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些細な日常

7月, 2016の投稿を表示しています すべて表示

キーワードはタイトルに持って来い

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ランクブレインからGoogle検索を見詰め直そう

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サイトにGoogle+の記事を埋め込む

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愛に通じる人生も嚔からでは涙色

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又来ている、嚔百連発が。症状としては花粉症みたいなものだけれども体力が落ちて創作活動も鈍る。少し経てば筋肉痛になるかも知れないくらい嚔は強い運動なんだ。百連発では本当に疲れる。調子を落とすだけでは済まされない。直ぐに治るし、寝込むほどの悲しみではないから耐えながら生きる。 嚔というと人から聞かされて密かに驚かされたことが一つだけある A girl sneezing by Gustavo Fring / Pexels かつて僕のことを 癒し系男子 とも捉えてくれた可愛いおばさんみたいな人だけど、丁度、嚔百連発を見ていて凄い咳をしているとも指摘されてしまった。 何のことか、さっぱり分からなくて狼狽えたものの受け取った言葉を考えながら飲み込んでみると自分では嚔をハクションとしているつもりだけど、人からはそれがしかしゴホンと咳に聞こえるんだと認められて来た。 ある頃、昔…

COWCOWの正直な芸で裏表のない笑い

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【公式】COWCOW コント【こういう人知りません?】|COWCOW公式チャンネル お笑いというと COWCOW ( 多田健二 と 善し )が好きだ。ちょっと前にあたりまえ体操でブレイクしたのは嬉しかったし、ファン歴は長い。十年くらい経つのかも知れない。 名前も、全然、知らないままで、コンビだから左と右で区別するしかないけど、とにかく左の人が物凄く面白い。 気の良さが生きている いうと人の良さではないから、結構、珍しいのではないか。 身の周りでも ゲームセンターの契約社員 くらいしか思い浮かばない。一回だけかも知れないけど、僕がボケを噛ますみたいな態度を取ったら物凄く喜んでウキウキした接し方に急に変わったんだ。笑いを通じて仲良くなれるというふうな感覚を持っているのではないかと認められた。 COWCOWの左の人もやはり同じだろう。人と人とが仲良く過ごすための笑いを追求しているよ…

著者のオーソリティーで検索エンジンからアクセスを引き出すための考え方

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身近での父親の本当に生きた詩

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目指すべきリンク構築が面白くて

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元々はホームページ( ブログへ移転 )に日記やエッセイは載せながらガラケーに保存してなかった。数年後からしかし保存するように変わったんだ。 なぜかというと三十代の後半に作家活動は二十代の前半から十数年にわたって打ち通しでやり続けて来たからもうそろそろ休むべきでないかと感じて一年くらい創作には全く向かわずにいたけれども雑記帳だけはどうしても止められなくて日記やエッセイを増やし続けていたせいだった。 因みにホームページの更新もしなかった。一年くらい本当に部屋で日記とエッセイという雑記帳に明け暮れた毎日を過ごしていたんだ。振り返ると、可成、気楽だったので、物書きも捗るならば気合いを入れ過ぎては芯を食わないかも知れない。作品のエッセンスを取り溢さないようにいっそ無駄な力は抜いておくにかぎる。 捨て去るのは忍びないというか、来年からの新しい創作のための思考を繰り広げて…

注目のテーマが広がってスタイルも創造しなければならない気持ち

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マクロレンズの開放付近はピントがとても狭い

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個人的には絞り値を上げたい。されど室内の蛍光灯で光が足りないと開放付近でシャッタースピードを稼ぎながら手振れを防がなくてはならないとも思う。 ISO感度を上げてもカメラとレンズは大丈夫かも知れないし、写真の解像度は低いかも知れないけど、どうしても開放付近を選んでしまいたくなる。 自然の光を活かすためにはISO感度はなるべく上げないにかぎるという他はない、写真撮影において。または僕にとって開放付近こそ自然の光を最大限に取り込めるために願わしくて望ましい気持ちがして来る。 しかしながらピントが狭くなるからマクロレンズならば狙いをそれだけ細かく付けることも求められる。微妙かも知れないにせよ、気持ちがあるか、ないかでも結果は変わりそうだ。 マクロレンズの開放付近は狙いを細かく付けると思いながらシャッターを押したい。

