ribbonも知っていた雨ニモマケズの作者の宮沢賢治は心優しい人でしかあり得ない 結城永人 -2024年10月13日 アイドルグループのribbonは1980年代に一世を風靡したおニャン子クラブを排出したテレビ番組の夕やけニャンニャンの終了後のパラダイスGoGo!!の乙女塾から派生したものだった。 当時、僕はおニャン子クラブに嵌まってレコードやグッズを買い集める日々を送っていて解散して乙女塾が出た頃は気が抜けたような状態になっていた。そのいかパラダイスGoGo!!を観てもさほど引き付けられることはなかったし、メンバーも殆ど、全然、覚えてないに等しい。 最もインパクトがあったのはribbonで、今でも芸能界に残っている唯一の乙女塾かも知れないけど、とにかくメンバーの永作博美が可愛い――あんな赤ちゃん顔の人が他にいるだろうか――としか思えなかったし、唯一、おニャン子クラブを越えたといえるくらい引き付けられる存在だった。 ただしレコードやグッズを買い集めるようなことはしなくて気が抜けたような状態で、ただ魅せられるだけだったのは本当に珍しい現象だったと振り返る。 YouTubeで久々にribbonを観ると他のメンバーの松野有里巳と佐藤愛子も可愛かったんだと気付いた。昔は永作博美の付き人のようにしか思えなかったし、全然、目が向かなかった。時代の流れか、松野有里巳と佐藤愛子も十分にアイドルとして通用する美貌の持ち主だと初めて認めた。 ribbonの動画を幾つも観ていたら1991年の日比谷野外音楽堂のHARLEM NIGHTというライブで別れの挨拶として松野有里巳が宮沢賢治の雨ニモマケズの替え詩を行っていて非常に面白かった。 ribbonの雨ニモマケズの替え詩の人柄の良さ 皆さん、汗をかいてね、かいてる方に、皆だと思うんですよ、メッセージを送りたいと思います。 雨にも負けず、風にも負けず、右手の人で隣の人に殴られた人がいたら大丈夫と訊いてあげ、左手の人で汗で冷えてクシャミが出た人がいれば風邪を引かないように温かいお風呂に入って下さいねといってあげ、中央の人に鼻水が垂れた人はあたしが拭いてあげるよっていってあげる。そんな人に私はなりたい。 今日は本当にどうもありがとうございました。松野有里巳でした。 松野有里巳|ribbonのHARLEM NIGHT|ポニーキャニオン 当日、大雨洪水警報が出ていたらしくてそれに因んで「雨にも負けず、風にも負けず」というメッセージが送られたのかも知れない。 松野有里巳が考えたのかどうかは分からないけれども他のメンバーは自分の言葉で普通にメッセージを送っていたようだから同じだとすればスタッフが考えた可能性は低い。 宮沢賢治の雨ニモマケズは非常に有名な詩なので、学校で取り上げるかも知れないし、誰かが普通に内容まで覚えていたとしても不思議ではない。 松野有里巳の替え詩は有名な出だしの「雨にも負けず、風にも負けず」から始まって出会う人への気持ちを三つ述べて最後に「そんな人に私はなりたい」とオリジナルと同じように願望で締め括っている。 内容は可笑しさがあって大雨洪水警報にかけているせいが大きいだろうけども、当時、十八歳だった感性の混じり気のなさが良く出ているのが面白い。素直な印象を与えて好感度が高い。そしてファンへの思い遣りに満ちた優しさが込められているところが素敵だし、人柄の良さを認めるんだ。 他のメンバーも同じように可笑しさと面白さがあって素直な印象を与えるメッセージを送るので、ribbonは人柄の良さが何よりも魅力的なんだと初めて分かった。 参考サイトあのとき日比谷野音はまさしく「Harlem Night」だった 宮沢賢治の雨ニモマケズとはどんな詩なのか 宮沢賢治の手帳/森荘己池ほか『宮沢賢治』 from 小学館 / Public domain 雨にも負けず風にも負けず雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち欲はなく決して怒らずいつも静かに笑っている一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べあらゆることを自分を勘定に入れずに良く見聞きし分かりそして忘れず野原の松の木の陰の小さな茅葺きの小屋にいて東に病気の子供あれば行って看病してやり西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い南に死にそうな人あれば行って恐がらなくても良いといい北に喧嘩や訴訟があれば詰まらないから止めろといい日照りのときは涙を流し寒さの夏はおろおろ歩き皆に木偶の坊と呼ばれ誉められもせず苦にもされずそういうものに私はなりたい原文 雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ慾ハナク決シテ瞋ラズイツモシヅカニワラッテヰル一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベアラユルコトヲジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリソシテワスレズ野原ノ松ノ林ノ䕃ノ小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒヒドリノトキハナミダヲナガシサムサノナツハオロオロアルキミンナニデクノボートヨバレホメラレモセズクニモサレズサウイフモノニワタシハナリタイ 宮沢賢治の雨ニモマケズ(訳出) 宮沢賢治の雨ニモマケズは詩として知られるけれども本来は最晩年に持っていた手帳に書かれたメモだった。