上島竜兵の志村けんへの死ぬほどの愛着/南部虎弾の別れの言葉から想像されたもの

自分の写真結城永人 -

お笑いの上島竜兵ダチョウ倶楽部)が亡くなった。享年六十一。首吊り自殺と聞いて本当に驚かされた。もしかすると初めてのことだけど、とにかく死と対極にあるような笑いの世界で成功した人が自ら命を絶つというのはかつて記憶になかった。なぜかと考えずにもいられなくなる。

人を喜ばせて生かすお笑いが死を求めるのはそれ自体で矛盾した行為だから、中々、捉え難い。何か手がかりはないかと情報収集を続いているとダチョウ倶楽部の元メンバーで、初期のリーダーでもあった南部虎弾電撃ネットワーク)の上島竜兵への別れの言葉がヒントになりそうだった。最も身近で芸能界の古くから接して来た一人の回想がどんな人だったかを親身に受け取らせる。

南部虎弾が明かす恩人思いの上島竜兵

南部虎弾が銀のスーツを着て立っている

自分が七十で、約十個下の上島竜兵が六十一歳。何で死ななきゃ行けないんだ。何で自殺しなきゃ行けないのか。全く分かりません。

謹んでお悔やみ申し上げます。

自分が、えーと、そうですね、ダチョウにいた時間というのはたぶん五年か六年ぐらいだと思いますが、えー、とにかく優しくて優しくていつも気ばっかし遣っている児でした。

自分の中では、ダチョウの中では、一番、優しくて、自分がダチョウをはぶんちょうになったときも、いつも申し訳ないっていう顔をしてですね、ある日、こう、スナックで、バッタリ、志村さんと一緒にいるときに出会したらですね、志村さんに「志村さん、この人のお陰で、今、こういうふうになったんだよ」って自分たちを、自分たちをっていうか、自分のことを誉めてくれてですね、相変わらず、優しい奴だなと思ってたんですけど……。

何か死ななきゃ行けないような理由があったんでしょうか。

俺ん中ではずっと最高の奴です。

泣けて来る言葉だと心から有り難く思うし、それだけでも十二分に素晴らしい世界に触れられる。

南部虎弾が上島竜兵と出会えたこと、そして五六年で追い出されてもお笑いグループのダチョウ倶楽部で人生を共にできた日々はきっと上島竜兵にとっても変わらない喜びだったに違いなく、現実にかけ替えのないものだったと信じるに足りる。

上島竜兵の自殺に関しては南部虎弾を「この人のお陰で、今」と恩人扱いしたところに考える手がかりがありそうだった。

別れの言葉の中にも出て来たけど、つまり志村けんこそテレビ番組で何度も共演したり、師匠と呼ばれる姿も思い起こされる上島竜兵の恩人という印象が強いわけで、比べたらもっと小さな感謝でも手放さないところに本当の気持ちが表された。

良い人過ぎるという妙なくらい思い遣りが大きい

ダチョウ倶楽部の三人(寺門ジモンと肥後克広と上島竜兵)が赤い法被を着てヤー!を行っている
久々の南部虎弾を恩人扱いする、しかも今の恩人そのものの志村けんの前でするのはユーモアが入っていて嘘っぽく感じなくもないにせよ、本当に嫌いならば敢えてそこまでする必要はないはずだから昔のダチョウ倶楽部のリーダーへの感謝の念があるのは確かだと思う。

上島竜兵は自分がお笑いとして芸能界を生きて行く上で、助けられた人たちへのありがとうの気持ちを小さなものから大きなものまで数多く、さらに忘れないまま、末長く抱いている人なんだと想像せずにはいられない。

こうなるとなぜ自殺しなくてはならなかったかという疑問に一つの解答が掴めると感じられて来た。

志村けんのコロナの急死による喪失感

志村けんがバカ殿様に扮して笑っている
志村けん|志村けんのバカ殿様〜お年玉コント大放出スペシャル〜

上島竜兵が志村けんを師匠と呼んで誰よりも慕っていたのはテレビ番組で知る人は多かっただろう。

2020年3月にまだ広まり始めたばかりのコロナの感染からの肺炎で、まさかの死を遂げてしまった志村けんだったけれども、このとき、世の中で多くの悲しみの声が溢れて、一体、誰が最も不幸なのかと不意に思い浮かべたのが上島竜兵だった。

何年も一緒にやって8時だョ!全員集合ドリフ大爆笑で日本のお笑いに一時代を築いたドリフターズのメンバーよりもソロで名を揚げた志村けんのバカ殿様志村けんのだいじょうぶだぁで良く見かけた上島竜兵こそ本当に大きな喪失感を受け取ってそうだとなったのはやはり屈託のない笑顔などの人の良さから来る裏表がない正直な本音としての師匠という言葉のせいだったと考える。

