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些細な日常

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気になる人との関係が分かる色の心理テスト

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ラジオの オールナイトニッポン で 中島みゆき がパーソナリティを務めていたときに 尾崎豊 がゲストで出演した。尾崎豊が生前にテレビやラジオなどの他人の番組に出演することは滅多になかったから本当に貴重だと思う。まさか二十六歳で、デビューから十年も経たず、亡くなってしまうとは中島みゆきも予想しなかっただろうけれども番組は寡黙な彼に対して陽気に接し捲るのが如何にも対照的で、とても面白かった。 その中で色の心理テストが行われて色で思い浮かべる相手との関係が分かるらしくて僕もやってみたら予想外の結果を受け取って深層心理が暴かれたかと仰天したからブログで紹介したくなった。 色の心理テストの五つの項目 Forest path by jplenio / Pixabay 五つの色のそれぞれで気になる人、およそ異性、 LGBT ならば同性でも構わない、恋愛対象になるような性別の相手を挙げると自分との関係が心理的に分かるという。 …

石原裕次郎が太陽にほえろ!の最終回のために考えた命の尊さ

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日本のテレビの名作の一つ、語り継がれる刑事ドラマの 太陽にほえろ! で主役の藤堂俊介/ボスを演じた 石原裕次郎 が1972年から1986年まで十四年七ヵ月という長い放送を締め括る最終回【そして又、ボスと共に】(第718話)に自身で考えて披露した台詞があった。本人が 肝内胆管炎 の入院で出演が減ってもはや続けられないために打ち切りが決定されたといわれる。以前にも 解離性大動脈瘤 の手術――1981年当時、生還率が3%といわれる中、奇跡的な成功を遂げたのが大きなニュースにもなった――で何ヵ月か休んだことがあって二回目の降板中で、結局、翌年に五十二歳で亡くなってしまう。観たら最終回の台詞は命の尊さを親身に語りかける内容で、その場面は彼自身の大病の経験を交えた本当に素晴らしい演技だったから記憶に留めたくなる。 太陽にほえろ! の最終回のボスの落としの場面 ボスの七曲署の部下の澤村刑事/ブルースが自動車窃盗犯の恩田三郎…

佐々木朗希に影響するイチローに影響するマイケル・ジョーダン

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佐々木朗希をプロ野球の 完全試合の実現 から注目しているけれども心から良いと思えるのは人間性のためだ。 佐々木朗希| 千葉ロッテマリーンズ 性格が良いからこそ優れた成績を速やかに称えられる。最も分かり易いのが東日本大震災の被災者としての支援された人々への感謝の気持ちだった。 生まれ育った陸前高田の街は一変しました。自宅、自転車で1周をした街、山の中に作った秘密基地…。思い出の全てが流され、消えました。 老人ホームに作られた避難所での生活を余儀なくされましたが、4年生の時に母方の家族がいる岩手県大船渡市に引っ越しました。生まれ育った場所から転校するのはものすごくつらかったのを覚えています。 そんな中で支えとなったのが野球でした。避難所でもボールを見つけてキャッチボールをしました。グローブもなかったので、人から借りました。野球に没頭しました。 あの頃のことを思い返すと、こうしてプロ野球選手として野球ができる日…

上島竜兵の志村けんへの死ぬほどの愛着/南部虎弾の別れの言葉から想像されたもの

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お笑いの 上島竜兵 ( ダチョウ倶楽部 )が亡くなった。享年六十一。首吊り自殺と聞いて本当に驚かされた。もしかすると初めてのことだけど、とにかく死と対極にあるような笑いの世界で成功した人が自ら命を絶つというのはかつて記憶になかった。なぜかと考えずにもいられなくなる。 人を喜ばせて生かすお笑いが死を求めるのはそれ自体で矛盾した行為だから、中々、捉え難い。何か手がかりはないかと情報収集を続いているとダチョウ倶楽部の元メンバーで、初期のリーダーでもあった 南部虎弾 ( 電撃ネットワーク )の上島竜兵への別れの言葉がヒントになりそうだった。最も身近で芸能界の古くから接して来た一人の回想がどんな人だったかを親身に受け取らせる。 南部虎弾が明かす恩人思いの上島竜兵 自分が七十で、約十個下の上島竜兵が六十一歳。何で死ななきゃ行けないんだ。何で自殺しなきゃ行けないのか。全く分かりません。 謹んでお悔やみ申し上げます。 自分が、え…