Google+のプロフィールをしっかり纏め上げて思うこと

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FL Studio Mobile 3のデモ版の公開に寄せて

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いつになったら来るんだと待ち兼ねた余りの FL Studio Mobileのバージョン3へのアップデート の発表から一年を費やしてやっと来たところでもまだデモ版だった。 FL Studio Mobile 3は開発に飛んでもなく時間がかかっている FL Studio Mobile 3 | FL Studio Plugin Beta|FL STUDIO by Image-line Software 待ち疲れてもう無理ではないかとメーカーの Image-Line にも本当にもはや忘れ去られているような気さえしてしまうくらいだった。心から期待して止まないだけに手を長々と伸ばし続けている生活は辛い。 とはいえ、FL Studio Mobile 3のデモ版の動画を観てみるとアプリの性能は飛んでなく素晴らしいのではないかしら。本当にパソコン並みの音作りが可能みたいなので、完全に…

ブログにGoogle+のプロフィールバッジの埋め込みながら

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何を考えているかというとブログの利便性を高めるべきだ。 きっとリンク付きのプロフィールバッジを埋め込めば訪問者にGoogle+(サービス終了)もやっていると気付いて貰い易いだろう。 Google DevelopersのGoogle+ Badgeで手軽に使えるんだ。因みにバッジだけではなくてアイコンも作れるようになっている。 フッター| Super Leak ブログの上段にホームページのリンクを置いておいて下段にGoogle+のプロフィールへのリンクを置くなんてもうやり過ぎという気持ちもするし、目立つところのホームページへのリンクだけで十分かも知れない、僕のことを多めに知って貰うためには。 またはホームページへ行けばGoogle+のプロフィールへのリンクはトップページや子ページのプロフィールにも置いてあるわけなんだ。 ところが関連性が深い。Google+もなるべく…

キーワードを吟味してサイト運営にレベルアップを

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サイトのアクセスを伸ばしたくて色々と考えてやっていいるけれどもランクアート(閉鎖)は別として個人のホームページやブログは一日に十人くらいがやっとだ。 ドラゴンクエスト (ゲーム)に例えるとレベル2で弱い弱いスライムにも瞬く間に倒され兼ねないような状態だろう。 本当に死ぬまでやっていてもレベルアップは無理ではないかとサイトのアクセスは遅々と伸びなくて悩まされざるを得ない。 とはいえ、頑張るしかないところで、気付いたのはランクアートの宣伝用の掲示板(閉鎖)がGoogle検索に全く引っかかってなかった。 titleタグが『創作サイトのための宣伝板』になっていて「創作、宣伝、掲示板」という三つのキーワードでGoogle検索に出て来ないことが分かった。恐しい。考えると「掲示板」がtitleタグに入ってないせいで、弾かれてしまうのではないか。ならばタイトルをGoogle…

食後の美味い珈琲に問われる元気の活かし方

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A cup of coffee by Chofaungfa Sridokrakby / Pexels 昼食を腹一杯と済ませた。珍しい。寝て起きても抜けない疲れで朝から茫然と過ごしてばかりの毎日なので、昼食なんて全く気が向かない。しかし腹ペコで体力を落としたままではどうにもならないからいつも少しだけは何かを食べるようにしている。 食事量が多めなんて元気なのかも知れない。多めといっても世間からすれば普通だろう。いつものしっかり食べない自分からは多めに思われたわけだけど、しかし元気ならば心配するには越さない。食べても少しだけではそのうち倒れないともかぎらないと懸念される。 珈琲も美味い。何も食べすに飲んでいるよりも有り難みが増すのはなぜだろう。珈琲は胃酸を増して食べ物の消化に良いけれども何も食べないと無駄に出て必ずしも喜ばれはしなかった。胃を荒らすかも知れない…

