Bardの事実認識の2023年9月の更新の実力の確認 結城永人 -2023年10月3日 pGoogleの対話型AIのBardが今年の五月から日本語に対応して使えるようになった。数値の計算などの答えが一つしかないものは良いんだろうけど、とにかく無限の広がりを見せる言葉の意味を捉えるのが難しいと考えられる。やってみると事実認識に関して合わないことが多くて大爆笑の腹筋崩壊を導かれることも珍しくなかった。 Bardの2023年9月の更新で事実認識はどうなのか Bardの更新が今年の九月十九日にあって、大分、良くなった感じがしてまだ試験運用版とはいえ、四ヵ月程度で急速に発展していることに驚かされた。 更新内容: 皆様からのフィードバックのおかげで、Bard はこれまで以上にイマジネーションに富んだ、直感的かつレスポンシブな対応が可能になりました。クリエイティブで楽しい共同作業、1 つの言語から 40 以上の言語への展開、詳細なコーディング サポート、多様な視点に基づく新しいトピックの学習など、品質と精度が向上した Bard をさまざまな分野でご活用ください。 試験運用版の最新情報Bard|Google 何度かやってみると事実認識に関してはやはりポコポコ誤りが出て来るので、どのくらいの実力なのかを確認しておきたいと思う。 Bardにかぎらず、対話型AIはインターネットから情報を取って来て考える。インターネットに情報が多いほどに正確な答えを返せるので、非常に多いものから最大限の能力を調べてみたい。 インターネットの情報が非常に多い夏目漱石に纏わる回答例 夏目漱石 by Unknown / Public domain 日本の代表的な小説家の夏目漱石を題材にする。 インターネットの情報はウィキペディアが充実の内容で、その他にもサイトが数多くあり、Bardは最高に豊富な事実を得ることができる。 小説家の夏目漱石の生涯について 夏目漱石は、明治時代に活躍した日本の小説家です。『吾輩は猫である』『坊ちゃん』『こころ』などの名作を残し、日本の近代文学を代表する作家として知られています。 漱石は、1867年(慶応3年)に江戸で生まれました。父は50歳、母は42歳という年の差があり、漱石は実母に育てられました。しかし、父の放蕩が原因で家庭は崩壊し、漱石は1歳の時に養子に出されました。 漱石は、幼少期から学問に優れ、12歳で東京府第一中学(現在の都立日比谷高校)に入学しました。しかし、漢学を志して中退し、二松学舎で学びました。その後、英語を学ぶために成立学舎に移り、東京大学予備門を経て、1890年(明治23年)に東京帝国大学英文科を卒業しました。 大学卒業後は、東京高等師範学校の英語嘱託を経て、愛媛県尋常中学校(現在の愛媛県立松山東高等学校)の英語教師となりました。松山で正岡子規と出会い、俳句を学びました。その後、熊本で第五高等学校教授などを務めました。 1900年(明治33年)、漱石はイギリスに留学しました。留学中は、英語や西洋文学を学び、また、日本の近代文学の将来について考えを深めました。 1903年(明治36年)、漱石は帰国し、東京帝国大学英文科の講師となりました。その後、朝日新聞社に入社し、小説家として本格的に活動を始めました。 漱石は、1916年(大正5年)に胃潰瘍のため49歳の若さで亡くなりました。しかし、その短い生涯の中で、数々の名作を残し、日本の近代文学に大きな影響を与えました。 漱石の代表作は、以下のとおりです。 『吾輩は猫である』(1905年)『坊ちゃん』(1906年)『こころ』(1914年)『三四郎』(1908年)『行人』(1912年)『明暗』(1916年) 漱石の作品は、近代日本を生きる人間の内面を、鋭く、深く描いたものが多くあります。また、漱石は、日本語の表現にも大きな影響を与えました。漱石の独特な表現は、現代でも多くの作家に受け継がれています。 漱石は、日本の近代文学を代表する作家として、今なお多くの人々に愛されています。 漱石の生涯を、以下のポイントにまとめます。 1867年(慶応3年)に江戸で生まれる。1歳の時に養子に出される。12歳で東京府第一中学に入学。大学では英文学を学ぶ。教師として働く。イギリスに留学。帰国後、小説家として活動。1916年(大正5年)に亡くなる。 漱石は、近代日本を代表する作家として、その作品は今なお多くの人々に愛されています。 下線を引いた部分に明らかな事実誤認か見方や表現の違和感がある。 Bardの約一千字の回答に十一箇所の気がかりな部分があった 明治時代に活躍した夏目漱石は大正時代(1912 - 1926)にも精力的に執筆活動を行い、代表作の明暗(1916)も絶筆として死ぬまで励み続けていた。