまいそうだ。絶望の淵もない状態で、どうやって存在を保ち続けられるだろう。心は認めてない、新しい自分をまだ十分に。悲しむべき生活しか世界に許されないにも拘わらず、一体、どのようにして地獄の外で暮らせるというのか。祈りの先で神は目を閉じて黙っていた。自力で突破するしかなさそうだから頼るべき方法は思考だけみたいな境地だ今正にどうしようもないままに存在…

モーツァルトのアイネクライネナハトムジークを聴いて出会える神様への無邪気な心へ

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いつ頃からかは良く覚えていない。たぶんしかし高校時代だったのかも知れないというのがモーツァルトの音楽を聴きながら神様と出会った。当時、ベートーヴェンが大好きだったので、何といっても交響曲第五番《運命》のジャジャジャジャーンが印象強いばかりだった、モーツァルトへの記憶は殆どない。クラシック音楽というとベートーヴェンが代名詞みたいな状態で、他にはチャイコスキーとマーラーくらいしか聴いた感じがしなかったはずだ。興味や関心からいうと十代の少年期にクラシック音楽を欲したのは僕の場合はオーディオが大きかったと振り返られる。とにかく良い音とは何かを知りたかったのではないか、世の中で。愛読書も月刊HiViだったり、どんなシステムで良い音が聞けるのかを知りたくて探し回っていた。なのでクラシック音楽は色んな音が細かく入っていて自前のオーディオが良い音を出しているかどうかを確かめる意味合いが非常に強かったし、…

白琉球の切なさの詩的で命の尊さに他ならない思い遣りの心に救われる雨上がり

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白琉球の花が咲いていた。雨が多くて満開だったけれどもあっさり萎れかけているようだ。琉球躑躅ともいわれる躑躅の一種で、他の種類でも似ていて雨で直ぐに変色する花が多い。しかし白だと本当に目立つし、雨上がりの白琉球には切なさを受け取らずにいない。花柄も大きいから、殊の外、衝撃的で、晴れやかな様子こそ却って強く目に浮かんでしまう。花言葉は「愛の喜び」らしい。切なさから受け取ると人生を考えさせられる。愛の喜びが直ぐに終わるのか。または悲しみを含めて愛する気持ちが喜びならば深い意味を持っているに違いない。イメージとして前者は清純だし、後者は慈しみだろう。白琉球は切なさを帯びた花だから花言葉の「愛の喜び」も複雑な感じがする。清純な慈しみとすると人生では思い遣りの心が欠かせなさそうだ。素晴らしいし、見習うしかないと頷く。ならば白琉球は素敵な詩人を彷彿とさせる花なんだ。安らぎを感じるのも本当だ、見ていると…

綺麗な心で生きる天使は驚きの望み通りだ

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誰かに殺される感じがする。姪と再会した後から不吉なのかも知れない。本当にもはや天使なので、離れてしまうと気持ちが逆に恐ろしくなるみたいだ。一人で大丈夫なのかと心配の極致に達しているせいで、世界に殺気が漲っている。振り返ると望み通りだった。元々、天使として姪とは触れ合っていた。願ってはいなかったし、普通に人間で良かったわけなのに果たしてそうなってしまうというのが驚きだ。僕の思いが伝わったせいだろう。姪は天使の人生を選んだならば素晴らしい。応援するしかない、他でもなく。綺麗な心を個性として尊重しながら接するべきだ。将来が楽しみだし、軽度の知的障害でも天使のかぎり、姪は幸せな暮らしを手に入れるに違いない。愛される存在には平和こそ訪れる。安心しながら神を有り難く信じるほどに誰かに殺される感じも減って行くようだ。かつて赤ちゃんの姪が天使だった。僕が天使として姪と触れ合わずにいられないわけだけれども…

