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マインドフルネスは人間の心だけではなくて脳や遺伝子にも優れた効果を発揮する瞑想なんだ

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欧米で仏教に由来する瞑想が流行っているとちょっと前から聞いていた。キリスト教が主流の国々で、東洋思想へ憧れを抱いた極一部の人たちがマニアックに取り組んでいるせいではないかと思った。
例えば日本の座禅が人気だったりするし、文化的にいって他の寿司やONE PIECEや日本刀と変わらないような気持ちがする。
ところが実際はもっと認知度が高そうだと改めて驚いた。マニアックな人たちだけではなくて社会的な広がりをはっきり見せ始めていたんだ。
今、めい想が大ブーム!宗教性を排除し、「マインドフルネス」の名で世界中に広まっている。その理由は、最新の脳科学により、わずか数日の実践で脳が改善することが分かってきたためだ。ビジネスの世界では効率をアップさせると大人気。さらに医療の現場では、うつ病の再発防止などでも応用されている。
新・瞑(めい)想法 "マインドフルネス"で脳を改善! via NHKネットクラブ
サイエンスZEROで取り上げられていて欧米では仏教に由来する瞑想が方法論的に確立されて脳の健康に役立つと会社や病院などでも導入されながら一般化されて来ているのを知った。
マインドフルネス(mindfulness)は注意/心がけを意味するけれども仏教の考え方の念、または気付きを踏まえて瞑想を表現しているんだ。
The Great Buddha of Kamakura by gavilla [CC0], via Pixabay
精神上、物事への執着を解き解したり、常日頃の雑念を振り払ったりするのが仏教の念、または気付きなんだ。瞑想によって高めると心が安定してそれ以外の何にも惑わされなくなる。日本の座禅が完全に当て嵌まっている。内面的に集中力を磨き上げる方法といっても良い。
欧米ではジョン・カバット・ジンがマインドフルネスの概念を生み出して普及に努めたらしい。科学者だけれども禅やヨガを学んだ。瞑想がストレスの軽減に繋がるから人々の生活に有効だと分かって伝えて行った。
現今、GoogleやYahoo!などの大企業が社員にマインドフルネスを取り入れて個々の能力を発揮し易くて生産性を増すように業績を上げたり、イギリスの病院では取り分け鬱病に効果があると認められて軽度の場合には投薬よりも良いと治療に率先して使って再発率を下げるほどの成果を出したりしている。
マインドフルネスは脳の健康に繋がるとい…

クリスマスの装飾に使われる松毬をドイツで始まったクリスマスツリーの樅の木の風習から理解しよう

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先一昨日まで全く気付かなかったけれどもクリスマスの装飾に松毬が使われる習慣が世の中にはある。ブログのクリスマスプレゼントの記事で一緒に載せる写真を探していたらわんさか出て来てとても良いと思った。自然を尊重しているようだ、人工の装飾品だけが使われる場合よりも。心を明らかに和ませるし、クリスマスを身近に感じたのはかつてない衝撃だった。
Christmas wreath with pine cones by StockSnap [CC0], via Pixabay
松毬は個人的に馴染み深い。十代の頃、近隣で良く見かけたし、取り分け自宅のそばに一本の大きな松の木が生えていて周りに数多く落ちていた。自宅を引っ越したり、他の場所でも都市化が進められると共に普通には殆ど見かけなくなってしまった。寂しいかぎりの思いを抱く。何の役にも立たないし、特に興味も持たなかったけれども時代の移り変わりをはっきり受け留めさせてくれるのは文学的だ。失われては純粋な詩を味わわせる。たぶん嵩張るせいで、他の小さな木の実よりも人間にとって過去が記憶に残り易いせいかも知れない。気付いてから正しく、松毬は崇高だと考えている。
クリスマスの装飾で日本以外でも使われているのがなぜかと疑問だった。松毬を落とす松の木は海外で必ずしも有名ではなさそうだ。日本だと盆栽の小さな松の木とか和室の襖や和食の茶碗の絵の松の木なんか当たり前に知られていて文化物に等しい。海外でクリスマスに出て来るのは松の木ではなくて松毬でも余程と珍しくて謎だ。
調べるとメインのクリスマスツリーの樅の木の樅毯の代わりとして使われていた。知らなかったけれども樅の木はマツ科の植物で、松の木に松毬ができるのと同じように樅毯ができるんだ。比べると前者が丸くて後者が細い。クリスマスに本来は樅の木の樅毯を使うというか、最初から付いていて一緒に出て来たのかも知れないけれどもいつしか切り放せなくなった。人々の習慣に樅の木と一緒に樅毯が必要なので、クリスマスの装飾のために手に入らなければ代わりの松毬などの似通った何かを付けている。
クリスマスはキリスト教の降誕祭/誕生祝いだけれどもクリスマスツリーを飾り付けて催すような風習は中世の十七世紀頃にドイツから始まっているらしい。
Adam and Eve stained glass in Auch Cathedral by Vass…

