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梅沢富美男の「まだまだ現役」(RIZAP)が耳に残るのは優しい心根のせいだった

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テレビのCMで「まだまだ現役」と聞いて物凄く力強いというか、元気が漲り溢れる声色に誰なのか、何の商品なのかと気を引かれて言葉が耳に残ったのを驚いたんだ。
僕は目が悪くて画面が殆ど見えないので、部屋で遠めに遠めに置かれたテレビの新しい番組やCMは直ぐに出演者を把握できない場合も少なくない。
最初は別に良いやと特に知らないままに済ませようとしていたけど、しかし耳に残った「まだまだ現役」に何回か繰り返して接しているうちに本当に知っておきたいと感じた。
CMの出だしからBGMが特徴的だったので、この曲が流れ始めたら来るなと待ち構えていたら、あるとき、ついにテレビに近付いて梅沢富美男RIZAP(ライザップ):完全個室のプライベートジムのCMだと分かって嬉しかった。
RIZAP(ライザップ)「梅沢富美男 銭湯」編(15秒) via RIZAP(ライザップ)公式チャンネル
近頃、梅沢富美男はテレビのバラエティー番組で佳く見かけるし、人生の波に乗っている印象を与える。俳優だけれども、以前、夢芝居という歌がヒットして何でもやる人みたいな感じがした。数年前からコメンテーターやパネリストでテレビに出演する機会が相当に増えて来ていた。
ミヤネ屋で存在感を著しく受け取っていて司会の宮根誠司との漫才の掛け合いみたいな言葉の応酬が注目された昨年から本当に他のバラエティー番組でも又いると多く目にするのをはっきり気付いた。
芸能界は人々に当たる芸能人がテレビのあちこちに出て来るみたいなパターン、所謂、世の中で引っ張り凧の人気者の状況があると思うけれども現時点で梅沢富美男が、一番、興味深く受け留められるほどの存在感を放っているかも知れない。
咄嗟、気付くのはなぜなのかの切欠としてやはり昨年の注目されたミヤネ屋への出演だった。
トランペッターの日野皓正が自身で監督を務める中学生バンドの音楽会で、一人のドラマーの生徒を殴り付けて演奏中に強制的に止めさせるという事件があった。
世界的ジャズ・トランペット奏者「日野皓正」が男子中学生をビンタ
ソロのパートを予定外に引き伸ばして長々と続けたのが中学生バンドの他の生徒たちに不平等で迷惑だったし、折角の皆の音楽会を台無しにしているとどうしても許せなかったらしい。大勢の観客の目の前で、乗り込んで行って日野皓正はドラマーのスティックを取り上げたんだ。もう叩けないだろう。しかしそれでも生徒…

人を叱るときの4つの心得/山中伸弥の悩みへの平尾誠二の励まし

山中伸弥(科学者)は平尾誠二(ラグビー選手)と友達だった。昔から憧れを抱いていて神戸製鉄のチームで華麗なプレイと屈強なリーダーシップが光ったために大学時代は自分でも近付こうと部活動でラグビーをやっていたけれども2010年に京都大学のiPS細胞研究所の所長に就任してから雑誌の週刊現代の対談で初めて出会ったのが切欠だった。
ノーベル賞の山中教授、夫婦会見ノーカット
後の2012年にはノーベル賞も授与されたほどの世の中で大注目だったiPS細胞の第一人者としていつも忙しくてメディアの様々な取材を断ってばかりいた時期、山中伸弥は夥しい依頼の中から平尾誠二の名前を偶さか見付けて居ても立ってもいられなくなったのか、憧れの存在を思い起こしながらもはや引き受けるしかないと決めたみたいだ。
実際にお会いしてみると、平尾さんは僕が思い描いていた通りの方でした。
平尾誠二は、僕のようにラグビーをやっていた人間だけでなく、男女を問わず同年代の人たちにとってヒーロー的な存在です。テレビでも、伏見工業高校ラグビー部を題材にしたドラマ『スクール・ウォーズ』が大人気で、平尾さんをモデルにしたキャプテンの「平山誠」は、女子生徒がファンクラブを作るほど格好いいエースとして描かれていました。
「その通りの人が、そのまま出てきたな」と、僕は思いました。
テレビなどで憧れていた人でも、実際に会ったら想像していたイメージと違ってガッカリした、という話はよくあります。僕もそう思われているかもしれません。でも、平尾さんは想像していたイメージそのまま、いや、それ以上に素敵な方でした。
彫りが深くて男前なだけでなく、とても心の優しい人なのです。話の端々に、いろいろな人に対する思いやりが滲みます。それが慇懃無礼な感じではまったくなく、むしろ口では結構辛辣なことも言うのですが、それでも優しさが自然に伝わってくるようでした。
対談後、編集者もまじえて京都で食事をしました。いちばん憧れていた人にお会いできた嬉しさから、いつもよりたくさんお酒を呑んでしまいました。
そこから、僕たちの付き合いが始まったのです。
山中伸弥教授が明かす、故・平尾誠二との「最後の一年」 via 現代ビジネス
親交を深める間、あるとき、山中伸弥は平尾誠二に悩みを漏らしたんだ。京都大学のiPS細胞研究所の所長をやっていて上司として部下の研究者たちが失敗するのをどうすれば良いの…

