伊豆丸剛史:刑務所を出ても虚しい障害者や高齢者の社会復帰を支援する良い男 結城永人 - 2018年4月29日 (日) 犯罪を行い、刑務所へ服役して刑期を終えて出て行っても社会復帰が難しいために罪を又犯して刑務所へ逆戻りしてしまう事例が後を絶たない。 近年、特に問題視されるのが知的障害や精神疾患などの生活自体が最初から厳しい累犯障害者と一般的に就職難に直面し易い再犯高齢者の二つの事例が挙げられる。 何れも昔からあったし、悩ましかったと捉える。しかし前者は人権への意欲の高まりで気付く人が増えたせいで、後者は社会そのものの高齢化によって目立って来たわけだろう。累犯障害者も再犯高齢者も人々が理解しないかぎり、根本的に防げないので、世の中が優しく変わって来たのは拍手を送りたい。放り出して構わない状況ではないので、悩ましかったら先ずは自覚を持ってどう救い出すべきかを考え込む生活が大切なんだ。本当に考えるだけでは悶え苦しむばかりで、抜け出せない常日頃ではないか。はっきりいって累犯障害者も再犯高齢者も人々にとっては差別意識と結び付いた悲しみを孕んでいるから場合によっては相手にしないし、それこそ昔は理解する気持ちが乏しくて積極的に対処されもしなかったように想像される。考え込んで誰もが社会の一員だったり、人間という仲間なんだと知らないと何も始まらないに等しいのを恐れて止まない。 投稿|社会福祉法人 南高愛隣会 事実上、必要なのは人々の福祉の拡充以外にあり得ない。日本はどうか。少しずつ進められているようで、たとえ刑務所から出ても行き場がなくて罪を又犯すような障害者や高齢者を支援して世の中の累犯や再犯も防止する先駆者として一人の良い男、長崎県地域生活定着支援センター(南高愛隣会)の伊豆丸剛史所長(2009年から2017年までは当該の運営を移管されたNPO法人の生き生きネットワーク・長崎に所属)に辿り着いた。テレビの居場所があれば立ち直れる~累犯障害者 社会で生きるために~を観ながら偶さか気に留まった。辿り着いたなんて敢えて遠い道程だった響きを添える言葉遣いを取りたがるのはいつもならば詩人だからなのに加えてやはり僕自身が以前から総じて差別絡みの社会問題を何とかして欲しいと求め疲れ切っていたせいだ。優しく変わる世の中の貴方と明らかに出会えた感じがしたのが稀有な経験だった、本当に。気持ちが入っているし、伊豆丸剛史の累犯障害者や再犯高齢者を問題視する能力は非常に高いと畏敬の念さえもまさか抱いてしまった。 最も厳しいのは服役を終えた障害者や高齢者を社会福祉へ繋げられるかどうかだった 矯正施設等からの退所への支援NPO法人いきいきネットワーク・長崎 所長 伊豆丸剛史氏 20140823 NPONHSC 社会福祉はもう既にあるというか、以前から全くないわけでわけはなかったけど、国内の現状として十分に行き着かない状況が散見される。あるとき、伊豆丸剛史はルポルタージュの累犯障害者(山本譲司)を読んだりして目覚めたらしい、一人で。元々、社会福祉をやっていたけれども来るべき人がちゃんと来てなかった不幸を知ってとても悔やまれた。自らの人助けの精神が大きく打ちのめされたようで、働いたつもりで終わってしまうのは不味いと内省したり、テレビで話すのを聞いていると相当なまでの思いが受け取られるから素晴らしい性格の持ち主だと僕は感心したんだ。社会福祉をやるならばもはや刑務所帰りの障害者や高齢者へ声をかけながら安心して暮らせる方へ速やかに連れて行かなくてはならないと人生を賭けて新しく立ち上がった。 長崎県地域生活定着支援センターは、平成18年度より行われた厚生労働科学研究(田島班)「罪を犯した障がい者の地域生活支援に関する研究(3か年事業)」の調査研究の成果を踏まえ、平成21年1月19日に全国に先駆けモデル的に開設しました。 当センターは、罪を犯した障がい者や高齢者の方など「福祉支援を必要とする“生きづらさ”を抱えた人たち」を社会全体で包み込み、司法・福祉・医療など様々な領域をつなぐ架け橋として、日々、実践を積み重ねています。 長崎地区の事業所|社会福祉法人 南高愛隣会 伊豆丸剛史と長崎県地域生活定着支援センターの刑務所帰りの障害者や高齢者を支援する取り組みは日本初の試みという社会的な快挙だった。知るやありそうで、なかったと驚く。必要なサービスが前以て可能でも当事者が行き着かなくてはどうしようもないから何が福祉なのかと訝らずにいない。しかしサイトのアクセスアップが捗らずに僕が死にかけてばかりいるのと同じような災いのせいかも知れない。