ウォーターサーバーのアクアクララが設置された家でいつも飲んでいる水の感想

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家にウォーターサーバーが設置されて五年くらい経つ。僕が入れたわけではないので、気にも留めずにいた。貧乏に苛まれるほどに自分で飲みたい富士山の霊水などは買えなくなってもはや自宅のウォーターサーバーばかり使うようになっている。
どんな水なのかとチェックするとアクアクララだった。健康被害は特にないし、家に住んでいる誰も死んでなくて病気にもかかってないから一先ずは普通に良いと思う。

水は健康に重要だけど、しかし栄養素を取るのが主要な目的ではない。一番、大事なのは健康の維持に必要な水そのもの(H2O)をしっかり取って他の病原菌を始めとした有害成分を減らす。その上で初めてミネラルなどの栄養素が含まれていて健康に有利かどうかを問うべきだと考える。
ウォーターサーバーのアクアクララの水の成分を調べると地域毎の水道水を細かく濾過した純水に四種類のミネラル(カルシウム、マグネシウム、カリウム、ナトリウム)を独自に配合したデザインウォーターが開発されて届けられていると分かった。
純水は水そのものに近くて水そのものは超純水と呼ばれる。何れも健康に注意すると好んで飲むべきではなさそうだ。スーパーでクリアウォーター(純水)を飲料水として見かけるし、平気で売っているけれども必ずしも勧められない理由としては体内のミネラルを逆に取り込んで体外に排出する可能性が挙げられる。いきなり健康被害は出て来ないにしてもミネラルが不足している人にとってはちょっと厳しいかも知れない。
アクアクララのデザインウォーターは純水で病原菌などの健康被害の可能性を安全に抑え込みながら健康に役立つミネラルを適度に付け加えるという考え方が理に適っていると感心する。
そして日本人好みの軟水に仕上げているらしい。含まれるミネラルが比較的に少ないわけだけれども水の不純物を含まないと他の成分を取り込む性質を考えれば軟水はその傾向が強い。料理に使うと食材の様々な成分を取り込み易いから日本食の繊細な味わいには昔から軟水こそ欠かせなかったとも聞く。陸地が狭くてしかも大方が火山の噴火からできたせいで、流れる川にミネラルがさほど溶け込まなかった。かねて日本人は生活用水として軟水に慣れていて日常的に親しみを抱いていたんだろう。水道の浄水設備が一般化された現在でも好きな気持ちは変わらないように想像される。
ホームページには「世界基準の品質」と載っていてアクアクラ…

イースター島で気になるモアイの五つの鑑賞スポット

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イースター島(ラパ・ヌイ国立公園)のモアイについて好んで調べてみると先祖の霊を祀っていて島民の守り神だったと分かったけど、しかし一つの謎が解けても又別の謎が生まれて来るようで、モアイそのものの造形から芸術的な関心、または存在から文化的な興味を受け取りながらとても興味深い気持ちに駆られ続けてしまう。
モアイはイースター島のあちこちに点在していてそれぞれに趣きが異なっているので、気になるモアイの鑑賞スポットとして五つを選び出しながらどんな感じなのかを纏めておきたいと思う。
鑑賞スポット①アフ・トンガリキ
Easter Island, Ahu Tongariki by Arian Zwegers [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons
イースター島で最大の祭壇/アフで十五体のモアイが並んでいる。海を背にして著しく連なる巨大な佇まいが見るからに島民の守り神らしい様相を呈している。崇高そのものとも過言でないだろう。
胸を締め付けられる感じがする、計らずも。海鳥の声がどこからともなく聞こえて来るようで、果てしなく心に染みる詩情を湛えているモアイの魅力を象徴的に示している。
本当に行ってみたくならせる。モアイは不思議なロマンを与えるけれども顔自体が体というイメージの美しさに惚れる。気持ちが全てみたいな人々の生き方が反映してそうで、命が燃え上がる瞬間を未来永劫に捉えているのではないか。嬉しくて実物からかけがえのない幸せに肖りたいと引き付けられずにいない。
鑑賞スポット②アフ・アキビ
Los Moais de Akivi, Isla de Pascua by Claire Provost (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
七体のモアイが精妙に並んでいる。イースター島では珍しく海に向かって立っているらしい。高台から海を見下ろすような感じで、唯一ともいわれる。
大空と比べると流石に小さいようだ。七体ではモアイも祭壇では圧倒され過ぎないせいか、人間に近いという情緒が漂っている。余白が際立ってこの世とをあの世を結び付けながら魂が飛び交っていると想像してしまう。
正しく霊感が刺激される配置では目に見えない神殿の支柱そのもののモアイがアフ・アキビだろう。厳粛な祈りに誘われる。自分も先祖と同じようにいつかは死んで世界に別れを…

