ブログは書き残す楽しさが止められない 結城永人 - 2017年1月3日 (火) 感じられる、ブログに記事を書き残す楽しさを。止めたくないし、止められないと正しく思う。 作家活動が天職だからというよりも鳥が空を飛ぶように自然にできるように変わったのではないか。天職もそうだし、楽しいといえば楽しいわけだけれどもやはり神に決定されているかぎり、なぜ自分がやらなくてはならないのか、疑問が少しも生じないはずの気持ちではなかった。 いうと能力的に向いているに過ぎないし、天職としてのブロガーは本当に些細な日常の一幕の思考によって結論付けられるだろう。生まれ付きの作家・詩人で、全ての創作への取り組みも生得の世界なので、やらない方がむしろ不思議なくらいに頷かれ捲ってしまう。 改めてしかし胸のうちにブログへの思いが湧いて来た真実を受け留めながら驚いているんだ デザインが大きそうだ。心から気に入っている。Bloggerのデフォルトのテンプレートは日本語に合ってない感じがしてかつてない調整を強いられたけど、cssをさらに勉強しながらとにかく上手く行っていて居心地の良さが味わわれるに至った。 ホームページもきっと同じで、自宅の部屋のように安心して過ごせるどうかで気持ちも変わってしまう。 当たり前だし、これも本当に些細な日常だけど、サイトはインターネットで公開されるかぎり、他人の目もあるので、居心地の良さも一人で考えるのとは全く同じではない。イメージは実生活での勝手気儘な落ち着き振り、自宅の部屋のような雰囲気とも重なり難さを否定できないだろう。 ブログに居心地の良さを味わいながら記事を載せて行くとどんどんコンテンツとして溜まる。書き残される記事の数々が嬉しい。 ただし生きた証ではないところが芸術/創作活動の作品とは趣きが異なる。必ずしもだから若干かも知れない、感触が様子で。またはどこか似通っていると芸術/創作活動から掘り返せば作品も満足だけが天の恵みではなさそうで、新しい性質を帯びるし、ブログが楽しいのと変わらない特徴も掴まれてしまう。 以前から何となく分かっていたけれどもサイトのページを増やすと気持ち良い。子供の塗り絵や主婦の冷蔵庫みたいに生活での隙間を埋める作業が如何にも何かを生み出したような手応えを与える。ブログならばサーバーの容量を記事で満たすわけだけれども世界が目の前で明らかに変わるに等しい。 咄嗟、昔話の花咲か爺さんが思い当たる。象徴的なイメージかも知れない。枯れ木に花を咲かせましょう。生活での隙間を埋める作業ならば得られるのは幸福感だったと良く分かる。人生に必要な夢だから勇んで叶えるべくは一つのパフォーマンスにおいてもやはり楽しくて止められないに違いないはずだろう。 ブログのデザインが居心地の良さを伴って記事を増やす幸福感も如実に高まりを見せている。種々と書き残して楽しいと思うし、止められなくなりもするわけだ、それこそ。期待通りというか、長く続けるには辛いと厳しいし、ブロガーには持って来いの境地に達したようで、気付いたからには覚えておかなくては先々へは労苦も尽きないのではないか。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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