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森高千里の私がオバさんになってもをオジさんになってから聴いてみた初めての感想

発売日が1992年の6月25日で、青春期の真っ只中に初めて聴いた森高千里私がオバさんになってもの感想は振り返ると珍しかった。


森高千里 『私がオバさんになっても』 (ライブ) via 森高千里

曲がどうこうというよりも先に自分が同じように年を取ってから又聴くことがあるのかが訝られた。生きていて思い起こせばあるのは明らかなはずだったけれども信じられなくて認めたくもないために想像力が途切れていたようだ。


何も言葉にはせずに本当の感想は取り置かれてしまいながらそして変わった曲だし、取り分け面白い歌詞だとかなんて普通のというか、音楽としての又別の言葉しか出て来なくなっていた。


考えると森高千里の私がオバさんになってもには個人的に悔しさを受け取らされた心だったに違いない。


自分がオジさんになって物事を判断するのは若いままでは真実を損ってしまう。にも拘らず、強いられている曲こそが森高千里の私がオバさんになってもだったんだ。シャボン玉が弾けて消えるように夢が終わりを告げ兼ねない。青春期の喜びを味わい続けるためには歌謡曲のちょっとした印象でも言葉を探すのはもう止めるべきではないか。人によっては反対だったかも知れないにせよ、僕にとっては「人生の頂点」(心持ち)に他ならない二十歳前後の日々だったせいみたいだけれども頑として真実からは遠ざけてしまわずにいなかったと認める。


森高千里の私がオバさんになってもについて感想を述べるならば晴れてというか、体力も落ち捲って別人のようでは第二の人生とも過言ではないほどの四十歳を過ぎた状態は正しく辛いものの本当にオジさんになってからが良かったはずなので、安心しながら考え出せるのが嬉しい気持ちだろう。


当時は判然としなかった魅力が良く分かる。皆と同じで普通かも知れないけれども死ぬまでずっと捨てられたくない思いが出ているのがロマンチックで、しかも正直だから森高千里の私がオバさんになってもは気になる歌だったんだ。


本人も本当にオバさんになってからYouTubeのセルフライナーノートで最初の紅白歌合戦の出場曲だったと教えてくれていた。世間的にも相当にインパクトが大きかったらしい。事前にザ・ストレスハエ男を聴いていた身としてはこっちが余程と爆弾的な歌謡曲だったはずだけれども私がオバさんになってもも確かに記憶に残り易い仕上がりから何となく似た感じで受け留めていたのは事実だった。


総じて言葉の刺が著しい。詞を書いているのが森高千里の場合の曲はとてもユニークなイメージを打ち出すんだ。歌声も可愛い子振った仕方で、一つの世界観として盛り立てて表現しているのではないか。アイドルながらザ・ストレスハエ男は人々に問題視されるほどの対象に触れていて社会派みたいな風変わりな印象を与えた。そして私がオバさんになってもは男女関係を取り上げながら浮気や不倫を許さない立場を疑り深くも頑なまでに表明している様子が比類なく驚かされた。何れも予想外の展開というか、詞の内容はいわなくて済まされる事態ではないから森高千里の言葉遣いは人間的に正しかったにせよ、メッセージそのものは何もなければ幸せな暮らしだったと寂しさを伴っていつも味わわれずにいなかった。


しかし分かっているのか、やはり渡良瀬橋のような叙情に溢れたバラードの名曲を残すことにも成功しているんだ。


私がオバさんになってもはそっちから聴くと物凄く綺麗で堪らない歌心を持って全てが伝わって来るのが素晴らしいと掛け値なく感動する。


森高千里はYouTubeのセルフライナーノートで女性に人気があるといっていた。正直な気持ちに罪はないのがロマンスというか、一つの純真さに胸打たれる。男性にとっては本当に好きなのにありもしない腹を探られるような歌詞だから詰まらないかも知れない。尻を叩かれるに等しい、ちょっと心の。しかしどうしてなのかと考えればそれだけもうきっと素敵なので、私がオバさんになってもは《君の中の絆》を捉えているところが男女関係に止まらず、人間として性別を越えてさえも現実に良い歌だと思う。


ならばずっと変わらない気持ちが恋愛という二人の最高の瞬間としての世界に他ならないだろう。


巷では結婚式で私がオバさんになってもが新婦から歌われると聞いたりもするけど、分けても性別を越えてしまっている感じが男女関係でも長続きする付き合いの秘訣と縁起の良さを醸し出しているようだからぴったりだと感心する。


実際、森高千里も江口洋介と結婚して何年も離婚しないし、そうした気配も全くないのではないか。


結婚して18年となる江口洋介(49才)と森高千里(48才)のラブラブデートの様子をキャッチした──。ふたりの距離、15cm。つなぎそうでつながれない手、彼が彼女を気遣いながら懸命に話す様子、時折目が合うとハニかむその表情…見ているとこっちが照れてしまう、つきあいたて風のカップルが東京・渋谷にほど近い通りを歩いていた。平日昼すぎ、30℃近い真夏日に白スニーカーもまぶしい。



正直者は馬鹿を見るといわれる世の中で落ち振れないロマンスを果たしているのは努力の賜と想像するかぎり、もはや意思の強さがなければへこたれてどこかへ消え去ってしまうくらい容易ではない生き方だから偉いと称えるだけだ。


十年で二回りの年月を経ながらかつて口隠っていた森高千里の私がオバさんになってもの感想をついに初めて述べられたのも幸いだ。懐かしい頃にはもしかして死に倒れていると少しも考えなかったわけではない。しかしまだ生きているし、目の光は明るく、失われてはいない。有り難くもさらに上を目指すように終わらない人生を心から続けて行くべきだ。

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