木村政彦の柔道を山下泰裕とエリオ・グレイシーと力道山に追う 結城永人 - 2017年1月14日 (土) かつて日本に物凄く強い格闘家がいて柔道の木村政彦といわれる。全盛期は1940年代でオリンピックにはまだ柔道も正式に競技として組み込まれてなかった頃なので、日本の他の何人もの金メダリストたちと比べて実力はどうかとちょっと怪しまれずにいないけど、しかし国内の全日本選手権とその前身の全日本選士権や代わりの昭和天覧試合では負け知らずの十三連覇を果たしていた。選手としては十五年間に一度も負けなかったともいわれるので、本当に物凄く強いと想像される。 Masahiko Kimura from わが柔道 / Public domain 日本の柔道の全日本選手選はオリンピックの金メダリストを何人も輩出しているし、優勝しなければ参加資格を得ることも儘ならないわけで、そういった人たちと比べても木村政彦が決して見劣りはしないのは明らかだろう。 目次山下泰裕に最強と聞かれた木村政彦エリオ・グレイシーに快勝した木村政彦力道山に大惨敗を喫した木村政彦 山下泰裕に最強と聞かれた木村政彦 Yasuhiro Yamashita by Kremlin.ru / CC BY 個人的にはロサンゼルスオリンピックで優勝した山下泰裕が最強ではないかと感じていた、日本の柔道というと。全日本選手権を九連覇していて国内で圧倒体な成績を残しながらオリンピックでも同じだった。その間、本当に七回の引き分けを挟みながらも二百三連勝を収めたとされるし、人間的には国民栄誉賞まで贈られているけれども日本の柔道界で山下泰裕の右の出る物はいなさそうだった。 木村政彦は全日本選手権の連勝記録が少し上回っていたり、現役時代に長期間不敗なのも全く遜色ないので、超最強の可能性が出て来る。 調べてみると山下泰裕の口からそれこそ木村政彦が日本の柔道界で最強だと聞かれてしまった。 僕からすれば最強の山下泰裕にも勝ち目がないと思わせるほどの木村政彦はやはり超最強と呼ぶに相応しい人物ではないかと興味や関心が著しく芽生えずにもいなくなった。 様々な逸話が残されていてどれこもこれも興味深く受け留められるけど、試合へはいつも「負けたら腹を切る」と死ぬ覚悟で臨んでいたり、練習量も半端なくて「三倍努力」と誰も寄せ付けないくらい励んでいたりするのが取り分け印象的だと驚かされる。 まあ、今の若い人間にそれだけ稽古をしろと言っても無理だろうな。 今の柔道の連中じゃ、木村にはかなわない。今やらしても、山下や斎藤あたりはコロンコロンやられるよ。 大外刈りひとつとっても、切れが違う。今のような体力の競い合いじゃなくて、木村は技で投げていた。どんなでかい奴でも、一発でふっとんでいたからな。 塩田剛三/1987年12月号|フルコンタクトKARATE|武道ユニオン 合気道で不世出の達人として名高い塩田剛三は拓殖大学の同期生(入学したのは、二年、早かったけれども合気道の創始者の植芝盛平への内弟子生活から休学していたため)で、武道において木村政彦と親交があった。実際に木村政彦と山下泰裕の全盛期の柔道を目にしてやはり力の差は非常に大きくて後者は前者に「コロンコロンやられるよ」と全く勝てないと受け留めていた。 柔道のとらえ方が違う。俺らの頃は、相手が突いたり蹴ったりしてきても対応することを考えた武術だった。 勝負には勝つか負けるかしかない。山下が遠藤とやったときも、あの試合はハッキリと山下が負けていた。試合開始直後に遠藤が山下にカニバサミをやって倒したが、なぜ引き分けで延長なのか? カニバサミが禁止技なら遠藤の反則であり、OKなら遠藤の勝ちだ。 試合の結果は一生ついて回るものであり、主催者のルールの解釈で選手の勝敗が左右されるのはおかしいんだ。 私らの頃は、試合はそのまま勝負だった。雌雄が決するまで40分間、全日本の決勝で戦ったこともある。 俺は、試合で敗けることは死ぬことと同じだと思った。その覚悟でやっていたから、試合では1度も敗けたことはなかった。 木村政彦/1987年12月号|フルコンタクトKARATE|武道ユニオン 昨今の柔道は一定のルールに則ったスポーツだとすると木村政彦の頃は「相手が突いたり蹴ったりしてきても対応することを考えた武術だった」わけで、さては殺し合いにも匹敵する正しく命懸けの真剣勝負だけが柔道だったから心技体の全てにおいて凄まじい鍛練なしに考えられもしないんだ。 