クレーの絵が詩そのものなのは死と隣り合わせで意欲的な画家だったせいだ

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Paul Klee by Alexander Eliasberg [Public domain], via Wikimedia Commons 画家の クレー が四十歳過ぎの大回顧展のパンフレットに記した言葉が非常に興味深かった。現在は墓碑に刻まれているらしくて墓はスイスの彼の故郷ベルンの パウル・クレー・センター に置かれている。 私は現時点で受け入れられない 未だ生まれもしないような 死者に囲まれて暮らしているためだ いつになく創造の心へは幽かに近付く しかし十分に近付きはしてない。 原文 Diesseitig bin ich gar nicht fassbar Denn ich wohne grad so gut bei den Toten Wie bei den Ungeborenen Etwas näher dem Herzen der Schöpfun…

胸に秘めるはありがとうの気持ちこそ

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Tumblr に Imgur の記事を共有していたらお祝いの画面が不意に挟まれた。気に入ったものを外部サイトから取り込むと一緒になって盛り上がってくれる。 人気の投稿の共有のお祝い via Tumblr 嬉しいよ、ちょっとした気持ちかも知れないけど。Tumblrもよもや些細な日常としか呼べないだろう。 以前の 詩のホームページの作詩の公園 を思い出す。クリスマスや正月やバレンタインデーに皆が必ずやお祝いに駆け付けて来てくれていた、掲示板へ。 僕なんか死に物狂いで、または命懸けでサイト運営を行っているから飛んでもなく有り難いことだったと振り返ってしまう。 インターネットならば掲示板やメールでなくては気持ちはすっかり伝わり難いはずだし、ホームページやブログで交流しないで、人を多く集めるなんて厳しいばかりの毎日が続いているにせよ、上手く行けばきっと一人でも越えられると信じな…

六月一日の誕生花の額紫陽花などの気持ち

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手持ちの本で額紫陽花は六月一日の誕生花と載っていた。なので自分のものだと感じていた。 この前、しかし額紫陽花をブログに載せようと色々と調べていたら必ずしも六月一日の誕生花ではないということも分かって来た。誕生花には様々な見解があってまさか一つでは捉え切れなかったらしい。 六月一日の僕の誕生花には額紫陽花の他にアスチルベや霞草やマトリカリアや薔薇(赤)やカラーなどもあるんだ。 中学時代、クラスに誕生日が同じ人がいて初めて気付いて自分を掴もうとした。女性で友達と呼べるほどの付き合いもない相手だったけれども暗そうに見えるところが似ているのかも知れないと感じた。または落ち着いていて思慮深いというか、大人びた様子があるんだ。 自分を外側から受け留めるときっとそんなふうなイメージで人々の目には映ると考えもしていた。良く遊んでいる相手には「渋い」といわれたものだった、小…

Imgurならばアップロードした画像を外部サイトにスムーズに載せられるから好き

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ホームページやブログを様々なディレクトリー型の検索エンジンに登録している。するとバナーが使えるサイトもあってしかし画像のアップロードはできなかったりするとどこかのサーバーから画像のURLを持って来なくてはならないんだ。 今までGoogleのPicasaを使っていてバナー画像のURLは取得できたけれどもフォトに統合されるような形で今年の春にサービスが終了してしまった。 外部サイトに既に貼った画像は使えるし、消え去るわけでもない。ただし僕としては気持ち悪いので、他のウェブサービスに変えなくては行けないと考えていた。 Googleの フォト が使えればアップロードした画像のデータは引き継がれているというか、元から中身は同じだから何の迷いもなかった。画像のURLを取得することができるかどうかだけがちょっと曖昧で、公式では全くアナウンスされてないんだ。Picasaは画…

