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英語の無闇に使うのは必ず注意するべき酷く汚い罵り語の五大表現

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秋葉原通り魔事件の加藤智大の性格は短気そのものだった

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かつて秋葉原の歩行者天国にトラックで突っ込んで刃物を振り回しながら何人もの死傷者を出したという 秋葉原通り魔事件 があった。 加藤智大/僧侶が供養続ける 秋葉原無差別殺傷事件から10年(18/06/08)| ANNnewsCH 犯人の加藤智大は現行犯で直ぐに捕まったけれどもテレビのニュースで観ながら本当に可哀想だし、被害者も本当に不幸だと感じた。 振り返ると何だったのか。普通の人が只単に暴れ捲っているという印象が強くて日常生活で異様なまでにストレスを溜め込んだ結果だと理解した。考えてみるとしかし驚くべき状態だったわけで、ストレスの恐ろしさを知るためには詳しく明かしておくのも損はない。 秋葉原通り魔事件の切欠は加藤智大のインターネットの掲示板に成り済ましが現れたらしい。気に入っていた掲示板が廃墟になって誰にも相手にされないみたいな窮地に追い込まれながら一つの凶行に…

パンドラの箱のパンドラはギリシャ神話で最初の人間の女性だった

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普段から開けてはならないものの例として パンドラの箱 と良く耳にして来た。災いが降りかかるみたいなイメージが強くて考えるよりも逃げ去るのが先だったというか、気持ちはいつも知らないままに過ごさざるを得なかった。もう大丈夫だろうとパンドラの箱から可成の程度で離れたと思ってみても霊力的に襲いかかる魔の手ならば時空を越えてないともかぎらなくて気持ちも何も改めて向けるわけには行かなかった。 調べるなんて本当に驚きだった。 ブログの記事 に不意に出て来てしまって「開けてはならないパンドラの箱」とイメージの扱いが誤っていると不味いので、文脈に精確に即しているかどうか、どうしても知っておかなくてはならなくなったせいだった。 Pandora Reclining in a Wooded Landscape by Louis Hersent [Public domain], via…

些細な日常の素晴らしさは生きる喜びに他ならない

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ランボーと永遠への詩学的な考察

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僕が永遠の詩を歌うのは根本的には天使的な人との出会いに基づいている。青春期の 運命の恋 がなければ永遠の詩は経験されなかった。考えると元々は天使的な人の思いで、それを僕は反省しながら引き受ける形で自分自身に取り込んだに過ぎない。永遠の詩は心の繋がりを知り得た喜びだった。幸せそのものを指し示している。 なぜ気付いたのかは スピノザ哲学の影響 が非常に大きかった。彼の永遠の概念は心の繋がりと良く似ている、振り返ると。ただし神と人間との愛を何よりも含意しているので、哲学と詩の相違だけではなくて内実的にも心の繋がりとは差異がある。むしろ溶け合いと捉えられるべきだろう、心として精確には。 スピノザの永遠の概念は心の繋がりと良く似ているために永遠の詩に間接的に関与したのは間違いなかったけれどももう一つ注目するべき永遠の認識があって ランボー の 永遠 という永遠の詩はそれこそ僕と…

神の知性と必要な努力で実現できる幸福を

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朝、起きて気持ち良かった。 姪が死ぬかも知れない から一日の尊さが如実に感じられた。当たり前過ぎる、可笑しいくらい。些細な日常としか呼べない。分かり切っているんだ、僕には。驚くにはもちろん及ばない。 考えると最後の不幸ではないか。詩的にいって不幸は自分の選んだ道なんだ。逃げ出すことはいつでも簡単にできる。漫画だけれどももしも 宝くじのBIGでキャリーオーバーの六億円 が当たらないことが不幸だとしたら当たったと空想するか、外れて人生を学ぶかのどちらかで逃げ出せるよ。直に受け取って心の肥やしになるような不幸こそ最後にしたいと僕は認めている。 どうすれば幸福になれるだろう。本質的には神の知性に従わなくては行けない。すなわち自然の法則に逆らっては人生は手懐けられないのではないか。嫌なことばかりが大波と押し寄せて来るようだ。自分の災いに満ちた人生を振り返るかぎり、サイト…