ショパンの雨だれは生きる屍への真実の祈りだ
ブログの記事を一生懸命に仕上げてサイト広告で生活費を稼ごうと望みながら一円にもならない毎日では呆れて心の中に雨垂れが聞こえて来るよ。 侘しく寂れた思いの極みか。好きだったけれどもイメージとして実生活で受け取るのは耐え難いものがある。触れるのは命だけだ。 顔付きも青ざめるばかりの貧乏で、喘がれない貧困では全くない。いつまで生きていられるのかと手の施せない重病人のように気分は落ち込み過ぎる。健康だからまだ益しな状態ではないんだ。 頑張っても頑張っても駄目だった。四十年以上も咲かない花を抱えながら枯れた果てた意欲に存在そのものが染み込んでしまっているとは……。 だからもう本当に生きる屍に等しい。来ない明日と潰れた未来、そして何よりも消え去られて行く将来性の数々に息も絶え絶えではどうやって夢と希望を甦らせられることか。想像も及ばない心こそは僻地だろう。 ショパン の 雨だれ だけだ、知りたいか聴きたいのも Cyp…