エリオ・グレイシーに快勝した木村政彦 Hélio Gracie from Brazilian National Archives / Public domain エリオ・グレイシーとも対戦していた、木村政彦はブラジルで。近年、総合格闘技として持て囃されるグレイシー柔術の創始者なんだ。子供が弟子として受け継ぎながら何人も活躍して三男のヒクソン・グレイシーは日本で「四百戦無敗」のキャッチフレーズで実際に高田延彦や舟木誠勝といった大物のプロレスラーと総合格闘技で対戦してみてもやはり打ち倒してばかりだった。 グレイシー柔術は相手に組み付いてからの攻防が変幻自在みたいで、本当に効果的なスタイルだと唸らされるけれども根本的に編み出した元祖のエリオ・グレイシーに木村政彦は快勝したという記録が残されている。 Gracie vs. Kimura - October 23, 1951 (Maracanã Stadium - Rio de Janeiro, Brasil)|GracieAcademy 文字通り、死闘だったらしくてエリオ・グレイシーももちろん弱くなくてあっさり負けはしなかった。気持ちが非常に強くて木村政彦の得意技の腕緘(うでがらみ)にかかっても降参しなかった。結局、逃れられないまま、左腕を骨折するし、周りが耐え切れずに試合を止めに入るしかなかったらしい。 頑として負けを認めたがらなかったエリオ・グレイシーの勝負への執念について木村政彦は「私の完敗だった」と、後年、述懐したとされる。 木村政彦とエリオ・グレイシーの対戦で武道の精神に触れられるエピソードだと感銘を覚える。 何のために試合を行うのか。気持ちが本当は大事なんだ。エリオ・グレイシーは左腕を骨折しても勝ちを諦めないなんて無茶苦茶だと事実だけで捉えるべきではないと思う。身体が全ての人間でもないはずだし、そういったところで木村政彦は新しく学んだみたいだ、自分こそ負けを真実と認めるようにかつての試合を振り返ったとすると。 勝つとは何か。どんな結果でも気持ちが負けては諦めたに等しくて武道が鍛えるべき神髄も精神にあるに違いないと全く以て痛いほどに気付かされるばかりだ。 人生にも通じると思うし、一つの試合に見立てれば夢を諦めるのも気持ちが潰えたかぎりではないか、情けない結果が多いから、あるいは満足の行く結果が得られたからといって何もかも決まるわけではない。気持ちを保ち続けてこそ夢は手に入る。結果抜きに考えるならば人生で勝つかどうかは他でもなく諦めながら成し遂げられないという精神力によって決められるわけだ。 力道山に大惨敗を喫した木村政彦 Rikidozan from 「週刊20世紀」 / 朝日新聞出版 / Public domain 木村政彦は柔道で威光を放つ存在なのにプロレスに参加した時期があってしかも負けが嵩んだからイメージを大きく損ってしまったのではないか。違和感が知るほどに酷い。柔道史上、稀に見る逸材がなぜと首を傾げては折れんばかりの疑問も生じ兼ねないという。 アマチュアを止めて師匠だった牛島辰熊に付いてプロとして柔道をやるようになったけれども興業が最初は良かったものの盛り上がりが長続きしなくてさらに妻が肺病に冒されて治療もかかるし、生活が金銭的に追い詰められて行った。そこでプロレスのプロモーターから声をかけられて稼ぎ口として柔道とは又別の興業を行うように変わった。 戦後の日本の復興で力道山に象徴されるようにプロレスは大人気を誇っていた。テレビの影響も大きくてまだ個人では誰も持ってないに近くて街頭テレビに大勢の人たちが集まってプロレスを観ているという状況があった。 木村政彦も出ていて主に力道山のタッグパートナーとして試合には臨んでいたみたいなんだ。調べていて面白いと思ったのはいつも木村政彦が相手に叩き潰されてばかりいて助けに乗り出した力道山がやり返して勝利を収めるというパターンが多かったといわれる。力道山は如何にも強くて逞しいと街頭テレビから人々は酔い痴れたかも知れなかった。すると木村政彦は完全に盛り立て役でしかないプロレスの人生を送っていたわけで、プロレスラーとして力道山のタッグパートナーでも添え物としか認められなかったのではないか。 あるとき、木村政彦は耐え切れず、本当に辛さの余り、力道山との一対一での対戦を申し出た。 1954.12.22 プロレスリング日本選手権 "昭和の巌流島" 昭和の巌流島と呼ばれるプロレスの大きな興業として開催されるようになった。