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些細な日常

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そばかす(JUDY AND MARY)|1990年代の盛り上がる邦楽

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1990年代の邦楽から乗り良く盛り上がる楽曲として気に入りの JUDY AND MARY の そばかす を紹介する。 JUDY AND MARYへの思い JUDY AND MARYのYUKI/ポップジャム| NHK JUDY AND MARYはテレビのカラオケ番組で、女性アナウンサーが二人で クラシック を歌っているのを観たときに良い曲があると実感した。 カラオケソングの記事 にも取り上げたけれどもヴォーカルで作詞も良く担当するYUKIの世界観が魅力の中心で、女性が好きな女性かも知れないけど、つまり何かに夢中になったときだけしか得られないような特別な気持ちの自由奔放さにしっかり触れられるのが物凄く惹かれる。 そばかす への思い [4K] Judy and Mary WARP Tour Final (07/24) そばかす (Sobakasu)|YUKI VIDEO JUDY AN…

三島由紀夫が良い人過ぎて自衛隊へ憲法改正のためのクーデターを起こして切腹自殺を遂げさえもした日本とは何だろう

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昔から聞いて物凄く大きな謎だった問いが 三島事件 という日本を代表する小説家だった 三島由紀夫 が自衛隊へクーデターを起こして切腹自殺を遂げてしまった全てなんだ。 気持ちが錯綜し捲る。大金持ちで生活費が十分に足りていて何が不満なのか。数人の仲間と決起したようだけれども実際に大勢の自衛官たちに演説しつつも賛同を少しも得られずに失敗するのは最初から目に見えて明らかだと考えなかったのか。無念の死を免れずに切腹自殺を遂げさえもするままに人生を終えざるを得ないほどの飛んでもない願いが込められていたのか。さもなければ無茶苦茶だからどうでも構わない自己満足を欲していたのか。社会的に話題作りが目的で只単に目立ちたがり屋の性格に起因していたのか。本当に幾つもの疑念が浮かんでは消えて収拾が付かない感じにさせられる。 三島事件を調べると三島由紀夫の動機が真っ二つに割れるから理解する…

再結成したCHEMISTRYの二回目のデビュー曲のPIECES OF A DREAMの新しいアレンジがお洒落だ

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火曜日の午後八時のテレビは何を観ればというか、ちゃんと観なくても休むためにせめてかけておくには 谷原章介 のゆったりした司会の うたコン が気に障らなくて無難だし、チャンネルを会わせてしまう。 歌番組で前身の NHK歌謡コンサート に引き続いて出て来るのは演歌歌手が多いけれども偶に違う。 谷原章介が司会のテレビ番組というと 王様のブランチ のイメージが圧倒的に大きいので、うたコンもそんなふうに若者向けで歌手を起用するように変わるのではないかと期待させもする。 先日は 荻野目洋子と登美丘高校ダンス部 が出て来て物凄く面白かったんだ。 暫くしてまた観るともなく、日中の作家活動で疲れ切った時間帯にうたコンをかけていたら CHEMISTRY が再結成したと出て来てかつて大ヒットしたデビュー曲の PIECES OF A DREAM を二回目の新しいアレンジで歌ったのが久々に聴きながら懐かしくも…

徳川家康の忸怩たる思いも良く分かるようで偉く辛い

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朝からブログに誰も来てない。午前中のアクセスが皆無ならば一日で十人も厳しいだろう。二ヵ月前からアクセスが伸び出して一日に五人くらいだったのが十人、十五人と増えたので、今月はできれば二十人を望んでいた。 Google検索では上昇傾向の見られる些細な日常なので、本当に厳しい。偶々、エアポケットの時期で、又直ぐにアクセスも伸び返すと考えられるにせよ、誰も来ないという現状は正しく耐え切れない……。 何とかするためにヘッダーのデザインを昔に戻した。アクセスの少なかった頃に合わせるのは奇妙だけれども人々への受けが今は悪いわけだから良いのではないか。 昔はGoogle検索が不調で誰も来てなかった。今はそれが好調なのにアクセスが気持ち良く伸びてない。折角、誰かが来てもブログの受が悪くて常連になるどころか世の中に広めてさえも貰えないでいるはずではないか。ヘッダーのデザイン…

ドアーズのロックは社会への扉を開く

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ドアーズ のボーカルの ジム・モリソン は元々は詩人だったらしい。するとバンド名も確かに独特な響きを持っていたと今更ながら驚くけど、詩だったんだ。 ウィリアム・ブレイク という詩人の言葉で、それは オルダス・ハクスリー という文学者が自著の 知覚の扉 (エッセイ)のタイトルに引いたところからの彼らの孫引きの形だった、しかも。 言葉の歴史的な流れというか、人々による受け渡し方が数奇だと溜め息も洩れる。ウィリアム・ブレイクからオルダス・ハクスリーへと、オルダス・ハクスリーからドアーズへと繋がって行った。その間、二世紀くらい経っているわけで、どんなイメージだったのかが非常に気になってしまう。僕も引きながら考えてみたい。 もしも知覚の扉が洗い清められたなら人間にはあらゆる物事がそのまま、果てもなく思われただろう。 人間は自らを閉じ込めたゆえ、岩屋の狭い隙間を通して総てを認めるまで…