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日本のカーリング女子の藤沢五月などが嫌いなのは期待をかけ捲っていたためで

平昌オリンピックを引き込まれながら観ていて最も大きな謎の一つが最終盤のカーリング女子の試合(カーリング女子、初の銅メダル!!)で、負けて欲しいみたいな感じの悪さが否定できなかった。正直にいって嫌いだった。以前は何とも思わなかったはずだし、日本代表の選手たちがメダルラッシュで大きく盛り上がっている平昌オリンピックの締め括りにカーリング女子が銅メダルを取るかも知れないイギリスとの大一番の対戦を観てながら急に不可解だったと振り返る。 View this post on Instagram オリンピック(The Olympic Games)さん(@gorin)がシェアした投稿 - 2018年 2月月24日午前5時43分PST さてもカーリング女子のチーム自体のLS北見を敵視するつもりは全くなかったのではないか。良く知りもせずに同国の日本列島の人々の注目を一心に浴びている様子をテレビ越しに妬んでいると…

梶井基次郎の芥川龍之介が嫌いな気持ちへ間違いを夢見た三好達治の詩的な感性

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もしかすると梶井基次郎は芥川龍之介が嫌いなんだと思っていた。二人とも日本の小説家で、大正末期から昭和初期までの同時代を生きていた。僕は両方とも好きな作家だけれども互いに作品の傾向が余りにかけ離れ過ぎている。梶井基次郎は生命力が強くて芥川龍之介は精神性が高い。なので後者は前者を全く気に留めないとしても前者は後者を情けないみたいに捉えずにいないのではないか。いじめといえばいじめだけれども自分よりも詰まらない奴として見下してしまう梶井基次郎を想像するほどに芥川龍之介が無闇に可哀想だから本当ならば何とかしなくては行けないと感じた。作家として一つの命題にもなるんだ。たとえ優秀な小説家でも他人を馬鹿にする愚かさを免れないような生活が現実だとすれば魔が差したに過ぎないにせよ、相当に根深い。僕にとっては皆が真似しないように自作を通して仕向けるというか、総じて言葉遣いから世界の相容れない友好的な事情へ十分…

嫌いな人間は本当は人生で役立っている

面白いのは良さを持っている、好きなだけではなくて嫌いな人間でも。だから余りに逆らい過ぎると自分こそ良さを失いながら死ぬしかなくなりもするのではないか。地獄の道理、すなわち閻魔の悪知恵ならば流石にやはり人間を破滅させるように神から上手く作り出されていると驚く。懇意、止めてくれれば助かるのに人間だけが確実に生き延びるのも不合理なためだろう。人間同士でも力関係があって嫌いな人間が強いほどに人生は厳しくなるわけなので、弱いままで倒れないためにはそうした力を認めながらむしろ自分にしっかり取り入れて完全には敵視しないように努めるべきだと思う。なぜ人は人を嫌うか根源的には思想に反するせいで、人々は敵対する。世の中で討論会にかぎらないし、さもなければ却って真実を見落とし兼ねない。思想は人間の存在を形成している。生死を懸けて宗教戦争でも何でも起きるわけだ、互いに嫌い合えばもはや。差別、偏見、そしていじめも…