紫陽花と大伴家持が短歌に詠んだ恋人を思う無邪気な心

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公園の池のそばに額紫陽花が咲いていた。綺麗だと思った。色調が落ち着いていて姿形にコントラストが効いている。芸術性に溢れて受け留められる。 額紫陽花の花は真ん中のプチプチしたところと周りの大きな装飾花の中心らしい。一つの花に見えるけれども実際は小さな花が集まって咲いている。 万葉集の大伴家持が詠んだ紫陽花の短歌を読む 紫陽花の語源は「集真藍」(あづさい)だったみたいだ。小さな花が集まって咲いているイメージでしっかり捉えられているのは驚く。出典ははっきりしないけど、日本最古の和歌集の 万葉集 (七八世紀頃)に「味狭藍」の形で短歌に詠まれていた。手持ちでどんな作品かと咄嗟に探してみたくなる。 言とはぬ木すらあぢさゐ諸弟らが練りのむらとにあざむかえけり 仮名と訳文 こととはぬきすらあじさいもろとらがねりのむらとにあざむかえけり 何もいわない木ですらがあじさいならば諸弟らの練…

ゆったり肩肘張らずに

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昨夜の 激しい腹痛 から一夜を明けて無事に生き延びたかと感じている。 ただし調子は必ずしも優れるわけではない。休みながらブログも頭を必死に働かせるように書くわけには行かないだろう。気持ちを流すようにゆったり仕上げるしかない。というか、いつも求められて然るべきなんだ、自己表現のスタイルとしては。 ガチガチに暮らしている普段ではない。誰からも別人に思われたくなければ肩肘を張らずにブログもやって行くにかぎる。心地良い風を送られるように詩人が来たと分かるのはきっと天使だけではないはずだ。 個性を出さなくては端から無理なので、少しでも良い出会いを知って貰うべく努めたいと思う。

激しい腹痛で息苦しく手足も痺れて顔面蒼白のままに気を失いかけるなんて

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夕食後、本当に酷い状態に陥った。生活で増えてはいるけれども何ヵ月振りか、この世とおさらばかとも感じられた。腹痛を甘く見てはいられない。ひょっとすると健康だからこそ影響が大きいんだと考えたくなる。下痢でしかないとすれば悪いものを腸内から取り去るための症状なので、健康なほどに動きが強くなって衰弱も増してしまうのではないか。 カツ丼を、鱈腹、食べて膝屈伸を、百回、やった。健康のためだけど、食後の血糖値を下げることもできるから良いと思う。いつも特に疑問は抱かなかったにせよ、今回は気分が余り良くなかった。カツ丼が胃に凭れる感じのまま、強めの筋力トレーニングでどうなるかは定かではなかった。 終わってから烏龍茶を飲んだり、ビタミンCのサプリメントを取ったりしていて両方とも下痢にはなり易いものなんだ。僕にとっては珍しくないことで、食事に悪いものが含まれてなければ大丈夫…

Google Fontsの日本語フォント/Noto Sans Japaneseはやはり使わずにはいられなかった

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スマホやタブレットでサイトを閲覧する場合、CSSで文章にフォントを指定しておいても殆ど反映しない。フォントをサーバーからブラウザに読み込ませなくては無理なわけなんだ。 Webフォントを使ってサーバーに使いたいフォントのファイルをアップロードするか、またはCSSに外部サイトから取り込んで使うこともできる。 前者よりも後者が手軽なので、やってみたいと思って Google Fonts が質量共に充実しているけれども無料で提供されていて日本語フォントのNoto Sans Japaneseが何よりも素晴らしくて気に入ってしまった。 Noto Sans JapaneseはGoogle Fontsの Early access! から手軽に取り込むことができる。 サイトでの使い方としてはHTML編集のhead内にlinkタグで置くか、styleタグのところに@importで置くか…

サイトにjQueryを使って開閉ボタンを設置した

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天使のモノクローム(閉鎖)で写真素材のページは縮小版のサムネイルを並べて原寸大にリンクさせるようにしている。しかしサムネイルではなくて縮小版を大きく並べて一気に見られるのも写真素材を選び易いと思った。別のページを作っても良いけれども補足的な機能として同じページでできてしまえば別のページをブラウザで読み込まずに済ませられて動作も早いから嬉しい。 Plain 1 via 天使のモノクローム jQueryを使った開閉メニューのソースコードを スマホのメニューなどに使えるjQueryを使って要素をクリックした時に開閉させる方法 で見付けたので、使うことにした。 <script> $(function(){ $(".menu").css("display","none"); $(".bu…

