霊感へ訴えかける言葉遣いは人々へ明け渡されたはずの真実から生まれた 結城永人 - 2017年3月3日 (金) いっておくべきではないかと思う、先月の後半から些細な日常の言葉遣いが人々の霊感へ訴えかけているかも知れなかったと。 貴方だけではなく、僕も認めているのだから実際には余り驚き過ぎないで欲しい。 気付いた頃から数週間を経て最近はもう怪しまれもしなくなったようだ。ただし些細な日常というか、ブロガーとしての作家の僕自身の表現力が変わったわけではなさそうだ。考えるとむしろ言葉遣いの霊感への効果は完全に広がってしまってそれ自体で目立なくなっているに過ぎないはずだ。 不思議な気持ちならば世界を部分よりも全体で味わうほどに違和感が薄らいでしまうのと同じだと思うよ。 振り返るとブログのアクセスアップへ向けた人々のために猿でも分かる日本語で明け渡される真実を伝え届けるという自己表現の三つの段階を経てついに生み出されたようだ。 僕は予測してなかったにせよ、文芸的に面白いし、霊感までは気付かない人もいるとしても記憶され易い言葉遣いだと考えられるかぎり、アクセスアップに役立つはずだから止めるつもりは全くない。 案外、本当に初めてではないか、霊感で物事を知覚するという経験そのものは。 驚くのは自分の中に取っ掛かりがないみたいなんだ。感じとしては自分の中のどこに来ている霊なのか。非常に定まり難くて言葉遣いから与えられるイメージが世界の暗闇をぷかぷか漂いながら受け取られるともなく、認められてしまうわけだ。結局、不思議な気持ちとしかいいようがない。 嬉しいのは確かなので、一人だけで味わうと寂しいし、誰でも経験するはずでなければ雰囲気を高めるべきだと思う。 文章に霊感の言葉遣いを組み込んで行く。すると言葉の数だけ霊感同士が繋がって孤立するよりも気付いた人の寂しさを紛らわすし、誰が接しても文章そのものから愉快な印象を与えるように嬉しく変わって行きそうだ。 作家・詩人としても新しい発見に他ならない。考えると自分らしさの自己表現のスタイルとして率先して身に付けると良いかも知れない。 文章に受け取られる趣きは相当に和めるので、霊感の言葉遣いと共に人々に気に入られて僕も同じだとすると申し分なく有り難い人生だし、自己表現で常日頃から立脚する境地としては理想的だ。 コメント 新しい投稿 前の投稿
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