イースター島のモアイは命の尊さを教えてくれる皆の守り神だった

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昔から何だろうと思っていたイースター島ラパ・ヌイ国立公園)のモアイだけれども建造された理由は現地の言い伝えによると部族の王の霊を祀るためだったらしい。偶々、小耳に挟んであっさり分かってしまうというのも詰まらないみたいな感じがしないではなかった。詳しい資料を欠いているので、ひょっとすると誤りともかぎらないにせよ、たぶん殆ど合っているように受け留める。
Plataforma ceremonial Ahu Akivi by Jantoniov (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
モアイは海を背にして立っていたり、内陸部では反対に海を向いていたりしながら住処を取り囲んで皆を見守っているといわれる。守り神として捉えるとやはり部族の王の霊を祀るために建造されたのではないか。考えても可能性は非常に高いだろう。
イースター島のモアイは意外と新しい。石像で非常に大きいから古代人のものかと思ったら古くても千年くらいしか経ってなくて新しいのは十七世紀頃まで作られていたらしい。

十八世紀頃に西欧人が発見した当時、イースター島には完成したモアイが幾つも立っていたらしいけれども次第に倒されるようになった。島民の部族の争いで、守り神を率先して攻撃するためだった。モアイは目に霊力が宿ると考えられていたから何も見ないように目こそ破壊されて俯伏せに寝かされてしまった。全体を木っ端微塵にするのは非常に大きな石像のゆえに難し過ぎたか、または守り神の超自然的な祟りが恐れられたせいかも知れない。破壊されたのは目ばかりで、今では殆ど残されてないけど、地に落ちた破片が少しは見付かっていてモアイには元々は目があったと分かっている。いつしか全てのモアイは倒されていて十九世紀には完成品としては一つも立ってなかったんだ。
All the fifteen standing moai of Ahu Tongariki by Bjørn Christian Tørrissen [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
現在、十五体のモアイがイースター島の海岸付近に立っていて最も壮観な眺めを生み出しているのは1994年に考古学者のクラウディオ・クリスティーノがクレーンを持ち込んで実現したようだ。モアイは最大で20mの90tと計測されるくらいで…

太古の芸術をラスコー洞窟の壁画に見て何を思う

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フランスのヴェゼール渓谷にラスコー洞窟があって今から約一万五千年前に現代人の直近の祖先とされる新人類のクロマニョン人が描いた壁画が残されている。
Prehistoric Sites and Decorated Caves of the Vézère Valley by Francesco Bandarin [CC BY-SA 3.0-igo], via Wikimedia Commons
クロマニョン人が地球に姿を現したのは約二十万年前といわれていて旧石器時代の末期らしい。
人類全体の最も遠い祖先とされる猿人のホモ・ハピリスが二百年万程前に石器を作り出していた。四百万程前に同じように猿人のアウストラロピテクスが二足歩行を果たしていて両手が空いたせいだったかも知れない。ホモ・ハピリスは類人猿(現在ではチンパンジー、ゴリラ、オランウータン、ボノボなど)よりも確実に石器という道具を使って生きていたと考えられるので、そこから人類全体と共に旧石器時代が始まりを告げたわけだったみたいなんだ。
石器を道具として素材から加工して意図的に操るように作り出すと新石器時代の人類で、紀元前七世紀くらいから出て来たもはや現代人だけの特徴なんだけれどもそうした磨製石器(加工あり)にはまだ至らず、人類全体にとっては猿にも知られるような打製石器(加工なし)が主流だった旧石器時代が二百万年以上という長大な年月を経て漸く終わりを遂げかけていた頃にクロマニョン人が暮らしの中で描いていた壁画の一つがラスコー洞窟で見られる。
Prehistoric Sites and Decorated Caves of the Vézère Valley by Francesco Bandarin [CC BY-SA 3.0-igo], via Wikimedia Commons
初めて目にして現代人ではなくても絵を描いていたという事実に先ずは驚かされるけれども何よりも上手過ぎるというか、写実性を伴っていて内容が速やかに分かるところが凄い。動物が多いみたいだけど、まさか偶々の色や線の集まりではないらしい。気分的に落描きでもないのではないか。クロマニョン人の思想が反映していて絵という芸術作品に完膚なく仕上がっている。美しさからすればいつでもどこでも見過ごせない個性を打ち出した自己表現そのものに他ならないし、心から魅了されるのも全く不…

