森蘭丸の青が似合う美男子らしい忠誠の織田信長へ命を捧げた潔さ

本能寺の変を調べていたら、一際、目を引く武将がいて森蘭丸という名前から戦国時代に華々しく引き付けられる感じが凄かった。


月岡芳年の森蘭丸

織田信長の家臣で、多勢に無勢と明智光秀の大きく攻め込んで来た武士たちの勢いに押され捲りつつも正しく死をも恐れずに先頭を切って奮戦した武将の一人が森蘭丸だった。


明智軍の安田国継に槍で刺されて殺されたらしい。安田国継は非常に有力な武将で、古川九兵衛と箕浦大蔵丞と共に明智三羽烏と呼ばれるくらい明智軍の主力だった。


本能寺の変で最大の狙い目だった織田信長も槍で突かれてもう駄目だと傷付きながら部屋の奥へ引き下がったのは安田国継の一撃だったといわれる。


森蘭丸の死と織田信長の痛手は何れも安田国継が自分でやったと自分でいっていたらしくてもしも見栄を張っているだけならば史実が歪められて困ってしまうけれども嘘吐きが有力な武将のはずはなくて精神こそ自分に厳しいくらい鍛え上げてなければ命懸けの真剣勝負の世界で生き残るわけもないから信用するのは他の人たちよりも比較的に易しいと考える。


物語として捉えると主君の織田信長を庇って先に命を落とした森蘭丸の忠誠に満ちた決死の姿が魂を揺さぶる


巷で事実は小説よりも奇なりと聞く。本当に興味深いのは森蘭丸には二人の弟も一緒に参戦していた。森坊丸森力丸と合わせて森三兄弟みたいな感じで、本能寺の変で織田軍として安田国継を含めた明智三羽烏と力強く対峙していたような印象を与える。


計らずも三対三の抽象的な知覚から宿命とか神なんて形而上学(観念界)に思い馳せる瞬間が訪れるのが類例がない。


哲学的な気分にさせるけど、しかし詩学的な気分にもさせる。というのは森三兄弟は何れも十八歳以下の少年だったせいなんだ。武将として戦闘能力は必ずしも低くなかったにせよ、本能寺の変で突然ながら歴戦の猛者に他ならない明智三羽烏に対峙しては端から勝ち目はなかったのではないか。想像すると本当に気持ちだけで打つかって行ったに違いない。織田信長のために死力を尽くして悔いはなかったとしても早過ぎる亡骸がとても可哀想で、短い生涯へは悲運を告げるように切ない風が流れるばかりだと涙に咽ぶ。


森蘭丸は先頭を切って大暴れした本能寺の変で安田国継に打ち倒されるまで武将としての潔さを体現していた


右田年英の豊臣勲功記の本能寺ニ森蘭丸討死之図

描かれた絵を見ると青い服が目に染みる。明智光秀に予想外に襲われたから本能寺の変で織田軍は甲冑ではなくて普段着のままで防戦するように良く描かれている。青い服を着ている武将は珍しくないけれども森蘭丸にかぎっては光り輝いて受け取られてしまう。


何よりも主君の織田信長への家臣としての忠誠を当時の武家社会ならではの戦いの場面を通して諸に体現しているのが大きそうだ。


森蘭丸は十二歳頃から織田信長に小姓として仕えていた。二人の弟の坊丸と力丸も一緒だったらしいけれども父親の森可成が織田信長の家臣だったせいだろう。小姓は主君の身辺の世話をする役目だけど、森蘭丸だけは次第に使者などの事務官としても目立って働くようになり、他に代え難い有能さから寵愛されて側近中の側近の立場を得て行ったんだ。


織田信長にとっては自らともはや切っても切り離せないほどの存在という最も重要な家臣で配下武将の一人が森蘭丸だったとも過言ではなかったようだ。


あるとき、刀を持たせておかれたら刻鞘の数を数えていた。
後に信長が周りの人を集め、「刻鞘の数をいい当てた者に、この刀を確かに与えるつもりだ」といわれたら、皆は推し測って答えるのに、森は先に数えて覚えていたと思って答えなかった。信長はその刀を森に与えられたそうだ。
信長は森の才気を試すことが多かったけれども、一度も誤りなく、その才気は老人でも及びはしないだろう。



森蘭丸の織田信長との親愛の情を示した逸話が様々に残されているけれども刀を譲り受けたのは印象深い。織田信長は常日頃から大事にしていた名工の藤三郎行光が作成した不動行光という優れた短刀だったらしいけれども森蘭丸の不正を退ける真っ直ぐな思いに感激したように最初に吹っかけていた刻鞘の数をいい当てる謎解きも反古にして――武者物語(松田秀任選)によると織田信長は自分がトイレに行っている間に森蘭丸に不動行光を預けて待たせていて良く見ていたから答えが分かっているとあげるためにわざわざ仕組んだかも知れない――手渡してしまった。不動行光を持つには相応しいと甚く気付かされたのではないか。以来、森蘭丸も織田信長と変わらず、大事にしていた刀だったみたいで、本能寺の変で亡くなると同時に消失されたといわれる。肌身離さずに持っていたから譲り受けた光栄と感謝の念を絶やさなかったに違いないはずだ。


二人の密接な関係を知ると森蘭丸の本能寺の変での果敢な振る舞いは当然の向きながら、文字通り、命懸けで溢れ返る素晴らしい人情味に胸打たれずにもいない。


恩義に突き動かされる勇姿がそれこそ他に代え難い有能さを日頃から身近で受け取っていた織田信長ではなくても本当に良く分かると伝えている。


森蘭丸は名前がはっきりしなくて諱/本名は長定や成利や長康ともいわれて蘭丸は幼名でも表記は乱丸かも知れない。他にも乱や乱法師がある。当時の書状を収録した金剛寺文書には「森乱成利」と載っていて公で名乗っていたと考えられる。しかし本能寺の変での安田国継との死闘から振り返ると蘭丸の呼び名が潔さに散った忠誠の塊という織田信長に命を捧げた生き方にしっくり来るんだ。世の中に良く広まっているのも同じかも知れないけれども歴史ロマンに触れ易いのが気に入ってしまう。


見た目も美男子だったと聞く。武士に二言はないと良くいわれる空前絶後の気骨が揺るぎなく認められる人生で、所謂、侍魂が家臣から主君への恩義を介してさぞかし立派だったと受け取られる。醜いはずはないというか、美しい人間性の基準に完全に当て嵌まっているから美男子だったとしても不思議ではない。心からきっと本当だったと頷きたい。


参考:本朝御小姓列伝 一

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