人生で鬱陶しいのはやはり何といっても「出会い」(ジル・ドゥルーズ)や「交通」(浅田彰)の偶然性に基づくんだ。得てして予定通りに物事が進んでくれないわけで、世の中の情報化はかりに加速する一方でも依然として自分と自分以外との願わしい関わり合いが確実に手に入らない生活を人々が強いられているのは本当だと参るし、察してはありとあらゆる場面で否定できない。 個人的に共感する気持ちも大きい、伊豆丸剛史のアイデアは流石だと。福祉の現場で人々の災いに風穴を開けるほどの狙いが込められている。サイトのアクセスアップのためのSEO(検索エンジン最適化)対策/Google検索の研究に僕も見習うのは全く以て吝かではあり得ない。上手く行ったら信じられないほどに面白いから青空へ涙が擦り抜けるようにちょっとやそっとの失敗りから止めるべきではないと学ぶ。そして良い男の幸いを呼び寄せる生き方に憧れる。 「帰る場所を探したり、帰ったあとの福祉のケア、医療ケアを整えたり。刑務所から社会への円滑な橋渡しを、福祉でサポートするのが私たちの仕事です。」 伊豆丸剛史/犯罪を繰り返す高齢者 ~負の連鎖をどう断つか~|クローズアップ現代+|NHK 日本の累犯障害者や再犯高齢者は何れも自活できないのが不味い。前者は病状からいうまでもないけれども後者も不景気の就職難などに直面して行き場を失ってしまう。只でさえが前科者として社会復帰が儘ならない悲惨な現状なのに加えて衣食住をいつまでも賄い切れず、もはや刑務所でしか生きるのを許されないみたいに追い詰められながら不幸にも罪を又犯して逃げも隠れもしないわけだ。あっさり逮捕されてすんなり判決されてさっさか刑罰される。人によって何度も繰り返して刑務所の内外を往復しながら一生を終えたりもしているんだ。涙を禁じ得ない、虚しさの余り。実際、国民に保護施設や生活保護などの必要なサービスが整っている日本ならばせめて利用できるようにならないと本当に勿体ないと認めるわけだ。 神へ祈っても良いくらいの災いの最中ではないか。誰が見聞しても疑い得ない世界を須く希望する。今此処が正面に服役を終えて刑務所を出ても虚しいばかりの行き場を失った障害者や高齢者にとって生涯で最後の死に際だとすれば支援しようと手を差し伸べる伊豆丸剛史は天使だし、連れて行かれる先で繋がる社会福祉の全ては楽園に他ならないだろう。笑いたい、歌うように心から温かく。伊豆丸剛史と長崎県地域生活定着支援センターの斬新な試み――詳しくは伊豆丸剛史の刑事司法と福祉の連携に関する現状と課題について (課題研究 刑事司法と福祉の連携の在り方-犯罪行為者の社会復帰支援の現状と課題)という論文によると「ひとえに矯正施設退所者を支えるシステムだけではなく,矯正施設に至る前のより早い段階,即ち刑事司法手続上の捜査・公判段階から福祉的介入がなされるシステムも同時並行的に構築していかなければ,社会的弱者を犯罪へ至らしめる負の連鎖は,真の意味で断ち切ることができないのではないかと実感した」とあって罪を犯した障害者や高齢者の場合は刑務所へ入るしかない状態に先立って認められる事件や罪状についても不利益を被っている可能性に留意しながら支援するのが根本的に望ましい――から平和が舞い込んだ日常生活でほっこり暮らし得る人たちが命からがら奇跡的にも増えているのは確かなんだ。日本も国として美しく向上すると要するに民主主義が豊かに改善されている真実に感動を覚えるよ。 そして大きく広まると有り難いし、将来へは遥かに期待せずにもいられない。現時点、累犯障害者や再犯高齢者に当て嵌まらない僕や貴方も何かの拍子に追い込まれないとかぎらないから知識として持ちながら心の準備だけは整えておくべきだろう。皆が変わらない社会の一員だし、人間という仲間だから生きる喜びは同じなのに自分は無関係な存在だなんて遠ざけてしまう向きは危険だ。況してや差別する条件などはどこにもないはずだし、幸いにも良い男と称えるべき伊豆丸剛史の救い主の神から送られた天使並みの登場に触れた以上、心は偉く痺れつつも世界で唯一の絆を明らかに教えられる。 誰もが障害者や高齢者だけではなくて悩ましいほどにもっと考え込んで数え切れないほどの可哀想な人たちに思いを馳せながらいっそ地球全体を守るつもりで末永くこそ頼もしく生きて行けると極めて素敵な気持ちを受け取るかも知れない。 参考サイト明日をも知れぬ人の力に 厚労省新設の「出所者支援専門官」へ コメント 新しい投稿 前の投稿
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