スキップしてメイン コンテンツに移動

些細な日常

ラベル(風流)が付いた投稿を表示しています すべて表示

夏祭り(JITTERIN' JINN)|1990年代の盛り上がる邦楽

イメージ

1990年代の邦楽から乗り良く盛り上がる楽曲として気に入りの Jitterin’ Jinn の 夏祭り を紹介する。 JITTERIN' JINNへの思い JITTERIN'JINNの春川玲子| JITTERIN'JINN Jitterin’ Jinnは見付けて直ぐに好きになった。アルバムもリアルタイムで初回限定の缶ケースの黄色いバスの絵柄の パンチアウト を買って聴いたし、二十年以上、過ぎてから、もう一度、聴きたなっていベスト盤の The Very Best Collection を買って聴いた。当時、ギターで裏拍を強調したスカのリズムに他でもなく嵌まったけれども曲自体や他の歌や演奏も極めて魅力的だったのは間違いない。 夏祭り への思い ジッタリン・ジン / 夏祭り ( Jitterin’ Jinn / Natsumatsuri )【MV】|JITTERIN'JINN JITTERIN…

公園での晩春の花々の写真撮影

イメージ

久し振りに写真の撮り歩きに公園へ出かけた。カメラとレンズは α5100 と Touit 2.8/50M だ。レンズは手振れ補正が付いてなくて辛いし、大分、写真を撮ったからもうそろそろというか、偶には交換しても良さそうだけれども止められない。何しろ、仕上がりの透明感が清々しくて気に入っている。 昨年、 鈴蘭を見付けた穴場 を目指した。ピントが合わなくて非常に苦しんだし、枯れかけてもいたので、もう一度、早めに行ってそして頑張ってみたかった。大好きな花なので、悔いは少しも残したくない。 しかし鈴蘭は一つも咲いてなかった。周りに生えていたはずの雑草もなくなっていて市役所で刈り取られたかも知れないので、本当にショックを受けずにはいなかった。地面を詳しく調べてみると細長い茎が幾つも伸びていたから五月に入れば大丈夫かも知れないとも感じた。 今春は寒い日が続いていたし、咲くのが遅れているだけならば鈴蘭を写真に収めるチャン…

拾い上げた空蝉を掌に載せながら

イメージ

空蝉(うつせみ)には日本的な心象、すなわち「もののあはれ」を受け取る。 掌の上の空蝉 空蝉の語源と語義 古典日本語「うつせみ」 < 「うつそみ」の転訛 < 「うつし」(現し) + 「おみ」(臣)。「空蝉」「虚蝉」は当て字で、ここから語義4以降が生まれた。 うつせみ【現人 / 空蝉 / 虚蝉】 現に存在する人間。生きている人間。 この世。現世。 世間の人々。世人。 蝉の抜け殻。夏の季語。 蝉。 魂が抜けたような、放心した身。 『源氏物語』の巻名(第3帖)。また、同帖の中心的登場人物である女性の通称。 うつせみ| ウィクショナリー 元々、空蝉は生きる人を意味したけれども仏教のこの世は移り変わって儚いという感覚から蝉の抜け殻などの「もののあはれ」を帯びた虚しさに繋がったようだ。 日本に仏教が伝来した六世紀半ばの後の奈良時代の 万葉集 の和歌から現代の俳句に至るまで連綿と通底する趣きを受け取る。 考えてみると生き続ける…