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些細な日常

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ルーマーのWhat the World Needs Now Is Love(ジャッキー・デシャノン)|友情歌

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2016年に発表された ルーマー のカヴァーで聴いた What the World Needs Now Is Love / 世界は愛を求めている ( ジャッキー・デシャノン )が友情歌として胸に響いた。 ジャッキー・デシャノンの What the World Needs Now Is Love ジャッキー・デシャノン| Jackie DeShannon, Singer/Songwriter 作詞は ハル・デヴィッド 、作曲は バート・バカラック で、オリジナルの歌手はジャッキー・デシャノンになる。 What the World Needs Now Is Love (1965/オリジナル) バート・バカラックは1962年にメロディの大半を書いていたけれども詞の一部が追い付かなくてハル・デヴィッドが二年を費やして完成したとされる。 元々は ディオンヌ・ワーウィック のために制作されたものの曲調がカ…

竹原ピストルのよー、そこの若いのの生きる力の勢いの良い世界の弾丸の人間味

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テレビのCM( 1UP )で聴いていて紅白歌合戦に出ると知って歌手の 竹原ピストル の名前を覚えた。五ヵ月くらい経ってついに曲名の よー、そこの若いの も覚えながらちゃんと聴いてみたら歌詞が可笑しくも悩ましい気持ちを込められた弾丸なんだ。 名前のピストルにぴったり合っていてとても分かり易いイメージの歌手だった 竹原ピストル - 「よー、そこの若いの」|竹原ピストル 只のおじさんが何だろうという第一印象を抱いた。微かに感じたに過ぎなくて思い返すのは難しい。言葉として自分の中に明らかに定着したのは紅白歌合戦に初めて出場する話題で、顔を見た頃からだった。 かねてテレビCMで流れた如何にも年季の入った嗄れた歌声から想像されるだけではなくてやっぱりおじさんだと受け取ったわけだ。 無名だったはずならば一曲だけで知名度を上げて人気者になったのは凄いというべきか 世の中で歌手として当た…

宇多田ヒカルのForevermoreは綺麗な曲だ

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僕は永遠を歌う詩人で、メインのホームページ( ブログへ移転 )はForevermoreだから 宇多田ヒカル の楽曲で Forevermore を知って気持ちは只事ではなかった。永遠を英訳すると普通はForeverだから日本人が作品名に良く充てたと驚く。しかし考え返してみると宇多田ヒカルは英語が得意なのではないか。デビュー曲の Automatic や大ヒット曲の First Love など、作詞作曲を自身で手がけながらいつも英語が目立つ歌手だったわけだ。アメリカで生まれ育っていたらしいので、結局は当然だった。英語が母国語の感性で、 Forevermore も衒いなく、作品名に選ばれたんだろう。 聴いてみると綺麗な曲だと率直に思った 宇多田ヒカル 『Forevermore』(Short Version)|Sony Music (Japan) 宇多田ヒカルというとデビューして直ぐに大…

在日外国人の子供たちの不安なアイデンティティーへの親近感と悩みへの慈しみ

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バリバラの【“外国ルーツ”の子供たち】を観て在日外国人の子供たちが抱える様々な悩みを知った。 両親の片方が外国人で自分はどちらの国民なのかというアイデンティティー(自己同一性)の不安を持っているのが内面性の下地になっているようだ。考えると僕も同じような状況だったから親近感が湧いた。父親が秋田県で、母親が栃木県で、自分はどちらの県人なのかとアイデンティティーが気がかりになる。人々の交通が繁栄した現代では色んな地域の色んな両親を持つのが普通だから在日外国人の子供たちのアイデンティティーの不安は誰にとっても決して縁遠くないわけだ。細かくいえば父親と母親の根源的な差異を想定するべきではないか。 アイデンティティーの不安は誰にでも当て嵌まる悩みとも過言ではない Sonw hill with a tree by Mojpe / Pixabay 文学上、日々の悲しみから…

白琉球の切なさの詩的で命の尊さに他ならない思い遣りの心に救われる雨上がり

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白琉球の花が咲いていた。雨が多くて満開だったけれどもあっさり萎れかけているようだ。琉球躑躅ともいわれる躑躅の一種で、他の種類でも似ていて雨で直ぐに変色する花が多い。しかし白だと本当に目立つし、雨上がりの白琉球には切なさを受け取らずにいない。花柄も大きいから、殊の外、衝撃的で、晴れやかな様子こそ却って強く目に浮かんでしまう。 白琉球の花言葉は「愛の喜び」らしい 切なさから受け取ると人生を考えさせられる。愛の喜びが直ぐに終わるのか。または悲しみを含めて愛する気持ちが喜びならば深い意味を持っているに違いない。イメージとして前者は清純だし、後者は慈しみだろう。白琉球は切なさを帯びた花だから花言葉の「愛の喜び」も複雑な感じがする。清純な慈しみとすると人生では思い遣りの心が欠かせなさそうだ。素晴らしいし、見習うしかないと頷く。 ならば白琉球は素敵な詩人を彷彿とさせる…

ランボーと永遠への詩学的な考察

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僕が永遠の詩を歌うのは根本的には天使的な人との出会いに基づいている。青春期の 運命の恋 がなければ永遠の詩は経験されなかった。考えると元々は天使的な人の思いで、それを僕は反省しながら引き受ける形で自分自身に取り込んだに過ぎない。永遠の詩は心の繋がりを知り得た喜びだった。幸せそのものを指し示している。 なぜ気付いたのかは スピノザ哲学の影響 が非常に大きかった。彼の永遠の概念は心の繋がりと良く似ている、振り返ると。ただし神と人間との愛を何よりも含意しているので、哲学と詩の相違だけではなくて内実的にも心の繋がりとは差異がある。むしろ溶け合いと捉えられるべきだろう、心として精確には。 スピノザの永遠の概念は心の繋がりと良く似ているために永遠の詩に間接的に関与したのは間違いなかったけれどももう一つ注目するべき永遠の認識があって ランボー の 永遠 という永遠の詩はそれこそ僕と…