松岡宮の大田区というひとつの完結した世界がありに掴み取る自然の儚さの詩情

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松岡宮は詩人で良いと思うけれどもポエトリーアーティスト(詩的な芸術家)を名乗っていたり、駅員が好きでいつも追いかけ続けているとか如何にもキャラクターが濃いらしくて注目してしまう。
桐蔭学園ー代ゼミー東大理2-保健学科ー修士卒業 (博士課程は受けずに、放浪しますと言い残して大学を去ったような去らないような・・・) いつも真面目にやってるのだけど、劣等生で・・・ついてゆくのが大変・・・
松岡宮 活動歴・受賞歴等 via 駅員観察日記
経歴が凄くて東京大学を卒業していた
IQ(知能指数)が非常に高いのではないか。日本一、そして世界でも指折り大学に数えられるのは間違いなさそうな気持ちがする。
情報によると東京大学でも理科二類の保健学科は理科三類の医学部などよりは入学するのは大変ではないみたいに聞かれもするけど、驚くのは驚くし、しかも松岡宮は修士卒業だから進学して大学院の半分(修士/博士前期過程)まで行っていて勉強家だと唸らされる。
二十代前半、コンビニでアルバイトをしていた頃、同僚の二人の東大生と出会って一人はちょっと遊んだりもしたくらい仲良くなれたけどーー夜勤明けに相手の家でスーパーファミコンファミリーテニスを愉快にやってから他のゲームを貸すか何かで自分の家に来る途中で、駅を降りると腹が減ったといわれるので、朝早くから開いている店が少ないとちょっと悩んだ、近場のリンガーハットへ連れて行くと長崎ちゃんぽんを平らげた後に美味しかったと又いわれるのが嬉しくこそ微笑ましかったーー何れも普通の印象を与えた。ただし話し込むと神経過敏な面に驚かされながら凝り性みたいな人柄を受け取った。何かに打ち込む能力が長けているから受験勉強にも功を奏して超難関の東京大学に入学できるのではないか。いい換えると精神の集中力に優れているわけだ。
松岡宮もそうなのか、駅員への執拗なまでの拘泥りとかやはりと合点するし、凝り性みたいな人柄を明らかに示している。別に東大生だけではないにせよ、知り合いの二人と似通っているのが面白い。
松岡宮/大田区というひとつの完結した世界があり(2017年音源) via Miya Matsuoka
詩では大田区というひとつの完結した世界がありYouTube)に甚く引き付けられた。
青春期に大田区へ良く行っていた
僕はアルバイトで通っていたんだ。最初は電車が多くて山手線の五反田駅から東急池上線に乗…

素晴らしい人がカラオケで槇原敬之のどんなときも。を歌ったら好青年の雰囲気に打って付けだった

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青春期、一度だけ素晴らしい人がカラオケを歌うのを聴いていて選曲が槇原敬之どんなときも。だった記憶があるんだ。驚いたし、余りに相応し過ぎるというか、好青年の雰囲気にとても良く重なっているせいだった。
加えてカラオケは自分の雰囲気に合わせて選曲するのが好ましいと学んだ。実行するのは大変なはずだし、気持ちがいつも周りからどのように受け取られているかの自己分析が欠かせないと考えながら密かに参ったりしたのも覚えている。
僕は皆でカラオケに出かけるのは初めてだったし、何をどうするべきかも定かではなかったので、振り返ってみると本当に新しい発見が多かったんだ。
最も気になるのは素晴らしい人と好青年の雰囲気が槇原敬之のどんなときも。で結び付くのはなぜかだった。率直にいうと何でこんなぴったりなんだと不思議に感じながらカラオケを聴いていたわけで、驚くだけではなくて内心では解き難い謎としてずっと残ってしまっていた。
槇原敬之 - どんなときも。 via Warner Music Japan
槇原敬之のどんなときも。はポジティブな人生の応援歌だ。歌詞で印象深いのは「僕が僕らしくあるために」の一節で、人間の気骨を物凄く感じさせてくれる。我が道を行くけど、ただしユニークなのは理由を的確に説いている。日本の歌謡曲ではありがちな趣向かも知れないけど、槇原敬之ならではのイメージの所以はラブソングではなかったんだ。どんなときも。は飽くまでも人生の応援歌と捉えるとポジティブな要因が恋人との約束だから二人だけの秘密みたいに閉じられなかったところが際立っている。一言では「夢」が重くて自分自身の全てを含んでいるのが良いと思う。頑張るとは何かがまるで文学作品のように伝わるし、人間の気骨によって本当に知るために経験されるべき月日そのものが集約的に表現されている。畢竟、目標実現に努力した結果が納得できさえすれば失敗しても構わないというと槇原敬之のキャラクターだろう。どんなときも。は世の中で弱者への慈愛に満ちた優しさがはっきり示されているから代表曲に他ならないと考える。
生活上、誰でも助けるみたいな懐の深い思いが好青年の雰囲気を呼ぶとすると槇原敬之のどんなときも。には認められるし、カラオケで歌ったらとても良く重なっていたとかぴったりなんて気持ちが本当ならば素晴らしい人にもあったためだと改めて想像されて来て胸に染みる。
思い出を挙…

アインシュタインの蜜蜂と人間に関する言葉は最初はメーテルリンクの蜜蜂の生活から名前だけ変えて伝えられたようだ

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Bees in the hive box by JPiber [CC0], via Pixabay
やりすぎ都市伝説でゲストのいとうせいこうアインシュタイン蜜蜂人間に関する言葉を引用していてとても興味深かったものの違和感も否めなくて何だろうと首を傾げざるを得なかった。
アインシュタインは物理学者で、生物学者ではないので、蜜蜂と人間に関する言葉が本当ならば専門外の分野にまで十分に精通していると受け留めるし、世紀の大科学者として流石に博識だと唸るところがしかしあり得ないのではないか、認識の内容が信憑性に欠けているようで、どうも仮説的で、予言的な意味合いが強かったせいだったんだ。
もしも地球上から蜜蜂が姿を消し去れば人間は生きるのに残り四年しか持たないだろう。蜜蜂がなくなり。受粉がなくなり、植物がなくなり、動物がなくなり、人間がなくなる。
If the Bee Disappeared Off the Face of the Earth, Man Would Only Have Four Years Left To Live via Quote Investigator(訳出)
引用の言葉はいとうせいこうがやりすぎ都市伝説で取り上げたのと同じで、調べるとアインシュタインの認識として世界的にも広まっていたらしい。
知って「残り四年」の根拠が何よりも如何わしかった。生物学者が本格的に研究して膨大なデータを収集しながら調査を長らく行わないと分からないはずではないか。アインシュタインが物理学者としてそこまでやるとは想像し難いし、たとえ世紀の大科学者でも時間が足りなくて無理だろう。頑張っても一人で手に入れるのは不可能な認識とすると怪しいかぎりだ。
よもや本当ならば引用の言葉は他の誰かの言葉が取り入れられたと考えるのが普通だった。
アインシュタインの認識として広まったのは彼自身の言葉遣いが不正確なためだったから情けないとさえも感じるし、世紀の大科学者の名折れか、または可哀想にも口にしたのは事実ながら本人ではない出典が省かれて皆に伝えられた場合の他には納得できない状況になっている。
A group of bees by PollyDot [CC0], via Pixabay
実際はどうか。アインシュタインが蜜蜂と人間に関する言葉を口にした記録は全く残されてないみたいだ。雑誌の記者が何となく伝えていた…

