スキップしてメイン コンテンツに移動

些細な日常

ラベル(詩的)が付いた投稿を表示しています すべて表示

ピーテル・ブリューゲルの雪中の狩人と連作月暦画として残された他の四作品の芸術

イメージ

十五世紀のブラバント公国(現在のベルギーとオランダを部分的に含んでいた)の画家、 ピーテル・ブリューゲル (同名の息子の画家と区別して父ブリューゲルとも呼ばれる)の名作の一つ、 雪中の狩人 には二十一世紀の現在でも廃れずにオリンピックの種目にも採用されている人気の冬のスポーツが三つ描かれている。 ピーテル・ブリューゲルの 雪中の旅人 には人々が冬のスポーツに興じる様子が幾つも細々と遠くに描かれているのが郷愁を誘われる The Hunters in the Snow by Peter Bruegel the Elder / Public domain 分かり易いのが三つで、アイススケートとアイスホッケーとカーリングなんだ。他には一人乗りの橇を引っ張っているのがリュージュやスケルトンに通じたり、狩人の猟銃がバイアスロンの射撃を思い起こさせたりする。昔から変わらず、皆が盛…

ジャミロクワイのVirtual Insanityというとカラオケで歌いたい曲のNo.1だった

イメージ

生きる化石と呼ばれるシーラカンスは実に三億五千万年前の姿を止める魚だった

イメージ

古生代のデボン紀の中頃に出現してその後半から姿を変えず、三億五千万年前のまま、止め続けている古代魚の一種が シーラカンス で、生きる化石と呼ぶに相応しい存在を代表的に保っている。 シーラカンスの種類と生息地について Coelacanth off Pumula on the KwaZulu-Natal South Coast, South Africa by Bruce A.S. Henderson / CC BY 目下、南アフリカの北東海岸のチャルムナ川の沖やインド洋のコモロ諸島の海のラティメリア・カルムナエとインドネシアのスラウェシ島の近海のラティメリア・メナドエンシスの二種類の現存が確認されている。 何れも水深150~700m程度の海底谷の洞穴を住処に泳いでいる。人間が普通に海を泳いでいて遭遇する可能性は極めて少ない。しかし近年はディープダイビングで水深1…

たぶん血圧サージを抑えれば脳卒中や心臓病による突然死を防げるかも知れない

イメージ

父親の死因が心臓病の心筋梗塞だった。朝早く起きて一人で静かに倒れていたために誰も直ぐには気付かなかったんだ。救急車を呼ぶのが遅れて病院でよもや帰らない人になった。 以来、どうして朝早くなのかとずっと不審に思っていた。二十年近く経ってしまったけれども父親が倒れたのが他の時間帯だったら誰かが直ぐに気付いて一命を取り留めたかも知れなかったわけだ。呪わしい感じも何となくしないではなかった。 父親は一人で朝早く過ごす時間が短くても好きだったとしか考えようがなくて参った いつも家の誰よりも先に起きて水を飲んで新聞を読んだり、テレビを観ていたりしたのではないか。 水を飲むのは健康的だったにせよ――寝ている間に人は汗をかく一方で脱水に傾くから起きて 生きるために必要な水分 を補給するのは重要だ――突然死の恐れを前々から少し受け取っていた。 父親は酒と煙草が手放せなかったし、魚を…

ルイス・キャロルの最後のアリス・リデルの肖像写真の不思議なカメラの向け方に思うイギリス文学と詩的な感性

イメージ

写真家としての ルイス・キャロル を発見して 乞食娘のアリス・リデル が非常に素晴らしくて飛び抜けて良いと感じたけれどもそれに次いで記憶に残るのが椅子に腰掛けた アリス・リデル の肖像写真で、ルイス・キャロルがアリス・リデルを撮影した中では最後の一枚といわれている。 如何にも不思議なアリス・リデルの写真の構図 The Last Sitting by Lewis Carroll / Public domain 右上から微妙に見下ろしたカメラの向け方が小説の 不思議の国のアリス を彷彿とさせるくらい如何にも不思議だと感じさせられてしまう。 ルイス・キャロルは数学者で普段は理知的だったのとは対照的にそうした日常生活の安定性を真っ逆さまに揺るがすほどの遊び心を持っていたと ナンセンスな小説 の愉快な書き方から分かる。 イギリス文学だと ローレンス・スターン の トリストラム・シャンディ が全て…

白琉球の切なさの詩的で命の尊さに他ならない思い遣りの心に救われる雨上がり

イメージ

白琉球の花が咲いていた。雨が多くて満開だったけれどもあっさり萎れかけているようだ。琉球躑躅ともいわれる躑躅の一種で、他の種類でも似ていて雨で直ぐに変色する花が多い。しかし白だと本当に目立つし、雨上がりの白琉球には切なさを受け取らずにいない。花柄も大きいから、殊の外、衝撃的で、晴れやかな様子こそ却って強く目に浮かんでしまう。 花言葉は「愛の喜び」らしい。切なさから受け取ると人生を考えさせられる。愛の喜びが直ぐに終わるのか。または悲しみを含めて愛する気持ちが喜びならば深い意味を持っているに違いない。イメージとして前者は清純だし、後者は慈しみだろう。白琉球は切なさを帯びた花だから花言葉の「愛の喜び」も複雑な感じがする。清純な慈しみとすると人生では思い遣りの心が欠かせなさそうだ。素晴らしいし、見習うしかないと頷く。 ならば白琉球は素敵な詩人を彷彿とさせる花なん…

