スキップしてメイン コンテンツに移動

些細な日常

ラベル(生活費)が付いた投稿を表示しています すべて表示

平戸躑躅の写真と俳句:救い主を待つのは大変だ

イメージ

地元の大きな公園で初夏の花々の写真を撮って来たので、その中から 平戸躑躅 の写真を俳句付きで掲載する。 平戸躑躅は大きなピンクの花がまるで海中の珊瑚のようにゆらゆらと咲くのが印象的だ。写真に撮ろうとしたら他の人が寄って来て飼い犬を連れていて花の前に座らせて写真を撮り始めた。無理だと思って少し他の花を見て回りながら暫くして誰もいなくなってから写真を撮った。 貧しさや平戸躑躅へ遠回り 公園や何かで犬の散歩をする人を見かけるといつも 貧しさ が身に染みる。本当に無理というか、ある種、裕福さの象徴のような感じさえもするのがペットを持つということで、取り分け犬だと手も多くかかって大変さも増す。一人寂しく嘆かずにはいられない、いつになれば人並みの生活へ 死と隣合わせの毎日 を免れられるだろうかと。 世の中もさっさと ベーシックインカム をやるべきだと思うし、そうなれば最低限の生活費が…

プロブロガーのイケダハヤトの月収五十万円以下の並外れて効率的なブログ運営

イメージ

ブログで生活費を稼ぐ プロブロガーの代表格がイケダハヤト だ。一つの生き方を新たな職業から作り出した魁だし、アクセスアップで人気者かどうかではもはや神レベルの実力を誇っている。何にせよ、ブログだけで知名度が断トツに高いのは本当に恐れ入る。 神レベルのプロブロガーというイケダハヤトの発見 僕は プロブロガーを目指す けれども将来的に大丈夫と初めて実感したのは イケダハヤト の生活を知ったのが切欠だった。 サイト広告のアフィリエイトなどで金儲けが可能な状況は昔からあったけれども調べても生活費を稼ぐまで実現できるかどうかは良く分からなかった。どこかで誰かが収支報告を公開していても コンテンツを捏造するのは比較的に容易な世の中 だし、信憑性が、中々、得られなかったわけだ。 本当に難しいとなるとブログに人生を賭けるのは命取りだから止めておくにかぎると危ぶまれるし、飛んだ馬鹿を見て早…

ブログの成長が微笑ましいから信じて疑わない向上心の天国の論理で頑張りたい

イメージ

クリスマスが過ぎて ブログの大きなアクセスアップのプレゼント はなかった。とはいえ、前日に二百人を越えて当日に二百人に迫ってさらに翌日の昨日は一気に三百人に迫ったから相当に面白かった。十二月からやっと一日百五十人を頻繁に越えるようになって同月中に二百人まで増えるだけでも従来よりは明らかに素晴らしい。 ブログの訪問者の数が良い感じで増えているようだ 結城永人のWebコンテンツ| アルファポリス アルファポリスのランキング(サービス終了/二十四時間に一人一回のカウント)で二百八十二人と三百人に迫って総合百位とジャンル別五位に入って来た。一日千人のアクセスでサイトの無料出版の可能性があるからブロガーとして サイト広告で生活費を稼ぐ だけではなくて非常に楽しみなランキングだ。アルファポリスで書籍化された本への商品リンクをブログに貼るのが一つの夢だし、青年期からプロの作家を…

世の中のブロガーの一割だけが一日千人以上のアクセスを得てアフィリエイトで存分に儲けているらしい

イメージ

ブロガーの大半はサイト広告を使ってもしっかり稼げない。世の中の七割のブログは一日のアクセスが五十人以下みたいに聞く。そして一割が千人以上なので、月収一万円は固くて調子が良ければ十万円くらいまで稼げるかも知れない。 当面、十人に一人のブロガーというと簡単そうに受け取るにせよ、アクセスならば正しく厳しくて一日千人以上を目指さなくては生活費を稼げるかどうかは怪しい、アフィリエイトでプロとして存分に儲けるスタートラインにも立てないまま、終わるしかない。 面白いというか、数字の捉え方が特徴的だ。十人に一人のブロガーが一日千人以上のアクセスを得ているとは何だろう。アフィリエイトは易しいのか、難しいのか、どっちなんだと笑う。 誰にでもできる物事の中身が崖っ淵みたいな感じで、翻って崖っ淵では誰にもできない物事なのに見かけは反対になっているのがアフィリエイトの世界と呼ぶ他…