在日外国人の子供たちの不安なアイデンティティーへの親近感と悩みへの慈しみ

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バリバラの“外国ルーツ”の子供たちを観て在日外国人の子供たちが抱える様々な悩みを知った。
両親の片方が外国人で自分はどちらの国民なのかというアイデンティティー(自己同一性)の不安を持っているのが内面性の下地になっているようだ。考えると僕も同じような状況だったから親近感が湧いた。父親が秋田県で、母親が栃木県で、自分はどちらの県人なのかとアイデンティティーが気がかりになる。人々の交通が繁栄した現代では色んな地域の色んな両親を持つのが普通だから在日外国人の子供たちのアイデンティティーの不安は誰にとっても決して縁遠くないわけだ。細かくいえば父親と母親の根源的な差異を想定するべきではないか。全員に当て嵌まる悩みとも過言ではない。
文学上、日々の悲しみから来ている。例えば宝くじで六億円が当たったらどうでも良いと思う。一人で生活するかぎり、自分以外にアイデンティティーはない。または地域に根差した存在に満足する。
Sonw hill with a tree by Mojpe [CC0], via Pixabay
今此処が全ての始まりだと世界の産声を聞くためには詩が必要にせよ、満足しながら納得できない(素晴らしい幸せを夢見ながら)みたいな状況だから気付かなくても実生活に支障はないだろう。
だから子供たちに特有の悩みなんだ。家の中で父親と母親のどちらの側に付くべきか。内面が引き裂かれるたびにアイデンティティーの喪失に苛まれてしまう。見捨てられたら生きられないためだ。
両親がラブラブで、四六時中、打つかり合わない家庭ならば何も起きないかも知れない。目を凝らしてそれぞれのラブとラブの経緯を確かめると胸が痛むから自分自身のために作詩して良いし、さもなければ一時の平和という夢の中で疑いながら「我思う、ゆえに我在り」(ルネ・デカルト)と認識するのも同じだろう。アイデンティティーを的確に掴むのは子供たちにとって全くの不可能ではない。家庭が円満ならば一人で生活するまでもないし、精神年齢は早く上がる。
日本の実態はどちらかというと打つかり合うのが主流ではないか。いってゲロゲロの両親が一般的みたいだ。蛙の鳴き声に聞こえるならば未だしも耐えられるにせよ、誰かの嘔吐だとすると内面が引き裂かれているから堪らない。如何にも不自然らしい。両親の敵対関係に投げ込まれながら子供たちはどうするべきかと頭を悩ませずにいなくなる。必死…

人魚的な人/Forbes JAPANの世界で闘う「日本の女性」55に選ばれた有泉麻依子

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青春期の知り合いの人魚的な人がアメリカの有名な経済雑誌のForbes(フォーブス)の日本版のForbes JAPANの世界で闘う「日本の女性」55という企画のビジネス部門に選ばれて本当に数少ない中に堂々と名を連ねていた。
Forbes JAPANでは、「ミッションを持ち、世界で活躍する日本人女性」をテーマに55人のリストを作成。拠点は、ニューヨークの10人をトップに、ワシントン5人、サンフランシスコを含むベイエリア9人、ロサンゼルス3人、ロンドン、ジュネーブ、プラ、パレスチナ、アビジャン、ナイロビ、ヨハネスブルク、ビシュケク、バンコク、プノンペン、ハノイ、ハンターバレーなど、世界16の国と地域で活躍する女性に取材した。
世界で闘う「日本の女性」55 リスト全公開! via Forbes JAPAN
2016年だから一年前だ。二十歳の素晴らしい人がいた頃の仲間で、二十五年以上も前なので、Forbes JAPANの取り上げた記事を見ても本人かどうか、人魚的な人の現在の姿なのかは未だに曖昧さを拭い去れないにせよ、名前と顔付きと年齢と学歴から殆ど間違いないと分かって外国で大きく活躍しているから感服したんだ。
懐かしくて凄い。というと人生で待ち望んだ瞬間みたいで、僕自身が昔馴染みの皆からそう思われたくて、徹頭徹尾、自らは作家・詩人として頑張っている気持ちこそ非常に強かったと思う。先を越された人魚的な人にはForbes JAPANで著しく再会できたのが何よりも嬉しいので、これからの励みに又新しくなりそうだ。甚だ幸せだ。
実名が有泉麻依子という。人魚的な人の記憶としては麻衣子だったので、字が違うと焦った。アルバイトのスケジュールに載っているのを見て覚えたはずで、僕が誤って覚えたのか、マネージャーが誤って載せたのか、どちらかなんだ、恐らく。良く振り返ってみると確かに麻依子だったような感じがして来るから僕の記憶違いといわざるを得ない。情けないし、思い出を勝手に作り上げるのは不味いと以前から注意していたけれども改めて反省する。自分の都合に合わせて物事を不適切に判断すると将来にも忌まわしく響く。現実に経験を損っているせいで、認識が歪むから絶えず、些かでも退けるには越さない。
黒目がちの円らな瞳が印象的だった。写真では面影が残っていた。見当たりの神の森本等警部がいったのと同じで、人間は目がやはり変わ…