尾畠春夫のスーパーボランティアの元気の源は梅干しとパックご飯の粗食にあり

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昨夏、警察が最大百五十人で捜索しながら二日も見付け出せなかった行方不明の二歳児の藤本理稀を一人でやって来て三十分で付近の山中から連れ帰ったボランティアの 尾畠春夫 が大きな話題( 不明2歳男児発見、ボランティアの尾畠さんに称賛相次ぐ 幾多の被災地で活躍、「師匠」と呼ばれ )になった。やらせとも疑ってみたくなるほどの余りに鮮やか過ぎる救出劇だったけれども本人によれば以前も同じような行方不明の子供の捜索に参加したことがあって高い方へ登って行くと考えて捜索したのが功を奏したらしくて本当だったんだと頷いた。 2歳児発見のボランティア表彰|時事通信映像センター南 知るや六十五歳で魚屋を辞めた老後の務めとして「人に、世の中に、恩返ししたい」( 男児発見の尾畠さん「恩返し」の奉仕活動 被災地や山で20年以上 )と奉仕活動に励む毎日だったらしく、人探しの他にも地震や豪雨の被災地での支援活動を長らくやっていてあちこちで中…

大坂なおみが女子テニスの全豪オープン優勝から世界ランキング一位を果たした

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テニスの全豪オープンの女子シングルス決勝で日本の 大坂なおみ がチェコの ペトラ・クビトバ を敗って優勝と同時に世界ランキング一位を初めて果たした瞬間をテレビで観ながら素晴らしく感銘を受けた。 大坂なおみ| #AusOpen 第1セット 7ー6(大坂なおみ/タイブレーク:7ー2) 第2セット 5ー7(ペトラ・クビトバ) 第3セット 6ー4(大坂なおみ) 昨年の全米オープンの優勝と世界ランキング四位から大注目の選手になった。日本の選手とはいえ、ハイチ系アメリカ人とのハーフ/日系二世で生活の大部分がアメリカだったり、日本語も、全然、喋れないから何なんだと僕は怪訝に感じた。どうせ選ぶならばアメリカの選手になるのが自然な選択かも知れない。調べるとしかし大坂なおみに児童期からテニスを奨励した父親のフランソワが決めたけれども十五歳の無名時代からちゃんと応援してくれたのが日本のテニス関係者/協会だったから恩返しを望んだわ…

ジャン=ミシェル・バスキアの無題(1982)という約百二十三億円で前澤友作が購入した大変な衝撃の絵

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百万円を目当てに嬉々と応募した 月に行くならお年玉のブレゼント は外れたけれども企画者の 前澤友作のTwitter のヘッダー画像を見た瞬間に大変な衝撃を受けてもいた。 当初、誰が描いたかも、全然、分からなくて世の中に凄い絵があると出会ったのを驚くだけだった。ところが心に引っかかったまま、何日もあれは、一体、何だったのかと魅せられてしまわずにはいなかった。 調べてみたら ジャン=ミシェル・バスキア という二十世紀のアメリカの画家の1982年の無題の作品だった Yusaku Maezawa Meets a Masterpiece|Sotheby's 2017年に前澤友作が サザビーズ のコンテンポラリーアートイブニングオークション( The Battle for Basquiat /バスキアの競争)から約百二十三億円で落札して購入したという現代絵画の傑作中の傑作の一枚だったらしい。 以前、ニュースで聞いていた記…

小林麻央の贈り物の時間を読む~癌闘病の死相を突き破って咲いた笑顔の心~

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僕は 小林麻耶が可愛くて好き で、アナウンサーとしてテレビに出ているのを見るといつも嬉しかった。気付くと妹の 小林麻央 がいて姉と同じようにアナウンサーとして活躍していたんだ。一見して雰囲気が対象的で可愛いよりも美人というタイプだったと感じる。大人しくて淑やかで素敵な女性なのは間違いなかったし、だからこそ世の中でも人気者だったはずだけど、個人的に興味がないというか、比べてはもっと面白いばかりの小林麻耶しか眼中になかった。テレビで見かけても特別に注目したりはしなかった。 今改めて凄いと認めて小林麻央を取り上げないわけには行かなくなって来た 2017年6月22日に乳癌によって他界された。享年三十四歳と癌で亡くなるには非常に若かったのが殊更に悔やまれもする。早期発見に失敗して治療が手遅れになってしまったのが最大の原因かも知れない。 海老蔵、隠し通せた1年8ヶ月は「奇跡」 公表され安堵の気持ちも 妻・麻央の乳…

