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些細な日常

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HONEY(L'Arc~en~Ciel)|1990年代の盛り上がる邦楽

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1990年代の邦楽から乗り良く盛り上がる楽曲として気に入りの L'Arc~en~Ciel の HONEY を紹介する。 L'Arc~en~Cielへの思い L'Arc-en-Cielのhyde/ポップジャム| NHK L'Arc~en~Cielはかつて 作詩の公園という最初のホームページ をやったときに常連の訪問者の中に物凄いファンがいて相当に凄いのかとペスト盤の The Best of L’Arc~en~Ciel 1998-2000 を買って聴いてみたら衝撃を受けた。それまではちゃんと聴いたことはなかったけれどもバンド名(フランス語の虹)に匹敵するような音作りの彩りや華やかさが個性的で魅力的だと感じた。 HONEY への思い L'Arc~en~Ciel「HONEY」-Music Clip-|L'Arc~en~Ciel L'Arc~en~Cielの HONEY 作詞: …

肝心要の人を呼ぶ力があやふやなサイト運営でアクセスアップはどうする

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十年以上前、ホームページをガラケーで初めて開設した頃、 作詩の公園 でいつも誰か来ないか誰か来ないかと願い続けていた。他の詩のホームページの掲示板に自作詩を投稿してホームページをリンクしておく。すると管理人や訪問者が見付けて自分のホームページに来るかも知れなかった。メッセージを残したりする場合もあったけれども掲示板の投稿詩を介して主に交流するようにやっていた。 最初の数日間の気持ちは本当に良く覚えている。誰も来ないのではないかと不安が大きかった。他のホームページの掲示板の見ていると人の動きは十分に確認されたし、同じように自分のホームページにも誰か来ると期待していたけれども本当に初めてどうなるか、自分だけ全く違わないともかぎらないと予測が付かなくてドキマギし捲っている感じがした。 ちょっと人が来ると物凄く喜んで又別に誰も来ないと物凄く落ち込んで暫く繰り返している間にホームページの常連が増えて、毎日…

フラワーピースのコレクションから再考される望ましいかぎりのサイト運営の仕方

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Google+(サービス終了)でフラワーピースのコレクションを開始した。花の写真を自作で主に追加して行く。詩的に平和が味わわれるように喜ばしく纏めるつもりだ。 好きな鈴蘭の花をモチーフにした ヘッダーの画像を鈴蘭の写真にできたのは嬉しかった。普通では無理なはずだったのに 地元の公園の山に咲いている と知った。鈴蘭の写真が直ぐに撮れるなんて奇跡としかいいようがないくらい衝撃的な経験だった。 個人的に好きな花で、かつて自作詩の 鈴蘭 を完成して以来は思いも相当に強まっていたんだ。 フラワーピースのヘッダーの画像の鈴蘭は元々はブログに使うために作成していた。しかしどうも合わない感じが止めていたんだ。 以前のテンプレートではパソコン/タブレットのウェブバージョンて鈴蘭を右寄りに切り取って左寄りにブログのタイトルとメッセージが入るようにしてヘッダーで使い出していたけれども 現在のテンプレートに変更した時点 でちょっとも…

インターネットを生き抜くための心構え

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ブログを一生懸命にやり始めて 言葉まで詩のように考え出して 数日が過ぎてみたら人々との交流のなさに辛さが込み上げて来た。 自分から他人に声をかけることが減っているんだ 訪問者からコメントもメールもない。どこかでシェアやリンクがあるわけでもない。全くの音信不通で、ただ記事を増やしているだけのブログに侘しさが募る。 なかった、今まで大きくは。 昔のホームページ では大きくあって手当たり次第に自分から皆に声をかけてそれがアクセスアップにも繋がっていたわけだけれども交流があると気持ちは素晴らしかった。 しかし自作の魅力でどこまで人々を引き付けられるかという作家としての信念から取り分け自分からはランクアート(閉鎖)の勧誘以外では殆ど誰にも声をかけなくなってしまった。 ソーシャルメディアで僅かにコメントを残すくらいだけど、リアクションも殆どないから詰まらないし、やはり辛いと思う。偶にあるもののお礼でしかなさそうだから…

明るい気持ちのシンパシーで誰も遠ざけるな

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昔のホームページ、 作詩の公園 はとても盛り上っていたので、アクセスは最高で一日三百人近くまで得られた、止めてから何とか越えたいと願いながらどうにも手が届かないでいる。 運営スタイルが今とは、全然、違っていて掲示板を主体にして僕と訪問者がコミュニケーションを取りながら周りの他の人たちも巻き込んで行くというアクセスアップの王道を只管に進み続けていた。 しかし越えられないままの一発屋で終わりたくないと強く感じる。 自分のコンテンツをGoogle検索に引っかけてアクセスアップを新しく図るけれども考えると気持ちが非常に大事で、昔のホームページと些かも変えてはならないようなんだ。 夢見て本当に頑張っていた 色んな人に来て貰いたいと信じ込んで全てに純粋に取り組んでいたからこそ訪問者が寄り付き易くて常連も増えたのではないか。 僕が管理人として少しでも上手く行かないとか駄目だなんて先行きへ疑いを抱いていたらやって来た皆…

意気込んで予定を立てて速やかに実行して

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日々、追い詰められていて忙しさの余りに参ってばかりいるのはホームページに載せてない詩が多いせいでないかと思ったんだ。 何をやっても予定が進むどころかどんどん引き離されさえもしまっているなんてあり得ない。心深く焦り続けているように物事がしっかり捗らない、創作活動にも打ち込み切れない感じが残っているのも手元に抱える詩の数々をホームページ( ブログへ移転 )にいつか載せなくてはならないとした現実にどうしようもなく苛まれる結果ではないのだろうか。 出すべきものはさっさと出しながらやれば次の新しい全てにも急ぎ捲らずに済むように感じられてならない。 するとやはり予定を立てることが大切なんだ 他の動きを止めてでも先に求めるしかない。一つの大きな予定を残しているから何かも落ち着かないに等しいわけで、これは決して目標ではないかぎり、本当に酷い忙しさだ、 ドライアイで目がガビガビ なんて汚れたコンタクトレンズを知らずに付け…

胸に秘めるはありがとうの気持ちこそ

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作詩の公園を振り返って

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僕が最初に開設したホームページは作詩の公園だった。今から十四年前に遡る。掲示板を主体にして皆で詩を読み書きするサイトだった。非常に盛り上がって本当に有意義に生きられた。貴重な経験、先々へ活かして行かなくては勿体ないほどの財産が得られたと思う。もう削除してしまったけれども心に記憶として刻まれたまま、終わらせるわけにはやはり行かなかった。一つの歴史として個人的にも負うべきではないかしら。昔の訪問者が思い出して探さないともかぎらないし、作詩の公園の管理人はどうなったのかと明らかにしておくことは決して無駄ではないだろう。ということで、ブログにも取り上げるしかないと望んだ。 作詩の公園を振り返って種々と学んだ 皆の詩を幾つも読めたことはいうまでもなく有り難かったし、僕も自作へ邁進することができた。サイトが各投稿によって熱が熱を呼ぶという感じで、全員の心が絡み合っているとも過言ではなかった。詩人の坩堝に…