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些細な日常

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織田信長が非業の死を遂げた理由は明智光秀の恨みを恐れた森蘭丸を宥め賺した人間の大きさにあり

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戦国時代に日本の天下統一の野望を真っ先に掲げて誰よりも近付いて行った 織田信長 が 本能寺の変 で自らの志した道半ばに倒れた歴史は非業の死を遂げたと捉える他はないと思う。 明智光秀 が謀反を働いたわけだけれども 信長公記 ( 太田牛一 )によれば大軍勢が押し寄せると本能寺の変で異変に気付いた織田信長が「是れは謀反か。如何なる者の企てぞ」(これは謀反か。どんな者の企てだ)と 森蘭丸 に訊ねて「明智が者と見え申し候」(明智の者と見え申します)と応じられると「是非に及ばず」(どうしようもない)で口を閉ざしたらしかった。 そのまま、亡くなったので――最後の最後、炎に包まれた本能寺で臨終間近には「女どもは苦しからず。急ぎ罷り出でよ」(女たちは構わない。急いで出て行きなさい)と逃がすためにいったかも知れない――織田信長の最後の言葉にもなっている。 聞くや否や物凄い弱気な発言ではないかと違和感を受けた Nobunaga Oda b…

森蘭丸の青が似合う美男子らしい忠誠の織田信長へ命を捧げた潔さ

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本能寺の変 を調べていたら、一際、目を引く武将がいて 森蘭丸 という名前から戦国時代に華々しく引き付けられる感じが凄かった。 Ranmaru Mori by Yoshitoshi Tsukioka / Public domain 織田信長 の家臣で、多勢に無勢と 明智光秀 の大きく攻め込んで来た武士たちの勢いに押され捲りつつも正しく死をも恐れずに先頭を切って奮戦した武将の一人が森蘭丸だった。 明智軍の 安田国継 に槍で刺されて殺されたらしい。安田国継は非常に有力な武将で、古川九兵衛と箕浦大蔵丞と共に明智三羽烏と呼ばれるくらい明智軍の主力だった。 本能寺の変で最大の狙い目だった織田信長も槍で突かれてもう駄目だと傷付きながら部屋の奥へ引き下がったのは安田国継の一撃だったといわれる。 森蘭丸の死と織田信長の痛手は何れも安田国継が自分でやったと自分でいっていたらしくてもしも見栄を張っているだけならば史実が歪められて困って…

鳴かないホトトギスの織田信長と豊臣秀吉と徳川家康の句は詠み人知らずだった

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日本史の取り分け戦国時代を代表する武将の 織田信長 と 豊臣秀吉 と 徳川家康 を非常に分かり易く伝える言葉として三者三様のホトトギスの句が良く知られている。 何れも本人が詠んだわけではなくて江戸時代の大名の一人で、肥前国平戸藩の第九代藩主だった 松浦清 が作家として静山の号で書き残した随筆集の 甲子夜話 (かっしやわ)に詠み人知らずで取り上げて世の中に広まったらしい。 松浦静山が伝えた鳴かないホトトギスの五つの句 Kiyoshi Matsuura by Unknown / Public domain 松浦静山はどこかの誰かが織田信長と豊臣秀吉と徳川家康の三つの句とさらに匿名で二つの句を詠んでいたのを人伝てに聞いて自作の随筆集の 甲子夜話 に載せた。 夜話のとき或人の云けるは、人の仮托に出る者ならんが、其人の情実に能く恊へりとなん。 郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、 なかぬなら殺してしまへ時鳥   織田右…

本能寺の変を企てた明智光秀の動機とは戦国時代の天下人での日本の治世のためだったのかも知れない

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明智光秀 が滅没した室町幕府の最後の将軍の 足利義昭 が京都に入洛するという 本能寺の変 を企てた動機を示唆するほどの 土橋重治 宛の直筆の書状が発見された。 仰せのように今まで音信がありませんでしたが<初信であることの慣用表現>、上意(将軍)への奔走を命じられたことをお示しいただき、ありがたく存じます。しかしながら(将軍の)ご入洛の件につきましては既に承諾しています。そのようにご理解されて、ご奔走されることが肝要です。 一、雑賀衆が当方に味方されることについては、ありがたく存じます。ますますそのように心得られて、相談するべきこと。 一、高野衆・根来衆・雑賀衆が相談され、和泉・河内(ともに大阪府)方面まで出陣されることはもっともなことです。恩賞については当家の家老とそちらが話し合い、後々まで互いに良好な関係が続くように、相談するべきこと。 一、近江(滋賀県)・美濃(岐阜県南部)までことごとく平定することを命じ…