温泉に浸かる猿は人間にとって自然との和合を果たす

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見ているだけでこちらも温まって来るようで、日本の冬の風物詩といって良いかも知れない温泉に浸かる猿だけれども案外だったのは地獄谷野猿公苑(長野県)など、一部の人工施設でしかやってないといわれる。
Japanese Macaque by Yblieb (Own work) [CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons
猿が自らの知恵を働かせながら野生で温泉に浸かっているわけではないとすると光景の中身としては例えば日光さる軍団(栃木県)のパフォーマンスに近いだろう。
ただし微妙に違うのは温泉に浸かる猿の場合は人間が必ずしも仕向けたわけではなかったらしい。
温泉地で人間の周りに子猿が遊んでいて、偶々、近くに温泉があったので、好奇心からか入り出した。以来、すると猿の群れにそうした行動が広まって気付いた頃には一つの温泉を目当てに何匹も集って新しく入るように変わってしまったんだ。盛況を極めるほどに猿の温泉というイメージが出来上がったし、取り分け冬に目立った行動だったので、寒さに打ち勝つために保温を求めて猿は温泉に好んでやって来て浸かるように認められている。
Snow monkeys soak in hot springs of Japan via The Guardian
考えると面白い。人間と猿に半分ずつの思いが成り立っている光景が得られた。猿だけでは温泉に浸かるつもりはなかった。しかし人間も又狙って仕向けてはいなかった。元々の子猿が好奇心から温泉を見出だしたとすると完全にアートなので、物凄く感動するんだ。
誰も予期しなかった出来事に素晴らしく触れては美しいと味わう気持ちは止めようがないだろう。
温泉に浸かる猿に風情が溢れているのはアートのせいなんだ。如何にも自然の光景だと思わせるし、どこでも変わらなさそうな印象を与えている。猿にとっては自力で見付けた温泉に等しいので、最初の餌は本当に近寄るための切欠でしかなかった、浸かるも何も全ての行動にやはり無理がないと人間とは別に心から静かに驚かされてしまう。
厳しい冬の寒さに打ち勝つためとはいえ、温泉から上がって直ぐに野晒しでは大変ではないか。
しかし猿は人間のように多くは汗をかかなくて体温は下がり難いと考えられるようだ。
すると猿が温泉に浸かる必要もないのではないかと改めて疑問が生じる。
動物では冬に体毛が増えて保温性を増すよ…

海老天重に受け取る日本の文化

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海老天重。咄嗟に体現止めを使いたくなる、呼ぶのに敢えて。畏まった迫力に息こそ呑まされずにいない。
日本の雅やかさを凄く感じる。五重の塔みたいな金の鯱らしい厳めしいほどに心引かれる美の楽園という雰囲気が漂っているのではないか。潔さが日本の文化を象徴する概念ならばそこから立ち上って来る世界が雅やかなんだ。
刹那に触れる思いが海老天重には受け取られる。後には引けず、先には追えない。今此処の命の眼差しが潔さに通じる精神だから畏まった迫力も伝えるんだろう、空気の波動を伴って。
自然への敬いと捉えても良くて日本の良さにやはり相応しい。他にかけがえのない存在の魅力を覚えさせる文化を持っている。振り返れば数知れないほどの物事に気付かれる日本、または潔さに示された格好良さが認められるようだ。
分けても海老天重は断トツに優れているというか、日本人にとっての美の楽園を本当に感じるし、食べても非常に美味しいけれども芸術としても素晴らしいばかりだ。