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ハンマースホイに知られる心の襞を潜り抜けた静けさ

どこか別世界にでも不意に迷い込んだかのような不思議な錯覚を与える絵を見たと思う。平凡な家屋の一室に誰かが僅かに息付きながら少しだけ目立って描かれている、または誰もいなくて室内そのものがひっそり寂しげに佇んでいる様子という絵が多いみたいだ。言葉にすれば音沙汰のない世界かも知れない。見ていると日々の静けさがとても印象的で、周りから取り残された景色だと考えると恐ろしさも禁じ得ないにせよ、詩情を醸し出す静謐な味わいに胸打たれてしまうんだ。


ヴィルヘルム・ハンマースホイのコペンハーゲンのストランゲーデの妻のいる画家の家の一室
A Room in the Artist's Home in Strandgade, Copenhagen, with the Artist's Wife by Vilhelm Hammershøi [Public domain], via Wikimedia Commons

画家の名はハンマースホイという。十九世紀のデンマークの画家で、幼い頃から絵を学んでいて五十一歳で病気で息を引き取るまで親しみながら絵を描き続けていたらしい。終生の画家だったのではないか、文字通りに。


作風が本当に特徴的で、普通ならば雪景色みたいな心を無言のうちに浚われる感触が風景画でもそうなんだけれども取り分け室内に持ち込まれている画面構成なのが唖然と驚かされる。味わいとしてはおよそ廃墟とも過言ではない。温度的には寒過ぎて人間が生活するには及ばなさそうなイメージが漂っていて殺伐と目を背けたくならないとは決してかぎらないだろうけど、ところが最も印象深いのは絵と共に知ってしまう静けさなんだ。耳を傾けると音楽の前触れだったりもするくらい美しいというか、綺麗なイメージから味わいは一変するのも間違いない。空気は清らかにも心地良さを受け取るので、目を向けるのは吝かでないし、まるで時間を忘れて見入っている自分に気付けば逃れられないと密かにも又逆に驚かされている。


ハンマースホイをコペンハーゲンのストランゲーデの妻のいる画家の家の一室から考えると重要なのは心の襞ではないか。


人々に風が颯爽と潜り抜けるように響いて来る言葉がある。だから絵に描かれている対象の全ての扱いは詩人に匹敵する。難しいと思うし、一見して謎だらけの絵なのもきっと言葉こそ見えている趣きのせいだろう。何もかもが存在を語りかけていてしかもそれぞれが一斉に声を上げているために分からない。何が描かれているかを鑑賞しながらヴィジョンとして纏めてみせるのも直ぐ様とは厳しいはずだ。


理解するのに時間がかかる画家だからハンマースホイは歴史的な重みを教えているし、苦労して見出だしたかぎり、絵に愛着を覚えるのと人生が折り重ねられて気持ちはもはや世界に等しいから知覚の閾を越えて身近に出会われもする存在のようだ。


ヴィルヘルム・ハンマースホイの自画像

ハンマースホイの自画像はそれこそ心の襞を通して見出だれる画家の存在とは何かを良く捉えていると唸らされる。


生活と生活を描いた絵がイメージで同列なので、世界に両方とも過不足なく組み込んでしまう知覚が心の襞からは掴まれ得た、きっと自分も絵に描くならば地が出るしかないわけだ。悟りの境地だし、一つの開眼ではないか。地が出るといっても本性を晒け出したせいではないのがハンマースホイのスタイルなんだ。人間にとっては描かれた絵と描かれない経験のヴィジョンの擦り合わせに基づいて構成される真実を引き受けて生きられた状態と考えられるだろう。


すると可笑しい。簡単ではないか、日毎の煩わしさを弾き飛ばすなんて絵に描いたように遠ざけて捉えれば済むし、つまりは経験から引き離してしまいさえすれば内面はすっきりするに違いないと推測する。