雪見だいふくのメッセージは本当に平和だ

アイスの雪見だいふくの蓋を剥がしたらその裏側にメッセージが記されていて心を惹かれた。
雪見だいふくを食べてくださりありがとうございます。
皆さまは少し距離を感じる人っていますか? 雪見だいふくは2個入りです。
もし少し距離を感じる人がいたら、勇気を出して1個分けてあげてみてください。
誰かに優しくできたとき、なんだか心があたたかくなっていませんか?
皆さまの心がいつもポカポカでありますように。
雪見うさぎの皆さまへ
とても良いと思う。メッセージの文面は手紙だけれども詩的なエッセイと呼ぶに相応しい。分かり易くて雪見だいふくを食べてないのに経験が伝わって来るようだ。面白いし、芸術的ではないか。まだ知らない人には発見があるし、もう知っている人には共感がある、雪見だいふくへの。素晴らしい言葉遣いだと称える。
微笑ましいのはアイスが「ポカポカ」なんだ。冷たいはずの世界が温かいという。心が浮き彫りにされて現…

ヴァン・ゴッホの自画像の心の目に見えて来る神様

一枚だけだけれども画家一筋のヴァン・ゴッホの記事で引用したヴァン・ゴッホの自画像に神様が見えて来たからブログに改めて取り上げておきたいと感じた。
僕の言葉遣いが霊感そのものなのと同じで、気付いた訪問者がいれば一人怪しく訝らせるのは忍びない。
ヴァン・ゴッホの自画像に神様が見えて来ても君だけではないし、僕もそうだから間違いなく、安心して欲しい。
きっと僕の言葉遣いが霊感そのものだと気付くよりも人々にとって可能性は高いだろう。
理由は簡単だ。サイト全体のイメージに合ってないというか、些細な日常のブロガーがゴッホではないから僕ばかりの自己表現が多いところで、取り上げられた他の誰かの作品の個性的な特徴が比較的に目立ってしまうせいだ。
本当に驚くし、僕は絵から神様と出会うのは初めてだったので、ヴァン・ゴッホへも興味や関心が変わってしまう、一段とさらに素晴らしく。
ヴァン・ゴッホの自画像に神様が見えて来るのは心…

平和の原理/抽象力を有する人間性/論法そのもの

思い付いただけで大革命が起きている。人間性の中心に火山が著しく噴火しているせいだ。しかしマグマ大使の出番はなかった。驚きがキラウエア火山へ向けられていたためか、日本人には富士山よりも身近ではなかったし、または大革命が学校の授業ならば先生も話題を逸らしているに過ぎない。笑った生徒は疎らだったけど、とにかく良く聞いて欲しい。全員、もしも出て行かせるつもりならば多めに触れていたはずの金色の巨人に悔やんでは僕はいない。分析できたと今現在はイメージに満足している、却って。抽象性が手に入った気持ちは確かだ。まるで白玉団子が薄く平らに伸ばされるように世界へ染み透る知識ではないか。平和を呼んでいる感じがする。まだ起きているならば大革命も本当に静かなかぎり、原理的な仕方だったに違いない。かりにも驚きへは慣れて来たという一言で通り過ぎるわけには行かなさそうだから探し求めずにはいられない、明日、死に絶えるとし…

ヴェラスケスのラス・メニーナスの受け留め切れなかった芸術的な衝撃へ

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謎多い絵として真っ先に思い浮かぶヴェラスケスのラス・メニーナス(女官たち)は画面全体が不思議な構成に覆われている。描かれた主要な人物たちが部屋の天井から押し潰されたように感じさせるとしたらゴッホの烏のいる麦畑の大変な空の様子と同じくらい悩ましくも美しいかぎりだから作風は天才的だとも過言ではないだろう。
ただし比べてみればヴェラスケスのラス・メニーナスが翻って愛するほどに優しく味わわれてしまうのも構図というスタイルだけに止まりそうなので、絵よりは芸術として概略的に捉えるべき認識が正しいのではないか、考え出すと印象はちょっと薄いようだし、デザインこそ特徴的に個性的に認められる。
分かり易いはずだし、ゴッホの烏のいる麦畑のように全ての対象が《圧縮された詩情》と共に展開された正に自然な構図ではないから理解するために例えばランボーのイルミナシオンを参照しながら超言語的に解読するような手間は省かれてしま…