スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(虚しい)が付いた投稿を表示しています

悪質タックル事件を強いられた宮川泰介の真実で考えるパワハラの上手な避け方

イメージ
日本大学と関西学院大学とのアメリカンフットボール部の五月六日の定期戦で悪質タックルと呼ぶべき極めて危険な反則行為が認められた。関学大アメフット部が会見で問題視した日大選手のタックル赤いチームが日本大学のフェニックスで、青いチームが関西学院大学のファイターズで、後者のQB(クォーターバック)へ前者のDL(ディフェンスライン)が試合の中断を無視して飛び込んで行って全治三週間の怪我を負わせた。アメリカンフットボールは選手同士の打つかり合いが印象的なスポーツだけれどもポジションによって衝撃が変わる。QBは攻撃の中心で、ボールを投げたり、抱えて走り込んだりするので 、比較的に身軽だし、軽量級の選手が多い。DLは守備の最前列で、攻撃の最前列のOL(オフェンスライン)と五人ずつでQBを巡って互いに最も激しい衝突を繰り返すし、重量級の選手が多い。なのでDLがQBに突っ込むというと最も強い選手が最も弱い選…

伊豆丸剛史:刑務所を出ても虚しい障害者や高齢者の社会復帰を支援する良い男

犯罪を行い、刑務所へ服役して刑期を終えて出て行っても社会復帰が難しいために罪を又犯して刑務所へ逆戻りしてしまう事例が後を絶たない。 近年、特に問題視されるのが知的障害や精神疾患などの生活自体が最初から厳しい累犯障害者と一般的に就職難に直面し易い再犯高齢者の二つの事例が挙げられる。 何れも昔からあったし、悩ましかったと捉える。しかし前者は人権への意欲の高まりで気付く人が増えたせいで、後者は社会そのものの高齢化によって目立って来たわけだろう。累犯障害者も再犯高齢者も人々が理解しないかぎり、根本的に防げないので、世の中が優しく変わって来たのは拍手を送りたい。放り出して構わない状況ではないので、悩ましかったら先ずは自覚を持ってどう救い出すべきかを考え込む生活が大切なんだ。本当に考えるだけでは悶え苦しむばかりで、抜け出せない常日頃ではないか。はっきりいって累犯障害者も再犯高齢者も人々にとっては差…

地獄で救われないから見守る神を遠ざけながら今直ぐに死んでも幸せだと考える

イメージ
疲れ切って堪らない。気力も体力も限界だ。ブログのアクセスがスムーズに伸びないのが辛い。三ヶ月も足踏みだ。いつまで一日百人なのか。早くしないと死んでしまう。本当に詰まらない現実だ。休むしかないと思う。働いても働いても金儲けに結び付かない、ブロガーとして全く――。Mountaineering of dusk by Sanshiro [CC0], via Pixabayなぜ神は救わないのか。分けても永遠の詩人の僕を無視するのでは誰も喜んでないんだ。地獄しか生み出さない。詩だけしか認めたくないのか。僕が喜べばおよそ皆が笑うだろう。死神と悪魔、そして何よりも親玉の閻魔を仕向けて人生の妨害ばかりする。苦しむ永遠の詩人を受け取って何が面白いのか。良い加減に離して欲しい。つまり神は僕を独り占めするために世の中の誰も手を貸さないように取り計らっているわけだ。昇天させるつもりでもなく、現世で救われないままに…

人工甘味料のアセスルファムKが入った珈琲で大失敗

イメージ
一日二食以下の貧困生活が続いていて毎日の珈琲も砂糖入りに変えて少しでも栄養素を増やさないとどうしようもないと考えたんだ。スーパーでペットボトルの900mlの珈琲を百円以下で探していると一種類しかなくて原材料を見ると要らない香料が入っていて目当ての糖分も知らない人工甘味料のアセスルファムKだから買うべきかどうかを悩んだ。安いのが他にないし、目当ての糖分だけは人工甘味料のアセスルファムKでちゃんと取れるのかどうかを後から調べるつもりで、香料と合わせて毒でもないだろうから多少は不健康でも貧困生活では仕様がないと三本くらい買って家に帰った。後日、飲みながら人工甘味料は久々ながら相変わらず、変に薄い甘さが不味くてやはり買いたくない商品だと改めてうんざりしながらアセスルファムKを調べたら泣きっ面に蜂の大失敗だった。カロリーがない。エネルギーにならないから砂糖とは本当に味が似ているだけで栄養は得られな…

読む気スラスラの君たちへ守るべき沈黙の作家には抜け出せない涙

もしかしたら僕だけど、君たちも読む気スラスラだから困る、昨日の午後から自作へ気が狂いそうで。可笑しいし、本当に正気を失ってしまうならば素晴らしい思考が見付かった。経験そのものから精神とは何かを知るべき手がかりになる。というか、君たちへ送り届けるのが詩以外では非常に難しい言葉遣いを迫られずにいない世界へ生き出しているんだ。詩と思考の命題は厳しかった。なぜなら哲学を批判しなければ永遠には辿り着けないからだ。スピノザの教えで終わらせるわけには行かないという実情はもう既に些細な日常の一つで示したはずだし、作家としても繰り返す必要はないだろう。明かしておくべきなのは気持ちだけだ。それが分かったから脳味噌が飛び散りかけているとは漫画でもなければ涙としか呼べない。人は悲しくて泣くわけではないし、漫画ならば本当に喜んでいる可能性もあるわけで、またはゲームでも同じではないか、重要なのは泣くという涙を伴った…