ノーベル文学賞のクロード・シモンも本を出版できないフランスのエスプリで本物の文学はどこへ行ったか

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フランスで面白い実験が行われて有名作家のかつてノーベル文学賞まで貰った小説の俊英のクロード・シモンの作品の抜粋を国内の様々な出版社へ送り付けるも本にするのを悉く断られてしまった。
ボル氏によると、ある編集者は「一文一文が果てしなく長く、読者を完全に突き放している」と感想を述べたという。
ノーベル賞作家の作品送ってみたら…全出版社がボツに ファンが「実験」 via AFPBB News
笑うのはクロード・シモンがフランスの小説家だった。二十世紀中盤に流行っていた文学潮流で、ヌーヴォーロマン(新しい小説)の代表格、またはアンチロマン(反小説)の最有力として専らアラン・ロブ=グリエと共に並び称されるような存在だったそうだ。一般人ならば未だしも本の出版社が自国のノーベル文学賞の有名作家の作品を知らないと暴き出されてしまったのをどう受け取るべきか。
Prix Nobel Claude Simon via Ina Culture
手が透き通るから思い浮かぶ綿菓子と心行くまで遊ぶしかないだろう、歌いたければいっそ。幸せな気持ちにさせるのはなぜかはフランスのエスプリ(機知)のせいだと考えると日本では馴染みが薄いだけだ。
分かり易く捉え直すと頓知なんだ、利かされているのは。日本人ならばアニメの一休さんが記憶に新しいかも知れない。僕にとっては児童期に良く観ていたから馴染みが深いと振り返られる。
名場面としては仕えていた将軍様から屏風に描かれた虎を捕まえるように命じられると先ずは出して下さいと切り返して頼んだ一休さんが挙げられるんだ。
人に無理難題を押し付けるのが貴方の魂胆なのか。
利かされた頓知でハッと我に返りながら悪びれもせず、言葉を詰まらせるばかりの将軍様の人間的な温かみはたとえ長続きしなかったとしても素晴らしいと感じた。一休さんはいうまでもなく、頭が冴えていたし、物事を受け取る機転の良さに満ち溢れているわけだった。
如何にも小憎らしい言動を覚えたかぎり、一休さんを追い駆け回すようにまるで頓知をせがみながら暮らす将軍様の気持ちも自然だった。いつも利かされないのが苦しい。驕慢に耐え兼ねながら人間的な温かみを失うほどに募るのは渇望だと想像したいというと内面が中心だ。本当に出会えたのが嬉しくてとことん可愛いかったに違いないだろう、将軍様は一休さんがそばにいると意地悪でも。
世界には様々な笑い方があるし、時と…

悪魔の頭脳を持つ男と呼ばれるジョン・フォン・ノイマンはコンピューターと核兵器を基本的に作り出していた

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人類史上最高のIQ(知能指数)は300で、かつて数学者のジョン・フォン・ノイマンが得ていたといわれる。IQの平均値は100だから常人と比べると三倍の能力だった。本人が実際にテストを受けたわけではないので、伝説の域を完全には免れない数値だけれども頭の回転が飛び抜けて早いのは固有の経歴から間違いないようだ。
EDVAC by U.S. Army Photo [Public domain], via Wikimedia Commons
何といっても衝撃的なのはコンピューターの生みの親と呼ばれる人類にとって余りに画期的過ぎる業績だろう。一人で完成してないので、本人のインパクトは些か薄いもののアメリカでEDVACの開発チームに設計のコンサルタントとして参加してプログラム内蔵方式という基本の動作原理を作り出した。コンピューターが例えば只の計算機とは違って色んなことができるように進化したのはそれこそプログラムを内蔵した方式を取っているためで、現行のコンピューターの殆ど全てに採用されている。発案者の名前からノイマン型コンピューターと呼ばれてもいるんだ。近年はプログラムを内蔵しない方式/非ノイマン型コンピューターの中から量子コンピューターがもっと小さくさらに高性能に作り出せるのではないか――量子の非局所性厳密検証に成功――新方式の量子コンピューターにも道――と研究されているらしいけれども一時代を築きながら依然として最有力のコンピューターはジョン・フォン・ノイマンなしには存在しなかった。
俺の次に頭の良い奴ができた。
ジョン・フォン・ノイマン via 心の常備薬
コンピューターが初めて完成した直後、如何にも喜んだらしい言葉を残していたジョン・フォン・ノイマンだったけれども人々の鼻に付くようなニュアンスが込められていた。自分はコンピューターよりも頭が良いと示しているから裏返せば自分以外の全ての人間はコンピューターに及ばなくて頭が悪いとすっかり見下していたみたいに聞こえる。ただし一号機はさほど性能は高くなかったせいかも知れないし、例えばIQ300以下のコンピューターに対して事実ならば無邪気というか、他愛ない一言でしかなかったとは思う。
ジョン・フォン・ノイマンは人間離れし切った突拍子もない存在で、後世、悪魔の頭脳を持つ男とも語り継がれていると知って驚かされた。
ある意味、性格が素直過ぎて人間的にも風変…