志村さんが亡くなった夜、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(60)からビデオ電話がかかってきた。

「上島さんが泣きながら『あのハゲ死んじゃったな』って言ったんですよ。それが僕の胸にすごく刺さってボロボロ泣いちゃいました」 げそ太郎さんには、多くの番組で共演し、20年以上酒を酌み交わしてきた上島さんの悲しみが、その一言に集約されているように思えたという。

志村けんの元付き人明かす「逝去の夜に上島竜兵さんから電話が」|女性自身

調べると志村けんが亡くなった頃から寂しさを募らせる生活が現れるようになる上島竜兵だった。

数年が過ぎても他人でも後追い自殺の可能性を捉える

コントで上島竜兵が志村けんに話しかけている
上島竜兵と志村けん|志村屋です。

上島竜兵のお笑いの恩人の志村けんへの喪失感は普通に見ても非常に大いだろうと察せられるけれども自殺の原因と考えると死ぬほどのものかどうかは怪しい。

寂しいのは確かだとしても生きて行けないまでの悲しみとしては結果的に数年が過ぎてもいたし、後追い自殺ならば間を置かずに突発的に行われて肉親かファンの場合が殆どだろう。

上島竜兵の死因は師匠という恩人の志村けんへの後追い自殺と思い付くのは容易いものの実際には当て嵌らなさそうだった。

ところが南部虎弾の別れの言葉から想像される性格は思い遣りが大きいから何かを思い詰める心理も通常よりも強く働いて数年が過ぎても他人でも後追い自殺があり得ると思われた。

調べを進めるとそれを認めるに足りる特別な間柄が上島竜兵と志村けんにはあったようだ。

上島竜兵と志村けんとの出会い

懐かしそうに笑った上島さん。志村さんとの親交は20年以上にわたった。きっかけは、知り合ってすぐに「お前たち、最近コントやってないだろ。バカ殿で3分くらいのネタをやれよ」と『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ)の出演を持ちかけられたことだ。

亡くなった上島竜兵さん、本誌が見ていた志村けんさんとの絆「最後はいつもお笑いの話に」|Smart FLASH

上島竜兵と志村けんとの付き合い

志村さんとはプライベートでも親交が深く、「俺の彼女か」と言われるほど、上島さんは志村さんと行動を共にしていたという。

ダチョウ倶楽部・上島竜兵さん死去、今年3月に語っていた「志村けんさんへの想い」|週間女性PRIME

上島竜兵の志村けんと離れた気持ち

上島さんも21年1月にラジオ番組で志村さんに言及。「やっぱりショックでしたね。1人でお酒を飲んでいても、ふと志村さんを思い出して涙ぐんだりするときがあるんです」と苦しい胸の内を吐露していた。

上島竜兵さん 志村けんさん訃報に心痛め「ふと思い出して涙ぐんだりするときも」と吐露していた|日刊スポーツ

二人の間柄は仕事だけではなく、私生活でも最多では一週間を、毎日、過ごしていたらしい。もはや肉親に近くて冗談混じりに恋人同士ともいわれて妻の広川ひかるからも「志村さんと結婚したらよかったじゃない」(上島竜兵さん、志村けんさん逝去後に呟くようになった「寂しさ」と家計を支えた妻・広川ひかるとの夫婦愛)とさえも茶化されるほどに睦まじかった。だから師匠という言葉も恩人だけれども少しも疎遠ではなく、日常的な交流が絶えない最も身近な存在を表してもいた。

上島竜兵の性格が南部虎弾の「俺ん中ではずっと最高の奴」と稀に見る優しさの持ち主とすれば多くの人の前ではっきり恩人扱いされた志村けんへの愛着は死ぬほどに強いものだったと想像するのは難しくない。

上島竜兵がピンクのジャケットと紫のズボンを身に着けて椅子に座って微笑んでいる

実際に出会いから付き合いを経て別れまで長年の特別な間柄があったことを踏まえるともはや後追い自殺の可能性を認めるのが妥当だといいたい。

就中、誰にも相談できなかったのかとかもっと生きられたはずなんて感じるのも間違いだろう。

上島竜兵は志村けんへの喪失感が他ではあり得ないくらい稀有なものだったからこそ誰にも相談できなかったし、この世に取り残される孤立感がもっと生きられないくらい差し迫ったからこそ自殺せざるを得なかったのではないか。

人生の一つの宿運が遂げられたとすれば命懸けで求めずにいられない人との貴重なかぎりの幸せを得られたことを良かったと笑うべきだ。

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