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ラベル(既視感)が付いた投稿を表示しています

ジェス・フォアミの写真は透き通った世界の清らかさが理想的な創作活動で感動する

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タイの写真家でジェス・フォアミの写真がとても良いと引き付けられた。写真を載せているPixabayのアカウントがcunconというので、辞書で調べてみると「cun con」はタイ語で赤ちゃんを意味するらしい。写真の趣きからすると天真爛漫なイメージを表現したいのではないか。A girl in white clothes by cuncon [CC0], via Pixabayまたは天使の情感ともいえる。心の味わいが詩的なのが素晴らしくて目が離せない。透き通った世界の清らかさが被写体の全てに広がっているような写真だと思う。目に移る自然の光景があるがままで素敵だと良く分かるという撮り方で、些細な日常の良さを的確に示しているのは個人的にも愛さずにいられないわけだ。Summer beach by cuncon [CC0], via Pixabay臨場感が心地良いから写真を見ながらそうしたイメージの中…

既視感(デジャヴ)の本質的な認識

既視感(デジャヴ)とは何か。詩的に考えるというか、僕は永遠の詩人だから本質的な認識として表現しようとするとブログの天道虫の記事から分かるのは色と形の組み合わせがイメージを越えて感じ取られるせいだ。
通常、イメージを越えて人が生きることはなくて観念と物体は一対一の対応関係で精神に記憶されているわけなんだ。しかし既視感においては色と形の組み合わせという抽象性を介して経験が全く別のイメージに飛び火する。元々のイメージが抽象性から引き出されるために全く別のイメージを受け取りながら人は今此所と結び付けることができる。およそ全く別のイメージしかなくて精神が切り替わるとしたら人は旅立ったか、夢見たかだろう。精神は存在と意識の変化を確知する。既視感にかぎってはそれが今此所となって味わわれてしまう。
注意すると色と形が何かに似ているだけでは既視感は得られない。なぜなら似ているという概念が具体的だからだ。色と形…

既視感(デジャヴ)の思い出

たしか九歳の頃だった。クラスの教壇の方から反対側の大きな黒板を目にしながらいつか見たことがあると一度だけ感じた。見慣れた黒板だったはずだ、およそ。しかし一度だけ黒板の辺りの景色が透明感を持って浮き上がるように瑞々しく味わわれてしまった。何だろうと考えると直ぐにも消えて元通りの状態に変わっていた。
以降、偶に同じような経験はあった。忘れた頃にやって来るみたいな間隔で生じていた。またかと考えるけど、受け取れば驚きつつも直ぐに消えて行くんだ。強いて調べもしなくて分からないまま、過ごさざるを得なかった。知ってみたいとも思わなかったというか。
既視感(デジャヴ)だけれども振り返ってあれが既視感だったとついに気付かれたのはGu-Guガンモ(漫画)が切欠だった。数年後くらいか、九歳の頃からは。キャラクターにデジャブーという黒い鳥が出て来る。漫画の台詞の中で名前が日本語で既知夢に由来していると分かった。かつ…

黒に赤の二つ星の天道虫

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天道虫(並天道虫)は色んな模様があるから幾つか写真に撮って来たけれども作例は初めてのタイプだ。
二つ星の天道虫、黒に赤の二つ星というと何かに思い当たる。既視感がある。思い当たるのに判然としないという。あれ、これはいつか見たものだと受け取りながらそのいつかが覚え切れてないんだ。
久し振りだよ、既視感なんて。何かに思い当たるにも拘わらず、参ったものだ。考えても明かし得ない。