ジャパネットたかたの丸尾詩織の商品説明に気持ちが入っていて素晴らしい理由

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45秒動画 パナソニック 加湿空気清浄機 F-VX501 via ジャパネットたかた
ジャパネットたかたのテレビショッピングを観ていて社員の丸尾詩織の商品説明の言葉が力強くてどんどん前に出て来るように聞こえるのが凄いと感じた。声が立体的に表現されているのは飛び出す絵本とか3D映像なんて印象まで与えるから他では経験できないほどの聴覚芸術が新たに生み出されたとも過言ではない。驚きながらなぜなのかを知りたくなってしまった。
45秒動画 東芝 全自動洗濯機 (洗濯7kg) AW-7D3M45秒動画 iRobot社 ロボット掃除機 ルンバ621 R62106045秒動画 シャープ プラズマクラスター除湿機 CV-DF100
端的にいって商品説明に気持ちが入っているせいだ。素晴らしいと感心するし、売り込みにかぎらず、人間の触れ合いとして信用できる真実味が得られるのは嬉しい。
巷でそれ自体は必ずしも珍しくないかも知れないけど、しかし丸尾詩織は声のパフォーマンスが高くて聞き応えからリアルに伝わって来るところが特別なんだ。ジャパネットたかたのテレビショッピングというとかつて社長の高田明のずば抜けて甲高い声の商品説明がとても個性的だったので、人々を咄嗟に引き止める面白さが受け継がれたように考えるのは難しくないだろう。
両者を比較すると高田明の声は上に抜けて行ったけれども丸尾詩織の声は前に出て来るのが明らかに異なる。画面を突き破るのではないかと錯覚を受けるくらいリアリティーに溢れている。面白いと確実に思うし、個人的にジャパネットたかたのテレビショッピングで買い物をして良いと初めて認めた。聞いて前に向かう声はやはり温かみが増すから好きだし、最短距離でやって来る言葉こそ胸打たれる情感も淀みない、少なくともホームページでの会員登録は丸尾詩織なしにはあり得なかった。
メーカーが商品を生み出し、その商品をバイヤーが発掘し、その商品の魅力がどうしたら伝わるのかを制作担当者が考え抜き、MCが最終アウトプットとして、自分の言葉でお客様へお伝えします。
沢山の人の商品にかける想いを伝え、そして自分たちが感動した商品の魅力、使って頂きたいという想いがお客様に伝わった瞬間は、何度経験しても涙が出るほど嬉しい気持ちになりますし、次はもっと良い紹介がしたいと気持ちが奮い立ちます。
その商品が届き、家族との会話が増えたり、生…

小池百合子が立候補しないのに国政の政権交代を主張して希望の党を結成した心

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希望の党は本当に謎だった。小池百合子が結成したと発表した記者会見をテレビで観ていて国政の政権交代を目指す(政権選択のために候補者を適切な分だけ擁立する)と添えていたから普通ではあり得ないと思った。既成の政党が分裂した後の大きな会派でもなければ不可能ではないか。一から始めて国会の与党になるなんて聞いた例がなかったんだ。
小池知事が国政新党 「希望の党」代表就任を表明 via TOKYO MX
小池百合子は何を考えて希望の党を結成していたのか。最初から自分が立候補するつもりもなかったんだ。それは分かり易い、ただし。というのは東京都知事だから途中で職務を投げ出すわけには行かなかった。終わったら総選挙に出て希望の党の国会議員になるのかも知れないと頷く。
後から希望の党の代表として国政に参加すると考えると今直ぐに政権交代を目指すとした心構えに混乱する。
自分が国政に直接的に加担するつもりがなくて総選挙でも中心になってリーダーシップをはっきり示さないままでは勝てるわけがないから大口を叩いてるだけなのかと疑心暗鬼に囚われてしまう。
途中から民進党が合流するという展開になったので、かりに上手く行けば部分的でも自民党は議席を減らすし、幾つかの政党がどのように結び付くかによって政権交代が可能だったと捉えるしかないんだ。
だから小池百合子が考えていた全ては非常にシンプルだった。政治家としての心といって良いかも知れないけど、希望の党を結成した狙いは的確だった。
国会の議席の数合わせの込み入った算段に基づいているにしても自民党が縮小されて代わりに他の幾つかの政党がちょっとずつでも上がればどこかとどこかが連立するかぎりで本当に何とかなりそうな政局だったんだろう。
国民は戸惑っていたと思うし、小泉進次郎が「無責任」というのが余程と分かり易かった。聞き付けた小池百合子が「キャンキャン」と子犬扱いで返していたのがなぜだろうと感じたし、人間として小馬鹿にしているから底意地に優れないと国民の心象を悪くしそうだった。
結局、小池百合子は自分が分かり難い人間だと把握してないみたいなところが人気を落としてしまう最大の要因なんだろう。
希望の党で自分が代表として国政に入らないし、総選挙にも立候補しないで、政権交代を目指すと口に出すのは世の中で基本的に通用しないし、どう考えても小泉進次郎の「無責任」の指摘が当て嵌っているのが道理で…

自民党が圧勝して安倍政権が又続いた総選挙を希望の党への不信感から総括する

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総選挙で自民党が圧勝した。希望の党は素晴らしかったので、日本の将来を思うと政権交代を今直ぐに実現しないまでも下地だけは作って欲しかった。ちょっと悔やまれずにいない。
さては希望の党を新しく立ち上げた小池百合子にとっては政治生命が危ぶまれるほどの惨敗振りではないか。
現任の東京都知事も早々に辞めるべきという過酷な流れに巻き込まれてしまってそうだ。
可哀想としか呼べない。現実に希望の党は日本の将来を思うと必要だったし、新しく立ち上げた小池百合子は少しも間違ってなかったと考える。
National Diet Building by Kestrel (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons
本人は希望の党へ合流する予定だった民進党へ「排除、致します」とか「さらさらありません」なんて口に出したのが国民の心象を悪くしたと反省しているらしい。
聞くと何だろうと訝る。本当は違う。総選挙のために民進党から希望の党へ誰でも連れて行くといった前原誠司の民進党の代表としての補足が足りなくて訳が分からなくなったのが希望の党の不人気の根本的な原因だと僕は思う。
小池百合子は民進党と前原誠司を騙したのではないか。だから希望の党は逆に怪しまれて皆に嫌われるしかなくなる。自民党を倒すにしても立候補者や選挙資金を調達する仕方が人間的に愚かしいのでは負けるのも正しいほどの情けなさだろう。
本来は小池百合子の「排除、致します」や「さらさらありません」について前原誠司が民進党の代表として自分が勝手にやったか、または騙されたと説明責任をちゃんと果たすべきだったんだ。
どうして希望の党に民進党が部分的にしか合流しなかったのか
小池百合子は全員を受け入るとは話し合われた予定に含まれないと国民へ伝えた。そして前原誠司の民進党の党員たちを説得する手腕が問われもしていた。想像すれば自民党を倒せると期待する余り、政治家として張り切り捲って大口を叩いてしまったんだろう。一つの政党から他の政党へ誰でも連れて行くなんて普通ではあり得ない。そのことを前原誠司が小池百合子の考え方を補足するように後から国民へ伝え切れなかったんだ。
恥ずかしかったのかも知れないし、仕様がないけれども自分が勝手にやったと白状すれば希望の党はイメージダウンをさほど被らなかったと推測される。
小池百合子の動向からはちょっと…