マイケル・ジャクソンのThrillerに察するブルック・シールズの王子様で女性に良く持てる面白くて優しい男性のイメージ

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マイケル・ジャクソン が主治医の医療ミスという不慮の死を遂げた際の別れのセレモニーで身近な知り合いの一人の ブルック・シールズ がいつも王子様だったみたいに親身に回想していた。 ブルック・シールズのマイケル・ジャクソンを王子様と捉えた回想 彼は王様のように良くいわれますが、私がいつも知るマイケルという人は殆どが星の王子さまでした。今、思うとその本の一節、「この眠っている王子に私がとても心を動かされるのは花への忠誠です。眠っているときでさえもランプの火のような彼の目映い薔薇のイメージ。そうして私は思った以上にさらに彼はか弱いと認めました。ランプは守られなければなりません。一陣の風に吹き消されるのです」を共有したいです。 原文 He was often referred to as the King, but the Michael that I knew always reminded me more …

日馬富士のモンゴル会での貴ノ岩への暴行問題と常識破りの貴乃花親方の正義感

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大相撲の横綱の 日馬富士 (伊勢ヶ浜部屋)が前頭の 貴ノ岩 (貴乃花部屋)に暴行して頭部への骨折などの重症を負わせた問題が起きていた。 日馬富士のモンゴル会での貴ノ岩への暴行問題について 発覚して詳しい事情が直ぐには掴めなかったけれども少しずつ明るみに出されて来て 白鳳の制止を「うるさいよ」と怒鳴り、殴り続けて被害届出された日馬富士の酒癖 を観たらついに真相を覚えたと頷けるくらい理解が進んだ。 モンゴル会というモンゴル出身の力士たちが懇親を深めるための酒席で起きていて日馬富士は只単に酒癖が悪いに過ぎなかったか Harumafuji Kohei in Sumiyoshi Grand Shrine by Ogiyoshisan / CC BY-SA もしも貴ノ岩が下らない口振りで馬鹿にしていたとすれば被害者面を見せるのも大概にして欲しいと幾許かは呆れるはずだった。暴行問題の張本人――日馬富士は直ぐに謝罪したり、は…

美輪明宏のヨイトマケの唄へのエンヤコラ

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美輪明宏 の ヨイトマケの唄 は昔からどこかで聴いたことがあって民謡か何かで日本の伝承歌の一つなのかと胸に来た思い出がある。考えれば不可解だったけれどもいつも誰の作品なのかが分からないままで、作者未詳の伝承歌というイメージが三十年くらいたぶん固まってしまっていた。 はっきり分かったのが2012年の 紅白歌合戦 で美輪明宏が歌ったのを観たためだった。 美輪明宏のパフォーマンスが素晴らしかった 美輪明宏|NHK紅白歌合戦| NHK 歌が演劇的で、衣装も宝塚歌劇団の男役みたいな黒づくめのもので、いつもと、全然、違うし、パフォーマンスが素晴らしいだけにインパクトが物凄く大きかった。 感動しながらただししっくり受け取るのは難しかったのも事実だ。 ヨイトマケの唄 の作者も美輪明宏で、発表当時は丸山明宏だったらしい、はっきり分かったものの作者未詳の伝承歌というイメージを払拭するのに時間がかかったと個人的には思う。 ヨイトマケの唄 …

木村政彦の柔道を山下泰裕とエリオ・グレイシーと力道山に追う

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かつて日本に物凄く強い格闘家がいて柔道の 木村政彦 といわれる。全盛期は1940年代でオリンピックにはまだ柔道も正式に競技として組み込まれてなかった頃なので、日本の他の何人もの金メダリストたちと比べて実力はどうかとちょっと怪しまれずにいないけど、しかし国内の全日本選手権とその前身の全日本選士権や代わりの昭和天覧試合では負け知らずの十三連覇を果たしていた。選手としては十五年間に一度も負けなかったともいわれるので、本当に物凄く強いと想像される。 Masahiko Kimura from わが柔道 / Public domain 日本の柔道の全日本選手選はオリンピックの金メダリストを何人も輩出しているし、優勝しなければ参加資格を得ることも儘ならないわけで、そういった人たちと比べても木村政彦が決して見劣りはしないのは明らかだろう。 目次 山下泰裕に最強と聞かれた木村政彦 エリオ・グレイシーに快勝した木村政彦 力…