GoogleとYahoo!からブログのアクセスが深夜の二三時間だけ急上昇していた

イメージ

朝、起きてブログのアクセスを確認したら二百五十人を越えていた。普段の十倍以上の跳ね上がりを見せていて恐ろしいほどに驚いた。深夜という一日で来る人が最も少ない時間帯だったからおよそあり得ないし、普通に考えて怪し過ぎる事態に見舞われてしまった。 一つの記事だけがアクセスの急上昇を果たした 統計の一週間のグラフ| Blogger 調べると Google の「www.google.com」や Yahoo! の「search.yahoo.co.jp」などの参照URLから二三時間の間だけアクセスが急激に伸びていてしかも一つの記事だけだった。 不可解なのは普段からさほど表示回数が多くない記事なので、たとえ検索結果の掲載順位が上がってもブログのアクセスに大きな影響はなさそうだった。 複数の文字列のロングテールキーワードで新しく引っかかり出した可能性があるので、偶々、検索エンジンでのサ…

サイト広告で生活費を稼ぎたい気持ちは個人的に神のお告げに他ならなかった

イメージ

僕は作家として プロデビュー と Googleアドセンスに承認されて 実感した。サイト広告で生活費を稼ぐという考え方がGoogleアドセンスならば収益率が高いから現実味を帯びて来たせいだった。 作家として作品を売って印税を得るという考え方が二十年以上も実現せずにプロになる可能性が全くないところで、神のお告げとも過言ではないくらい喜んだし、自分には相応しいのではないかとサイト広告での収益化の前提条件のサイトのアクセスアップに改めて力強く励むようになった。 実際は物凄く厳しくて不可能に近い 巷で収益率が非常に高いといわれるGoogleアドセンスに承認されても例えば月収十万円に一日五千人くらいの訪問者が必要かも知れなくて一般的なホームページやブログの個人サイトでは先ず以てあり得ない数字が求められてしまうわけなんだ。 ただし神のお告げと認識するほどに背中を押されるようにサ…

悲しくても必死に生き抜くつもりならば画家一筋へ情熱を燃え上がらせたヴァン・ゴッホのように

イメージ

ゴッホの手紙 を読んでいると元気が湧いて来る。絵だけではないと本当に感じる。 ヴァン・ゴッホ は画家だけれども同時に作家だったのではないか。興味深いのは文学は手紙でしかないから特にやってないという雰囲気が文体から伝わって来る。ヴァン・ゴッホならではの画家としてのイメージを手紙の文面に重ね合わせているに過ぎないにせよ、個人的に納得してしまわざるを得ない。 ヴァン・ゴッホならば画家一筋に情熱を燃え上がらせていたから他の創作活動には本気を出して取り組んで欲しくないけれども人間的に手抜きを受け取るのでは物足りないせいだろう。 手紙は文学なんだけれども作品として十分に仕上げられてない、本業の絵と比べると芸術性が低いに過ぎないだけで、必死に生き抜くほどの掴み取られた真実においては実質的に変わらないと感じる。 ヴァン・ゴッホに自画像が多いのは貧しさに強いられたためだ Self…

自殺したいままに生きている状態

イメージ

散々、幸せへ向けて考えて来てまだ逃れられないどころか、死こそ近付いてさえもいるのでは生活そのものがうんざりするばかりの気持ちだと嘆かざるを得ない。 何もかも裏目に出ているのか どうして生活費が稼げないんだ、作家として。人気取りで金儲けを果たそうなんて世の中では一握りの好運でしかない。止めるべきか、父親の教えに背くように考えているせいならばそれだけでも撤回するしかなさそうだ。自殺したいほどの不幸は本当に何なのかを知らなくては夢も半ばに潰えるかぎりみたいな予感がする。 Googleでのサイト評価は少しずつ上がっているはずだし、アクセスアップも間違いなく果たされていると思うので、サイト広告で収益化が必要十分に実現されるところまで待てるかどうかなんだ。 時間がかかってどうしようないし、検索エンジンでのアクセスアップにはサイト年齢が重要だから一朝一夕では得られない喜…

人生の願い事を祈った神社参りの胸のうち

イメージ

神社へお参りというのも 柏葉紫陽花 の好影響か。身近でいつも通り過ぎてばかりの神社なのについに気持ちが入った。カメラを持ってふらふらしていたので、偶々、写真が撮れないかという感じだったにせよ、人生の流れには逆らえなさそうな結果にはなっている。柏手を実際に打ってみたい。だから神社に僕は来た。 逆算すれば神社で柏手を打つためにカメラを持って近辺をふらふらしていたわけだ。普段の通り道とは少し離れているから特別な理由がないと寄り付かなかった。散歩でも良かったけど、しかし創作活動への意欲からカメラを持つ僕ならば本当に自然だろう。 柏手は記念すべき瞬間とも呼べなくはない。直ぐに忘れて去ってはご利益も薄らぎ兼ねない。胸に止めることが大切だ。とはいえ、自己表現に繋げることは決して吝かな試みではないはずだ、カメラでも何でも。 いって良いのかどうか、願い事をブログで。テレビ番組…