小池百合子の希望の党はユリノミクスのベーシックインカムが素晴らしく面白い

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衆議院の選挙が始まって主な政党の代表者の第一声をテレビで数多く取り上げている。人々へのイメージが殆ど決まってしまいそうな感じだから物凄く大事にしなくては行けないのではないか。
小池百合子の希望の党は安部一強政治を倒すと「お友達」(身内のために働いて国民を無視する姿勢)を否定する演説が目立ってしまっていて当初の政権交代を目指すとした意気込みからちょっと後退した感じがする。
他方、安倍晋三の自民党が逆に上手いというか、それまで一言も触れられなかったような「全世代型の社会保障」という言葉で突如として大きく盛り上がって来た感じがしてならない。
先日の政策発表で小池百合子が経済政策の一つとしてベーシックインカムを新しく打ち出した。社会保険の枠組みを従来から画期的に作り替えるアイデアで、雇用保険や国民年金などの一部の人たちしか貰えない制度を撤廃して全員に毎月七万円とか支給するような制度に変えるつもりらしい。
本人はアベノミクスに対抗してユリノミクスと呼んでいる独自の経済政策に数えられるけれども知ってベーシックインカムは福祉政策にも繋がるから非常に合理的だと驚いた。
赤ちゃんも毎月七万円とか貰えるとすると子供が多い家庭はそれだけで金持ちになれるわけで、日本は金儲けに子供をどんどん増やすような国に変わるに違いないだろう。少子化対策にしっかり繋がる。ただし様々な社会問題を引き起こす可能性も増して来ると懸念される。例えば子供のための給付金を親が自分たちの贅沢のために勝手に使ってしまうようでは本末転倒ではないか。ベーシックインカムを導入するには慎重な議論が求められる。
小池百合子は分かっているのか、ヨーロッパでもまだ実験的な段階とベーシックインカムについては余り大きな声では語らないでいるんだ。
自民党が気付かされて安倍晋三を中心に利点として取り上げたかも知れない。教育の無償化を主張するために「全世代型の社会保障」という言葉を持ち出しているわけだ。雇用保険や国民年金は大人しか対象ではないから国のそうした主要な社会保障に子供も新しく含める意味合いに即して選挙で意欲的に訴えている。
小池百合子が希望の党の政策発表でベーシックインカムと共に「全世代型の社会保障」と少しだけ口に出していた。
僕はピンと来てこれはヨーロッパの新しい政治学の反資本主義の立場から出て来る発想ではないかと考えると素晴らしく面白いと注目させ…

砂猫と作家魂に火を着ける存在への俳句

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Chat des sables by Clément Bardot (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons
砂猫が可愛い。幅広い顔と薄茶色の毛が特徴的だ。中央アジア、西アジア、北アフリカなどの一部の地域にしか生息しないけれどもそうした砂の多い乾燥した風土に適応している。
見た目から砂に混ざって外敵に捕まり難いと直ぐに分かる。全身が薄茶色の毛という周りの砂と同様の保護色で覆われているためだ。
Миколаївський зоопарк, кіт барханний by Yara shark (Own work) [CC BY-SA 4.0], via Wikimedia Commons
加えて耳の毛が長くて砂が入らないとか足の裏も毛が長くて熱い地面を歩い易いなんて利点も持っているらしい。
Sand cat by Malene Thyssen (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
脚や尻尾に黒い線が幾つか付いているのも本当に可愛いとしかいえない。踞っていると気付き難いけれども全身の砂に紛れる漠然とした印象とは非常に対照的なんだ。黒い線が脚や尻尾では如何にも明瞭に感じる。気付くや否や殊更と引き付けられ捲って言葉を失うくらいだから参ってしまう。
作家として終わりではないか。言葉が続かないのでは死んだに等しい、よもや。どうやって生き延びられるのかと砂猫の可愛さから考えずにいられなくなる。
俳人の松尾芭蕉が絶景の松島に無言の句を残した心境が改めて今思い起こされもする。
さては命懸けで言葉を掴まなくては行けないから砂猫は作家魂に火を着ける存在に他ならないだろう。
砂猫や可愛いほどに暮れる秋
十月始めでまだ冬の足音も聞こえないけれども秋の実りを人生の作家活動の在り方と捉えて可愛い砂猫と共に言葉を失って終わり兼ねない気持ちを詠んでみた。
言葉選びが尋常ではないと知る。最初に下句を「秋の暮れ」で違うのではないかと反対に上句を「砂猫よ」に変えてみたものの上手く行かないから全体的な調整を改めて細かく強いられてしまった。結局、下句を「暮れる秋」にすればイメージが自然に流れるのが気に入って完成した。
僅かないい回しで真実を損うし、言葉を失った作家の死に物狂いの境地、すなわち風狂を徹して表現するのは正…

