鈴蘭の集落で童心に返りながらヒラタアオコガネも見付けた詩人への思い 結城永人 - 2017年5月14日 (日) 公園の山の鈴蘭が、大分、咲いて来た。可愛いと思う。まるで天使が宿っているようだ。純真無垢な白い花、そして緑の健やかで大きな葉、人間にとって心に羽根が生えた様子を形象的に彷彿とさせるせいか。ならば鈴蘭は天使の家だろう。数多く咲いている集落ももはや幻想の国に他ならない。鈴蘭を見ていて微笑ましいのは天使たちの住む素晴らしい世界を感じ取って心を擽られているわけだ。詩的だし、気に入るのも当然だ、個人的にいって。 童心に返る。動物が好きで、取り分け可愛いと良かった。昆虫は小さいからいうまでもなく、気に入っていた。 鈴蘭にも小さな昆虫を見付け出したのは非常に面白かった 調べるとヒラタアオコガネらしい。体長1センチ程で、条の付いた背中が緑色や褐色の光沢を放つ。特徴的なのは全身を縁取るような毛並みだ。光の加減で見えない場合もあるけれどもふさふさしている。黄金虫の仲間でも他の似たようなスジコガネには珍しいので、見分けが付けられる。 ヒラタアオコガネは春から夏にかけて植物の葉を食べながら生きている 鈴蘭の集落では公園の山で発見した去年から欠けた葉は殆ど確認されなかった。偶に葉先がないだけだ。ヒラタアオコガネは姫女苑や紫陽花の葉が大好物らしいけど、鈴蘭の葉はさほどでもないのではないか。分けても鈴蘭にはコンバラトキシンなどの猛毒が含まれているといわれる。人間は取り扱いに厳しく注意するべきで、虫も基本的には付かない花らしい。ヒラタアオコガネは好んで食べないにも関わら、やって来て鈴蘭の集落に紛れ込んでしまったんだ。 鈴蘭のヒラタアオコガネはあてどない人生の風変わりな旅情を思い起こさせた 数奇な流れで、どこからことなく、辿り着いてしまったような感じがする。詩的な光景を目にしたというとありふれたイメージにせよ、鈴蘭が天使の家で、その集落も幻想の国だと受け取られる素晴らしい世界の中では、殊の外、感慨深い。 僕は詩人として生きるために童心を身に付けようと考えた なぜなら命の尊さを知っていたからだ。可愛い動物、小さな昆虫に惹き付けられる気持ちは本当に詩的だった。捨て去っては自分らしくないし、どうしようもないと危ぶまれた。本性から改めて命の尊さを身に付けてこそ詩人として生きられるに違いなかった。童心に返るというのはだからとても大事な経験だろう。良い思い出に懐かしく憧れるだけではなくて人生観を自分らしく再構成するためにも必要なんだ。 望んだ趣き、一つの生き方のイメージを実際に味わえるのは嬉しいし、気持ちは格別だ。 公園の山の鈴蘭の集落は素晴らしい世界で、命の尊さが胸に響かずにいない。 天使の歌が聞こえて来るから詩人への思いが高められてしまう。 参考サイトスズラン(鈴蘭)には毒がある?致死量や毒性は? コメント 新しい投稿 前の投稿
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