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些細な日常

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相手に訊きに行く|隣人の騒音の対処法

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二十代で初めてアパートに一人暮らしを行って隣人の騒音に悩まされることがあった。 音楽大学の近くで、学生が部屋で楽器の演奏の練習を良くするために壁には防音が施されているアパートと不動産屋からいわれたけれども実際には何もないような感じで、日中だけだけれどもピアノの音などが遠くの部屋からでも確実に聞こえる状態だった。 平穏な日々を破壊する隣人の騒音 Melancholy man in the dark by 1866946 / Pixabay ある日、物凄く辛かったのが壁にビービーと響くような音が断続的に、一日中、現れるようになってしまった。 普段の楽器の音と比べたら余りに小さ過ぎるけれどもそれこそ正しく耐えられない音だった。 何日も続くので、気持ち悪いし、一体、何なんだと原因不明の不快感に苛まれた。 壁を挟んだ隣の部屋から鳴っていると推測されてどうしようかと考えた。 …

明け方の薄暗い部屋の中で布団に潜りながら付けたタブレットの画面の光に照らされた吐く息の白さを微かに見て

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何だろうと思う。ちょっと嬉しい。いつも部屋の中で吐く息の白さを目にすると外と変わらない寒さだだからわびさびの境地を受け取るせいか。辛いし、普段から決して求めるべきではないはずだけれども憧れてしまうんだ、素晴らしく、貧しさに。 なぜ良いのかが本当に不思議だ。寒くて住んでいられない家にも拘わらず、わびさびに引き付けられる、心から。 吐く息の白さはそれ自体で面白い。まるで漫画の吹き出しのようだ。というか、漫画の吹き出しこそ吐く息の白さから生まれなかったとはかぎらないだろう。芸術はどこに転がっているとも定かではない。気付かされるほどに吐く息の白さは面白くて堪らない。 児童機の冬の通学路、毎日の行き帰り、自分や周りの皆が吐く息の白さを止められなくて本当にもう世界が漫画に感じられたせいではないか。心を擽られるばかりだった、面白さに。 そしてきっと日常生活に潜んでいるは…

ブログは書き残す楽しさが止められない

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感じられる、ブログに記事を書き残す楽しさを。止めたくないし、止められないと正しく思う。 作家活動が天職だからというよりも鳥が空を飛ぶように自然にできるように変わったのではないか。天職もそうだし、楽しいといえば楽しいわけだけれどもやはり神に決定されているかぎり、なぜ自分がやらなくてはならないのか、疑問が少しも生じないはずの気持ちではなかった。 いうと能力的に向いているに過ぎないし、天職としてのブロガーは本当に些細な日常の一幕の思考によって結論付けられるだろう。生まれ付きの作家・詩人で、全ての創作への取り組みも生得の世界なので、やらない方がむしろ不思議なくらいに頷かれ捲ってしまう。 改めてしかし胸のうちにブログへの思いが湧いて来た真実を受け留めながら驚いているんだ デザインが大きそうだ。心から気に入っている。Bloggerのデフォルトのテンプレートは日本語に合…

蜜蜂といえばマーヤでマーヤといえばやはり可愛い

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日本アニメーションの作品紹介でどんなアニメがあるのかを探し回っていたら みつばちマーヤの冒険 が出て来てとても嬉しかった。 みつばちマーヤの冒険はかけがえのない世界を味わわせる みつばちマーチの冒険|日本アニメーション・シアター かつて気に入ったアニメの一つだったし、キャラクターが可愛くて蜜蜂に興味や感心を抱きながら好きになる切欠にもなった。 振り返ると僕自身のアイコンの蜜蜂も非常に大きな影響を受けていた。元々の絵も 冒険 と題していた。蜜蜂のイメージが みつばちマーヤの冒険 によって固まってしまっていたとすると相当に詩的だったと考えられるだろう。 髪型がたぶん最も素晴らしい。蜂蜜を頭から被ったような感触が示されていて色も黄色で似通っている。蜂蜜で生きている蜜蜂だから生きる喜びが髪型で正しく表現されていたわけだ、マーヤには。 するとアートをやはり受け取らずにいない。自己表…