キャンディーズが「普通の女の子に戻りたい」と解散した理由は契約満了だった

忘れかけていた昔ながらの大きな謎の一つが又解かれたようだ。又といいながら他に何も思い起こせない気持ちは不思議でしかないにせよ、とにかくキャンディーズが解散した理由が明るみに出て来たのは嬉しいかぎりで、児童期から分からなくて良く考えて過ごしたものだと四十年近く経っては感慨深さまでも受け取ってしまう。
年がバレる(四十年近く前が児童期だから四十代後半ではないか)のはさておき、本当に好きだったというか、リアルタイムでは茫漠としておよそ覚束ないかぎりのアイドルグループでしかないのが僕にとってのキャンディーズに抱かれたイメージだったけれどもいつも可愛いみたいな感じがして幾かでも引き付けられていたのは事実だった。
もしかすると生まれて初めて気に留まったアイドルグループとすると人生で相当に意味ありげな気持ちもして来なくはない存在だからキャンディーズを改めて振り返ってみるのも面白いに違いない。
好きだとはっきり気付きかけたところで、引退されたような記憶が残されている。
実際には芸能界を同時に止めてしまったわけではなかったし、アイドルグループとして解散しただけだったんだ。しかし急にいなくなってこれからという盛り上がり始めた期待感こそ雲散霧消の親身な虚しさを避けられなかった瞬間が訪れたのが非常に印象深く思い起こされもするんだ。
さながら理想的な人との別れだった
自作詩の総決算では「あっという間に消えて行った」と歌ったけれどもキャンディーズも被らずにいない。精確にいうと三人組でセンターの伊藤蘭(ランちゃん)が一等に好きで、自分の中でキャンディーズと同義なくらい大きく気になっていた。解散してもう二度と伊藤蘭がキャンディーズとして帰って来ないはずの気持ちは寂しかったし、親身な虚しさと相俟っては狼狽えるばかりの心を強いられさえもしていたわけだったと頷く。
噛み砕いていえばやる瀬ない思いだったかも知れない。一人の人間として堪り兼ねる人生そのものみたいに驚きの余り、もはや泣くに泣けなかった――。
キャンディーズの解散はコンサート会場で、突然、本人たちから発表されたらしくてそうした場面がテレビでしょっちゅう見かけられた。
全面的に取り沙汰されたのが「普通の女の子に戻りたい」と打ち明ける言葉だったんだ。
返す返すも紛れのない社会現象を巻き起こしていた。伊藤蘭の口から飛び出して来たのが個人的には最も切なかったけれども他の…

吉田兼好の徒然草の書き出しは妙絶な日本語で覚えるのにも骨が折れなくて凄い

読んだかどうかも分からないくらい自然に記憶に刻まれる文章があって覚えるのに本当に骨折れない感じがするけれども日本の鎌倉時代の随筆家の吉田兼好/兼好法師の徒然草の書き出しの一文が凄いと思うし、妙絶な日本語ではないかと作家として学びもするんだ。
つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ物狂ほしけれ。
つれづれなるままに、ひぐらしすずりにむかいて、こころにうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなくかきつくれば、あやしゅうこそものぐるおしけれ。
手持ち無沙汰のままに、日暮らし硯に向かって、心に移り行く他愛ないことを、取り留めなく書き付けると、とても物狂おしいなあ。
吉田兼好の徒然草(仮名と訳文は筆者)
内容上、最後の「怪しうこそ物狂ほしけれ」の気持ちが出だしの「徒然なるままに」の何癖ない流れから驚異的に切り替えされているところが特筆に値するし、一度、読んだら容易に忘れられないほどの衝撃を与えている。
作家の良さというか、言葉で世界が変わる瞬間を鮮烈に捉えている。ただし恐ろしさを孕んでいるために只単に喜ばしいわけでもないのが、一体、何だろうと引き付けられる。精神を病んでしまうのではないかと身震いするほどの言葉遣いなのは間違いないし、考えたくても深入りするのを躊躇わされてしまう。
かつてフリードリッヒ・ニーチェ(哲学者)ならば思索の果てに発狂して最晩年は何もできなくなったといわれる。
吉田兼好が徒然草で取り上げた物狂おしさは《文章を介した思索の精神にとっての危うさ》と符合するのではないか。作家活動を健康的に続けて行くための認識、または方法への重要な示唆を与えているように感じる。吉田兼好本人には精神を病んだ形跡が全くなくて、生涯、作家として大丈夫だったらしいから参考にして良いはずだ。
興味深いのは「書きつくれば」と作家活動に自覚的だった。思索よりも文章とは何かを追求する気持ちが大きかったために発狂しなかったのではないか。しかし精神が崩壊する悲しみを捉えていた。吉田兼好が思索と無縁だったようには見えない。出家してお坊さんだったらしいので――名前を兼好法師と呼ぶ場合の法師は仏教の僧侶を指す――著作を除いても一般的に思索とは馴染み深い生活を送っていたと想像される。文章だけに終わらなかった全ては「心」を対象にした作家活動のせいだろう。胸のう…

織田信長が非業の死を遂げた理由は明智光秀の恨みを恐れた森蘭丸を宥め賺した人間の大きさにあり

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戦国時代に日本の天下統一の野望を真っ先に掲げて誰よりも近付いて行った織田信長本能寺の変で自らの志した道半ばに倒れた歴史は非業の死を遂げたと捉える他はないと思う。
明智光秀が謀反を働いたわけだけれども信長公記太田牛一)によれば大軍勢が押し寄せると本能寺の変で異変に気付いた織田信長が「是れは謀反か。如何なる者の企てぞ」(これは謀反か。どんな者の企てだ)と森蘭丸に訊ねて「明智が者と見え申し候」(明智の者と見え申します)と応じられると「是非に及ばず」(どうしようもない)で口を閉ざしたらしかった。
そのまま、亡くなったので――最後の最後、炎に包まれた本能寺で臨終間近には「女どもは苦しからず。急ぎ罷り出でよ」(女たちは構わない。急いで出て行きなさい)と逃がすためにいったかも知れない――織田信長の最後の言葉にもなっている。
聞くや否や違和感を受けた。物凄い弱気な発言ではないか。数え切れないほどの人たちを殺して来て戦国時代の申し子みたいな様相を呈しているはずの織田信長が「是非に及ばず」では戦う前から負けを認めたに等しいだろう。武力で圧倒的なまでに身を立てた稀代の名将としての自分らしさを完全に損っているような印象が拭い去れない。
普段から信頼を寄せる家臣に寝返られた気分的な落ち込みが普通ならば考えられるし、ちょっとした一言に過ぎなくて直ぐに猛烈な反撃に打って出たにせよ、別人の様相を呈しているのが何だろうと訝らせて止まない場面だった。
調べると本当かどうかは定かではないものの明智光秀の本能寺の変で織田信長へ働いた無謀という下克上そのものは森蘭丸によって恨みに基づいて生じると数年前から先読みされていた可能性があると分かって驚いた。
明智が恨みを持つことをも察し、密かに信長の前に出て、「光秀は飯を食いながら深く思慮する様子で箸を取り落とし、稍あって驚いてしまった。これほど思い入れていることに特別なわけはよもやありません。お恨みになることが然々だから大事を企てるだろう。刺し殺すべきだ」といったのを、信長は「否、佐和山をついに君に与えよう」といわれたそうだ。何とも森が、これより先に「父の討ち死にの跡ですから、坂本を下さい」と申したのを明智に与えられたので、讒言すると思い信じられず、果たして弑せられた。
湯浅常山常山紀談(訳出)
森蘭丸は織田信長に最も信頼されていた家臣で、抜きん出て有能だったらしい。人…