日本のかつての剣士の決闘で、宮本武蔵と佐々木小次郎との巌流島での打つかり合いに準えているわけだけれども木村政彦は自分は本当は弱くないし、人々にも有力視される力道山こそ打ち倒してみせて実力を明らかに知らしめたかったようだ。 昭和の巌流島でどうなったかというと木村政彦は力道山に大惨敗を喫してしまった。殴る蹴るの猛攻を受け続けてリングに気を失うまでに打ち倒されては病院送りともさながらだった。力道山には手も足も出ないまま、木村政彦では少しも敵わないというイメージがはっきり残された場面だった。 後年、木村政彦が昭和の巌流島について力道山との内情を述べているのが又面白い。試合運びのシナリオが裏側にはあった。力道山と自分で、初戦は引き分けにしてさらにじゃん拳で勝ち負けを決めて次の結果は逆にするというふうに何試合も続けて行けば大きな興業として盛り上がって良いと約束が交わされていたらしい。 二人は一試合目の結果は引き分けと予定していたわけだけど、ところが現実には木村政彦が無惨に負けて二試合目以降も全く行われずに終わってしまった。 なぜかは試合中に力道山を怒らせたせいだったとされる。木村政彦は力道山の股間に意図的ではないけれども足が当たってプロレスでは反則技を繰り出した格好になった。そこから力道山は事前の試合運びの約束を破って木村政彦としては何をされても上手く負けて見せるだから軽く受け流すつもりでいたものの歯止めがかからないほどの急襲の数々によって気付いた頃には撃沈されながら起き上がることもできないまでに至らされたと分かって来た。 昭和の巌流島の内情を知ると力道山の気持ちも不可解だ。ちょっとした反則技で怒り狂うほどの気持ちに変わり果てた。木村政彦がちょっと反則技でも夥しく繰り返すならば力道山の気持ちは分からなくはないし、悪意に対して制裁を加えたくなるのは尤もらしい。しかし偶々の不可抗力か何かで、足が予想外に出ただけで、試合でも大したダメージを与えたようではなかったにも拘わらず、力道山は絶対に許さないと感じたのではないか。 Rikidozan vs. Masahiko Kimura from スポーツニッポン / スポーツニッポン新聞社 / Public domain プロレスでは珍しくなくて試合運びのシナリオは少しでも破ると不味いというのがあるんだ。 例えば長州力は相手にかけた蠍固めの最中に自分も身動きは取れないままに味方を助けようと後ろから予定外に蹴り込んで来た前田日明に大激怒したけど、ダメージは顔面骨折だったらしくて本当に選手生命に関わるような事態にまで見舞われてしまい兼ねなかった。 プロレスは危険な職種だと考えれば不意打ちによって命を落とすかも知れないという恐れが甚だしく増して来るからちょっとでもやられれば殺されるに等しくて絶対に許さないと怒り狂うほどの気持ちが生じて来ないともかぎらない。 力道山はプロレスラーとして木村政彦の反則技がそれ自体で容認できなくて自らの身の危険を厳しく察知して防ぎ捲るように事前の約束という試合を引き分けにする友好的な取り決めは反故にして逆上しながら滅多打ちにせざるを得なかったのではないか。 昭和の巌流島から木村政彦は柔道の第一人者の肩書きも失うほどにただ弱いだけの人と世間からは見られ出して力道山は瞬く間に国民的なヒーローとしての地位を築き上げて行ったともいわれる。 木村政彦はマイナスのイメージが力道山への大惨敗で膨らんでしまったせいか、格闘技に注目していても名前を聞くことは全くなかったし、最近になって初めて知ったばかりだけれども物凄く強いのは間違いなかったと思うので、やはりプロレスの結果からのみ全てを決め付けるべきではないだろう。 柔道で非常に努力家だった。学ぶべきところは大きいと考えられるし、少なからず、人生に取り入れるように見習って良い。何よりも夢を叶えるために決死の覚悟を持って普段から労苦を惜しみなく払い続けてこその全国大会での十三連覇だったし、十五年間不敗という素晴らしいばかりの成績を残せたわけだと頭も下がる。尊敬できる人物に他ならない。 参考サイト最強の柔道家と言ったら木村政彦さんでしょうか、それとも山下泰裕さ...史上最強の柔道家 – 木村 政彦君は木村政彦を知っているか コメント 新しい投稿 前の投稿
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