松尾芭蕉の三十七歳頃の日本橋時代の俳句の作風

松尾芭蕉 の約三十年に亘る俳句人生で作風の変遷が幾つかあってどんなものかを探るために本稿は三十七歳頃の日本橋時代の俳句について考える。 俳号は桃青で季語は秋の風の秋の句 Trichonephila clavata by Koo Bearhill / CC BY 蜘蛛何と音をなにと鳴く秋の風 仮名と訳文 くもなんとねをなにとなくあきのかぜ 蜘蛛は何といってどんな音を立てて鳴くのか、この秋の風に。 松尾桃青/ 俳諧向之岡 (仮名と訳文は筆者) 松尾芭蕉は故郷の伊賀(三重県)から江戸(東京都)へ下った暫く後の延宝五年(1677年)か延宝六年(1678年)に宗匠立机を果たして職業俳諧師として一門を形成するようになる。連句興行や運座(秀句を互選する会)を開いたり、弟子を取って俳句を教えたり、点業(俳諧や連歌の優劣の判定)を行う。 最初の頃、日本橋の知り合いの借家か何かに住んでいたと…