鳴かないホトトギスの織田信長と豊臣秀吉と徳川家康の句は詠み人知らずだった

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日本史の取り分け戦国時代を代表する武将の織田信長豊臣秀吉徳川家康を非常に分かり易く伝える言葉として三者三様のホトトギスの句が良く知られている。
何れも本人が詠んだわけではなくて江戸時代の大名の一人で、肥前国平戸藩の第九代藩主だった松浦清が作家として静山の号で書き残した随筆集の甲子夜話(かっしやわ)に詠み人知らずで取り上げて世の中に広まったらしい。
夜話のとき或人の云けるは、人の仮托に出る者ならんが、其人の情実に能く恊へりとなん。
郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、
なかぬなら殺してしまへ時鳥   織田右府
鳴かずともなかして見せふ杜鵑   豊太閤
なかぬなら鳴まで待よ郭公   大權現様
このあとに二首を添ふ。これ憚る所あるが上へ、固より仮托のことなれば、作家を記せず。
なかぬなら鳥屋へやれよほとゝぎす
なかぬなら貰て置けよほとゝぎす
夜話のときにある人がいったことで、人の仮託に出る者だろうが、その人の情実に良く適っているそうだ。
郭公を贈って参った人がある。ところが鳴かなかったら、
鳴かぬなら殺してしまえ時鳥   織田信長
鳴かずとも鳴かしてみせる杜鵑   豊臣秀吉
鳴かぬなら鳴くまで待つよ郭公   徳川家康
この後に二首を添える。これは憚るところがある上に、元より仮託のことだから、作家を記せない。
鳴かぬなら鳥屋へやれよほとゝぎす
鳴かぬなら貰っておけよほとゝぎす
松浦静山の甲子夜話(訳文は筆者)
どこかの誰かが織田信長と豊臣秀吉と徳川家康とさらに作者未詳の匿名になり代わって二つの句を詠んでいたのを人伝てに聞いて松島静山が自作の随筆に載せていた。
次第に世の中に広まって戦国時代の三英傑とも称される織田信長と豊臣秀吉と徳川家康の気になる句を巡り巡って僕も覚えてしまったわけだ。
松浦静山は「情実」と呼んでいるけれども三人の気持ちが手に取るように分かる詠み方が感心させられる。
ホトトギス(1)さえずり(舳倉島) - Lesser Cuckoo via 野鳥動画図鑑 Wild Bird Japan
ホトトギスは漢字で様々な表記がある。甲子夜話では細かく使い分けられていて「時鳥」と「杜鵑」と「郭公」で三者三様の句に表情を与えている。詩的な感性を反映していると思う。
注意すると「郭公」はカッコウだから本来はホトトギスではない。ところが日本ではかつてホトトギスとカッコウが同一視…

松尾芭蕉はおくのほそ道で憧れの松島へ訪れても言葉を失うほどの絶景のために俳句を残さなかった

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虚覚えというか、今夏、松島の記事を仕上げて松尾芭蕉の松島の句があれば読んでみたいと探した。
おくのほそ道の旅で松島に訪れた感じがするのに俳句を詠んだかどうかが記憶に全く残ってなかったり、どこかで本人の作として聞いた「松島やああ松島や松島」が事実かも定かではなかったり、訳が分けらなくて本当に困ってしまう。
分かったのは調べた結果だけれども松尾芭蕉はおくのほそ道で松島の句は詠んでなくて紀行文しか載せてなかったのと「松島やああ松島や松島」も田原坊(狂歌師)の「松嶋やさてまつしまや松嶋や」が人伝てに変化して作者も誤って広められたのとが正しかった。
Matsushima By Ivan Mlinaric [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons
松尾芭蕉にはおくのほそ道以外に松島の句が全くないわけでもなくて蕉翁全伝附録という本に「島々や千々に砕きて夏の海」(しまじまやちぢにくだきてなつのうみ)が旅の後で残されていたらしいんだ。
味わいが薄くて印象も弱いから松尾芭蕉が詠んだとしても特別に優れた言葉遣いとは認めない。日本三景という有数の絶景、松島への渾身の一句には相当に物足りないだろう。俳聖の駄作と退けざるを得なければ最初から知らない方が良かったと逆に後悔させられる。
ただし考えると違うのではないか、晩年のモーツァルトの音楽のように普通とは。当たり前には計り知れないはずの澄明な世界を余人の追随を許さないほどに精妙に捉えている自己表現に他ならなさそうなんだ。極めて細やかな心遣いによって紡ぎ出された言葉からのみ出来上がってないわけではないと受け取ると「島々や千々に砕きて夏の海」は本当に想像を絶する素晴らしさを持っていると認めるのに無理はない。詩的にいうと宇宙が泣いてしまうに等しい。人間が到達する感動の限界まで痛感させる芸術性を教えてこそ止まないから松尾芭蕉ならではの松島にも相応し過ぎる余りの仕上がりの俳句だったし、驚くべき言葉遣いだったわけだ。
松尾芭蕉の松島への思いを理解するために
Basho Matsuo by Kyoriku Morikawa [Public domain], via Wikimedia Commons
おくのほそ道の二十四章目に「松島」が出て来る。全体が五十章だから、丁度、中頃に松島への思いが綴られていた。
抑事ふりにたれど松島は扶桑第一の好風にして…