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2018年の些細な日常はリラプレカリアと異邦人とBloggerの検索避けと画像の横並びと膝屈伸の五つが最も印象深かった

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今年のブログ、些細な日常は三月末から有料の独自ドメインへ移行してドメインパワーのSEO対策でGoogleなどの検索エンジンでのサイト評価を高めてのアクセスアップを新しく大きく目論んだ。八月までは僅かでも上向きの調子を保って成長していたけれどもGoogleの検索アルゴリズムの変動が激しかったためか――スマホ向けサイトから判断するモバイルファーストインデックスがついに開始されたり――九月から大変なアクセスダウンに見舞われてしまった。ブロガーとして生活費を稼ぐには只でさえも少な過ぎるアクセスの悲惨な毎日にやる気を削がれるばかりで、希望に満ち溢れる思いの去年一昨年と比べたら更新して追加する記事数も半減している。追い打ちをかけられるように落ち込んで、一年間、何も変わらないくらい盛り上がらなかった。現在は一日百人前後だから一昨年の開設して半年の頃と同じにまで逆戻りしている。 絶望するしかない地獄の…

どうしようもないストレスの解消にArdore Duoのタイスの瞑想曲を聴くしかなくなってしまった

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ブログのアクセスが記事を増やしても、全然、伸びなくて、日々、ストレスが溜まる一方だ。いつまで一日百人を危ぶみながらやらなくてはならないのか。気がかりなのはとにかくGoogle検索でのサイト評価だけで、アクセスが安定して伸びるには、最低限、開設して一年が過ぎなければ駄目だと考える。だから本当に待ち切れない。後三ヵ月以上も残して今此処でどう耐え凌ぐべきなのか。九ヵ月近くも殆ど休まず、望んだ成果を直ぐには上げられない虚しさを抱えたまま、頑張って更新して来てもうへとへとなんだ。心を休めるようなストレスの解消が必要だろうJ. Massenet - Meditation from Thaïs via Ardorè DuoArdore Duo(アルドーレ・デュオ)で聴くタイスの瞑想曲(ジュール・マスネ)が良いし、相応しいと思う。YouTubeの動画で見付けて映像はセピア色の風景がノスタルジックな味わい…

ドアーズのLight My Fireはサイケデリックに情熱そのもので

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ドアーズの記事を前のブログから載せ直すために久々に読み返しながら良いと感じた。The Doors - Light My Fire via TheDoorsVEVO色んな曲を聴いてみたいとYouTubeで探すと新しく配信されていてLight My Fire(ハートに火をつけて)が気になった。ドアーズの代表曲の一つで、他の歌手にも数多くカバーされる世界の名曲というか、皆の懐かしいメロディーにもなっている。しかし驚くのは合っている、今の自分に。ドアーズのLight My Fireは1967年の発表だけれども物凄く新しいし、面白いのではないか。イメージも本当に格好良いと思う。ブログの訪問者が一日百人を越え出して生活感がガラリと変わったのは間違いない。綺麗なお姉さんではないにせよ、計らずも共通点を探りたくなってしまう、ドアーズと。人生の期待値が非常に上がって拝むべき富士山の天辺にいるみたいな心境だ…

太古の芸術をラスコー洞窟の壁画に見て何を思う

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フランスのヴェゼール渓谷にラスコー洞窟があって今から約一万五千年前に現代人の直近の祖先とされる新人類のクロマニョン人が描いた壁画が残されている。Prehistoric Sites and Decorated Caves of the Vézère Valley by Francesco Bandarin [CC BY-SA 3.0-igo], via Wikimedia Commonsクロマニョン人が地球に姿を現したのは約二十万年前といわれていて旧石器時代の末期らしい。人類全体の最も遠い祖先とされる猿人のホモ・ハピリスが二百年万程前に石器を作り出していた。四百万程前に同じように猿人のアウストラロピテクスが二足歩行を果たしていて両手が空いたせいだったかも知れない。ホモ・ハピリスは類人猿(現在ではチンパンジー、ゴリラ、オランウータン、ボノボなど)よりも確実に石器という道具を使って生きていたと…

ショパンの雨だれは生きる屍への真実の祈りだ

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ブログの記事を一生懸命に仕上げてサイト広告で生活費を稼ごうと望みながら一円にもならない毎日では呆れて心の中に雨垂れが聞こえて来るよ。侘しく寂れた思いの極みか。好きだったけれどもイメージとして実生活で受け取るのは耐え難いものがある。触れるのは命だけだ。顔付きも青ざめるばかりの貧乏で、喘がれない貧困では全くない。いつまで生きていられるのかと手の施せない重病人のように気分は落ち込み過ぎる。健康だからまだ益しな状態ではないんだ。頑張っても頑張っても駄目だった。四十年以上も咲かない花を抱えながら枯れた果てた意欲に存在そのものが染み込んでしまっているとは……。だからもう本当に生きる屍に等しい。来ない明日と潰れた未来、そして何よりも消え去られて行く将来性の数々に息も絶え絶えではどうやって夢と希望を甦らせられることか。想像も及ばない心こそは僻地だろう。Cyprien Katsaris - Chopin:…