こころ夏目漱石の小説のこゝろを「こころ」と表記するのは本来の題名ではない。母は42歳夏目漱石を生んだときの母の夏目千枝の年齢は41歳だった。漱石は実母に育てられました夏目漱石は生後四ヵ月で四谷の古道具屋(または八百屋)に里子に出され、夜中に店先の小さな笊の中で寝ているのを見付けた姉が不憫に思い、実家へ連れ戻した。その後、直ぐ又、父の夏目小兵衛直克に仕えた塩原昌之助へ養子に出された。親離れした二つの特別な事情があり、実母に育てられたと一般的にいい難い。父の放蕩が原因で家庭は崩壊し夏目漱石は没落しつつある江戸の名主の家に生まれたようだが、その原因は道楽者の祖父の夏目直基の浪費癖にあったと考えられ、父の夏目小兵衛直克はむしろ立て直そうと努めて相当な財産を得たようだ。幼少期から学問に優れ夏目漱石の幼少期から児童期にかけての学業に関する情報は特に見当たらず、その後の良好な成績から振り返ってみても推測の域を出ない。7歳で里父が女性問題を起こして家庭不和が生じて生家に一時的に連れ戻されたり、彼が離婚して9歳で生家に移り住んだなどの波乱があり、勉強に集中できなかったかも知れない。1890年(明治23年)に東京帝国大学英文科を卒業しました夏目漱石が在籍したのは帝国大学で、現在の東京大学だけれども東京帝国大学というと1897年から1946年までの名称になる。大学を卒業した年は1893年(明治26年)だった。松山で正岡子規と出会い夏目漱石が後に文学者となる学生時代の正岡子規と初めて出会ったのは1889年(明治22年)の東京大学予備門の同窓生としてのことだった。大学時代にも良く共に過ごして正岡子規の故郷の松山へ一緒に旅行もするなど、交友を深めた。卒業後、愛媛県尋常中学校に英語教師として赴任した頃、松山に帰省した正岡子規と再会して俳句に精を出した。彼が松山で正岡子規と会ったのは確かだけれども初めてのことではない。西洋文学夏目漱石がイギリス留学で学んだ文学はジョージ・メレディスやチャールズ・ディケンズといったイギリスの作家が中心だったので、ヨーロッパとアメリカを含めた西洋文学それ自体に関心を示したわけではない。日本の近代文学の将来について考えを深めました夏目漱石のイギリス留学は日本の文部省から英語教育法研究のために命じられたためだった。その中でイギリス文学を研究している間に日本の漢文によるものとの違いに驚き、余はこゝに於て根本的に文学とは如何なるものぞと云へる問題を解釈せんと決心したり(夏目漱石の文学論)と思った。なので結果的に日本の近代文学の将来について知ることに繋がったとしても必ずしもそれを目指して研究などに取り組んでいたわけではなかった。その短い生涯の中で夏目漱石は四十九歳まで生きたので、その生涯が短いと呼べるかどうかは微妙なところだろう。日本の現在の平均寿命の八十代半ばから捉えると短いといえなくはないけど、それでも人生の折り返しは過ぎている。または彼が生きた明治や大正時代だと五十歳程度だったから決して短いとはいえない。 Bardの事実認識は良好だけれども誤認も少しある Bardの2023年9月のアップデートで、事実確認の実力が大きく上がった感じがする。全体的に上手く纏まっていて、一見、何の問題もないように見えるほどの良い仕上がりだ。 歴史的な事柄の日付がたまに間違っている。事実誤認も偶にある。物事の把握に緩いところが少しあって表現がズレてしまうことも偶にある。 取り分け気がかりなのは夏目漱石の幼少期の養子への二回の出戻りのところが上手く捉えられてなかった。同じことが続いて内容が微妙に異なるというふうに錯綜すると解き解すことが難しくなるみたいだ。 その他、所々、細かい部分で、事実認識を損なっているので、やはり、そのまま、受け入れることは注意しなくては行けないと思う。 確認したのは夏目漱石の生涯というインターネットの情報が非常に多いものなので、Bardにとっては最も有利な結果が出たはずだ。インターネットの情報が減るほどに難しくなるのが事実認識なので、全てにおいて同じような結果にはならないし、平均すればもっと誤認が増える結果が出るかも知れない。 使った感じは本当にインターネットの情報が多いか少ないかではっきり分かるくらい違いがあるという印象を持つ。 参考サイト夏目漱石生い立ち養子にしてもらえない「捨て子」英国留学時代 コメント 新しい投稿 前の投稿
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