学ぶべきは幸せを呼んだ恋愛で覚えた人柄こそ

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昔から自作時を皆に読んで貰えないことが大きな悩みだった。考えたのは感動的に歌えば良いのではないか。皆の心を掴んで再び放さないような作品が必要だとすればそれしかないだろう。少しずつ感動的に歌うように努めて僕は望み出した。 人生の鑑として ゲームセンターの契約社員 が思い浮かんだ 彼がインターネットで一人の女性と出会ったらしくてメールでやり取りしていた。そんな中で僕にガラケーの画面を向けながら彼女へのメールを、結構、長かったんだけれども内容的に大丈夫かどうかと訊いて来たんだ。彼がいうには彼女に他に好きな人がいるといわれたから自分としては貴方が幸せになってくれれば良いみたいな形で彼女との付き合いは終わっても仕様がないと身を引くように仕上げた。 聞きながら目を向けると彼は泣きそうな顔で、僕には感動しているともまさか受け取られた。人に心を込めて思い遣る自分に間違いなく…

季語という俳句の魔力

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猫が寝ている。数年前の写真でまるで死んだように見えるからサイトで公開するのは躊躇われたんだ。誤解されてはならない。 ガラケーで撮影したけれどもスマホで初めてエフェクトをかけてみるともう少し生きているように見えて来たかも知れない。 本当に可愛い。晩春にのらくら歩きながら僕が近付いては逃げることもなく、道端に寝転びながら柔らかく休んだりしていた。思い起こせば懐かしさに一句を詠みたくなる。 晩春や寝転ぶ猫の生き心地 どんな季節でも変わらない事象に季語を合わせるだけでも世界がパッと弾けるような感じがして来る。 就中、俳句の魔力だろう。季語に秘められた俳句ならではの詩観があると思う。 中句の「寝転ぶ猫」がまるで地蔵のように胸に響く。下句の「生き心地」が宇宙を掴ませる。俳句の宇宙は詩の一般的な宇宙とは違って内面性とは必ずしも結び付かない。内面性が言葉に表現されてなくても成…

夜が更ければ魂の波動に触れるほどの……

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見ていて氷り付いてそうで、滑らかに動いているような気分に引き込まれてしまうという絵がある。 デルヴォー の Lunar City の感覚 Lunar City by Paul Delvaux デルヴォーの Lunar City (月の町)は永遠を匂わせる。画面中央の女性のドレスの黄土色が印象強く心に働きかけるためだ。月明かりを取り込んで月へのイメージの流れを生み出している。 階段かも知れないし、列車かも知れない。月影に隠れるようにして描かれた骸骨のフォームと位置取りからすると線路は地上に遠くへと想像されるべきで、画面右下にもたった二段だけれども階段が描かれていた。どちらも月への流れにしてはイメージが浮かび過ぎて弱いとすれば殆ど沈んで強いのは黄土色のドレスの女性の左手を介して伸びて行く波動なんだ。 万物はあるがままに決定的な場面を繰り広げるのだった どんな可能性、または潜…

言葉から実際に作曲していた自信作と呼んで良い音楽

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YouTubeで十七番目の自作曲に お元気ですか と題名を付けてミキシングも幾らか変えながら載せ直した。 歌詞が自然にできて音楽になった 結城永人 - お元気ですか|結城永人 いつにないことだけど、言葉から実際に作曲していたので、だから作品に題名を付けるのはいとも容易かった。 お元気ですか 貴方がいなくなって もう大分経ちましたね もう大分経ちましたね 出だしのところは歌詞もできていた。そこからは言葉ははっきりしてなくて鼻歌混じりでやっていてしかしラストの一小節の四分音符の四つは「ありがとう」に定まった。ありがとうの「う」は縮めて「と」に纏めて入った。およそ俳句や短歌の字数換算だと「ありがとう」は五文字だけど、音楽の音符と歌詞の合わせ方は必ずしも同じではないと気付いたりもした。 出だしの歌詞の直後の暫くは非常に面白かった 予定通りだともっと低い音になっていた。メロデ…