だから完成した作品かどうかは分からないし、発表されたのも彼の死後の遺稿としてだった。 宮沢賢治は仏教の法華経(経典)の影響から雨ニモマケズを書いたようで、人助けを行って何でもない人として扱われるという内容は法華経の常不軽菩薩を取り上げたといわれる。 常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ、梵: Sadāparibhūta)とは、『法華経』常不軽菩薩品第二十に登場する菩薩である。彼は人をみると「私はあなた方を尊敬して決して軽くみることはしない。あなた方はみな修行して仏陀となる人々だから」と言い、人々にはずかしめられ打たれると、その場を逃げ、離れた場所から再び同じ言葉を繰返したという。そこでこの名がある。 常不軽菩薩|ウィキペディア 宮沢賢治の雨ニモマケズを常不軽菩薩と結び付けると人生における憧れを感じるし、最初の「雨にも負けず」から最後の「私はなりたい」まで一貫した心の強さ、どんなときでも変わらない思いが込められた詩だと想像するのは容易い。 宮沢賢治は代表作に童話があったり、分かり易い言葉遣いが多いけれども仏教徒としての深い洞察力に支えられているためか、大人が読んで詰まらないわけでは全くないし、分かり難いほどの魅力もある。 どう読むかのヒントとして日本の最も優れた文芸批評家の柄谷行人と吉本隆明の見方に触れておきたい。 柄谷行人の反動的な文学者としての捉宮沢賢治 僕が良く読んでいた柄谷行人の文芸批評で宮沢賢治が出て来ることは殆どなかったんだけれども一回だけはっきり出て来てわけの分からない書き方で記憶に残って忘れられなくなる作品があった。 こんな議論をすると、ふつうはみじめな結果になる。気違いだと思われかねない。しかし、私のいうことに完全に同意する友がすくなくとも二人はいたということは、驚きだった。一級の文学者や思想家には危うさがある、〝毒〟がある。ナチズムやスターリニズムは、その中毒症状にすぎない。それをおそれて、どこからも文句がでないような、衛生的な「新左翼」や「新保守派」が溢れているが、〝毒〟をのみこんでも平気な頑丈な胃袋をもった者はまれである。アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ…… 柄谷行人の反動的文学者 柄谷行人は何をいいたいのか。文面上、「一級の文学者や思想家」は精神的な中毒症状を起こさないような「頑丈な胃袋をもった者」でなければならないと考えるわけで、それを宮沢賢治の雨ニモマケズの「丈夫な体を持ち」を参照しているようだから宮沢賢治は「一級の文学者や思想家」だといいたいはずだ。なのにいわないで、「アラユルコトヲ」と彼の雨ニモマケズを引用するだけだからわけが分からない。 この文体、いいたいことをわざといわないみたいな表現こそが大事だと捉えているとしか捉えられない。 柄谷行人が「毒」というのも何なのかが良く分からないんだけれども作品でいわれないことを深読みして読者が意味付けること自体を指していると捉えるのが無難だろう。 一般的にいえぱ認識が物事の意味付けだから宮沢賢治が「一級の文学者や思想家」であって「頑丈な胃袋をもった者」というのは何かを知ることによってそれを一面的に決め付けない冷静さと真実を得たと興奮しない落ち着きがあるというのと等しい。 柄谷行人はそうなるのはなぜかをソルジェニーツィン(作家)について「もしひとが、本当にキリスト教徒であれば、人間社会に対する現実的な解決に一切絶望するはずだ。それは人間が神にとってかわることだからね」ということから示している。 宮沢賢治の仏教にも当て嵌めることができて「一切絶望」という境地があるからこそ「毒」に耐えられるほどの在り方が可能だと考えられる。 柄谷行人が作品の題名でもある「反動的文学者」と宮沢賢治やソルジェニーツィンを呼ぶのは「一切絶望」からあらゆる希望を受け入れない、または理性の勝利を謳歌したがらない態度で、終わらない認識の世界の住人みたいな生き様を受け取るせいだといえる。 吉本隆明の手足を動かして実行する宮沢賢治 吉本隆明は宮沢賢治を人として格段に高く評価していて世界一といえるくらい素晴らしく好意的に捉えている。 「飢饉があるときや、宮沢さんで言えば寒さの夏、穀物も野菜もあんまり発育できなくて少なくしか採れないことになったとき、宮沢さんは、一筋に、自分ができる限り、ほんとうに身をもって、農家のお年寄りの手を引くように、収穫の多かることを品質的に考え、肥料を土壌の性質に従って設計して与え、おじいさんやおばあさんが田畑を耕していたら必ずそばへ寄って手助けする、そういうことを本格的にやった人だと思います。 これは、宮沢賢治が持っている『ほんとうのほんとう』ということの実践というのでしょうか。実行というのは、ほんとうにこのことに尽きるわけです。 理論的に、こうだこうだと言って集団をつくって、いつまでも何もしない集団がたくさんありますし、ぼくらみたいに、やりもしないでなんか言ってるとか、そういう場合もあります。