サイト広告で生活費を稼ぎたい気持ちは個人的に神のお告げに他ならなかった 結城永人 - 2017年7月14日 (金) 僕は作家としてプロデビューとGoogleアドセンスに承認されて実感した。サイト広告で生活費を稼ぐという考え方がGoogleアドセンスならば収益率が高いから現実味を帯びて来たせいだった。 作家として作品を売って印税を得るという考え方が二十年以上も実現せずにプロになる可能性が全くないところで、神のお告げとも過言ではないくらい喜んだし、自分には相応しいのではないかとサイト広告での収益化の前提条件のサイトのアクセスアップに改めて力強く励むようになった。 実際は物凄く厳しくて不可能に近い 巷で収益率が非常に高いといわれるGoogleアドセンスに承認されても例えば月収十万円に一日五千人くらいの訪問者が必要かも知れなくて一般的なホームページやブログの個人サイトでは先ず以てあり得ない数字が求められてしまうわけなんだ。 ただし神のお告げと認識するほどに背中を押されるようにサイト広告で生活費を稼ぐと心から取り組まずにはいれらなくなる。不思議だけれども途轍もなく素晴らしい力で応援されているから実現できる世界ではないか。 青春期、作家活動を志したのもアンチ・オイディプス(ドゥルーズとガタリ)から感じた白い光のせいだから似ている。今に至るまでの二十年以上の地獄の日々というか、貧乏を強いられるだけの不幸そのものが始まったと振り返ると又危ないし、神のお告げと完全に自覚しての目論みとしては確実に最悪で死ぬしかない流れに人生が本当に入っているのではないかと恐れる他はない。 僕としては命懸けでアクセスアップを選んだ。フランダースの犬のネロのように芸術に死ぬのだけは避けなくてはならないと考えると細心の注意を払いながら取り組まないと想定外に短命に終わり兼ねない。 死んだ後に叫び出す貴方、サイトならば訪問者をどれだけ減らせるかに言動の全ては尽きる、むろんアクセスアップも含めて。インターネットでは交流を持たないと人々に軽視されてしまう現状なのが最も難しいけど、ホームページやブログで言葉を胸に打ち込んで個人的に訴える真実とは何かに目覚めしく気付かせ得るかぎりはアロアとパトラッシュに囲まれて幸せだった生前のネロのように芸術に生きると何もかも夢で終わらせずに済むはずだ。 現今、死に物狂いで頑張るしかないと辛く苦しい毎日ばかり続いているけど、神のお告げならばきっと大丈夫だと信じて突き進むかぎりは生活が希望の光に包まれながら気持ちももう少し楽だから一つの祈りを胸に置いておきたいと思う。 所有サイトでいうまでもないもののサイト広告で生活費を稼ぐために未来へ一日五千人くらいまでアクセスアップを想像するたけで気が遠くなってしまう。 直ぐに嫌になって逃げ出したいし、無謀な試みとしてどうせやるならばほんの僅かなお小遣いで十分だと満足しながら少しずつ頑張るのがいつも疲れなくて余程と賢いようにも感じるけど、ところがやはり上手く行かないので、夢に向けて命懸けなのに無駄な努力でしかないと迫り来る死の恐怖に脅かされるほどにやる気そのものを失うよりは早寝早起きと共に本当に手に入れた人生の幸せという自由から好んで立ち向かうべく新たな一歩を踏み出したくなった。 頑張れば夢は叶う 大変なのは成果を上げるまでの虚しさだ。志から目的地に辿り着けるかどうかは神だけが知っている。だから叶わない夢の中でもつとに人生を思い悩む必要はないだろう。 努力は人を裏切らない 予め成功するかどうかが分からない状況ならば失敗するだけではないとした見方が正しいので、どんなに駄目でも簡単に諦めなくて良いんだ。 自信を持って生きよ できるからやるにも拘わらず、虚しさからもはややらないでできないと決め付けるのだけは情けないから避けるべきではないか。夢見て掲げた思いには恥じず、胸を張っていっそどこまでも取り組んで行くくらいに余念のない発奮が重要だ。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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