肝心要の人を呼ぶ力があやふやなサイト運営でアクセスアップはどうする 結城永人 - 2017年7月22日 (土) 十年以上前、ホームページをガラケーで初めて開設した頃、作詩の公園でいつも誰か来ないか誰か来ないかと願い続けていた。他の詩のホームページの掲示板に自作詩を投稿してホームページをリンクしておく。すると管理人や訪問者が見付けて自分のホームページに来るかも知れなかった。メッセージを残したりする場合もあったけれども掲示板の投稿詩を介して主に交流するようにやっていた。 最初の数日間の気持ちは本当に良く覚えている。誰も来ないのではないかと不安が大きかった。他のホームページの掲示板の見ていると人の動きは十分に確認されたし、同じように自分のホームページにも誰か来ると期待していたけれども本当に初めてどうなるか、自分だけ全く違わないともかぎらないと予測が付かなくてドキマギし捲っている感じがした。 ちょっと人が来ると物凄く喜んで又別に誰も来ないと物凄く落ち込んで暫く繰り返している間にホームページの常連が増えて、毎日、安定して誰か来るようになってからはどこの掲示板にどんな書き込みを行えばどのくらい人が来るとかなんて様々な 予測が付けられるように変わって気持ちの振り幅も相当に収まったんだ。 今から考えると人を呼ぶ力が凄かった どうしても皆に来て欲しい。自分のホームページを何としても盛り上げなくてはならないという思いの激しさから他のホームページの掲示板への書き込みも必死だったように受け留める。 僕にとってはもう既に作家活動を十年くらい励んでいたところで、小説しか書いてなかったから詩では新しい取り組みだったにせよ、自分らしさの言葉遣いが人々に好まれるかどうか現実に試す機会が得られたのが何よりも興味深く感じていた。 ホームページでがむしゃらなまでに人を呼ぶ力に繋がった可能性がやはり極めて高いのは天職と捉えるけれども自分自身の作家活動への志が大きかったせいに違いないんだ。 作詩の公園は閉鎖するまで作家・詩人として世の中に通用かどうかが個人的に最も甚だしい注目の的だった。 アクセスが一日三百人という可成の成功を収めてからは人気なのは自作詩ではなくて掲示板での交流でしかないのではないかと悩み出して徐々に誰も呼ばずに一人でやってどうなるかと見ているとアクセスが落ちる一方で、交流なしに自作詩で引き付けられる人は滅多にいないとはっきり分かった。 すると本を出しても殆ど誰も買わないはずだからプロとしてデビューするのは無駄だと考えてしまう。現実に分からないし、作品を置いているのが自分のホームページでなければ反対に人々の気を引いたり、売り込みの仕方でも変わって来るけど、しかしながら交流で人気を得られたから僕自身のキャラクターを活かしながらさらにホームページが盛り上がったかぎりはサイト作成でやって行く方がプロとしてデビューするのも未来が広がると感じてホームページを幾つか増やしながらブログも本格的に始動しているわけなんだ。 現状、全てが失敗している。アメリカのプロ野球のハンバーガーリーグにも及ばない貧しいだけの生活を強いられている。にっちもさっちも行かないといえば正しく相応しい気持ちそのものだろう。 最も厳しいのはサイトの訪問者と交流がないから僕自身のキャラクターがアクセスのメリットだとしてもどうにも伝わり切らない サイト作成のコンテンツやデザインで示しても十分に上手く行かないので、検索エンジンからのアクセスアップもサイト評価に時間がかかってフランダース犬のネロのように貧しいだけの生活を持ち堪えられるまでには追い付かないのではないか、最後の取っておきというか、かつて可成の成功を収めた前提条件とも過言ではなかった人を呼ぶ力を捉え返しながら必要なかぎりの情熱を一段と燃え上がらせるようにやり直すしかないと感じてしまう。 実生活ならば癒し系男性かも知れないけど、作家・詩人として嵩んだ文字数のインターネットで普段から口数が多いと受け取られるとイメージが全く合わないので、とにかくプロフィールの蜜蜂のアイコンのような雰囲気から親しみ易く理解されないのが辛い。 インパクトが足りないせいもあるし、学問的な論文調の難解な日本語を気付かないくらい減らすべきだろう。自己表現に哲学談義みたいな形が目立つとどうしても大変な人だから寄り付かないと思われる。本当は笑って良いし、僕も皆を遠ざけるためにやっているつもりはないけれども信頼感が薄いとイメージを反対にずらせないから嫌ならば心に重く伸しかかるばかりだろう。好きな人もいるから全くやらないわけには行かないし、アクセスアップに繋がるけれどもニッチなキーワードとして訪問者は少ないから哲学談義みたいな形の難解な日本語は狙って敢えて増やす必要もないんだ。 人を呼ぶ力を内面に引き入れて自己表現を行って行けばサイトも自ずから分かり易い気持ちを示すように変わるはずだろう。 サイトに人が来ない、または少ないという事実を何よりも重く受け留めながら悲しまずにいられないサイト運営のスタイルが他の全ての気持ちに先立って出て来るのが大きいせいではないか。考えるまでもなく、アクセスアップの取り組みが優先されるし、悩んでいる暇もなさそうなくらい僕にとっては役立てられると期待する。 皆に来て欲しい僕からの気持ちがしっかり伝われば訪問者は常連になり得るし、コメントやリンク/シェアも増え易いのではないか 現今、皆無だ、インターネットの表立ったリアクションというと。メールが奇跡的に届く以外には訪問者は何もしないし、そんなふうに、丸っきり、応援しなくて良いと思い込んでしまっているのはなぜかしら。たとえ声をかけられなくてもサイトで交流したような気持ちにさせられたかどうかに尽きるはずだ。少なくとも今此所までサイト運営で物足りなさ過ぎるアクセスから瀕死の苦しみを何年も味わい続けなければならなかった理由は僕にはないと断言したい。 かつて僕自身のキャラクターとサイト作成で自作詩よりも人気を得たのは確実だった。 全ては訪問者との交流の賜物だったし、新しくも止めてしまっては逆さまで後から同じように上手く行かないのは当然だけれどもサイト運営に肝心要の人を呼ぶ力があやふやなままでは根本的に無謀なので、自覚しながら思い通りに奮発すればたぶん近付ける。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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