鈴蘭の集落で童心に返りながらヒラタアオコガネも見付けた詩人への思い

イメージ

公園の山の鈴蘭が、大分、咲いて来た。可愛いと思う。まるで天使が宿っているようだ。純真無垢な白い花、そして緑の健やかで大きな葉、人間にとって心に羽根が生えた様子を形象的に彷彿とさせるせいか。ならば鈴蘭は天使の家だろう。数多く咲いている集落ももはや幻想の国に他ならない。鈴蘭を見ていて微笑ましいのは天使たちの住む素晴らしい世界を感じ取って心を擽られているわけだ。詩的だし、気に入るのも当然だ、個人的にいって。 童心に返る。動物が好きで、取り分け可愛いと良かった。昆虫は小さいからいうまでもなく、気に入っていた。 鈴蘭にも見付け出しのは非常に面白かった。調べると ヒラタアオコガネ らしい。体長1センチ程で、条の付いた背中が緑色や褐色の光沢を放つ。特徴的なのは全身を縁取るような毛並みだ。光の加減で見えない場合もあるけれどもふさふさしている。 黄金虫 の仲間でも他の似たような…

ドゥルーズの哲学は出会いが良いと思う

イメージ

十代後半、 ドゥルーズ と ガタリ の アンチ・オイディプス を貪るように読んでいたかも知れない。気持ちは、大分、変わったようだ。抱えていた喜ばしい思い出はいってみれば白光のはずだった。 自分も同じように言葉を書き記したいと率直に感じていた。人生で初めて作家活動への門戸が開かれた瞬間だったんだ。ドゥルーズとガタリの アンチ・オイディプス は記念碑的な本とも過言ではないし、個人的には忘れ難い思い出の一つに他ならず、素晴らしい出会いそのものだった。 〈それ〉は作動している。ときには流れるように、ときには時々止まりながら、いたる所で〈それ〉は作動している。〈それ〉は呼吸し、〈それ〉は熱を出し、〈それ〉は食べる。〈それ〉は大便をし、〈それ〉は肉体関係を結ぶ。にもかかわらず、これらを一まとめに総称して〈それ〉と呼んでしまったことは、なんたる誤りであることか。いたるところでこれら…

蜜蜂といえばマーヤでマーヤといえばやはり可愛い

イメージ

日本アニメーションの作品紹介でどんなアニメがあるのかを探し回っていたら みつばちマーヤの冒険 が出て来てとても嬉しかった。 みつばちマーヤの冒険はかけがえのない世界を味わわせる みつばちマーチの冒険|日本アニメーション・シアター かつて気に入ったアニメの一つだったし、キャラクターが可愛くて蜜蜂に興味や感心を抱きながら好きになる切欠にもなった。 振り返ると僕自身のアイコンの蜜蜂も非常に大きな影響を受けていた。元々の絵も 冒険 と題していた。蜜蜂のイメージが みつばちマーヤの冒険 によって固まってしまっていたとすると相当に詩的だったと考えられるだろう。 髪型がたぶん最も素晴らしい。蜂蜜を頭から被ったような感触が示されていて色も黄色で似通っている。蜂蜜で生きている蜜蜂だから生きる喜びが髪型で正しく表現されていたわけだ、マーヤには。 するとアートをやはり受け取らずにいない。自己表…

澄んだ眼差しの世界で自然に出会い得る天使は詩的だ

イメージ

日本アニメーション が フランダースの犬 のアニメの第一話を動画で無料公開していて素晴らしい。 フランダースの犬 の胸熱く泣けて来る詩のイメージ フランダースの犬 第1話「少年ネロ」|日本アニメーション・シアター オープニングの主題歌のところが凄く好きだ。分けても池に張った氷の上をネロとアロアがくるくる回りながらパトラッシュが割って入ったせいだけれども滑っているのを観ると胸が熱くなるんだ。 そして涙も溢れざるを得ない。人と人との絆は心から清らかには引き裂かれないのではないか。滑り込むほどにパトラッシュが詩になってしまっていたせいで、ネロのアロアの通じ合う言葉(胸のうち)を表現していたと味わわれる、正しく喜ばしく。 十数年来、徹して作詩しながら詩人として幾つもの詩集を仕上げて来たし、詩、または詩歌への造詣は今現在でも絶えず、深まり行くばかりにもせよ、アニメの フランダー…

コーラと逃げ出さない俳句の極意

イメージ

夏の暑さにコーラが美味かった。健康を考えると糖分を控えたいけれども偶には良いのではないか。 炭酸が多いと驚いた。当たり前だよ、コーラだから。知っていて確かめて喜びたかったのではないか、久し振りだし。本当に喜べたから驚くしかなかったと思う、今さっきを振り返りながら。可笑しいにせよ、コーラが懐かしくも気持ち良く飲めたのは嬉しかった。 八月の机に馴染む缶コーラ 言葉を詩に感じるために文章の動詞を別の何かに差し替えることがある。 水を折る などと世間一般ではあり得ない表現を行うと如何にも世界が優しい香を放って来るんだ。 ただし苦肉の策だから動詞が世間一般と同じでも人は作詩できる。感性にそぐわない文章にかぎって動詞に問題を抱えている可能性が高いのかも知れない。動詞を別の何かに差し替えると上手く行ってしまう。 今作は「置いた」で考えてどうしても缶ビールに合う。そして「立てた…