けれども、宮沢さんは、そういうことは全然ないんですよ。宮沢さんは『ほんとうのほんとう』を、地上からあるいは地下から、縦に関係を求め、これを自分の思想としているし、また、自分が現実に手足を動かして実行することもやります。 だから、ぼくはこれまで、いろんな人の悪口を言ってきましたけど、言わなかった人っていうのは、宮沢賢治ぐらいです」 吉本隆明/ほぼ日ニュース|ほぼ日刊イトイ新聞 吉本隆明は宮沢賢治の銀河鉄道の夜に出て来た「ほんとうのほんとう」(原文:「ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうのほんとうの神さまです。」)に注目してそれを理論だけではなく、実践したところに多大な尊敬の念を抱いている。 または微妙に区別して「実行」というのは普通の意味での言行一致の誠実さを上回るほどの人として敬服に値する何かを認めたせいと考えられる。 僕がとやかくいうことはもうできないほどの衝撃があって吉本隆明の身になって想像したら失われるような存在感の強い言葉になっている。 吉本隆明は宮沢賢治の「ほんとうのほんとう」をどのように捉えていたかというと一つの考えと反対の考えの対立によって人同士の喧嘩から国同士の戦争に至るまで引き起こされるけれどもどちらも「ほんとう」(正義など)を主張しながら違うためだったと考えている。 いい換えると何が正しいのかを知るための生きる道かある真実を探し出すための宛のない旅みたいなもので、絶えず、求めずにいられない世界を指し示す言葉が「ほんとうのほんとう」に込められているようなんだ。 だから吉本隆明が「実行」を称えることは「ほんとうのほんとう」に触れるというか、経験するということだからもはや全身全霊でそうした世界に包まれていてたぶん〈神様との出会い〉と呼んでも差し支えないくらい強烈な印象を与えるものになるわけなんだ。 宮沢賢治は仏教徒として人生を修行の場のように捉えながらいつも精進していた感じは間違いなくするし、人気の雨ニモマケズはそうした真面目さを非常に分かり易く示していて日本人の鑑みたいな注目を集めるけど、とにかく根本的に重要なのは独り善がりを越えていて同じような仏教徒がどれだけいたとしても言葉が追い付かない先へ向かっていると分かる。 宮沢賢治はきっと慢心しない心優しい人だ 宮沢賢治 by Unknown / Public domain 僕は宮沢賢治の雨ニモマケズを読んで最も心に引っかかるのは「皆に木偶の坊と呼ばれ」という部分なんだ。先ずおかしいと思うのは人助けをして馬鹿にされる。あり得ない。普通とは反対だ。何で大事にされないのか。失敗したわけでもない以上、人助けは少なくとも相手から感謝されなくてはおかしい。 これがたぶん一番の問題で、柄谷行人の「反動的文学者」も吉本隆明の「ほんとうのほんとう」も自己中心的な見方を退けるところに宮沢賢治の特別な良さを掴んでいるし、自分で自分を覆すというか、要するに慢心しないために敢えて否定的な文章を置いたと理解することができる。 たとえ皆から受け入れられてもそんなことはないと謙遜するように「皆に木偶の坊と呼ばれ」と書いたとすると僕の言葉では自己批判がしっかりできているから本当に偉い人だと感服するのは全く吝かではなくなるんだ。 驚くのは自分のせいにしないところで、「皆に」と書いてしまう。すると「皆」は自分を無闇に見下す悪者だと思わせることになるから酷い。しかし自分で自分を見下したら、結局、自己中心的な見方であることに変わらなくなる。僕の言葉では自己批判がしっかりできても一時では詰まらないわけで、やった偉い自己へも批判を行わないと自己自身は忽ち偉くなくなってしまう。 考えると「皆に木偶の坊と呼ばれ」は「皆」を人を馬鹿にする連中と思わせることになって酷いけれども自分が人助けなどの善行に慢心しないためならば必然的に自分のせいにすることはできなくなるから正しいとしかいえない。 そこで気になるのが宮沢賢治はそうした酷さを自覚していたのかどうか。 自分が慢心しないために皆から注意して貰わなくてはならないという流れがあって「誉められもせず」は酷さの自己確認とすると次の「苦にもされず」が正しく心温まる考えを表していて良いと思う。 ここも普通に読むと躓く。叩かれる不幸があって直ちに何でも構わないという展開が余りに唐突過ぎるし、取って付けたような自己開放の良い加減さがそれまでの思い遣りに満ちた真面目そうな感じからかけ離れている。現実ならば気持ち悪い人としかいいようがなくなる。 納得できるのは「皆に木偶の坊と呼ばれ」の酷さを「誉められもせず」と反省した上で、それこそ皆のために「苦にもされず」と祈願したという流れしかない。 宮沢賢治の人当たりが出ていると思う。他人は自分と違う。だからこそ触れ合えば慢心を遠ざけてくれて有り難い。喜んで仲良くすることはできるけれども全く同じように生きることはできないのが悲しい。どうするかというと幸せを期待するんだ。心優しい人と感じる以外に何もないのが本当に凄い。 参考サイト雨ニモマケズ コメント 新しい投稿 前の投稿
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