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茨城の読み方は「いばらぎ」と「いばらき」のどちらが正しいのか

以前から疑問に感じていた茨城の読み方は「いばらぎ」と「いばらき」のどちらが正しいのかに解答がついに出されてスッキリした。ホンマでっか!?TVの魅力度ビリを脱出したい…茨城県民の悲痛な叫びを観ていたら茨城の読み方は「いばらき」が正解で、一般的に「いばらぎ」と誤って覚えてしまうのは専ら茨城弁の訛りを聞いた影響みたいに武田邦彦(工学博士)が捉えていて分かった。茨城県民は茨城を「いばらぎ」と発音しているつもりはないけれども他の人には「いばらき」とは全く聞こえないためにそのような茨城県に特有の方言の音感が標準語に反する一つの読み方として世の中に著しく定着した可能性が高いかも知れない。 およそ県名をどう読むかは県民が最も良く知っているというか、県民の読み方に合わせて県名を受け取るのが自然だろうから標準語の「いばらき」よりも方言の「いばらぎ」という茨城訛りで覚えるように気持ちが引き込まれ易いのは事実…

愛を込めてあげるプレゼントに透き通った血の流れを感じ取るための鏡ならば知らないわけもなかった

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姪が家に三回目の外泊に来た。又更に回復したようで、安心した、治療抵抗性統合失調症から。もはや見た感じは病人とは思えない。雰囲気の明るさを大きく取り戻していた。妙な話、死体とは及び付かないというか、僕が目撃したのは透き通った心の持ち主と父親が実際だったけれども病による死の影のような不吉さは心に微塵も降りかからずに済んだし、触れ合いの感覚も相当に安らがずにはいなかった。一つだけ気がかりなのは喋り声が何かに押し詰められてそうに潰れていると思った。人によって性格から身に付いていて必ずしも珍しくないし、喋り方の個性的な特徴として何一つ危ぶまれはしない。しかし姪には相応しくないのではないか。かつて激かわのお洒落さんだったはずだし、芸能人でいえば北川景子のような印象を与える暮らし振りが望ましいと考えてしまう。心のどこかに思い悩みが潜んでいるために声を潰すに違いない。それは人生のとても小さな悲しみだろう…

スピノザの生活規則を良い知性から僅かでも理解するための思考

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久し振りに知性改善論(スピノザ)を読み返してみた。といっても時間がないし、速読もできないので、一時間で数十頁しか進まなかった。しかし相変わらず、文章が手強くて通常よりも読解を迫られると驚かされる。作家の気質としては学者そのものだろう。細かいところまで日常生活に支障がなくても取り上げて認識に纏めないと不誠実だと思ってしまうのではないか。学校嫌いの口癖ならば「勉強しても生きるのに役立たない知識」が多くて辛い。ただし大事なのは世界を理解するために必要なんだ。背を向けるほどに認識そのものが曖昧になって社会へ出ても分からないままなので、経験に対しての判断力は学歴通りで止まってしまうわけだ。後から独学しなければ生活力としても上がって来ないかぎり、もはや学校で済ませるのと中身は同じだろう。人生設計を効率的に組み上げるならば最初から勉強好きの気持ちが期待される。僕の言葉遣いも概念は難しいかも知れないし、…