やってみると実際にはただし上手く行かない。どんなに弾き飛ばしても日毎の煩わしさは万有引力の法則も宜しく戻って来てしまうし、さもなければ最初から無意味だったはずだった。


結局、可笑しいのも偶さか魅せられているためだろうと反対に自分こそ素敵だと文学的に洒落るのが精一杯ならば本音は項垂れるしかない。


ヴィルヘルム・ハンマースホイの休息

ハンマースホイは後ろ向きの女性を多く描いていて妻が大体はモデルだったようだけれども項垂れる姿勢が著しく見受けられるんだ。


休息は案外と伸びかけた首なので、だからなのかと思う。日毎の煩わしさがどうにも弾き飛ばせないという本音が減ってこその気分を表現している絵みたいだ。


注目してみると興味深いのはモデルの右肩から緑が仄かに使われていて思考へのヒントを与えている。


ハンマースホイのヴィジョンに投じられる存在、または画家としての真実は心の襞を通じて掴まれた知覚なしには生きられないけれどもそうした瞬間は必ずしも項垂れる必要はない。なので弾き飛ばして戻って来るまでの経験として認識すれば大丈夫でないかという感触が休息には殆ど消えかけた仕方で緑によって示されている。穏やかさに繋がるはずだし、茶色のトーンから落ち着きを本当に僅かながらに捉えていると見える。


私は古めかしさ;古い建物、古い家具、そうしたものが持つ著しく際立った雰囲気が個人的に気に入っている。


心の襞に触れる物事は基本的には静けさを伴って寂しげに経験されるけれどもハンマースホイは古いという情緒から引き出している。


郷愁を覚える。自己表現のスタイルは詩人に匹敵するとはいえ、やはり画家の立場から考えられてそうだ。眼差しが大事だし、心の襞に触れる物事も見た目では「古めかしさ」が通り過ぎて来た過去を明らかに思わせる。すなわち郷愁を誘うとしか呼べないためだ。


ハンマースホイの絵は凄いと芸術として溜め息が溢れるのは画面構成が抽象的に仕上げられている。


詩の言葉もさながらに細部が素晴らしいけれども配置が幾何学模様に迫っていて色彩を除けば丸ごと抽象画ではないかと思わせる。


諸々の線が並び方によって響き合うように絵に調和を添えているんだ。


室内ならばそれこそ不動産屋の展示会くらい普段から人が住んでいる気配は薄いけれどもむしろ新鮮ではないか。抽象的な構図という絵の主眼とされる郷愁とは似ても似付かないところにハンマースホイの独創性が垣間見られる。明らかに伝わって来てしまう芸術性は瞬く間のヴィジョンをイメージに繋ぎ止めているし、目が離せない魅力を醸し出しているに違いないはずだ。


ヴィルヘルム・ハンマースホイの四つの部屋

例えば四つの部屋のようなイメージは正しく扉から扉へと心の襞を記憶が潜り抜けて行くと感じさせる。


迷い込んで悲しいとも遊び呆けて喜ばしいとも見て取れる絵なのが味わい深いとしかいいようがない。


郷愁が示されているけれども狂おしいまでの孤独感と切り放せないとすると第六感が求められていたはずだ。喜びでも悲しみでもないない気持ちが静けさには込められていて世界に取り残された恐ろしさと鬩ぎ合いつつもまっさらな生き方が芸術的には受け取られる。


きっと必要な絵が問われていたせいだろう。人々はどうして絵を見るのか。


ハンマースホイは自分自身に即して正体を突き止めるように第六感のまっさらな生き方を打ち出しながらかけがけもなく告げてくれているといって良い。


静けさが寂しいのに詩的なのは郷愁のせいだと知られるかぎりは心の襞を潜り抜けて来た風のような記憶の彼方へ思いを寄せれば染々と訪れる幸せこそ堪能せずにはいられない。


参考:ヴィルヘルム・ハンマースホイ ハンマースホイ展

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