スマートブログへのデザイン三ヵ条

些細な日常のウェブバージョンで考え通りのデザインがついに掴めた。というのは画像を元のサイズでカラム一杯まで合わせることができるようになったためなんだ。やればできるというか、BloggerはデフォルトのCSSで勝手にデザインが付けられるからそれを踏まえながら変更しないと駄目だったし、一般的な方法だけではサイト作成も追い付かなかったと思う。さらに文字サイズも調節してブログ全体がスマートになったと驚いた、咄嗟に。ウェブバージョンは画面一杯ではないし、しかも二列だからほっそり受け留められるせいではないか。纏まりが加わってスマートブログという印象を与え出した。気に入ったので、どうすれば実際に可能だったのか、纏まりによってブログをスマートに生み出し得る具体策を明らかにしておきたいと思う。見出しがちゃんと目立つコンテンツが整理されている端々の位置が揃っている最初に本文の文字サイズを大きめに変えていだけ…

ドゥルーズの哲学は出会いが良いと思う

十代後半、ドゥルーズとガタリのアンチ・オイディプスを貪るように読んでいたかも知れない。気持ちは、大分、変わったようだ。抱えていた喜ばしい思い出はいってみれば白光のはずだった。自分も同じように言葉を書き記したいと率直に感じていた。人生で初めて作家活動への門戸が開かれた瞬間だったんだ。ドゥルーズとガタリのアンチ・オイディプスは記念碑的な本とも過言ではないし、個人的には忘れ難い思い出の一つに他ならず、素晴らしい出会いそのものだった。〈それ〉は作動している。ときには流れるように、ときには時々止まりながら、いたる所で〈それ〉は作動している。〈それ〉は呼吸し、〈それ〉は熱を出し、〈それ〉は食べる。〈それ〉は大便をし、〈それ〉は肉体関係を結ぶ。にもかかわらず、これらを一まとめに総称して〈それ〉と呼んでしまったことは、なんたる誤りであることか。いたるところでこれらは種々の諸機械なのである。ジル・ドゥルー…

アクセスアップに纏まった記事と固まったテーマが欠かせない

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ブログがGoogle検索で一日の表示回数が百回を越えてクリック数が十回を越えた。良い感じだと本当に思う。それぞれが百回と十回を越えながら揃うことが少しずつ増えているので、ブログの成長がSearch Consoleのそうしたデータから十分に伝わって来てブロガーとしての意欲が迸らずにいなかった。開設当初からの一年間ちょっとの停滞が嘘みたいに伸びている。振り返ると記事のタイトルにキーワードを殆ど入れてなかったせいだろう。本当に詩的なタイトルばかり使っていてはアクセスは伸びなかったし、考えながら少しでも止めて良かったとしかいいようがない。そして記事の本文にもタイトルと合わせてキーワードを入れるべきではないかしら。検索エンジンに記事が纏まっていると判断されてブログのサイト評価も全体的に上がって来るように感じる。些細な日常はテーマを一つに絞ったブログではないから似たようなテーマの記事を幾つか固めてお…

クレーの絵が詩そのものなのは死と隣り合わせで意欲的な画家だったせいだ

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Paul Klee by Alexander Eliasberg [Public domain], via Wikimedia Commons
画家のクレーが四十歳過ぎの大回顧展のパンフレットに記した言葉が非常に興味深かった。現在は墓碑に刻まれているらしくて墓はスイスの彼の故郷ベルンのパウル・クレー・センターに置かれている。
私は現時点で受け入れられない、
未だ生まれもしないような、
死者に囲まれて暮らしているためだ、
いつになく創造の心へは幽かに近付く、
しかし十分に近付きはしてない。
Paul Klee via PAUL KLEE’S EPITAPH, THE MEANING(訳出)
まるで詩人の認識のような味わいがする。目に見えるものを描こうとしているような風情では全くなくて「芸術は見えないものを見えるようにする」という言葉も残していたと聞かれる。
この世で見えないものは心の目に全て映ってい…

才能は花開く~楽しさを味わいながら自分らしく生きるために~

知り合いで、この人が作家になればとかサイトを運営すればなんて思わされることがある。人柄に優れているので、さぞかし良い感じでやれるのではないだろうか。有望株に見えるだけにやらないでいるのは非常に勿体ない。

僕が声をかければ振り向いてくれるのかしら。貴方へそうせずに一人で重々しく溜め息を吐くような場面などではなかったとしたら笑うしかなさそうだ。
世の中に何等かの才能が埋もれていて、そのまま、終わる。とするや凄く考えてしまう。埋もれるために才能があるなんて死ぬために生まれて来たみたいで、とても悲しい。
能力や才能はそれを認め活用してくれる能力や才能がなければ成り立たない。
池田満寿夫の名言格言 via 名言DB
人は様々な可能性を持って生まれて来た。しかし生い立ちによって才能も変わるんだ。一言では出会いだ。出会いこそ才能を印付ける。
ところが誰かによって才能は必ずしも芽生えない。本人が嫌がってやらない。別…